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冒険者たち ⑧

 

 昨日は長旅の疲れが溜まっていたのか、部屋に入ってすぐに泥のように眠りに就いてしまった。

 眠りに就く前にはまだ日が高かったはずだが、目を覚ましたのは明け方だった。


 顔を撫でて感じた油分の感覚から衝動的に部屋に備え付けられた風呂に入り、全身を洗い流した。


 そして鏡に映る下腹部、そこに刻まれた紋章を見ながら考える。


 可能性があるとすればこれだ、と。


 風呂には最早魔術的な仕掛けなども確認できず、もしかしたら水を供給あるいは熱する過程でそういったものに由来する技術が利用されているのかもしれないが、しかし今現在の私としては壁のダイヤルを捻るだけで簡単にお湯を出すことができるという事実以外を深く知る必要はなかった。


 さて、腹に刻まれたこの紋章、側から見れば所謂淫紋とでも言うような、明らかに性的な意味のある刻印にしか見えないのだが、私はこれに深い意味はないと考えていた。


 ここに来てから今まで相手させられた人間、豚領主とヤニスから何の言及もなく、行為中に何の反応もなく、そして今現在まで私が一度たりとて熱に浮かされ発情期の動物のように喘ぐようなことがなかったからだ。


 ノゼの言葉の裏にある考えが正しいのだとすれば、私をそう見せているものはこの紋章ぐらいだろうと思ったのだが、しかし改めて確認してみてもこれに何か特別な効果があるようには思えないし、考えられない。


 軽く撫ぜてみるが、やはり何も反応はない。


 以上の事から私は、一度ノゼの言葉について考えるのをやめることにした。

 実際また行為に及んだらどうなるのかなど、それを試す気も更々ない。


 一通り体を洗い流し終えると風呂から出て、昨日購入した服に着替え、朝食を取るために食堂へと歩いた。

 食事は朝のみ宿側から提供されることになっている。


「おはようございます」


 声をかけてきたのはノゼだった。給仕などもこなしているようで、既に食堂にいる人間に朝食を運んだ直後らしい。


「おはようございます。今朝のメニューはなんでしょう」


 笑顔で挨拶を返す。この体に入って以降、表情にはかなり気を使うようにしていた。

 どう扱うにせよ、この顔がもたらす影響は少なくない。


「メインはジョットルのムニエルです。一日の始まりですからね、栄養を取らないと」


「それは素敵ですね。口元が緩んでしまいます」


 ジョットルって何だよ。

 ムニエル、ということは魚なのか? 栄養が豊富らしいが……。

 ムニエルがしっかり私の知っているムニエルなのかどうかも怪しいが。


「今朝は少し人が多いので、相席をお願いします。あちらの仮面の方のテーブルが空いていますので」


 ノゼの指した方を見ると、確かにテーブル席に独り堂々と座っている、仮面──いわゆるペストマスク、(からす)のような面──を被った男がいた。


 怪しすぎる。

 そもそも食事に際して仮面は外さなければならないだろうに、直前まで顔を覆い隠す必要はあるのか?


