私は何者か ⑫
フォロが魔導具の継承を終えると、私達はすぐに屋敷を出た。具体的に何をしたのかはわからないが、殆ど時間はかかっていなかったように思う。
現在私達はルフェルに先導され、森の中にあるらしい祠へと歩いている。
さて、意外だったのはフォロが祠についての知識をまるで持っていなかったことだろうか。そんなものがあること自体初めて知ったらしい。村人でも知らないようなものを何故ルフェルが知っていたのかと尋ねると、上から聞いたので、とのことだった。
教会の情報網なのか、女神様からの御告げなのか。それ以上言うつもりはないらしかった。
ルフェルの話を聞いていると、聖騎士団のナンバー2というのは教会全体で見ればそこまで地位が高くないような感じがする。下部組織の重役、といった感じか。
「そういえば、フォロが選ばれたのってなんでなんですか?」
「魔術師としての素質、思考能力、若さ故の伸びしろ、色々あると思いますけど、まあ一番は顔でしょうね」
「……顔?」
「ええ、顔。面食いなんですよ、女神イースウェールは」
「……世界を救う勇者様を顔で選ぶほどですか」
「困ったものです」
そう言うルフェルもなかなかその判断基準の恩恵に与っていそうではある。おそらく聖騎士団の一位も相当な色男なのであろう。
「イースウェールとやらはどういう存在なんだ? 肉体を持ってこの世界に顕在しているわけではないよな」
「そうですね。基本的には肉体を持ちません。この世界ではない場所から御告げだとか契約だとかいう形で干渉しています。別に現界不可能というわけでもないのですが、やはり現世に実体を晒すのはリスクがありますので滅多に行いません。いかに神格存在と言えど実体が殺されれば普通に消滅しますからね。最近だとどうしても団長とあれこれしたくて人間の女性のような姿を取って現界した、ということがありましたね。あれが本来の姿だと本人は言っていましたが、教会内部でも意見の分かれるところです」
数少ない現界の機会がそれとは、とんだ色ボケ女神である。というか神様が人間と交尾するのがまずおかしい。余程人間ベースに作られているのだろうか?
神の起源というのはわからないが、元々人間だったとか言い出してもおかしくはないな。
いずれフォロにも手を出す気でいるのだろうか。……だとすると、あまりフォロを色で利用するような真似をするとまずいか?
嫉妬から天罰を下されるかもしれない。
少し植生が薄くなったあたりで唐突にルフェルが立ち止まり、背中の大剣を抜いた。
「どうした? 敵か?」
「いえ」
ルフェルは地面に垂らしていた大剣をゆっくりと持ち上げ、子供の背丈ほどもあるそれを地面に向かって思い切り振り下ろした。
衝撃。
空気が揺れ、地面が揺れ、そしてそのまま──崩落した。
ルフェルが剣を振り下ろしたその場所に、不自然に大きな穴が空いている。
断面は薄い。元々下が広い空洞だったのだろう。
「ここを下ります」
「ちゃんとした入り口があったりはしないんですか?」
首を傾げながら尋ねるのはアルミナだ。
「しないはずです。作る必要がないですから」
「……僕が知らないはずだ」
フォロが感心したように、あるいは呆れたように息を吐く。
地面を砕かなければ入り口の現れない祠など、村の住人であっても知らないのが当然と言える。例えこの近辺を頻繁に行き来していたとしても気付きようがない。
予備動作もなく、すっと穴の中に飛び降りたルフェルに続き、フォロとアルミナも下に落ちる。
着地音がよく聞こえなかったのだが、これは迂闊に私が降りたら死ぬやつなのではないだろうか。いや、恐らく死ぬことはないのだが、ぐちゃぐちゃになってから再生するところなどを見られるとさすがにまずい気がする。
三人が消えた穴の中を覗き込むと、地面はそれほど遠いところにはなかった。精々が人間二人分くらいの距離だろうか。
安心した私も穴へと降りていった。
なるべく衝撃を殺すように着地したつもりだが、だん、という着地音が響き、足にかなりの衝撃が伝わる。思わずそのまま蹲ってしまった。
こいつらはどうやって音もなく着地したんだ。
「何ふざけてるんですか、急ぎますよ」
「ふざけて、ないんですが……」
返す声もどうしても絞り出したようなものになってしまう。この男はともかくとして、フォロとアルミナが何食わぬ顔で平然と立っているのが信じられない。
「当然といえば当然ですが先が暗すぎますね。フォロ君、さっきの魔術を使ってもらってもいいですか?」
祠の内部に光源などはなく、穴から差す光を除けば暗闇に覆われていた。
