私と冒険 ⑤
三人組に連れられて来た森。
私はそこで、男共がいたいけな兎などを狩る姿を見せられていた。
ブラッドラビットとか言っていたか。吸血鬼の忘れ形見などと呼ばれている魔物らしく、見た目の可愛らしさに反してかなり危険らしい。吸血鬼などというものが存在するのかと聞くと、眉唾だと返された。
ブラッドラビットの危険性も私からすればまた判断に困るところだ。ろくな被弾もなく殺している様子しか確認できていないため、実力を自慢げに語る彼らのその言葉も少々誇張されたもののようにも感じられる。……まあ、評価すべきところも見受けられるが。
だがその不信感を表に出すほど私は単純な人間ではない。
「わぁー、すごいです。そんな危険な魔物を、こんなに簡単に倒しちゃうなんて」
この通りだ。
私が見た目より長めの人生で得た知見が一つ──人間、持ち上げられると気持ちがいい。
この若干棒読みなセリフひとつでこの男どもからの好感度も大幅上昇していることだろう。愛情による支配がなされる時も近い。
「わかる!? すげーっしょ!? こうなるまで結構頑張ったんよ、俺ら。まあとにかく、赤色系の魔物はカワイイ見た目の割に危険だから迂闊に近寄らないようにっつー話ね」
危険度の方はあまりわからなかったが、実際のところ彼らの動きは老獪とでも評するべき熟達したものであった。空間の取り方が上手いというか、兎が一手で攻撃可能な範囲には決して自分達から入らずに、兎が焦れて野生動物らしい迂闊な動きをしたところを刺す。見た限りではそのような戦いを展開しており、指導目的で初心の冒険者を連れ出すに値する人間たちのそれであったと思う。
チャラいだけのヤリチン共かとも思ったが、中々どうして興味深い部分がある。
しかしながら、そうなってきた時に気になる部分もまた出てくる。
「ある程度経験のある冒険者って、全員が皆さんみたいな動きをするんですか?」
経験と才能。
彼らの動きが感じさせるものだ。
私がすぐにそうなれるとも思えないし、それどころか大抵の人間にはこなせない内容に思えた。冒険者として生き残っていくにはこのレベルの動きを要求されるのだとしたら……私には直接戦闘するような役割は背負えないだろう。
が、その懸念は否定される。
「いや、そういうわけじゃーないね。むしろ俺らは特殊な方っていうか、技術でパワーを補ってる感じなんだよね。だからまあ、ここまでできる必要はないよね」
三人のチャラ男のうちの一人、金髪オールバックがそう答える。
「ははぁ……やっぱり皆さんが特別すごいって事なんですね?」
「そういうことよ!」
やはりというか、必ずしもこのレベルで動ける必要はないようだった。
そして適当におだてると調子のいい返事が返ってくる。
……こういった会話も案外面白いものだな。
その後、いくつかの場所で似たような、気をつけるべき魔物や現象などを教わり、私たちはその流れで王都下層の酒場に行くことになった。
中層と上層の雰囲気はおおよそ掴めてきているが、私が下層に赴いたのはこれが初めてのことだった。
初見の印象として……暗く、臭い。
かなり近未来感のあった上層とはまるで異なり、清潔感に欠けた、スラム街や、あるいは最早ゴミ溜めとでも形容するべきに思える汚い場所だった。日光もろくに届かず、電灯のようなものの不健康な光によってのみ人や建物の姿が照らされている。
よくもまあこの小綺麗な美少女であるところの私をこんな場所に連れてきたものだ。
だがまあ勿論、そんなことを考える素振りはおくびにも出さない。
「私、下層って初めて来ました……ダークで大人な雰囲気があって、素敵ですね!」
この通りだ。
私の手にかかれば下層の寸評もこの通りである。いい酒場があるとか言って連れてきた当人たちも鼻が高いこと間違いなしだ。
彼らを見ると案の定ニコニコしている。これはそろそろ貢がれコースだろう。
というかそもそもが酒を奢ると言って連れてこられているので、最早この段階で貢がれていると言ってもいい。私の有り余る魅力はしっかりと作用したようだ。おかしいのは今までのいまいち靡かなかった連中だ。見る目のないやつらめ。
当の酒場に入る。
店内は思ったよりも綺麗にしてあり、少なくとも椅子に座ることに抵抗はない。三人組の誘導に従いテーブル席に座る。
と、三人組が一人、茶髪ワンレンの男が酒場の主人らしき人物に声をかける。
「マスター、いつものね!」
「かしこまりました」
マスターと呼ばれた酒場の主人は、まさしくバーのマスターのような小洒落た身なりをしており、妙な違和感を演出していた。ジョッキのビール以上に大雑把なものしか置いていなさそうな酒場の雰囲気に反して、マスターはワインしか持ってこなさそうな出立ちなのだ。
