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私は何者か ⑭

 祠内部は歩けど歩けど複雑な構造を崩さず、私達に何かしらの意図を感じさせたが、しかしルフェルの天啓とやらに従うことで決して迷うことなく歩を進めた。


 道中、もう何度か悪魔が出た。

 現れたのは目新しいものではなく、一度見た蛙や霞、或いはその亜種のようなもののみだ。

 霞のほうをフォロの炎が燃やし、人面の悪魔の方はアルミナが銃弾でその頭蓋を撃ち抜いていた。

 いい感じですよーなどとのたまうルフェルの笑みはどこか退屈そうだった。いい加減にしておけよ。



「うう、気持ち悪い……」


 フォロが自らの体を抱えて呻いた。

 悪魔を一匹駆除し、それによって力を得る毎に、フォロはその反動で気持ち悪さを訴えていた。


「瘴気酔いが思ったより酷いですね。まあ、すぐに良くなるとは思いますが……加護が特別なものである関係で吸収率も伸びているのでしょうか?」


 フォロを心配するよりも先に理屈を考察するルフェル。

 まあ本当にまずかったら流石に何らかの処置を施すはずではあるので、致命的なことではないのだろう。


「フォロ、大丈夫ですか? 酷い顔色ですけど……」


「ありがとう、レティ……でも、ちょっと、ダメかも……気持ち悪いだけじゃなくて、何か、変に怖いんだ……」


 余程苦しいのか、先ほどまでと異なり口調まで緩んでいる。

 今日一日で瘴気とやらが一気に蓄積されたのが効いているのであろう、体調も実際相当に酷いらしく、少しふらふらと歩いた後、私の肩を掴んで寄り掛かってきた。フォロの手には火が灯ったままだが、不思議と熱さは感じない。


「……レティ、ちょっと抱き締めてくれないかな。本当にどうにかなりそうなんだ……」


 ルフェルとアルミナの目もあるが、さすがにこの状態のフォロを無碍に扱うのもなんなので、正面から軽くフォロを抱いて、ゆっくりと背中を撫でる。

 怖い、とも言っていた事から、瘴気の吸収というのはなにか不安を駆り立てるような副作用でもあるのだろう。

 とすれば、私はそれを積極的にケアするべきだ。

 役割を確立させなければならない。フォロのサポートをする形になるのが一番都合が良い。


「うぅ……」


「意外な一面、ですね……」


 ルフェルが変な顔でこちらを見ている。

 フォロの幼さを感じさせる一面を見たわけだが、しかし揶揄(からか)おうというつもりでもないようだ。純粋に予想外の反応に困惑しているらしい。

 まあ対外用の強気なフォロしか見ていなければそういう反応にもなるか。


 アルミナは対照的にこちらを微笑ましく見守っている。フォロの事については私より良く知っているのかもしれない。

 ……このようにしてアルミナに抱き着くこともあったのだろうか?

 だとすればかなり羨ましい話である。


 私の感覚では、14歳の男子というのは既に大抵が精通を経験しており、つまりその年頃の男が異性に抱き着くという行為には色々アレなアレもあるとは思うのだが、いや、まあ、いいか。

 別にフォロからそういう感じはしない。豚領主が向けてきたような下卑た視線もなければ、こうして密着していながらも特にフォロの身体が変な反応をしているような様子も見られない。平時に同じことをすればどうなるのかわからないが、少なくとも今現在何も問題は無いのだから結果この行為には何も留意すべき点は無い────多分。


 まあフォロがそういう求め方をしてきたのなら、私としても恐らくそういう対応をするのがベストになりそうではあるが……それはその時に考えるとしよう。




「……ルフェル、さっきのは忘れておいた方が身のためだぞ」


「別に脅されるまでもなく広めたりはしませんよ、私だけが知っている方が面白そうですからね」


 ルフェルは人の悪い笑みを浮かべてくくっ、という引き笑いのような声を漏らす。


「お前……」


「ああ、多分このあたりです」


 フォロの言葉を遮るようにしてルフェルが言った。


 私達はかなり開けた空間に出ていた。

 太陽の光の届かない地下世界であることに変わりはないが、しかしその天井はこの地点においてはかなり高く、閉塞的な色彩ながらかなりの開放感を感じさせる空間だ。

 中央には巨大な柱があり、それを囲うようにして、透き通る結晶の生えた、何か亜人のようなものを模した石の像が立っていた。

 像の数は12体。時計のように並んでいる。


「お目当ての場所ですか?」


「そうなりますね。まず石像を破壊します」


「石像を?」


「魔術の系統の一つに領域術というものがありまして、実体を持つ媒体を用いて特殊な空間を構築するんです。この石像のうち三つがその媒体になっているので、まずはそれを破壊することで敵の戦力を削ぎます。フォロ君とアルミナ嬢も手伝ってください」


