冒険者たち ⑪
「違う」
リーゼは否定するが、身体はそうは言っていない。
「ドグラですか。素直で助かります……ねえ」
手を離さぬまま、首を捻って顔だけをドグラの方に向ける。
「なんでそんなところで座ってるんですか? あなた……まるで自分とは関係ない、とでも言うみたいに……無言で。この……クズが」
「……そうだ」
ドグラは私の方を見ずに俯いている。
わずかの間押し黙ったかと思うと、ぽつぽつと言葉を漏らし始めた。
「俺は……クズだ。だからこんなこと……冒険者なんてやっているし……お前に罪を被せることを止めなかった。仲間を得て、まともになれた気がしていたが……この通りだ」
反吐が出る。
「白々しい傍観者面からこの……同情を引こうとしているような醜く哀れで下らない懺悔。わけがわかりません。面の皮が厚すぎます……犯したのは、あなた自身なのに」
突きつけてやる。現実を。実際を。
寡黙な風に格好付けたところで、この男が欲望のままリーゼを犯してパーティを瓦解させた事実は揺るがない。
滑稽だ。
「…………そうだ。リーゼは俺によって……プリーストでいられなくなった。許してくれ……とは言わない。俺の勝手でお前らの今後の生活まで奪ったようなものだ……好きなようにしてくれ」
その言葉を聞くと、頭の方に血が上り、私の口がひとりでに開く。
「気持ち悪いっ、本当にッ! 周りのことなんて何も考えずに欲望のまま弱者を犯しておいて、なよなよと言葉を並べ立てるばかりで! 仲間に囲まれた場で好きにしろだとか、贖罪の気持ちがあって出てくる言葉じゃないんですよ! 自分のしたことが許されるだろうという甘えたクズの見立てが透けて見える! 貴様のようなゴミは────」
怒りに任せたような罵詈雑言を並び立てる私。
────私はなぜここまで怒っているんだ?
ふとその考えが頭を過ぎると、完全に意識が分断された。
怒り狂う私と、それを見る私。
私の口は比喩ではなく本当に勝手に動き、ドグラに理不尽にも思える罵倒を浴びせている。
そう。これにはある種の理不尽がある。
私はまだ事実関係の確認を済ませていない。つまり迫ったのはリーゼの側かもしれないし、そもそもドグラがリーゼを犯したというのも……ドグラはこう言ってはいるが、確かな事実では無い。そういった可能性がある上でのこの罵倒は不条理だ。
そして、私はこういったところでここまで感情的になるような性格ではない……と自負している。なんなら今日の私の行動は最初からズレている。
自我の不存在。
別の何かが私を装って私を動かしている。
巧妙であった。私自身が、私自身のものでないその思考に動かされていることに気付かなかったのだ。巧妙というのは、これが何者かの手による攻撃や謀略の類であるのなら……だが。
攻撃だのよりも、もっと単純な結論が用意できる。
片方、今俯瞰的に、客観的に私を見ている私が私の人格だとする。もう一つ、今まさに罵倒を軽やかに口ずさむ肉体を動かしているのは別人────失われたと思われていたレティツィアの人格である可能性。
だとしても違和感はある。
フォロから聞いていたレティツィアの人格と、今こうして怒鳴り散らしている私から推測される性格はまるで一致していない。
今まで感情を表現する術を持たなかっただけで、私の知識を手に入れたレティツィアはこのような行動を取るのだろうか?