少しして、マスターが『いつもの』を四人分運んでくる。提供する相手によって趣向を変えているのか、彼らのものが青いのに対し、私のそれは赤かった。ワイングラスのような容器に注がれた、若干の乳白色が混じった綺麗な赤い飲み物だ。
全員がそのグラスを持ったことを確認すると、金髪オールバックが音頭をとる。
「それじゃ、レティちゃんの冒険者としての門出を祝って……カンパーイ!」
陽気である。
私もかんぱーいとか言ってグラスを突き合わせた。
レティちゃんというのは、レティツィアという名を教えたら彼らがそう呼び出したものだ。三人ともそう呼んでくる。
グラスを思い切り傾けてその飲み物を口に含むと、不可思議な風味が広がった。
何とも表現しがたい、無理に例えるならラムネとスピリタスと消毒液を混ぜたような、そんな表現になってしまう代物だ。しかしながらそれでいて……とても美味しい。
「おっ、レティちゃん、いい飲みっぷりっすねー」
赤髪短髪のチャラ男が調子良く声を掛けてくる。
「ええ、すごく美味しくてびっくりしちゃいました……。これ、もっと飲んでも大丈夫ですか?」
「勿論っしょ! マスター、どんどん持ってきちゃって!」
どんどん運ばれてくるその飲み物をがぶがぶ飲んでいると、段々と幸せな気分になってくる。
不思議な感覚だ……前世では気持ちの良い酔い方をしたことなど一度もなかった。まさか生まれ変わって経験できるとは……。
酒はまだまだあるようだった。チャラ男どもの懐事情などは一切気にせず、私は一心不乱にそれを飲み続けた。
◯◯◯
……異常事態だ。
「……ごめーんレティちゃん、俺らちょっとトイレ行ってくるね!」
「どうぞー」
目の前で起きているありえない光景を受け止めきれず、隣の男二人を連れてトイレへと走る。
作戦会議だ。
「……おい、あの女、どうなってる? あれで二十杯目だぞ。鯨でも眠ってる」
この酒場はそもそも普通の場所じゃない。
俺たちが女を眠らせてスムーズに事を運ぶために利用している施設だ。
マスターに提供させた赤い酒には強い薬が混ぜ込まれており、屈強な成人男性でも一杯全て飲んでしまったら忽ちのうちに昏睡する代物である。人間が二十杯飲んでピンピンしているなんてことは絶対にあり得ない。なんなら途中で死んでいたっておかしくはないのだ。
「たまたま薬に耐性があった、とか?」
「んなわけあるか、耐性が出来るような薬じゃねーだろ。マスターが裏切ったんじゃねえのか? 今回のはとびきりの上物だ。情が湧いても下心が出てきてもおかしくねえ」
「ありえん。いくら奴の器量が良かろうが、制裁と天秤にかけて釣り合うわけがないし、仮にそうだとして、同時に俺らを処分する策も講じなければそこで終わりだ。マスターの意図した事ではないだろう」
「んじゃなんで?」
「知るか。とにかく次の行動を用意しなければならない。……俺は無理矢理拘束して運んじまうべきだと考えてる。多少傷がつこうがリスクがあろうが、あの容姿の価値を考えればその程度の懸念など問題にならない」
「同意」
「同感」
「決まりだな。じゃあ武器を抜いてさっさと……いや──おい、お前、誰だ?」
何者か、異様な存在感を放つ何者かが、いつの間にかそこにいた。
矛盾。これだけ目立つ要素を持ちながら、今この瞬間まで俺たちの誰一人としてその存在に気づかなかったのだ。
異様に整った顔立ち。純白の服に──二本の特徴的な剣。
「構えろっ! こいつ、何か──」
言い切る前に、ふらりと動き出したその男に、仲間の一人が一瞬で首を折られていた。
何が起こっているのかわからなかった。
諸々あってしょうもないやり口を選ぶハメになってはいたが、これでも俺たちは手練れだった。潜った修羅場の数も片手の指では足りず、文字通りの化け物とも、化け物みたいな人間とも何度も相対してきた。
だが、これは──格が違う。
「何者だ、お前!」
「教えてあげてもいいんですけど……無駄ですよね。もう死ぬのに」
言うが早いか、もう一人の仲間も頭を割られ、殺されていた。
「……剣、使わねえのかよ」
俺は目の前の惨状に最早逃げ出す気力さえ失い、そんなどうでもいいことを聞くくらいしかできなかった。
「相当ななまくらなので」
それが、俺が聞いた最後の言葉になった。
◯◯◯
「すいませぇーん、マスター、もう一杯」
「………………かしこまりました」
この謎の飲み物、本当に美味しい。程よい酩酊感を与えながらも口に含むと優しく溶けるように消えていき、いくらでも飲めてしまう。
もう何杯飲んだかも忘れてしまった。
「それにしても遅いですねー、彼ら。私の酒豪っぷりに恐れをなして逃げ出しちゃいましたかー? ……だとすると、支払いってどうなるんでしょう。下層でもカード払いみたいなことできるんですかね? 現金持ってないんですけど……」
