私は何者か ⑪
「それは、どういう意味だ? 聖騎士になれという話か?」
「違います。聖騎士になりたければ王都で入団試験を受けてください、歓迎しますよ。私の言う戦士とは、イースウェールの加護を受け、悪魔の王、魔神グヴィロネジアの代行者を殺すために女神に選ばれた人間のことです。そして、ひいてはそれを足がかりに魔神グヴィロネジアそのものの抹殺も行ってもらいます。そうですね────勇者、とでも言えば聞こえがいいでしょうか」
勇者に魔神、か。
豚の性奴隷みたいな状態を解決できたかと思えば、一気にファンタジーな方向に話が進んだな。私が解決すべき問題は簡単なら簡単なほどいいのだが、あまりそうもいかなそうだ。
「待て。話についていけない。悪魔に、魔神だと? そんなやつがいたのか?」
「聖騎士団は今でこそ教会の私兵のような存在ですが、そもそもは悪魔に対抗するために組織されたのですよ。ここ数百年は悪魔が鳴りを潜めていたので知らないのも無理はありませんが……ここ数ヶ月で、各地で悪魔による被害が目立つようになりました。教会もてんやわんやです」
「悪魔って、どんな存在なんだ? 角が生えている、とか」
「……急に年相応な感じのする発言ですね。まあ、悪魔に決まった外見はありません。まずもって肉体を持つものと、そうでないものがいます。霧状の悪魔だとか。ただし、共通して……人間を支配、あるいは扇動することに長けており、それを利用して食事をしています」
「食事というと、悪魔は人間を食うのか?」
「そういう悪魔もいるらしいですが、食事の形態もやはり様々です。直接肉体を食う者の他、負の感情みたいな精神エネルギーを食らうものや、貴金属を主食とするものとかもいるらしいです。それを集める過程で人間を利用することが多い、というだけで、必ず人間に関連したものを食べるわけではないそうですよ。正直貴金属をもりもり食べられていては人類の損失には変わりないのですが」
「……大体わかった。それで、魔神というのはなんだ?」
「魔神グヴィロネジア、です。女神イースウェールの他、神など無数に存在するのですが、その中のグヴィロネジアという一柱が、今回人類の存続を脅かそうとしているというわけです」
「どうやって?」
「悪魔をバラ撒いて、です。悪魔は本来自己繁殖機構を持たず、食事のみを至上目的として活動するためほとんど絶滅状態だったのですが、そこへグヴィロネジアの代行者は二つのことをしました。新たに多くの悪魔を製造したのが一つ。現存する数少ない強力な悪魔に繁殖能力を持たせたのがもう一つです」
「……悪魔とは、造るものなのか?」
「さあ? 原理は人造魔導具みたいなものらしいですけど、詳しくは分かりません。あなたがイースウェールに聞けば答えてくれるかもしれませんね」
混乱してきた。女神イースウェールは会話できるような存在なのか? 魔導具と同じ理屈で悪魔が出てくるというのはどういうことだ? そもそも魔導具についてもろくに理解していないのだが。
これはフォロに向けた説明だ。知識の土台が違う以上、私の理解が追いつかないのはまあ当然ではあるのだが……まあ、後で聞けばいいか。フォロの機嫌も良くないようだし、あまり会話を妨げないほうがいいだろう。
「まあわかった。僕はまず何をすればいい?……それと、報酬は勿論出るんだろうな。タダ働きをする気はないぞ。御告げだけで利益の出ない任務に身を投じられるのは狂信者だけだ。本来父上の仕事の引き継ぎもしなければならないのに、それも置いておくわけだからな」
「差し当たっては、この村の近くにある祠に棲みついた悪魔の駆除をしてもらいます。報酬は、取り敢えずは出す予定がなかったのですが……まあ私の方で融通しておきましょう。領主としての仕事も教会から代理人を寄越してそいつに処理させます。信頼できる人物なので村と領地のことは心配しなくてもいいですよ。ヤニスの妻についてもそいつに手配させるので、フォロ君はそこに時間を割かないでください。魔導具が効かないなら効かないで、薬師や医師によるアプローチを取ればいいのです。まあ、それでも恐らく効果は薄いでしょうが……。ああ、それと、少なくとも私がどうこうするまでもなく、教会内部での地位と、比類なきイースウェールの加護は間違いなく享受できるので」
「加護、ね……」
「信用してませんね?」
「実感がない」
「当然です。まだ与えられていませんからね」
「おい」
「神格存在は現世干渉にあたっては制約で雁字搦めになるので、あなたを戦士として選んだ瞬間に加護も与える、というのは難しい話なんですよ。ただまあ、私が媒介してしまっても問題ないので……今与えてしまいましょう。額を差し出してください」
