私と冒険 ④
「無理なのか?」
私の言葉に男は溜め息を吐いた。
苛ついたのでジャンクを押し当てる手に力を入れる。
「あいだだだだ!! ほぼ切れてないはずなのにめちゃくちゃ痛い! バカか!?」
「お前がバカだから押し当てられてるんだ。……そうだ、お前、名前は?」
「アスクレイアス。アスでいいよ」
この世界の住人の名前は、どうも西洋を感じさせるものが多い。
略称がアスというのはいかがなものか。まあこの世界では変な意味がないからその音で呼ばせているのだろうが……。
「そうか。それで、無理なのか?」
アスはやれやれといった体で語り出す。
もう一度押し当ててやろうか。
「無理っていうかさ……最強ってなんだ? って話だよね、まず。研究国家じゃなくて冒険者ギルドの人間として言うけど、うちの基本理念って『分業』なんだよね。一人でなんでもできるようにするんじゃなくてさ、屈強な戦士が耐えてる間に敵に魔法をバチバチ当てちゃった方が楽だよねっていう、そういう話。わかる?」
「まあ確かにな。それはそうだ。だがその魔法使いと戦士が戦えばどっちが勝つとか、私が聞いてるのはそういう話だ。わかるか?」
正直言ってそこまで最強自体にこだわりがあるわけではないが、アスの態度に苛つくので私の想定について話す。
「だからそれがわかってないって言ってるんだ。強さっていうのは、誰のほうが上とか、ここではそんな単純な尺度じゃない。その話で言うなら環境や条件の問題もある。半歩の距離から開戦すれば戦士が勝つけど、遠距離なら大体魔法使いだろ」
尤もだ。
「だがルフェルは言っていた。自分より強い冒険者が二人ほど思い浮かぶと」
ルフェルも恐らく相当な怪物だが、冒険者になればそれを超えられる可能性があるということだ。
「あー、それは……そうかもね。あの二人は圧倒的に特殊だ。曖昧な尺度で測ってもはっきりとわかるくらいにね」
「私もそれにしろって言ってるんだよ」
「それは無理なんだ。わかってもらうには、そうだな……まず冒険者の加護について説明するよ。一般的な加護がどういうものかはわかる?」
「よくわかっていない」
「まあそうだろうね。加護っていうのは、神様が人間……あるいはその近縁種に貸し出している力の事だ。大抵色んな方面で恩恵があって、身体強化が含まれてないことはまずないね。で、加護は人の成長と共に、より強大になっていく。そして神様は死に際に加護を回収するんだけど、その頃には貸し出した頃よりよっぽど強大な力になってるわけ。そうやって神様は力を蓄えていく。win-winだね。銀行の融資みたいだ。で、まずこれで君が不利なの。わかる?」
「……人の成長と共に加護が強くなるなら、当然早いうちに加護を得た方がいいだろうな」
「その通り。加護を受けるタイミングは若ければ若いほどいいし、加護を受けた期間が長いほど強い以上、今から加護を手に入れて最強になるぞーっていうのはちょっと無理があるわけ。そのルフェル君とやらが言う二人の冒険者のうち一人は齢150を超えて尚現役のイカれジジイだ。うちは加護の強さを段階に分けて示してるんだけど、その爺さんはレベル80。一流冒険者と呼ばれるレベルが10。かつて英雄と呼ばれた男でも30だ。格が違う。これだけ加護が強ければ肉体の衰えなんて大した問題にならない。で、一生かけても厳しいのに魔神討伐までの期間に追いつくなんて絶対に無理」
確かに、加護のシステムだけ見れば追いつくのは不可能だろう。
「加えてもう一つ不利な要素がある。何だと思う?」
「性別か?」
「魔力だよ。この世界の強さってさ、加護と魔術っていう二つの外法でほとんど決まるんだ。もちろん性別による力の差がないわけじゃないけど、魔力量に比べれば些細な問題だ。筋肉モリモリの一般男性より膨大な魔力を抱えた華奢な娘の方が大抵強い。君は魔力もないのに華奢だ、詰んでる」
「華奢とは言うが普通の肉体じゃないだろ。生命力とジャンクがある。カバーできないのか?」
「正直言って君の魂の改竄はさほど戦闘向きじゃない。死なないだけじゃあ戦えない。エロいだけでも当然戦えない。何かあるとすればジャンクとのシナジーだけど、それの持つ力の程が僕にはわからない。普通そんなもの振るえる人間は存在しないから」