村中から蔑まれ、そして汚い村の権力者共に犯されていたという彼女の境遇を考えれば大きく不自然ではない、のだろうか。……いや、むしろしっくりくる。男への嫌悪感、特に性交渉が絡んだ事態におけるそれが増幅されているのは至極当然だろう。フォロをどう見ていたのかも気になってくるところだ。
とにかく、俯瞰している場合ではない。どうにかして肉体の主導権を取り返す必要がある。このまま罵倒させておくのも良くはない。
そう思い、静けさに気付く。
私は口を閉じていた。
推測するに、違和感に気付いた段階で既に主導権は私の手に返ってきていた。私は激昂から一転、すん、と押し黙り、今この場は……気まずい沈黙に包まれていた。
混乱したような、あるいは呆気に取られているようなロジィ達の視線が私に刺さる。一番腑に落ちてなさそうなのはドグラだろうか。
傍目に見れば私は感情の起伏が常軌を逸して激しい、単にキレ散らかすよりヤバい人だ。
「あー……失敬」
「お、おう……」
理解が追いついていないらしいロジィが不思議そうに相槌を打つ。私も理解できていない。
動機やら感情は私のものではない、気がしたが……やり口、立ち回りには身に覚えがあった。単に知識がレティツィアに利用されたと考えるより、私にレティツィアの感情が与えられた、と考える方がしっくりくるような精度だ。
思えば私に不自然な感情が乗ったのはこれが初めてというわけでもないだろう。
今までそれに気付かなかっただけ。
背筋に冷たいものが流れる。
自分で行ったつもりの選択が、外側の感情によって歪められていた可能性。
まあそもそも私の人格の存在は最初から……この世界に落とされた当初から不透明なものではあったが、それにしても、だ。
私はただ……この世界も含めた現実からの逃避を望む、終わった人間であったはずなのに。やれ少女向けの小説にハマるだの、洋服を買うのが楽しいだの……少女そのものか。ああ、緊張感も途切れた。もうお終いだ。翻って私は、今度はこの思考から逃避するように、現実に目を向けた。
手首からの出血は止まっていた。
人間、ちょっと動脈を切った程度では死なない。……はずだ。
この世界の人間の肉体の作りは、魔力だなんだという有り得なかったものが存在しているにもかかわらず、私の知っているそれと非常に似ている。肉体に関する基本的な知識はおおよそ流用できるだろう。
リーゼの手を離す。
「一度整理しましょう。リーゼとドグラが……まあ、性交渉に及んで、回復魔法が使えなくなったと。それで、周りにそれがバレるとまずいので、私がレイプしたことにしようとした……ここまで間違い無いですか?」
リーゼが震えながらこくりと頷く。
その震えはどういった感情からくるものなのだろうか。もはやよくわからない……わからないほど絡まったのは私のせいといえばそうなのだが。
「二人は以前から愛し合っていた?」
こくり、と頷くリーゼとドグラ。
その光景に若干の苛立ちを感じたのは間違いなく私自身だろう。
「で、先程生活がどうとか言っていたことも考えると、このタイミングで事に及んだのは、魔導回路を売った収入があったからですね? 二人合わせて3000万。慎ましく暮らせば死ぬまで困らないような額……ですよね、恐らく。性交渉は行いたいが、それをすればリーゼの力が失われ、パーティは瓦解し生活が立ち行かなくなる……そういったジレンマを抱えていたところに、私が解決策を投げ渡してしまったわけですね。そしてプリーストを犯した責任は新入りのその私に被せてしまおうと」
申し訳なさそうな顔でこくり、と頷くリーゼとドグラ。
苛立ちが募る。少しだけ。
「はぁー……本当に、どうしてくれましょうかね……。ロジィ」
「え、俺か? なんだ?」
そういえば先程振るわれた暴力についての謝罪も聞いてないな、とも思ったが、とりあえずは置いておく。
「プリーストを犯した場合の罰則、どうなってるんですか? 何かしらありますよね? ギルドルールとやらに」
「ああ、ある。3章9条……罰金2000万以下だ」
「ああ、なるほど……こちらも考え含めていたなら……したたかですね」
ロジィの言葉を聞いて納得する。
臨時収入は万一事実が発覚した場合の保険にもなっていたというわけだ。まあ女一人に2000万というと、相当重い愛にも思えるが。
「その罰金って私達が受け取れるものですか?」
「いや、違う。ギルドが全額持っていく。ただまあ、そうなった場合、事実関係の確認が済んだら救済措置が取られる。ドグラは無理だが、俺たちには別のパーティで冒険者を続ける選択肢が与えられるはずだ……そこにプリーストはいないだろうが」
「なるほど。ありがとうございます」
さて、今、私にはいくつかの選択肢がある。
まず、このままこのハゲをギルドに突き出して、別のパーティでやっていくというもの。
一番無難だろう。ロジィやイステと別れることになるのかわからないが、冒険者というのは私にとって割りの良い仕事に思えた。適当に事後処理を済ませて冒険者稼業を続ける選択肢はアリだ。
次に、このハゲがやらかしたことを黙っておいて、しれっとこのままプリーストが機能しない状態でパーティとして活動を続ける選択肢。
一番無い……が、有り得ない選択でもない。
私が今の人間関係を重く見るなら取っていい選択だ。主にロジィやイステ……彼らは恐らく……有能だ。どうせ斡旋された先にプリーストがいないのなら、こちらでやっていったほうがいいかもしれない。
最後に、恐らく私だけに許された選択。
自害して、時間を巻き戻すこと。
まず、これには不確定要素が多い。極端な再生能力が無く、自害が可能であることは先程のリストカットで確認できたが、どこに飛ばされるのかがわからない。また魔窟の中かもしれないし、5分前に飛ぶかもしれない。飛べずにそのまま魂が消滅するなら……願ったりだ。そこは考えなくていい。
魔窟まで飛ばされた場合にも、恐らくまた悪魔を倒して戻ってくることはできるだろう。チャートは立てたし、それに収束の性質も味方する。
5分前に飛んだなら……どうしようもないな。諦めるしかない。
つまり、問題は……私が本当にそうしたいのかどうか、ということだ。
時間がうまく巻き戻れば、リーゼとドグラが性交渉に及んだこと、私に濡れ衣を着せたことは無かったことになるだろう。魔導回路を隠しておけば、金が手に入らず、彼らは行為に及ばないはずだ。
だが、私はそれで納得するのか?