「わかりました」


「壊すべき像はどれだ? 片っ端から壊してしまえばいいのか?」


「領域は石像の修復も担っていますから、鍵となる像を同時に破壊する必要があります。これとあれとあれです。イースウェールから告げられました」


 そう言ってルフェルは三つの石像を順に指差した。

 本当にこいつは、パズル的な要素を片っ端から無視していくな。


 アルミナとフォロがそれぞれ指定された石像の側へと歩く。


「いいですか? 合図をしたら破壊してくださいね」


「ああ」


 相槌を打つフォロ。

 しかし、ルフェルはともかくとして、フォロとアルミナはいかにしてこの像を破壊するつもりなのだろう。特に破壊に適した鈍器などを持っている様子はなく、アルミナは銃をしまっている。


 ルフェルが手を挙げると、三つの石像が同時に破壊された。


 ルフェルは背中の大剣を片手で振り抜いて粉砕。フォロは直接石像に手を触れず、その手を翳しただけで衝撃波でも飛ばされたように石像が崩壊。魔術か魔導具だろうか。

 そしてアルミナは、右足を軸としたハイキックで石像を粉砕。

 ロングスカートのメイド服を着ての180度回転する蹴りはあまりにも美しく、細身の女性のそれによって石像が粉砕される様子には尋常ではない違和感があった。

 アルミナも加護とやらを受けているのではないだろうか。イースウェールではないだろうが、他の何らかの神の。


 そして、石像の破壊と呼応するように──中央に(そび)え立っていた巨大な円柱も崩壊した。


「領域媒体の破壊に成功しました。中級悪魔のとの戦闘になります。特に戦闘内容について指示はしませんが、各自それなりに適当に頑張ってください。<聖体ホーリー・エンティティ>」


 ルフェルが自分の左胸に手を当てると、淡く蒼色のついた光がルフェルの全身を包んだ。

 どういう事をしているのだろうか。その様子を遠巻きに眺めていると視線に気付いたルフェルがこちらを見て口を開く。


「これはあくまで自己強化なのでそんな目で見られてもあなたにはかけられません。自分でどうにかしてください」


 別にかけてもらおうと思って見ていたわけでもないのだが。


「さすがに悪魔の性質について先に教えてくれないか? 致命的な行動を取りかねないだろ」


「不明です。来ます。柱の上です」


 天啓とルフェルの知識も万能というわけではないらしかった。


 ルフェルの言葉通り、崩壊した柱の残骸の上に何かが現れた。


 一見してブラックホールのような黒色の球体だ。


 私の目の錯覚でないのなら、光を吸い込んでいるように見える。室温が低下したような感覚もある。熱も吸収しているのか?

 それがどういう物質で構成されているのか全く見当もつかない。光を一切反射しておらず、何も視認できないのだ。球体というより、何もない球状の空間がある、と言った方が適切かもしれない。