フォロは不機嫌そうな表情を作りつつ、言われた通りに髪をかき分け、その白い額を晒して首を前に突き出した。
ずれた話になるが、私はその光景に少々の興奮を覚えてしまった。
私が生来持っている性的嗜好のようなものだ。
女性の額が好きで好きで仕方なかったのだ。
フォロは女性でこそないが、その外見は少女と言われても納得してしまう程度に綺麗なものであり、その白い額は十分に私の奥底を揺り動かした。
……まあいい。
ルフェルがその額に左手を添える。
指先に淡い光が灯り、それはフォロの頭の中に沈んでいった。
「……もう終わったのか?」
「ええ、恙無く。何か魔術を使ってみてください」
「何か、と言われてもな……あー、エヴェルン・ペード・フォ・エリフ・アーティル……」
フォロが何やら意味の取れない言葉を紡ぎ出した。
これまでこの世界のあらゆる会話において一切意味の取れない言葉というのは一つとして存在せず、全て私の中で日本語として処理する事が出来ていた。それが出来ない以上、このフォロの言葉は代替可能な語彙が存在しないようなものであるということになる。
魔術とやらは間違いなくこの世界に特有のものであるようだ。
フォロが少し声調を強めて最後の言葉を発すると同時、上に向けていたフォロの掌に燃え盛る炎が点いた。
軽く握ったその指の隙間から炎が上に逃げ、赤みを帯びた光でフォロの金髪を照らしている。
熱くはないのだろうか。
「呪文ですか。古風ですね」
魔術というのは常に呪文を介するわけではないらしい。
そういえばルフェルは指パッチン一つで結界を張っていた。行使したい魔術によって起動方法が異なるのか?
「こういうのは得意だからな。……なるほど、随分と負担が軽減されているな。女神の加護というのは伊達ではなさそうだ」
フォロがまた意味の取れない言葉を発すると、炎はまるで最初から存在しなかったかのように立ち消えた。
「あなたの加護は悪魔を殺すための特別なものです、イースウェールへの信仰を欠かさないように。……しかし、勉強のできるお坊ちゃん、って感じですね。行儀のいい魔術だ」
皮肉たっぷりの言葉だ。
ルフェルは性根のところでかなり意地が悪そうな感じがする。仕草一つ表情一つとっても他人を小馬鹿にするような雰囲気がある。天性のものだろう。
「……まあ、否定できないな。別に誰かと戦うようなつもりもなかったし、そもそも魔術が使えることを人に教えるつもりもなかった。これは手に入れられた文献をそのまま参考にしただけのものだ。……他の魔術を一切使えないわけではないが、あまり自信はない。ああ、重ねて言うが、お前を殺すには不自由しない程度の技量はあると自負している」
「と、なると、座学と訓練によって魔術への造詣を深めるべきですね。王都に行けば教会なり魔導学院なりでどうにでもなるので……村を出るためにも、早速ここの悪魔は駆除してしまうとしましょうか。すぐに出ますよ、ついてきてください」
「あの、私もついて行っていいですか?」
急に会話に入ってきた私の声に、ルフェルとフォロが驚いたように私を見る。
「危険だと思いますが」
「ダメ、ですか?」
身を乗り出し、上目遣いでフォロを見る。
フォロは立ち上がっているので、今回はしっかりと私とフォロの頭の位置に高低差が生まれていた。
「……おい、ルフェル、その悪魔とやらはどのくらい強力なんだ? 大抵の存在はお前一人でなんとかなりそうなものだが」
「んん、まあ、別に足手纏い一人くらいなら守る余裕はあると思いますけど……正直言って現段階だと経験のないフォロ君も足手纏いになりかねませんからね。厳しいと思います」
まあそうなるか。
フォロも訓練が必要と言われたばかりなのである。そこに完全に戦力にならない私までくっついてくるとなると、流石に負担が大きすぎるらしい。
しかし、私としてはこれに同行できないという事態は避けたい。
何か言いくるめる手段はないだろうか。
「護衛が必要なら、私も同行しましょうか?」
首を捻ったルフェルに対して、お茶を汲んできたアルミナが声を掛けた。
「アルミナ嬢が、ですか?」
そういえばアルミナは魔術が使える家系だとか言っていた。その練度は分からないが、素養を隠していたフォロとは違い、アルミナの家は魔術に関する教育を受けやすいような環境ではあったはずだ。
「ええ。幼い頃から父に仕込まれた、剣と魔術の心得があります。並の騎士には劣らない腕前を持っていると自負しておりますが」
