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二人の男

作者: 青色の猫

2016年5月に書いた小説です。



一日目


体が焼けるように熱い。

頭痛と異常な不快感を覚えて瞼を開けると、僕の目の前に広がっていたのは、一面が水色で埋め尽くされた世界だった。

まるで見覚えのないその光景に、しばし僕は呆然としたが、次いで感じ取った匂いに、ずきずきと痛む頭がゆっくりと回転を始める。

 潮だ。海独特の、強い潮の匂い。それがさわやかな風に流れて、僕の鼻を刺激したのだ。また、上を見上げれば、雲一つない大空を舞台に、鳥たちが悠々と飛び回っているのが見えた。おまけに、寝転んでいる僕の横を、てくてくと健気に通り過ぎていくカニの親子。

どこからどうみたって、海だ。そして、その海に接している小さな砂浜に、僕はいた。

海から目を離して後ろを向いてみると、そこには大自然という言葉をそのまま体現したかのような緑の島が、どっしりと構えていた。

「どうして、僕はこんな場所に……」

なぜか、ここに来る前のことが思い出せない。記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっているような自覚だけがある。

ただ、そんな不明瞭な記憶でも確実に言えるのは、僕は泳ぎに来たわけでも、冒険しに来たわけでもなく、どうやらこの島に漂流してしまったということだった。僕が波打ち際で倒れていたことから、そうとしか考えられない。

 頭に浮かぶのは、無数の疑問符。額に浮かぶのは、毛穴から噴き出した大粒の脂汗。

ようやっと、僕は事の重大さに気がついた。かすかな期待を込めてズボンのポケットをまさぐってみるが、頼みの綱の文明の利器、スマートフォンの姿は見当たらなかった。

途方に暮れて立ち尽くす僕の耳に、押しては返す小波の音が虚しく響く。


それから少し落ち着きを取り戻した僕は、状況を整理してみた。目が覚めた時に感じた頭痛は照りつける太陽による脱水のようだった。何が何だかわからないけれど、まずは水分をとらなければならない、という危機感が、僕を突き動かす。

前に、海水は絶対に飲んではいけないと聞いたことがあったので、森へ入った。それからは、砂浜で拾っておいた貝がらを目印におきながら、ひたすら草木をかき分けて先へ進んだ。

そうすること何時間が経ったか。頭痛が激しく、体も気だるくなっていく一方、そう都合よく川や池が見つかるわけもなく、僕は延々と森をさまよっていた。何の計画もなしに大自然に踏み込んだのは、大きな間違いだった。

「まずいな」

木の隙間から覗く太陽は、大分西に傾いていた。いくら水がほしいとはいえ、どんな生き物がいるかが全く予想できないこの森で夜を明かすのは無謀だと思う。

いったん引き返そう。直観的にそう思った。

点々と続く貝がらに導かれて、やっとのことで砂浜へ戻ってきた。その時にはもう、あたりは薄暗くなり始めていた。

幸い、砂浜の端に小さな洞穴のような窪みがあったので、寝床には困りそうになかった。重い体を引きずりながら、数分で穴に到着した。

「よし」

固い岩の壁に身を任せると、この数時間で、自分の体がかなり疲れてしまっているのが分かった。今は、とにかく眠りたい。

燃え上がりながら沈む太陽は、ちっぽけな僕なんてまるで気にも留めていないのだろう。誰に対しても等しく美しい太陽は、とても残酷だと思った。

そう思うのはきっと、僕が母なる自然を忘れた生き物だからだ。

漠然としたものを感じながら、僕はゆっくりと瞼を閉じた。


二日目


洞穴で一晩をすごすのは、想像以上にきつかった。寝返りをうつたびに固い岩肌が当たって、骨に沁みた。次に寝るときは、なにか柔らかいものを敷いて寝よう。

「次、か」 

できれば、次がないのが一番だ。そのためにも早く脱出する方法を探さなければ。ともあれ、まずは脱水症状を何とかしたい。こんなに暑いのに汗があまり出ないのは、とても怖い。

