私は何者か ⑦
「────きゃあああああああッ!?」
翌朝。
口と腹に不快感が残る中、私は屋敷中に響く女の悲鳴で目を覚ました。
上体を起こし、軽く頭を撫でるが、寝癖などは付いていないようだった。昨日もそうだ。
体質なのか、このレティツィアの髪は碌な手入れもなしに素敵なキューティクルを保っている。もしかしたらレティツィアに限った話ではなく、この世界の人間の大半に共通することなのかもしれないが。
与えられた寝間着から、昨日も着ていた例の外用っぽさ溢れる衣服に着替え、扉を開いて悲鳴のした方へと向かう。野次馬根性というやつだ。
部屋を出てすぐ、同じく悲鳴を聞いて出てきたのであろうフォロと目が合う。
こちらには可愛らしい寝癖がついていた。
「ああ、レティ、おはよう」
「おはようございます。今の悲鳴は?」
「メイド長の声だと思う。皿が割れたとか虫が出たとかでもああいう声を上げる人だけど、今回は特に悲鳴が大きかったから……一応確認に行こうと思って」
どうもこの悲鳴は日常的に聞かされるものらしい。勘弁してくれ。
フォロに続き、悲鳴のした方────豚の部屋の方へと歩く。
部屋の前にはロディブが立っており、床に女性が転がっていた。気絶している、のだろうか。
「フォロ様」
「何があった?」
尋ねるフォロに、ロディブは言い澱む。
「────領主様が、何者かに殺害されました」
豚領主が、殺された。
つまりメイド長は殺人現場を目の当たりにしたショックであれだけの悲鳴を上げた、というわけだ。さすがに責めることもできない。
「馬鹿な。どうやって殺したというんだ?」
あの豚を殺すのは物理的に厳しい、とフォロは言っていたはずである。
「中を確認させろ」
「あまり、フォロ様にお見せしたくはないのですが……」
「別に僕は死体を見たくらいで気絶したりはしない。ヴェーネレと一緒にするな」
そう言って、フォロは床に倒れている女性に目をやった。
恐らくは彼女、ヴェーネレとやらが件のメイド長だろう。メイド長、と言う割には随分若い気がするが、まあ豚の趣味か。
「……承知しました。レティツィア様はどうされますかな? 普通の女性が見るべきものではないと思いますが」
私の心配をするより先に、身内の死体を余所の人間に見せたくない、とでも考えそうなものだが、豚に限ってはそういうこともないらしい。
お前さえいいなら見ても構わんぞ、といった口ぶりだ。
「そういうのは大丈夫だと思いますけど」
「まあ、そうでしょうな」
思わずむっとした顔を作った。
何か釈然としない対応だ。対外的には私は淑女なのだが。
「それでは、中へ────」
「お待ちください」
扉を開こうとするロディブの横から知らない男の声がした。
「屋敷の前で待っていたのですが、どうも緊急事態のようですから、勝手に侵入させてもらいました。あなた方より先に現場に入らせてもらいます。隠蔽工作でもされては面倒ですからね」
私達を疑ってかかるような言葉を発したその男は、金の装飾が施された純白の鎧を纏った、騎士然とした人物だった。白い髪に青い目の、整った顔立ちの男。
私の価値基準で言えば────コスプレイヤーにしか見えない。
というかコスプレのほうがしっかりしていそうなレベルだ。
腰に下げた細身の剣はともかく、少々サイズの合ってなさそうな鎧に加え、やたらと刀身の横幅が広い不恰好な大剣を背負っているあたりもなんとも言えない雰囲気を助長している。
はっきり言ってダサい。
顔が良いだけに装いの奇妙なチープさが引き立っている。