「ええ、まあ、実力は疑っていないんですけれど」
アルミナはルフェルに認められるほどの実力者だったらしい。
剣に魔術に容姿に生まれにと、天が与えたものが二物どころではない。
「アルミナが参加するなら問題はないだろう。僕にルフェル、レティツィアにアルミナの四人で行く。それでいいな?」
「……まあアルミナ嬢の協力があるなら駄目ということはないのですが……レティツィア、あなたは何故同行しようとするのです?」
「……なんとなく……フォロについていきたかったので……」
「……」
ルフェルが砂糖で握ったおにぎりでも食べさせられたかのような、微妙な表情を作る。
勿論私としてはなんとなく行きたいと思ったからなんてふわふわした理由ではなく、その悪魔退治にこの状況を解決する糸口を見出せるのではないかという僅かな希望に縋っているのである。
「ちなみに、時を操る悪魔とかっていたりします?」
「そんな直接世界規模で影響を与えるような真似は奴らには出来ませんよ」
断言された。
時間を巻き戻しているのが悪魔である、という線は消えたらしい。
が、しかし、私に同行をやめるという選択肢はない。
諸々考え含めると、フォロに寄生する生き方がベストだと思えるからだ。
私が死にきれない原因、再生と時間遡行の両方の原因を探すのが差し当たって一番大きな目的であるのだが、それを実行する上で私の生活費を賄う手段が必要である。野宿を延々続けるのは私の貧弱な精神がもたないだろうし、食事を抜いていたらどうなるのかというのも懸念である。
餓死を再生で誤魔化して永遠に苦しみ続ける……という状況にはならないだろう。恐らくそんな状態になりそうなら先に野草でも食べるか、あるいは……人を襲って食べてしまうのかもしれない。私が意識的にしたことではないとはいえ、飢えてもいないのに一度フレッシュな人肉を口にしてしまったのだ。二回目が来ないとは断言できない。
勿論私は極力野草も人肉も食べたくはない。つまり劣悪な経済状況を容認することはないのだ。
ある程度以上快適な生活に必要な金銭と私の能力や知識を考えると、私の就ける職というのは実際のところ……娼婦くらいしか思い浮かばない。
誰にでもできて、かつ何も犠牲にしないような職では稼ぎはあまり期待できないだろうし、拘束時間も長くなりすぎてしまうはずだ。私の目的を考えると不都合すぎる。
しかし私はまずもって他人に触れるのも憚られるような潔癖な人間なのである。娼婦になって誰ともわからない人間を相手取るようなことなど野宿以上にしたくない。必要なら割り切るが、可能なら他の手段を探す。
だからフォロとの繋がりを最大限に利用するのがベストなのである。
今のところフォロについて行くよりも建設的な案は無い。言ったように金銭的にももちろんそうだし、何より世界のイレギュラーを修正するために女神に選ばれたフォロに追従することは、他に下手な事をするよりは間違いなく私の状況の解決に繋がるだろう。
実際的な思考を巡らせていると、ルフェルがもう一度私の方に向き直って口を開いていた。
「────可能だとすれば、神格存在。魔神グヴィロネジアや、あるいは女神イースウェールであれば我々の時間に干渉することも不可能ではないはずです。……なにか、心当たりでも?」
「……いえ、ちょっと聞いてみただけですから」
なるほどな。
時間に干渉できるのが神格存在とやらのみであるなら、そいつらを全て殺せば、恐らくループは止まる。
全て、というのは現実的でないかもしれないが……とりあえず、これについてもフォロについて行くのがベストであることは間違いないだろう。
フォロに課せられた使命は、魔神の滅殺だ。
「フォロ様、レティツィア様と一緒に外に出られるなんて、楽しみで仕方ありません」
アルミナが私達に心からのものであろう笑顔を向ける。
あまりにも眩しすぎる。生前にこんな恋人でもいれば、人生はまるで違って見えただろう。
「アルミナ様……私も、楽しみです」
あまり素の感情をそのまま表には出さないようにしているのだが、私の表情は、もしかするとかつてないほどに緩んでいるかもしれない。
「様付けなんて、そんな……アルミナと御呼び下さい」
「では私のことも、レティと」
「わかりました、レティ。これからよろしくお願いします」
「はい、アルミナ……!」
当然ながら一切異性として見られている感じはないが、これはこれで……悪くない。
寧ろ素晴らしい。
「……お前達、随分仲が良いな」
「……ピクニックに行くんじゃないんですからね」
ルフェルは一つ溜息を吐いた。