「……あまり燃費が良くないんだが」
「そのあたりは大丈夫ですよ。あなたの魔力はほとんど無尽蔵になってます」
少々の不満げな沈黙の後、フォロは呪文を唱え、先ほど同様の火を灯けた。
フォロの手から漏れ出る橙の炎によって空洞内部が照らされ、その構造が私の目にも映るようになる。
炎はぱっと見の火力の割にはかなり強く辺りを照らしている。元々そういう用途の術なのだろうか。
空間は、祠、というよりは迷宮のそれだった。
ぱっと目に入る限りでは、まず擂鉢状の巨大な空間があり、そこを覆うようにして上下左右複雑に絡み合った通路と階段、そして無数の扉がある。構成要素はおよそ石であり、壁には何か不思議な模様が刻まれている。言葉ではない、気がする。
石材の性質か、あるいは何らかの手段で染められたのか、全体的に青い。
中でも特異なのは点在する目玉の像だろうか。
より正確には、視神経を支えとして立っている目玉の石像。瞳孔は全て上に向けられており、祠の醸し出す不気味さの殆どを担っていた。
それら全てを無視してフォロはルフェルに愚痴を吐いた。
「松明役、お前がやってもよかったんじゃないか? 雑に利用されている気がしてならない」
「私の魔力は有限ですし、そもそも女神に選ばれた時点で利用される運命です。潔く諦めてください」
顰めっ面で愚痴るフォロに対して心底愉快そうにそう告げて、歩き出すルフェル。私達はそれに追従する。
フォロはルフェルの言葉に更に顔を顰めた。
「もし僕がその神託を放棄したらどうなる?」
「教会が敵に回ります。強制力があるわけでもないですし、別にそうしてくれても構いませんが、世界中のイースウェール教徒が敵に回ってまともに生活できるとは思わない方がいいでしょう」
「……やめておこう。元々断る気もないしな」
「助かります」
にっこりと微笑むルフェル。事実の羅列でもあるのかもしれないが、それ以前に脅し以外の何者でもない。およそ敬虔なる神の信徒の言葉とは思えないぞ。
「ちなみにですが、この計画は完遂に約2年かかる見通しです。ほとんどは魔神を迎撃・抹殺するための下準備とフォロ君の育成にかける時間。主として悪魔祓いでしょうか」
ルフェルは一番近い階段にひょいと飛び乗り、身に付けた鎧からがしゃがしゃと音を鳴らしながらそれを下っていった。
「悪魔祓い自体は必須ではないのですが、後々の為に逐一潰していくのが望ましいです。フォロ君の育成手段としてはかなり手早いものですし、魔神の戦力を削ぐことにも繋がります」
「悪魔祓いの経験が魔神討伐の役に立つのか? 性質からしてまるで違いそうだが」
「ええ、違いますね。ですから活かすのは経験ではなくもっとシンプルに、その存在原理、エネルギーとコアです。悪魔は存在を維持するために瘴気と呼ばれるエネルギーを膨大に内部に溜め込んでいます。イースウェールの加護を持つ私やフォロ君は悪魔の討伐によってそのエネルギーを自分達の力として吸収することが可能です。そしてもう一つ、悪魔の存在の核は魔導回路です。剥ぎ取ったそれから魔導具を作成する事で、戦力の大幅な増強が期待できます」
「人造魔導具、ってやつですか」
「いえ、天然です」
「……? そうなんですか?」
人の手で作ったそれが人造魔導具でないなら何が人造になるんだ。
「魔導具が人造か天然かというのは、利用する魔導回路の由来によって決まります。人が造った回路を利用すれば人造、そうでなければ天然です。天然の魔導具には所有権を始めとしたかなり厳しい制約がいくつかありますが、その力は総じて非常に強力です」
例えばロビン様の結界のペンダントくらいの効力の大きさがあるなら天然の魔導回路をそのまま埋め込んだものと考えていいでしょう、と続ける。
「さて、話を戻しますが、悪魔は放っておくと文字通りではないにしろ人間を食い物にしますからね。イースウェール教の掲げる正義の理念を鑑みれば、放置するわけにはいきません。女神から特別製の加護を与えられたフォロ君を狙うような指示が魔神から与えられる可能性も高いですし、こちらから悪魔を潰して回るに越したことはないのです」
「……僕はあまり正義感が強い方ではないが」
「いいですよ、別に正義感なんてなくても。私だってそんなに出来た人間ではないです。ビジネスライクに考えてください。あなたは正義として振舞うことで、力を、地位を手に入れられるのです。腹の中で何を考えていようが、表面上正義でありさえすればいい。それで皆幸せになるんですから、それでいいんです。更に言うなら」
ルフェルが目を細めてフォロを見据える。
