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【完結】 アポカリュプシス  作者: 綾雅「可愛い継子」ほか、11月は2冊!
第2章 野に放たれた獣

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03.無能の実験

 中に数歩進んだロビンが立ち止まり、少し目を伏せて考え込むような仕草を見せた。


 顎に手を当て、検分するようにフローリングの床を眺める。オープンタイプのキッチンカウンターでお茶の準備をしていたコウキは、振り返って息を呑んだ。


 ロビンの行動自体は問題ない。


 だが、その場所は……。


「なるほどね」


 納得した様子で頷くと、何も置かれていない床を回り込んでからソファに落ち着く。まるで自室にいるような穏やかな表情を浮かべ、口元に意味深な笑みを浮べた。


「悪いな」


 青ざめたコウキが差し出したコーヒーカップに躊躇いなく口をつけ、薄めに淹れられた琥珀色の液体を飲む。以前と同じ、毒殺を恐れない態度はいっそ見事だった。


 無言で向かい側に座ったコウキへ手を伸ばし、反射的に後退ろうとした姿に苦笑する。避けたコウキを気にせず、宙を掴んだ手で己の前髪を弄ったロビンが徐に話し始めた。


「さて、以前の約束を果たそうか」


「……約束?」


「そう、本当なら1ヵ月後に果たされる筈だった」


 そこまで聞けば、コウキにも心当たりがあった。


 脱走を仄めかしたロビンへ「どうして出られると思う?」と尋ねたコウキに、彼は嬉しそうに双頬を崩して約束したのだ。


「……これは確定した未来の話だ。5つの質問とは別に1ヵ月後なら答えよう。場所と時間はこちらから指定させてもらうとしよう」と。




 少し身を乗り出したロビンが、右手で持ったカップを左手で包み込む。彼の身がゆっくりソファに背を預けて寛ぐのを、コウキは緊張した面持ちで待った。


「……録音するか?」


 ボイスレコーダーを使用していた過去を揶揄る彼に、「ああ」と素直にカバンから取り出して机に置いた。パチンと指先でスイッチを入れたのを、興味深そうに待つロビンが語り始める。


「まずは詫びよう。本来なら2ヶ月前の約束だった」


 だがその頃、コウキはFBIに拘束されていた。ロビンを逃がした協力者だと疑われ、連日に及ぶウンザリするような取調べ――思い出して渋面になったコウキに、ロビンは溜め息を吐く。


「コウキが疑われるのは予想したが、連中はあまりにも無能過ぎた。手がかりをあんなに沢山残してやったのに……」


 取調べが長引いた理由のひとつに、コウキの優秀な頭脳が影響している。遺留品を見せられたコウキの的確な指摘により、脱走の大まかな様相が掴めた。


 コウキにしてみれば、ここまで手がかりを残したロビンのお陰で、己の無実を証明できたのだ。その反面、疑われる要因になったのも当然だった。


「……手がかりが多すぎた」


「なるほど」


 コウキの指摘にくすくす笑うロビンが、再びコーヒーを口に運んだ。


「なら、実験は成功だった」


 その一言に、コウキの蒼い瞳が細められた。


 目の前に座る凶悪犯は、約束を果たしに来たのではなく……逃げる際に行った実験結果が欲しかっただけかも知れない。


 疑いを含んだコウキの眼差しを、まっすぐに受け止めたロビンが微笑んだ。


「オレが使った逃走経路は、コウキがすでにFBIへ説明した通りだ。連中には信じられないらしいが、特殊刑務所であっても…オレの信者は作れる。方法は至ってシンプルさ。他の連中より僅かに……」


「『特別だ』と(そそのか)す」


 嫌そうに語尾を拾ったコウキに、逃亡中の男は肩を竦めた。


「唆す、ってのは……響きが悪いな」


「だが同じだ」


 特別刑務所に配置される刑務官は、基本的にエリートが多い。国内の様々な刑務所から選りすぐった優秀な彼らは、その実力ゆえにプライドも高いのだ。


 それを少しだけ持ち上げて擽ってやれば良かった。心理学も独学で修めた稀代の天才にすれば、あまりにも簡単すぎる手法だ。


 そして誑かされた刑務官はロビンに「鍵の代わりとなる金属」を差し入れ、脱出した連続殺人犯に首を掻き切られた。


 分かりきっていた未来――誰の目にも明らかな死という現実が待っているのに、彼は躊躇わずロビンを逃がした。


 血に塗れた刑務官の顔は、どこか安堵した色を浮かべていて……ひどく穏やかに見える。その理由を知ろうと躍起になるFBIをよそに、コウキは嫌悪感を抱いた。


 同時に、羨ましく思えて――そんな自分に驚いたのだ。


「あの男は簡単過ぎてつまらなかったが……次の獲物はもう少し楽しめそうだ」


 物騒な殺人予告をした男の青紫の瞳が、僅かに外へ向けられる。揺れる樹木の葉を見た後、ロビンはゆっくり溜め息を吐いた。


「……また雨が降る」


 湿った空気を厭う響きの呟きが零れ、ロビンが前髪を掻き上げた。ふわりと香ったのは柑橘類の甘酸っぱさと、車の中に充満していた血の臭い。


「ケガを診せろ」


 これだけの血臭がするのだ、大量に出血するケガだろうと判断したコウキが立ち上がる。救急道具を取りに棚へ向かう背を見送り、ロビンは一度見開いた目を伏せた。

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