濡れ衣を着せる、という行為には、間違いなく悪意がある。そしてその前提が彼らの性交渉だ。それが無かったことになり、罪もその意識も罰も立ち消える。それを私は許せるのか?
今、私には選択肢がある。それは私がこの場において強者であるということであり、ある程度欲望のまま行動できるということでもある。
私の欲望とは、なんだ?
こいつらが裁かれれば、私は嬉しいのだろうか? そうではないかもしれない。元々私はシャーデンフロイデと呼ばれる感情をあまり多くは持ち合わせていなかった。豚領主の時も、不快な事を強要してくる相手をどうにかしたいという思いの方が大きかったはずだ。
レティツィアは喜ぶのかもしれない。レティツィアが喜んだら私も嬉しいのか? わからない。あくまで別の人格……であるはずなのだ。
私は何をしたい?
私は今まで、自分の欲さえまともに認識できていなかったようだ。
より深く、自分の中に潜る。
自分の欲望を探す。
食欲。性欲。睡眠欲。
自己向上欲。自己顕示欲。承認欲求。
食欲が、少しだけ煌めいて見えた。
食欲。何を食べたいんだ?
ジョットルか? あれは確かに美味かった。
他にある。私がこの世界に来てから口にしたもの────人肉。
それに思い当たると、視界が急に暗くなり、ぐらりと揺れた。
視界は更に赤みを帯びる。どこからか鉄のにおいがする気がした。息が荒くなる。熱くなる脳を外側から抑える。
「おい、大丈夫か?」
ロジィの声で視界の色は少し引き戻された。
危険だ。これ以上ここを覗くべきではない。
私の欲望を探すのは……やめだ。またいつか、思いついた時にでもメモすればいい。せめて周りに人がいない時に思索するべきだ。
深呼吸をする。
「ロジィはどうしたいんですか?」
「……正直、リーゼは俺に惚れていると思ってた」
「聞いてないですけど」
茶化さないでほしい。
いや、違う。下らない冗談めいたこの告白によって私は助かっている。心が緩み、平常心に向かうのがわかる。
「まあ、それを踏まえてだが……ドグラは裁かれるべきだ。気に食わない」
「なるほど」
感情的で大変参考になる。
「イステは?」
「正直、リーゼは僕に惚れてると思ってたよ」
「そうですか」
こいつもか。リーゼは魔性の女らしい。
「僕もドグラは裁かれるべきだと思うよ。気に食わないからね。トムは?」
「正直言って、リーゼは拙者に惚れていると思っていたでござる」
「ないだろ」
「ないね」
ロジィとイステからも否定の言葉が出る。
「黙っていてほしいでござる。とにかく、ドグラ殿はきちんと罰を受けるべきでござる。気に食わないでござるからな」
「……御三方、大変参考になりました」
「それで、どうするんだ」
ロジィの問いかけに、私はにこりと笑って答える。深刻に考えていた心はどこかに行き、精神は快復した。
「私も、このハゲをギルドに突き出して2000万払わせ、二度と冒険者稼業に手を出せないようにするのがいいと思います。だって────気に食わないですからね」
私の言葉に、ドグラはこくりと頷いた。
やはりよく考えてみてもこの男は気に食わない。
まあとにかく結論は出た。これでこの件は一応一件落着、ドグラはある程度の罰を受け、私たちは別のパーティでやり直し……というわけだ。
落とし所としては……悪くはないだろう。
「ああ、そういえば……強姦でないなら、リーゼの泣き跡のようなものはなんだったんですか?」
事の展開に反していつの間にかどこか嬉しそうにしているリーゼはこちらを向いて答えてくれた。
「泣いてたもん。嬉し涙」
「……そうですか」
男三人は聞かなければよかったとばかりに頭を抱えている。
仮面を被る必要もなくなったわけだし、ハゲの処理が終わったらこいつらと酒でも飲んでやるか。
そうした光景を見ていると、ふと私の中に欲望がひとつ……叶えたい願いがひとつ、見つかった。
想像し、一人、口角を上げてしまう。
銀髪金眼の麗しきメイド……アルミナにまた会いたい。
それは間違いなく私の欲だった。