「女神イースウェールは、決して──動機のない人間を選びません。あなたには何か、確固たる意志があるはずだ」
「意志、ね……」
フォロは逃げるように目を泳がせていた。
フォロの持つ動機。フォロを動かす思考。
恐らくレティツィアに関係するものであるだろうというのは自意識──自己かどうか微妙なところだが──過剰というものだろうか。しかし他にこれといって思い当たる節はない。
「イースウェールの加護とは、どのようにすれば受けられるのでしょうか?」
アルミナが頬に手を当てて尋ねる。
出自の影響か、アルミナは仕草から一々気品と上品さを感じさせる。そのような教育を受けて育ってきたのだろう。
つまり、この場にはかなり場違いだ。
「イースウェールを信仰しており、かつ男性であれば大概は加護を受けることが出来ると思いますよ。強弱は諸々の要素に左右されますが」
その要素というのは主に顔面の出来だろうな。
「私では無理なのですね……残念です」
はあ、と憂うような溜息を吐くアルミナ。色っぽい。
まあ結構な条件である。顔がどうのこうの以前に人類の半分は最初から弾かれているのだ。
神は何柱も存在するというようなことを言っていた以上、探せば他に女性のみが受けられる加護だとかもあったりしそうなのでそこについてとやかく言うつもりはないが、一つ気になることとして。
「そんなんで女性の信徒がいるんですか?」
仮にここが加護を目的として宗教を選ぶような世界なら、女性がイースウェール教に入信する理由はない。
イースウェール教というのは随分と大きい勢力であるように感じていたが、男性のみでその規模なのだろうか。
「いるに決まってるじゃないですか。宗教っていうのは一つのしがらみ……繋がりであり、コミュニティなんですよ。容姿端麗な男性が集まりやすいコミュニティがあったら、自然とそこに女性も集まってくると思いませんか?」
「………なるほど」
異世界であっても、人間というのはかくも実際的だった。
フォロの灯りを頼りに階段をかなり下ったところで、ルフェルが突然立ち止まった。
その視線の先には扉がある。
「ここが正解みたいですね。進みましょう」
巨大な扉を力を入れる様子もなくすっと開くと、さらにその先へと向かって歩き出す。
「どう判断してるんですか?」
「天啓です」
「……そうですか」
「なんですか、その変な顔。別に適当な事言ってるわけではなくて、実際にイースウェールの声が聞こえているんですよ」
「いや、まあそうなんでしょうけど」
折角迷宮のような造りをしているのにパズルを解く楽しみのようなものは一切ないな、と思っただけだ。
「そういえば、フォロには聞こえたりしないんですか? その、イースウェールの声」
何を考えているのか、退屈しているような雰囲気のフォロに話を振る。
「今の所聞こえないな」
「女神イースウェールはシャイですからね。加護を受けて1日程度で話しかけられる事はないと思います」
「そういう話なんですね……」
振った話題がなぜか下らない終わり方をしまったので適当に視線を彷徨わせていると、私の眼は前方に違和感を捉えた。
仄暗い闇の中、台座の上、なにか、白く揺らいでいるような。
「……あれ、何ですか?」
言って、前方を指差す。
「え?」
驚くような声を発したアルミナを含め、三人の視線が前方に集中する。
フォロは睨むように目を細めていた。あまり視力が良くないのだろうか。
ルフェルは得心がいったような顔で口を開く。
「ああ、低級の悪魔ですね。碌な知性のない、比較的人類にとって危険ではないタイプの悪魔。よく気付きましたね。当然今回の本命ではないものなので、ここはフォロ君かアルミナ嬢に対処してもらいたいところですが」
「ああ、じゃあ、私がやりますね」
アルミナはそう言って右手の中から、その場で生成しているかのように直方体を取り出した。ヤニスが行っていたのと同様、魔導具を携帯していたのだろう。
ヤニスの場合はモノが不良品だったので携行するだけで生命力を吸われていたらしいが、アルミナのものは恐らく純粋な魔導具なので魔力を使うのみで携帯ができるはずだ。そして携行していた以上消費魔力も多くはないのだろう。
その直方体を握った次の瞬間、アルミナの右手に握られていたのは、青っぽい金属光沢を放ちすらりと伸びる────銃だった。
存在するとは聞いていた。
しかし実際目にすると、馬鹿げた大剣を背負ったルフェルとの対比もあり、本当に異質な雰囲気を感じる。
銃は思ったより近代的なデザインをしている。大筒や火縄といった感じではない。