「王都の聖騎士、ですか。何の御用でいらっしゃったのですか?」
「それについては後で話すことにしましょう、今はこの事件を解決するのが先決です。とりあえず、屋敷の中にいる人間が外に出られないように結界を張らせていただきます」
聖騎士とやらがパチン、と指を鳴らすと、窓の外が僅かに緑色に染まった。
結界が張られている、ということの証左なのだろうか。
聖騎士は一貫して薄く笑みを浮かべている。馬鹿にされているような気分にさせる絶妙な表情だ。意識せずにやっているのなら相当に凄い……対人関係に苦労しそうである。
結界を張った、とあっさり言ってくれたが、つまりこの男も魔術師であるということか。
系統の分類など全く分からないが、多分結界も魔術だろう。この世界の超常現象はおよそ魔術だ。多分。
聞いてみるか。
「魔術、ですか?」
私の言葉に、騎士はうーん、と言って首を傾げる。
「魔術ではあるのですが、そういう事を聞いているわけでもないのでしょうね。細かく言うと、聖遺術、です。魔術の一系統ではあるのですが、他の魔術と比較すると少々特殊と言いますか……あまり一般的なものではないですね。まあ気にしなくて大丈夫です」
魔術だよ、と答えてくれれば満足したのだが、諸々余計な知識まで披露してくれた。
そして本質は何一つ語っていない。
聖騎士は私から視線を外して一歩引くと、私達全員に向けて恭しく礼をした。
「申し遅れました、私、聖騎士団第二位のルフェル・メルカダンテと申します。以後お見知り置きを」
その名乗りにフォロが反応する。
「第二位、か。随分と重い肩書きだな。少なくとも、こんな辺境の村においそれと来ていいような位の人間じゃない。何の用があってここに来た?」
馬鹿に丁寧に、慇懃無礼と言っても過言ではない程丁寧に振舞っている人物ではあるが、第二位というのはかなりのお偉いさんらしい。
文字通り聖騎士団のNo2ということだろうか。聖騎士団自体の社会的地位を知らないので結局偉さ加減はよくわからない。
フォロが対外用の強気な態度で接しているあたり、どちらかというとフォロのほうが立場が上なのだろうか?
「後で、って言ってるじゃないですか。サプライズですよ、楽しみにしていてください」
「そんなわけにいくか」
「万が一がありますから話したくないんですよ。断罪、そのための犯人の特定が先です」
「その万が一というのが何のことかすらもわからないんだが……そもそも、この事件に関しては外部から侵入した犯人が父上を殺してさっさと逃げてしまったケースだって考えられるし、遠距離から魔術で殺された可能性だってあるだろう。もしそうならどうするつもりだ? 犯人が見つかるまで世界中探して回るつもりか?」
犯人が既に逃げているというのは私でも考えが及ぶ状況だが、魔術による遠隔暗殺というのもあり得るのか。
面倒な世の中だ。仮に警察組織があってもこういう場面ではあまり機能しそうにない。
「うーん……とりあえず、現場を見てみましょうか」
「なぜ部外者のお前に見せる必要が────」
フォロの言葉を遮るように、ルフェルの腰から翡翠の色をした細身の剣が振り抜かれた。
一閃。フォロの喉元を切り裂くような軌道で振られたその剣は、空間に光の筋を残し、しかしフォロを傷つけることはなかった。
フォロの首にも、光の跡が残っている。
ルフェルはその剣を鞘に戻す。
「<聖剣ヴァランス>──調和のためのあらゆる能力を詰め込んだ工房の最高傑作です。使う度、いちいち馬鹿みたいな量の魔力を消耗するのが玉に瑕ですが」