 得体が知れない。

 実際にブラックホールであるはずはない。もしそうであるなら、出現した瞬間に周りのもの全て吸い込んで破壊していたはずだ。


(ポータル)です。中から出てきます」


 それは悪魔の出入り口であったらしい。

 ポータルから最も離れた位置、ポータルと私の間に三人を挟むように位置を取り、それを注視する。



『あぁ……だるいな……』


 声がした、ように思えた。

 だが、声ではない。これは鼓膜を介して聞こえた振動ではない。直接情報として脳に送り込まれているような感覚だ。

 しかしながら、声でないはずなのに、私はその言葉に声色というものを確認できた。

 間延びした、少し軽い、青年のような声。

 およそ悪魔のそれとは思えない、一切の緊張感を齎さない声音だ。

 位置もわかる。ポータルのほうだ。そこから声がした。


 声がしてから少し経ち、ポータルの内側からぬるりと人影が現れる。

 人影、だ。蛙のような姿でも霧のような存在でもない。出てきたのは人間を(かたど)った悪魔だ。


 レティツィアと同じ、黒髪黒目。


 声音に違わず、その姿は青年のようだったが、しかし間延びした声に反してその目は鋭く、そして何より口が裂けたように大きかった。


『まだ……時間じゃないはずなんだが……装置が壊され──』


 言い切る前に、ルフェルが大剣を振るっていた。

 目で追えないような速度で振るったのだろう、私の目には首を刎ねられた悪魔の姿と、大剣を振り切ったルフェルの姿のみが映っていた。


 ルフェルはもう一度大剣を持ち上げると、刃を横に向け、その刎ねられて転がった頭部に向かって思い切り振り下ろす。


 悪魔の頭部は粉砕され、下の地面には大きな亀裂が入った。

 粉砕された悪魔の頭部から紫色の肉が飛び散る。


 レティツィアの血は赤色だった。

 悪魔には紫色の血が流れているものであるなら、髪と目の色が同じだからといって、レティツィアが悪魔、という話でもないらしい。

 いや、全ての悪魔に紫色の血が流れているとも限らないのだが。


「……殺せたのか?」


「恐らくまだですね。この手の手合いは二、三度は殺す必要がある場合が多いので。再生を待ちましょう。勿論再生しなければそれで終わりでいいんですが」


 その言葉を聞いたアルミナが悪魔の死体に向けて銃を構える。


『随分物騒なもの持ってるな』


 悪魔がアルミナに囁く。

 直後、ルフェルが指を弾いた。

 光の柱が立ち上がり、その圧倒的な光量の前に悪魔が消滅する。

 人間には効果のないらしい光に巻き込まれたアルミナは当然無傷だ。


「思ったより厄介ですね。あと何度このモグラ叩きをすれば終わるんでしょうか」


 ルフェルが面倒臭そうに息を吐く。


 先ほど、悪魔はいつの間にかアルミナの背後に立っていた。

 いつの間にか、だ。

 私が常にアルミナを視界内に入れていたのにもかかわらず。

 高速で動いた、わけではないと思う。そうであるなら、髪は靡き、空気を割いて動く音が後から聞こえるはずだ。それら物体が高速で動いたことを示す現象を確認できなかった。

 あの悪魔は、最初からそこにいたかのようにアルミナの背後に立っていた。


 わざわざ位置をバラすかのように喋らなければ、気付かれずにアルミナを殺せていた可能性さえある。

 ルフェルもよく即座に反応できたものだ。


「気を付けてください。どのような攻撃手段を有しているのかわかりませんが、少なくとも移動能力と知性は中級悪魔のそれを遥かに凌駕しています。こんなことなら最初から私一人で来ていたんですが……」


『足手纏いばかり抱えて大変だな』


 少し離れたところから声がしたその直後、ルフェルがまた指を弾いた。

 声のした場所に光の柱が上がる。


『もうちょっとゆっくり会話させろよ』


 ルフェルが指を弾き、光の柱が上がる。


『どうせ俺を殺すことはできない。無駄なんだ』


 ルフェルが指を弾き、光の柱が上がる。


『早くに(コクーン)から追い出された以上、確かに俺はお前の言葉通り中級程度の悪魔という扱いになるだろうが』


 ルフェルが指を弾き、光の柱が上がる。


 ルフェルの反応が遅れてきている。

 いや、さすがに遅れてしまっている、というレベルの遅さにも思えない。声が聞こえてから消滅までが露骨に遅いのだ。意図的に光の柱を上げるのを遅らせているのだろうか。何らかの戦術的な意図があるのかもしれない。私はそもそもの戦闘経験も知識も碌になければ、悪魔祓いなど以ての外というレベルの門外漢だ。私にルフェルの意図するところを察することはできない。