「既に悪魔と渡り合えるほどの力はある。中級悪魔、だったか」
「イースウェールの基準だね。正直言って僕たちはそのあたりそんなに詳しくない。だが中級、というと恐らく……加護なしの人間にどうにかなる代物じゃないはずだ。君が言うのも頷ける。でも、多分最強は無理。魔神討伐までのタイムリミットってどのくらいだっけ? 悠長に勇者代行を魔導学院に通わせてるくらいだから、4~5年……いや、必要なとこだけ詰め込めば実用レベルまで2年……そのくらいと見ておいたほうがいいか。君が今からうちの加護を受けて、僕の権限とかある種の裏技まで使って滅茶苦茶に贔屓して育て上げたとしてもレベル30に届くかどうかってところだろうね。……いや、そう考えれば十分英雄の領域ではある。レベルの恩恵は指数関数みたいに増えるから爺さんとは天と地ほどの差があるだろうが、魔神を相手にできなくはないレベルにはなれるかもしれない。最強なんて注文には答えられないけど、それでいいなら協力するよ。君のデータも欲しいしね。それでいいかい?」
「なんでお前に主導権がある風になっているんだ?」
「すいません」
こういうのを口が達者だと言うのだろうか。
雰囲気の緩みも感じる。ふざけた男だ。
「だが、まあ……いいだろう。それでいく」
「じゃあ、とりあえずこの斧どけてくれないかな……」
「ああ。それで、私は何をすればいい?」
「ついてきて」
首をさすりながらよろよろと歩くアスに続く。
ギルド内は非常に複雑な構造になっているようで、これ自体さながら迷宮のようであった。上がったり下がったり左に行ったり右に行ったり、一人で帰らされたら絶対に迷ってしまう。
どういう理屈でここまで面倒な造りになっているのか。
アスは無骨な金属製の扉の前で立ち止まる。
「ここだ。本来冒険者は中に入れずに済ませるんだけど……入ろうか。あ、多分ビザ持ってるよね? ちょっと貸して」
言われた通りにビザを手渡す。
カードキーのようなものを扉の前の装置に噛ませると、扉はひとりでに開き、細長い通路が現れた。
アスに続き、その道を歩くと、殺風景な小部屋に辿り着いた。
真っ白な部屋に、台座が一つ。
そこに鎮座する、異質な黒い箱。
黒い。黒過ぎる。周囲の光を全て吸い尽くすかのように思えてしまう黒さ。悪魔と対峙した時に目にしたものと近い気がする。
形状と大きさは、デスクトップPCのようにも見えるが、そんなものがここにあるはずもない。
「……その箱は?」
「この箱が、見せたかったもの……で、必要なもの」
アスは箱の方まで歩くと、寄りかかり、横から平手で箱をばんばんと叩く。
その箱のみならず、異質なそれをぞんざいに扱う様も異様だった。
「なんだと思う? これ」
「さあ……データベースか何かか?」
「うーん、まあ遠からず。これはね……神様なんだ」
「……神様?」
「そう。冒険者達を導き加護を与える、神アメスエムリクと呼ばれ崇められる存在……それがこれ」
そう言うと、アスはもう一度その箱をばんと叩いた。
「なんでこんなものができたか、っていうのは僕らもわかっていない。これはオーパーツなんだ。古代から用いられる、破壊不可能な黒い箱。まあ有用性が認識されて以降の破壊は試されてないから、もしかしたら今の最高技術でなら壊せるかもしれないけど……とにかくそういうのに耐性があって、そして加護を与えてくれるもの」
もう一度、今度は箱を上からばんと叩くと、箱の正面に白い文字が浮かび上がった。
読めない。
これは異常な事態だ。この世界に来て以来、読めない文字というのは未だこれを除いて存在していない。
「どうなってるんだ?」
「知らない。この順番で叩くとこれが出るってことだけ伝わってる。で、与えられる加護の方向性を選べるんだよね。所謂クラスと呼ばれているものだ。戦士とか魔法使いとかね。選べるものは適性によって決まってて、例えば君には、えーと……回復魔法士も魔法使いも無理。そうだなあー……軽戦士とかでいいんじゃない? 斧振るんだし」
「待て……待って……ちょっと、この画面はどうやって操作するんだ?」