「お前……何をした?」
フォロは自らの喉を抑えながら尋ねた。
「嘘と魔術を縛りました。あなた──クリストフォロス・メルレーノはこの事件における最重要人物ですからね。被害者の息子であり、被害者が死ねば一番得をする人間だ。ロビン・メルレーノの死に伴い、魔導具と爵位が継承され、次の領主はあなたになる。14かそこらの君にこんな疑いをかけるのも酷かなとは思うんですけど、年齢の割には随分と頭が切れるそうですし」
あの豚、男爵だったのか。
この世界の貴族もイギリスだとかの階級制度そのまま、とかいう話ではないだろうが、私がルフェルの発した言葉を『男爵』として理解している以上、恐らくあの豚領主は下位あるいは最下位の貴族だったのだろう。だが下位であろうが貴族は貴族だ、十分殺人の動機になり得る地位ではある、はずだ。
ルフェルの行動についてはまあ納得できる話ではある。
年齢にそぐわないような言動がフォロにはままあるし、豚が死んで得をするのがまずフォロであるのも間違いない。
ルフェルは知らない情報だろうが、レティツィアを貶めたことによる恨みもあり、どうにかして父上を殺したい、と私に話してもいた。
「初めに聞いてしまいますけど、あなたが犯人ですか?」
「……違う」
「おや、ハズレですか、残念」
ルフェルはおどけるように肩をすくめてみせる。
「まあとにかく、この事件は聖騎士団第二位として、私が検分させていただきます。本来こういった殺人事件の調査は教会内部のそれ専門の方々に任せるんですけど、さすがに王都から馬で片道三日かかるような僻地に呼びつけるわけにもいきません。急ぎの用件がありますから」
ここから王都、そんなに離れていたのか。
まあ半日とかで着くような距離ならもっと賑わっていてもおかしくないし、そんなものか。
「急ぎなら今済ませろ」
「三日は待てないというだけで、今すぐにという話ではないです」
「……わかった、それはいい。お前のその聖剣は僕以外には振らなくていいのか? 可能なら嘘は一つも混じらないのがベストだろう」
「できるならそうするんですけどね。<光り楔>は何度も使用できるような能力ではないんです。再使用には満月の光を溜める必要があります」
そういえば、この世界にも月と太陽があるんだな。そもそも人間が存在するのに何を今更、という話ではあるが、ベースはほとんど地球と変わりなさそうだ。
「それならもっと容疑者を絞った後に使った方がよかったんじゃないのか? 冤罪を防ぐための最終確認に使うべきだ」
ルフェルはその言葉を、いやいや、と否定する。
「あなたが魔術を行使して私の口封じに走った場合に殺さずに対処できる自信はありませんからね。先手を打たせていただきました。嘘が吐けなくなる、というのは今回の場合副次的な効果ですね。最悪容疑者全員処刑してしまってもいいですし────ああ、いや、ジョークですよ、ジョーク。そんなに睨まないでくださいよお、怖いなあ。殺人犯を裁こうとしてるのに無闇に人殺しなんてするわけないじゃないですか。冤罪を防ぐような機能は別に搭載されていますよ、最高傑作との呼び声は伊達ではありせん」
この男、なかなか掴み所がない。
正義感から犯人探しをしようとしているのかと思ったが、その割には言動が不謹慎すぎるし、態度が軽すぎる。
聖騎士という立場上必ずこういう事件は処理しなければならないのだろうか?
それにしてもやけに楽しげだ。
直接聞いてしまうか?