『それでも俺は殺せない。そういうふうに出来ている。俺としてもお前らを殺すことは難しいだろうが……そっちは不可能じゃない』


 ルフェルが指を弾き、光の柱が上がる。


『取引をしないか?』


 ルフェルが指を弾くより早く、アルミナがいつの間にかその手に持っていた銃を悪魔に向け、発砲した。


「これはどうですか?」


「いえ、多分……」


『そういう話じゃねえんだよ。死なないんだ』


 悪魔は出会った時と変わらない、一切の欠損がない姿で立っていた。

 アルミナとルフェルの表情が苦々しく歪む。


「……結果論ですが<光り楔(ホーリーシール)>を残しておくべきでした。ここまで面倒な性質の悪魔が出るとは……とても中級の再生能力ではない」


「これ、再生、なんですか?」


 悪魔はまるで、それこそ時間でも巻き戻ったのかのように、何事もなくそこにいる。

 果たして再生という言葉で括れるような能力なのだろうか。


「ええ、恐らくは。何らかのリソースを消費した再生です。如何に悪魔と言えど、何の対価もなしにこのような芸当が出来るわけがない」


 その言葉からして、私の再生についても何かしらの対価が支払われている、ということだろうか。

 だとすれば、死ぬまで自殺し続けるというのを試す価値はありそうだな。


『まあ、正解だ。だが諦めろ。俺はお前が言うところのリソースとやらが尽きる前にお前らを殺せる』


 後ろ、アルミナのあたりから声がしたが、すぐにルフェルが指を弾き、光の柱が上がった。


『あんた、あまりにも過保護じゃあないか? ちょっとくらい斬らせろよ』


 前方に現れてそう言う悪魔の手には、血の色をしたナイフが握られていた。


「聖騎士団員として、余計な被害を出すわけにはいきませんからね」


 ルフェルが指を弾き、光の柱が上がる。


『聖騎士団、ね……』


「タァト・トロプ」


 フォロが呪文を唱えた。

 フォロの手に灯っていた炎が悪魔の身体へと移動し、大きく炎上する。

 悪魔を燃やす炎が今まで以上に明るく祠の内部を照らす。


 しかし、悪魔はその身を燃やしながら、ゆっくりとこちらに歩いてきた。


『さっきも言ったように手段の問題じゃあないし、その程度の火なら俺は一度だって死なない』


 炎上したまま平然と話す悪魔。

 ルフェルが指を鳴らし、光の柱が上がる。


 悪魔は一度消えるが、また同じ場所に現れた。


『ああ、助かるよ。暑かったんでな、一度殺してほしかったんだ。お前、そこのチビ、暦ってものをわかってるのか? もう夏前だぞ、火なんて使うものじゃない』


 何も応えた様子はなく、悪魔は淡々とした声で軽口を叩く。

 死に対する恐怖や敗北の懸念などは一切感じられない。相当に余裕があるらしい。


「……先程言っていた、取引というのは?」


「ルフェル様? 応じるんですか?」


 苦虫を噛み潰したような表情で問いかけるルフェルに対し、アルミナが驚いたように目を見開く。


「ここまでの再生能力は本当に想定外で……こちらとしても、準備が出来ていません。こいつの能力か知りませんが、天啓もなくなりました。これでは千日手です。私の魔力も無尽蔵ではないですし、一度引いて、対抗手段を用意してから殺すべきです」


『おお、助かるよ』


 くくっ、と顔を抱えて、大きく裂けたその口で笑う悪魔。

 どこかルフェルと似ている感じがする。


 ルフェルが指を弾き、光の柱が上がる。


「あまり調子に乗らないでくださいね。さっさと取引とやらの内容を言ってください。別に我々としてはまともに相手する必要もなく、あなたを無視して帰ってもいいのですが、内容次第では取り合ってやらなくもない。本当に取引と呼べるような代物であるのなら──つまり、我々に利得があるのなら、ですけど」


 あくまで上から、高圧的な態度を崩さずに悪魔に相対するルフェル。


『取引、という言い方は良くなかったな。俺が望むのは契約だ。悪魔の契約だよ。力を与える代わりに寿命を食う、寓話によくあるようなありふれたやつだ』


 目の前の存在は悪魔の名の通り、人間の欲につけ込んで契約を迫るもののようだ。

 不死に近い再生能力を持つこの悪魔が与える力とは何なのか。


 こいつと同じ再生能力であるのなら、私がわざわざ契約などを介して手に入れる必要はない。

 だが、そうでないのなら。

 その驚異的な再生能力に匹敵する、別の力を与える契約であるのなら。

 対価は寿命。


 私にとってこれ程都合のいい話もない。


「……私が契約させてもらっても構いませんか?」


「レティ!?」


 焦りの見える表情でフォロが叫ぶ。

 逆の立場なら私も止めるだろう。親しい人間が寿命を差し出そうとしているのだ。


「……教義に反するので私は契約できませんが、しかし止める義理もありません。するのであれば、ご自由にどうぞ」


 ルフェルは本当に心底どうでも良さそうな顔でこちらを見ている。

 今更だが、ルフェルほど私に関心を抱かない人間も珍しい。今まで接してきた人間は好意であれ嫌悪であれ、或いは情欲であれ嫉妬であれ、とにかくなんらかの強い感情を私に向けてきていた。しかし、ルフェルからはそういったものが感じられない。精々倦怠感くらいだ。

 まあ相当に整った容姿をしているので、女に困るような事はなく、結果レティツィアくらいの美女との接触には慣れてしまっているという話なのかもしれない。

 あるいは、イースウェールの加護を強めるためみたいな理由で操を立てて、宦官や去勢歌手(カストラート)の如き玉無しになっているか。もしそうなら無反応なのも納得である。