拳銃と狙撃銃の合いの子のような長さと形。
……剣と魔術の腕前とやらはどこに行ったのだろうか。
アルミナは片手でそれを持ち上げると、照準機のついていないその銃の先を片目で見つめて白く畝る悪魔へと向け、そして引き金を引いた。
パン、という発砲音がした。
発火炎は見られない。これは魔導具であるのだし、その原理からして私の世界のものとは異なるのだろう。類似してるのは見た目と、それが引き起こす結果。
弾丸は白い悪魔を貫通し、奥の壁に衝撃を与えた。破壊された壁の石片が舞い散る。
悪魔は蒸発するように霧散した。
「死んだでしょうか?」
アルミナは首を傾げて悪魔のいた場所を眺めている。
「どうですかねぇー」
遠くを注視していますよと知らせるかのように手で庇を作り、どこか間延びした言葉を発するルフェル。
ふと、空気が揺れたような気がした。
続いて背中を舐められるような感覚に襲われる。異様な雰囲気に思わず体を抑え、一歩後ずさる。少しして、私の目の前、アルミナの背中に、白い靄がかかった。
間違いなく、先ほどの悪魔だ。
殺せていない。
この悪魔に銃は効かなかったのだ。
アルミナが危険である。フォロとルフェルはアルミナより前に出ており、この靄に気付くような様子はない。彼らからはまるで緊張感というものが感じられなかった。直ぐ後ろに命の危機が迫っているとは欠片も考えていないようである。
縛られたように動こうとしない喉に無理矢理空気を送ってこれを知らせようとする。
「────ッ!」
どれだけ力を込めようが、どうしても声にならない。この悪魔の能力だろうか。
悪魔は今も私の目の前で揺らいでいる。
ふと、その動きが変化した。
霧が吸われるように集まり、刃物のような形状を作っていた。
そしてその靄はそれをするりと前方、アルミナの背中へと動かし始めた。
刺さる。このままではその白いナイフがアルミナに刺さってしまう。
当のアルミナも気付く様子はない。
このナイフが単に切り傷を与えるだけのものならばフォロが継承したらしい治癒の魔導具でも使えばいいだけなのだろうが、もしそうでないとしたら?
即死してしまうような何かが、あるいは精神に大きなダメージを与えるような何かがこの悪魔にあったとしたら。
いや、あるだろう。この悪魔はそういうかたちをしている。本能が、レティツィアの本能がそう私に教えている。
そう考えるうち、咄嗟に手を前に出していた。アルミナを突き飛ばそうとしたのだ。
私の手は靄のような悪魔の体をすり抜けて進む。
しかし私の手がアルミナに触れるよりも早く、ルフェルがその指を鳴らしていた。
パチン、という、中指が親指の付け根にぶつかる音。それとほぼ同時に、悪魔がいる位置に光の柱が上った。
視界が白で埋まる。祠の内部を照らす圧倒的な光量。
それに直接包まれた悪魔は、先程銃撃を受けた時のように霧散するでもなく、今度こそ完全に消滅していた。
これを引き起こした張本人はゆっくりとこちらを振り向くと、講義でもするように手を振ってみせた。
「この下級悪魔は白蟲と呼ばれているんですが、まあ……このように大抵の物理的攻撃は効かないので気をつけてくださいね。別にここまで祓魔に特化した対処でなくても、魔術の火で燃やしたりとかならできますから。動きこそ緩慢ですが、刺されると大抵即死するので、まあ最悪走って逃げてください。下手に抵抗するのが一番ダメです」
「……ルフェルさん、滅茶苦茶性格悪いですね」
死がギリギリまでアルミナの身に迫っていたのである。失敗でもって学ばせるというのは理解できなくはないが、それにしたって命を危険に晒すようなことではないと思う。
それを見ていた私としても寿命が縮んだ。……というか、アルミナは祓われるまで気付いていなかったのだから、恐らく今回一番の被害者は私である。
「よく言われます」
ふふ、と、一切邪気の見られない整った顔で笑みを向けてくるルフェル。ここまで内側と外面が乖離していることも珍しいだろう。……いや、私ほどではないか。
まあ、こいつの性根については置いておくとして。
今の一連の流れの中に、非常に問題な部分が一つあった。
「ルフェルさんが出したさっきの光って、私に当たったら死ぬやつですか?」
「まさか。あれは人間には効かないように出来ていますから」
怖がりですねぇ、と茶化すルフェルだが、しかし、私にとっては重要な問題なのである。
咄嗟に隠したが、先程アルミナを突き飛ばそうとした際に、ルフェルの聖遺術に巻き込まれた私の手が、確かに一度消滅した。
どうやら私は、レティツィアは人間ではなかったらしい。