「あの」
「ああ、はい、なんでしょう」
ルフェルは薄い笑みを浮かべたまま私の方を見る。
「あなたはなぜ、犯人を探そうとしているのですか?」
尋ねられて、少し悩むような素振りを見せたが、すぐに口を開いた。
「何故そんなことを聞くのですか、と問いたいところですが、答えましょう。私は聖騎士団員ですからね。目の前の罪は裁かなければなりません。────もっと言うと、聖騎士は女神イースウェールの加護により、悪人を裁けばその分だけ力を得られるようになっています。私の行動は女神の意思というわけです」
つまりは、結局のところこの男も損得勘定で動いているということか。
まあ、下手に『僕の考える正義』みたいなものを振りかざされるよりは余程いい。
問題は悪人の定義か。
「……その『悪人』ってどういう人のことですか?」
「聖典に記された戒律を破った人間が悪人です。教会は基本的に王国法とは別の基準で動きます。まあ戒律も王国法もそこまで細則に差は無いのですが」
ふわふわした倫理観で裁いているわけでもなく、きっちりと根拠になる書物があるらしい。
その戒律とやらの正当性についてはわからないが、少なくとも裁いた時に御褒美を貰えるかどうかの基準としては絶対的に正しいのだろう。
ルフェルがこちらを見据える。
「ところで、あなたのお名前は? 私が頂いた資料によればメルレーノ家に黒髪の女性など存在しなかったのですが」
そこで判断するのか。
黒髪、というのは王都でも余程珍しいのだろうか。
「彼女の名はレティツィアだ。記憶を失っており、生活能力がないと判断したのでうちで保護している」
私が口を開く前にフォロが簡潔に説明した。
「どういった御身分の方で?」
「……以前は、教会で生活していた」
「要領を得ませんね。生まれは?」
「……この村だ」
「そういう話じゃないんですけどね。もしかして彼女が犯人で、匿おうとしてます?」
ルフェルの目は猜疑的だ。
答えをはぐらかすフォロに疑心を抱いている。口角を上げながら。
「そんなはずはないッ」
愉快そうに詰問するルフェルに対しフォロは声を荒げた。
「……レティツィアには首輪がついていた。犯人でない事の証明としてはそれで十分だろう」
苦虫を噛み潰したような表情を作りながら話している。
やはりレティツィアの境遇に関してはどうあっても口にしたくないようだ。私の感覚からすればそこまでして隠匿すべきもののようにも思えないが。
「<奴隷三令の首輪>ですか?」
「……そうだ」
「わお、事実なんですね。今消えているという事は、恐らく術者はロビン様……なるほどねえ」
ルフェルの笑みは少し邪悪さを帯びた。
確認できないが、どうやら首輪は施術者の死によって消えてしまうらしい。
フォロが豚を殺したがっていたのにはそういう理由もあったのだろうか。
「まあ、それなら確かに犯行は不可能ですね。いいでしょう、これ以上の追及はやめておきます。今消えてる以上見た目から首輪付きだったと判別することは出来ませんけど、<光り楔>に縛られたクリストフォロス様が言った以上間違いなく嘘ではないですし、あれは魂を直接縛る高等魔術を一般化したものですからね。抜け道はありません」
言葉がいちいちクドい。生前関わりのあった、ある男を連想させる。顔面はこいつと似ても似つかないが。
……思い出したくもないことを呼び起こされてしまった。
あのニチャニチャと喋る、人を見下した目をした男には散々迷惑をかけられた。本来私は被害を被るような立場ではなかったはずなのだが、ああ、思い出すだけで腹が立つし、胃が荒れていくのがわかる。
ダメだ。精神衛生上よろしくない。目の前の事を考えて忘れることにしよう。展開を回せ。私は何を言えばいい。
「……とりあえず、最低限のお話は済んだみたいですし、現場を確認しませんか?」
「ああ、そうですね。では入らせていただきましょう。構いませんよね?」
「……どうぞ」
状況を静観していたロディブはルフェルの言葉を受けて扉を開いた。
私達と死体とを遮るものがなくなり、その光景は瞳を澱ませた。
「これ、は…………」
先程強がっていたフォロが顔を歪めて呻き声を上げた。
メイド長のように気絶こそしなかったが、相当精神にダメージを負っているだろう。
しかし、ルフェルはフォロとは対照的な反応を見せている。
「少し……面白い事件になっているみたいですね?」
不謹慎にも程がある。
探偵役らしいと言えばまあらしいのだが、こいつは絶対まともなモラルを持っていないし、死者と関わるような職に向いてない。
いや、かえって向いているのか?
これだけ凄惨な死体と直面してノーダメージという心臓に毛の生えたような強靭なメンタルはそういう仕事を続けていく上では大きなアドバンテージとさえ言えるだろうし、それを表に出しさえしなければ顰蹙を買うこともないだろう。
まあ出しているから問題なのだが。
そう。死体は凄惨な有様だった。
凄惨というより、異常、だろうか。
頭蓋が割られ、まるで何かに食い漁られたかのように、その脳が引きちぎられていたのだ。