 静かに歩いて席に座り、少し待ってから仮面の男に恐る恐る話しかける。

 怖いもの見たさの好奇心が半分、無言でいることの気まずさが半分だ。


「おはようございます。あなたもお一人……ですよね、私が女将に案内されたわけですから」


 私の友好的な言葉に対し、一切の反応がない。

 まるで案山子か何かのようだ。


「あのー……」


「君は」


「うわっ」


 驚き、思わず失礼極まりない声が漏れてしまったが、くぐもった声の男はそれを意に介さずに続けた。


「君は、どこの出身かね?」


「……? ええと、ガランドン村、ですが……あなたは?」


 あの村の名前、この男は知っているのだろうか。辺境の土地にある村の名など大抵の人間は知らない方が自然な気さえする。


「ガランドン……なるほど、やはり、か……」


「やはり?」


「そう……いや……こちらの話、だ」


 ペストマスクの男は笑いを堪えるようにカタカタと震えると、帽子とマスクを外し、その素顔──先程までの奇人のような印象を拭い去るほど整った容姿が露わになった。


 明るい茶色の髪に、翡翠のような瞳。


 総評して好青年。

 それらの外見が与える印象は、本当に先程までとはまるで異なっていて、自分がいかに容姿で他人を判断しているのかという事実に直面させられた気分だった。


「跪け」


「……は?」


 その落差に少々惚けていたところに想像だにしていなかった言葉が投げかけられた。


 今、この男は何と言ったのか。

 跪け、だと? 私に命令しているのか?


「ふむ。なるほど」


「な、何がなるほどなんですか?」


 怒っているわけではなく、いや発言が突飛すぎて私は怒ることすらできなかったのかもしれないが、とにかく言葉の真意を探ろうと尋ねた直後。

 今度はこの男は私の両肩をがっしりと掴み、顔を近付けて目線を合わせてきた。


 こいつは何をしているんだ?


 あれか、これはこいつなりの口説き方なのだろうか? 

 そう考えればまあ本当に少しだけ理解が及ばないでもないのだが、しかしこんなことをしでかしながらこの男は至って平然と、真顔を貫いている。いや、そのくらいのほうが男らしいといえば男らしいのだろうか。

 私にはわからない。


「な、な、な、なに、を」


 咄嗟に抵抗もできず、水面に喘ぐ魚が如くぱくぱくと口を動かしていると、突然くらり、と少しの目眩がした。

 心拍数が上がるのを感じる。


 その直後に私の肩を抑えていた男の手が離れ、私は椅子にもたれかかるようにして体重を預ける。


 男はもう一度私の方を見てこう言った。


「跪け」


「だから…………何……?」


 なぜか少し朦朧とする頭でもう一度問うと、男はずっと合わせていた目を逸らし、ふっ、と鼻で息を吐いた。


「なるほどな。ここまで強力な魅了(チャーム)も弾くのか……素晴らしい。ここまで進んでいるとは」


「……はあ……チャーム……というと、精神異常の類か……? 何故私にそんな事を……ああ、やっぱり私に惚れたのか? お前……」


 朦朧とした思考が口から流れ出ている気がする。


「遠からず、と言ったところだな、黒髪のお嬢さん。ああ、料理が来たようだよ。食べながら話そうか。これでも私は忙しい身でね」


 男が左の方に手を挙げて会釈するのでそちらを見ると、ノゼがカートのようなもので二人分の料理を運んできていた。

 マナーはわからないが私も会釈しておく。


 テーブルに並んだ料理を見ると、やはりジョットルというのは魚の類で間違いないようだった。


「私の名はタスク。君の名を聞いておきたい」


「あー、ええと、レティツィアだ。お前は私の事を少し知っているような素振りだったが、何故だ?」


「それは君の繕わない口調かね? 魅了を弾いたことによる負担か、あるいは私をまともに対応する必要のある相手ではないと判断したのか……どちらにせよ、その薄幸の美少女といった出で立ちからそのような粗野な言葉が飛んでくるのは少々……興奮するな」


 端正な顔に気持ちの悪い笑みが張り付く。

 敬語でこそないが、言うほど粗野だろうか。

 まあ望まれるのならそう言う方向で喋ってやるのも面白いかもしれない。


「質問に答えろ変態野郎」


「ゾクゾクする。まあそれはそれとして、私は君のことをしっかりと知っているわけではないよ。ぼんやりと、人伝に聞いただけだ。行方不明だとも聞いていたので……驚いたよ」


「どういう風に聞いたんだ? 私は特定されるような情報は与えてないと思うが」


「君にはあまりピンとこないのかもしれないが……黒髪黒目というのは特徴的すぎる特徴なのだよ。まあ一般的には取り沙汰して騒ぎ立てるようなものでもないだろうが、個人の特定には十分に役に立つ」