昨日は森に入って失敗したから、今日は海辺で貝やほかの食べ物を探すことにした。

何か食べれば、おなかも満たされ、喉もいくらかましになるはず。一石二鳥だ。

そんなことを考えながら島の周りを歩いていると、遠くで鳥の群れが狩りをしているのが見えた。勢いをつけて水面にクチバシを突っ込み、瞬く間に活きのいい魚を捕えている。

すごい、たくましいと思う。僕にできるのはそう、こんな風に引き潮で浮かび上がった貝をちまちま拾うことだ。我ながら淋しいことをしている自覚はあるが、贅沢を言ってはいられない。爪で無理やり殻をこじ開けて、そのまま中身をすする。これを繰り返すこと十数回。お世辞にも美味しいとはいえないけれど、着実にお腹は満たされていった。

なんでも海辺の浅いところにある貝はほとんど食べられるらしく、今の僕にとっては救いのような存在だ。ひとつ言うとすれば、のどの渇きがあまり癒されなかったことか。こればかりは、海辺では解決しない問題だろう。

貝狩りで体力も回復したし、昼からは森のほうへ行ってみようと思う。なにせ、夜まで時間はたっぷりあるのだ。

空腹が改善されて気持ちに余裕ができたのか、希望を感じた。

「なんとか、なりそうだな」


さしあたって、僕は島に流れ着いたごみのうち、使えそうなものを拾った。ペットボトルに、ポリ袋、発泡スチロール、そして錆びた金槌。特に金槌は武器にもなるし、いろいろと便利なので見つけた時には思わずはしゃいだ。

 これらと食料の貝六つを発泡スチロールにつめて、僕は森の中を進んでいく。心なしか頭痛の症状が軽くなったような気がする。 

 そして、それはついに見つかった。

「み、水だ!」

 思わず、叫んでいた。

 比較的樹木の少ない開けた場所に、結構

な大きさの水たまりがあった。小鳥たちが

さえずりながら、休息をとっているのが見える。

急ぐ必要はないのに、全速力で駆け寄った。小鳥たちは、僕を見ても逃げたりはしなかった。

近づいてみてみると、残念なことに水は濁っていて少し汚かった。一瞬、それでもいい、全部飲んでしまおうという衝動に駆られたが、冷静に考えてみると、これで体を壊したら一貫の終わりだ。ここに、なんでも治してくれる病院はないのだ。

 悔しいことに、僕は肝心の水をろ過する方法を知らなかった。とりあえず、小鳥たちと一緒になって、ペットボトルにありったけの水を汲んでおいた。泥水一つにここまで感動できる自分に、僕はとても驚いた。ありがたい。

 荷物は重くなったものの、これは大きな進歩だ。食料に水。あとは、火さえあれば何日だって生き延びられる。

 このとき、大変なことばかりで決して楽ではないのに、僕はなぜか楽しいと感じた。鼻歌を口ずさみながら、あの洞穴を目指す。途中、僕の足と同じくらい大きな、生き物の足跡を見かけて、震え上がった。


「ふう。疲れた」

『家』に着いた。左手の発泡スチロールからペットボトルを取り出し、右手のポリ袋から、中身を出していく。地面に広げたのは、大量の木の棒と燃えやすそうな草、それに木の板だ。

やったこともないけれど、今から火を起こす。だって、明かりのない夜はどうしようもないほど怖かったし、水を飲むためには何としても火がいるのだ。生唾を飲み込んで、僕は準備にかかる。

「よし」

金槌の角で木材に小さな穴をあけ、そこに棒を立てる。これでいいはずだ。次に、棒を両手の平ではさんで回す。摩擦熱で火種を作るため、速く、速く回転させる。僕のやり方が正しくないのか、なかなか火種はできない。一度やっただけで腕が痛くなり、休憩をとった。

 何度目かの挑戦でやっと細い煙が立ったが、それだけだった。テレビ等で見る、あの黒い火種はなかった。

 それから数回やって、少しコツをつかめた。さらに辛抱強く続けること十数回。滴る汗で地面に水たまりができた頃、ついに成功した。

目を離したら消えてなくなりそうなほど小さい火種を、乾いた草に移して包み込み、どこかの誰かのまねで空気を送り込む。水分不足で痛む頭が、酸欠で爆発しそうになったが、それもすぐに忘れて、無我夢中で息を吹いた。

 火が、燃え上がる。

 暗い『家』が、一瞬にして光に塗り替えられた。実際はそれほど明るいものではなかったかもしれないけれど、僕の瞳には、それがこの世の何より、ともすれば昨日のあの太陽よりも眩しく映った。