『こっちに来い』


 言われた通りに悪魔の方まで歩くと、悪魔は先程一瞬持っていた血のナイフのようなものをまたどこからか取り出し、それをチョークのように使って地面に線を引きだした。

 悪魔が描いたのは私と悪魔を囲むような円だ。

 その外周に更に細かく文字のようなものをガリガリと書き足していく。

 それを終えると、立ってこちらに向き直る。


『オーケー。俺の手を握れ』


 悪魔が右手を差し出す。

 私は言われた通りにそれを握ろうとする。ちらりと見ると、フォロが不満げな顔をしていた。

 良い傾向だ。私への執着はあればあるほどいい。


 私がしっかりと悪魔の手を握ると、その瞬間──私と悪魔の周囲がドーム状の、血の壁のようなものに覆われた。


 契約に必要な空間なのだろうか。


『おい、何惚けてるんだ』


 そう言った悪魔の方を向くと、衝撃と共にぐらりと視界が歪み、私はそのまま床に倒れこんだ。


 契約の反動?

 違う。もっとわかりやすい理由だ。


 直接頭を殴られたのだ。


『まさか、まさかとは思うが、本当に契約なんてものを信じてたんじゃないだろうな? 馬鹿げてる、馬鹿げてるぜ人間様よ』


 悪魔がその裂けた口を一杯に吊り上げた邪悪な笑みで地面に転がる私を見下ろし、そのまま思い切り踏みつけた。

 ゴッ、という鈍い音と共に、脳を揺らされた衝撃でまた意識がふらつくような感覚に襲われる。


 悪魔が私の頭を踏み、くつくつと笑ったまま嘲るように口を開く。


『人間が悪魔の言葉なんて信じたら────終わりだろ』


 ……まあ、それもそうか。

 私としても半分程度は疑っていたが、半分程は真に受けてしまっていたのも事実だ。脳に染み入るようなこいつの声が、おそらく話に信憑性を持たせていた。悪魔の能力の一部とみていいだろう。


『これは<決闘の結界>だ。この中は完全に外の世界と隔絶され、どちらかが完全に死ぬまで、結界が解かれることはない。ああ、これは契約魔術の一種だし、嘘を吐いていないと言っても過言じゃあねえんじゃねえかな? 俺を倒せば多分力も手に入るぞ。まあ、俺が正直である必要なんてどこにもないが』


 外からの音は聞こえない。

 ルフェルはともかくとしても、フォロやアルミナが何かしら、結界に向かって声を掛けてくれているというのは想像に難くない。少なくとも私が結界の中に隔絶されて三人無言で眺めているという状況は有り得ない、はずだ。となれば、この結界は音も光も完全に遮断するようなものであるということになる。

 ルフェルとしてもおそらく攻撃を試みているだろうが、中に何もその影響が現れない以上、魔術的な干渉も厳しそうだ。


 いや、外の人間からしたらまだ契約を進めている最中だと思われている可能性もある、のか?


『助けは期待するだけ無駄だ。あらゆる干渉は不可能だ。中の状況を外から知ることもできない。ここは俺とお前の世界だ、誰もお前を助けない』


「……なるほど」


『お前……弱いだろ。見てすぐにわかる。お前からは何も感じない。他の三人、特に長身の男は相当な傑物のようだったが……ミスを犯した。お前みたいなカスを悪魔祓いに連れてきたことだ』


「……」


『悪魔祓いに少数精鋭で挑むべきだというのは……常識だ。悪魔は人間の魂で強化される。一人食った直後はかなりその能力にブーストがかかる……だから連れて行かないんだ。そいつを足掛かりにされて戦線が崩壊する。どういう都合があったのか知らないが、無理矢理にでも置いてくるべきだった。お前なら……今の俺でも、殺せる』


「確認しますけど」


 横たわり、頭をぐりぐりと踏まれたまま口を開く。


『ああ?』


「中で起きている事は絶対に外に知られず、外からは一切干渉できない。そうですね?」


『……そうだ。お前は一人で俺に嬲られて死んでいく。後悔しろ。絶望しろ。己の行いを嘆くがいい』


「そして、どちらかが完全に死ぬまで、結界が解除されることはない」


『……そうだ。……お前、その表情はなんだ? 何を考えている?』


 なるほど。

 それは、随分と────


「────私にとって、都合のいい話だ」


 そう言って悪魔を見据えた瞬間、ぐちゃりと頭を踏み抜かれた。

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