「そうか。お前はどういう人間だ?」


「ふむ、そうだな……研究者の端くれとでも言っておこうか」


「何の研究を?」


「ふふ、お見合いでもしているようだな」


「このナイフのようなものを目に突き立てられたくなければ余計な冗談は控えることだ」


 口一杯に食事を頬張ったのち、私は手に持った不可解な形状の食器を軽く振ってみせた。


「悪かった。ふふ……。私の研究は……多分野の物が混ざっていて、知らない人間に一言で説明するのは難しいんだ。魔術系、とだけ言っておこう」


「それは……広すぎるんじゃないのか?」


「そう、広すぎる。だが細かく伝えるには時間が足りない。先ほども言ったように、私はこう見えて忙しい身でね。今すぐ席を立っても遅刻ギリギリ、というわけだ。まあ何が原因かと言えば私の寝坊なのだが」


 私のジョットルがまだ半分以上残っている一方で、いつの間にか男の食事は平らげられており、仮面を被り直していた。


「君にはコレを渡しておこう。いずれ必要になるはずだ」


 男はそう言うと、鞄から大きな箱を取り出した。


「これは?」


「後で開けてくれ。それじゃあ、また会おう」


「おい、待て!」


 男──タスクとかいう男は呼び掛けに対して手をひらひらと振るのみで、そのまま宿を出てどこかへと去ってしまった。


「くそ、結局何だったんだ……」


 誰もいなくなったテーブルで思わずひとりごちた。


「それで、この箱はなんなんだ……」


 タスクの置いていった箱。

 いずれ必要になるなどと宣ってはいたが、あまりにも怪しい。箱を開けたらおじいちゃんになったりしないだろうな。


 とりあえず今すぐ開ける必要はないだろうということで、私はこの問題を放置することにした。

 こんなことでまごついていては折角のノゼの料理が冷めてしまう。


 ジョットルとかいう魚は鮭と虹鱒の合いの子のような味を持っており、なかなかに美味だった。

 毎日食べてもいい。



 食事を終えて部屋に箱を放り込み、私は図書館へと向かった。


 受付のお姉さんにビザを見せるだけで簡単に入館できる……と思っていたのだが、どうやら別途会員登録のような手続きが必要らしく、十分ほど時間を食われた。

 それとどうやら、無料というわけではないらしい。図書館ではあるのだが、この世界ではそれは公共のものではないらしいのだ。

 年会費10万ディラを要求された。

 ルフェルから貰った金の1/10程度でしかなく、それでこの莫大な量の本を読み放題になるなら安いとさえ思えるが、しかし服をバカ買いし宿泊料金もある程度前払いした私にはそこそこ痛い数字だ。

 早急に冒険者とやらになるか、そうでなくても何かしらの仕事を見つけなければならない。飢え死ぬ前に。

 まあ飢え死ぬ前にルフェルにたかるが。


 そのためにも情報が必要だ。


 私は三日間、図書館に入り浸り、この世界に関する幾つかの知識を得た。


 ジョットルはあんな見た目と味をしておきながら鳥であるということ。魔術とは異なる、魔法というものが存在するらしいということ。レイスは微かに存在する実体を利用して有性生殖するらしいということ。受付のお姉さんは実は魔術的な仕組みで動く人形だということ。この世界の貞操観念や倫理観は本来とてもしっかりしているということ……これは上層で痴女みたいな格好していた時に感じてはいたが。


 そしてそれら雑学の他に、一つとても重要な事がある。


 この世界には────非常に面白い恋愛小説が無数に存在するということ。


 それらにどハマりした私は三日殆どを費やしてしまい、ノゼに宿泊期間の延長を申請した。


 目減りしていく預金額を見て我に返った私は明日からちゃんと食い扶持に関わりそうな調べ物をしようと決心して床に就いた。



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