「箱を叩く」
アスが箱を叩くたび、表示される文字が変化していく。
「ふざけた箱だ……」
「僕もそう思うけど、加護は本物……他の神様が与えるのと遜色ないものだ。利用しない手はない。で、僕が使える裏技のうち一つがこれ」
更に2回箱を叩くと、先ほどまでとは違う、文章が表示されているような画面になった。
「これは?」
「ブースト。最初に与える加護の質が変わるんだ。結構最近追加された機能なんだけど、これ、全然採算が合わないから普通は使わないんだよね。約50倍のコストを投じて加護を与える割に回収できる加護の量は同レベルの他の冒険者と同じ。さっき加護はレベルに応じて指数関数的に強くなると言ったけど、その底がこれで変わるんだ。レベルの上がりやすさじゃない……いや、強ければその分上がりやすくはなっているんだけど、コストにはとても追いつかない。だからこちらとしては使う理由がない。冒険者の手綱を完全に握れているなら別だったろうけど。とにかく、強力ではあるそれを君に使ってあげようってわけ」
「大盤振る舞いだな」
「ギブアンドテイクだ。ちゃんとデータは貰うんだからね。で、クラスはどうするの?」
「軽戦士以外だと何になれるんだ?」
「えーと、いや、君、全然適性ないな……盗賊、弓使い、斥候、道化……だけだ。非処女?」
「分かりきってるだろうが」
どの口が言うんだ。
「盗賊とか道化とかふざけたものがあるが、それで戦闘能力は上がるのか?」
「上がる上がる。真っ当なのに比べれば特殊能力寄りな感はあるけど、常人に比べれば肉体強度も十分増すよ」
「特殊能力?」
「ピッキングが上手くなるとか、ジョークが上手くなるとか、そういうのだね。加護の恩恵というのは純粋な力を得るのみに留まらない」
「少なくともそいつらを選ぶ気にはならないな……」
魔神相手に気さくなジョークをかまして状況は好転するのだろうか。したら面白いかもしれないが……。
「詳しくはこの冊子を読んでくれ。じゃあ今日はここまで」
懐から取り出した紙束を私に投げつける。
「やる気があるのか?」
「労働は適度に済ませないとね。また明日にでも来てよ。今日は疲れた。ほんとに。悩むなら帰ってくれ」
これだけのことがあれば精神的に疲れるのも無理はないとは思うが、適当に過ぎる。だいたい仕掛けてきたのはそちらだ。
今日中に済ませたかった気持ちもあるが、渡されたものでも読んで一晩考えるとするか。
「まあいい、明日来たらちゃんと対応しろよ」
「はいはい」
やる気はやはりなさそうだ。
「ああ、クラス選択はまだでも冒険者登録は一応終わってるから、ビザに関連した機能が追加されてるはずだよ。それじゃ、その扉から適当に出てって」
「ビザ、返されていないぞ」
「冊子に挟んである」
確認すると、確かに硬いカードが挟まっていた。
「見送りくらいしろ」
「わがままだなあ…………」
もう一度くらいしっかり脅しておくべきだろうか。
◯◯◯
ギルドを出てすぐ。
比較的人通りのある場所で、男三人組に背後から声をかけられた。
「お姉さん新人冒険者? クラスとパーティはもう決まった?」
軽い雰囲気で話しかけてきた男達。
見たところ、全員が20代前半。軽装で、どこか『冒険者っぽい』。そういったステレオタイプはこの世界で育っていない私の中には無いはずだが、コンテクストと、微かに香る血の匂いがその直感を裏打ちしている。
「いえ、どちらもまだですけど……」
「マジ? それならさぁー、俺らと一緒にちょっと魔物狩り行ってみない? 色々教えてあげるからさー」
「えっと……」
ナンパかよ。
こいつらが私にわざわざ声をかける目的。私に大した持ち金はなく、人間関係も希薄。そうなると実際私自身をどうにかしたい以外の理由は思い浮かばない。
いいだろう。
「じゃあ……お願いしてもいいですか?」
弱そうな人間の笑顔を作って返してやる。
訓練が必要だと考えていた。今後私が冒険者としてやっていく中で、騙し、欺き、貢がせ、搾り取る。コントロールする。惚れさせる。そういった技能を持つべきだと。
この容姿を使うべきだと。
こいつらは丁度いい……実験台だ。
……以前少し恥ずかしい思いもしたしな。