ぶつぶつと独り言を唱えていると、トイレの方から人影が出てくるのが見えた。
「あ、遅いですよー、もう! こんなに可愛い子をこんなに待たせるなんて…………うん?」
この酒場にはマスターとあの男どもと私以外の人間はいなかったはずだが、その人影の正体はどれでもない……しかし見覚えのある顔だった。
「ルフェル、さん? なぜ?」
「犯罪者を裁きに来たのです。もう済みましたが」
そう言うルフェルの白かったであろう服には大部分に真っ赤な血痕が付いていた。遠目にはサンタクロースのようにも見えるそのファッションは秒で職質される事間違いなしだ。
「え、犯罪者? あのチャラ男さん達、マジの犯罪者だったんですか? チャラいだけでなく?」
状況から、ルフェルがあいつらを殺したことは明白だ。しかし犯罪者であるようには見えなかったのだが……。
「ええ。人身売買組織の幹部です。尤も最近は上手くいっていないようで、幹部の彼ら自らこうやって奴隷の確保に勤しんでいたようですが……それが仇になりましたね。簡単に捕捉できました。この機に手を引けばよかったものを」
「人身売買、ですか……」
つまり奴らは文字通り私の体が目的だったわけだ。下手するとこのまま売っぱらわれて奴隷にされるか、さもなければバラバラにされて臓器を利用されていたとかそういうことになるのだろうか。まあ中々恐ろしいことだ。それに直面していた実感は欠片もないが。
「あ、あなたみたいな小物に興味はないので、さっさと帰っていいですよ」
ルフェルがカウンターでビクビクしていたマスターにそう告げると、マスターはそそくさと撤退を始めようとしてしまった。
「待って、最後にもう一杯ください!」
「……中々、肝が据わっているというか、なんというか……お酒、好きなんですか?」
「今日好きになりました。あ、ありがとうございます!」
あまり期待していなかったのだが、マスターは消える前に例の酒を一杯置いてくれた。
そのグラスを一気に煽り、六割ほどまとめて飲み下す。
「最高っ!」
「随分とまあ……幸せそうなことで……。ああそうだ、あなたにもいくつか言うことがあります。まず、冒険者をやる上で顔を隠すこと」
「え、何故ですか?」
「こうなるからです。今回はまあ回りくどい手管を使ってくれましたが、一々拉致されていてはまともに活動できないでしょう。今回はたまたま私が介入できましたが、次はそうもいかないでしょうし。あと、名前も同様に隠すこと」
まあ確かに、それはそうかもしれない。私としてはこの容姿を利用する気満々だったのだが、まあこの状況を考えてみると……あまり被害に遭った実感こそないが……可能な限り顔を隠すのが無難な選択かもしれない。
「名前も?」
「名前もです。表向き正規の労働者としてデータベースに登録してある以上、レティツィアという名から辿られるとまたこうなる可能性もありますからね。冒険者は確か性質上偽名での活動が公式に許可されていたはずですし、適当な名前を使ってください」
「まあしょうがないですよねー、私くらい可愛いと、ねー」
「酔ってます? かなり酔ってますね?」
顔を覗き込むようにしてそう聞いてくる。余計なお世話だ。
「まあ、あまり期待してはいないのですが……冒険者稼業、頑張ってくださいね。それと、下層からはさっさと出る事。ここにいると本当にろくなことがないですから」
ルフェルは立ち上がると私の飲みかけのグラスを手に取り、それを煽った。空になったグラスを床に放って彼は店を出ようとしたのだが──ぱたり、と、糸が切れたように床に倒れこんでしまった。
「ルフェルさん?」
近寄って頬をぺしぺしと叩いてみるが、反応はない。完全に気を失っているようだ。
「ええ……? 実は結構疲れてた?」
いや、流石にそんなことはないだろう。返り血に塗れながら、彼は平然として私と話していた。疲れなど微塵も感じさせず。
となると。
「実は、お酒にめちゃめちゃ弱かった……?」
私がガブガブ飲んでも問題なかったお酒の一口でこうなってしまうとは、情けないというか、完璧な騎士様にも可愛らしい一面があったものだ、というところか。
お酒とわかっていて飲んだあたり自覚もなかったらしい。
今度散々からかってやろうと思いつつ、この無防備に床に倒れ込んだ血塗れの男をどうしようかという懸念もあった。一見して殺人現場そのものであるし、それ以上に、こいつは方々から恨みを買っていそうなので、そういった輩にこの場が見つかれば悲惨なことになりかねない。
「……まあいいか。人の酒を飲むからこうなるんだぞ」
ルフェルの事だしなんとかなるだろう。状況の解決を完全に放棄して、私はほろ酔いの愉快な気分のまま宿に帰ることにした。
下層は危ないらしいからな。