「……っ」

 人間という生き物は、本当にうれしい時には声が出なくなってしまうらしい。

 数秒、意識を持っていかれていた。我に返ると、まだ火を手に持ったままだということに気がついた。

「あっつ!」

 素っ頓狂な悲鳴が出た。なんて間抜けだったのだろう。誰も見ている人などいないのに、感激とは別の意味で顔が火照った。

 そんなことをしている間に、火の勢いは弱まっていく。僕は血相を変えて木の棒や落ち葉をかき集め、火を移し替え、その辺りから拝借してきた石で大切な火を囲んだ。

 

人生初のたき火は一人でやることになってしまったが、これは、本当に楽しい。

何も考えずにぼーっと火を眺めたり、木の量を調節してあげたりしているうちに、たき火が生きているはずがないのに、妙な愛着が湧いた。  

ひとしきり楽しんだ後は焼いた貝を肴に、飲めるようになった水をこれでもかというほどあおった。泥臭い味だったけれど、多分これにかなう飲み物はどこにもない。

「今なら、何でもできそうな気がする」

 根拠のない自信ほど信用ならないものはない。

ともあれ、島の夜は、少しだけ騒がしく更けていくのだった。


三日目


朝起きると、昨日まで僕にまとわりついていた頭痛はどこかに消えていた。心にもまた少しの余裕ができて、今日は違うものが食べたい、などと思うようになった。

確かにずっと貝では栄養失調になってしまうかもしれないし、今日は食べられそうな野菜や、小動物を狩ってみるのも良さそうだ。

「って」

 この感じだと、完全に島の生活を楽しんでいるみたいだ。いいや、事実、とても楽しい。

 昨日と同じような装いで森に入り、木に生っている果実を摘み取っていく。その途中で発見したのが、朝露の存在だ。歩いていると葉っぱについている滴が当たって冷たかったのだけど、これは飲んでも問題なさそう。果実や野菜収集のついでにペットボトルで朝露を集めると、気が付いた時にはかなりの量が溜まっていた。

疲れた時は、適当な石に腰かけて、木の実とこの水を飲む。冷えていて、これがとても美味しいのだ。

そうして、さらに奥に進んでいくと、ちょろちょろと何かが流れている音が聞こえた。期待に胸を膨らませながら走り、見えた先には、小川があった。メダカかなにかと思われる小魚が泳いでいる。そのまま飲むわけにはいかないだろうけど、昨日よりも数段綺麗な水だった。今日はペットボトルを三本持ってきていたので、朝露の分以外の、二本分の水を恵ませてもらった。こうして水を汲んでいるとき、改めて母なる自然のありがたみを感じる。

「よし、もっと先に進んでみよう」

 気分がよくなった僕は、さらに奥を目指して歩を進める。道なき道に、二種類の足跡があるのを確認したが、今の自分なら問題ない、と根拠のない自信があった。


 その気配に気が付いたのは、道端に群生するキノコを採集しているときだった。突然、低く猛々しい、大気を震わせるような唸り声が聞こえた。

「ひっ」

 その声を聞いた途端に、額からおびただしい量の汗がにじみ出した。

直感で、これは危険だと思った。その声が段々と近づいてきているように感じたのだ。すぐにここを離れなければならない。しかし、元の場所まで引き返すにはかなりの距離があり、不可能に近い。

とりあえず、逃げるか隠れよう。

あの唸り声からして、かなり大きな肉食動物だろう。そんな生き物を前にしてのんびりと案を練っていられるほど、僕の心は図太くはない。

次の瞬間、僕は全力で駆け出した。同時に、数十分前の自分の能天気さを激しく憎んだ。


その数分後、またもや僕は自分の認識の甘さを後悔することになった。声の主からすれば、この森なんて自分の庭と同じようなものなのに、どうして僕は、逃げられる、隠れられるなんて思ったのか。考えても、もう遅い。猛獣は軽々と僕に追い付いた。今は、これから僕をどう調理するかに悩んでいるようだった。

彼は真っ黒な毛並みと鋭い牙を持った大きな獣だった。その背中が赤黒い血で染まっている。返り血か、あるいは怪我か。前者だとしたら、もうすぐ僕もその仲間入りを果たすことだろう。そんな場違いなことを考えているうちに、彼は動き出した。僕は踵を返してとっさに逃げ出したが、すぐに強靭な脚によって組み伏せられた。終わりだ。

手始めといったつもりなのか、振り下ろされた爪がまずは僕の右足を深々と裂いた。

その、人生で一度も経験したことのないほどの痛みを受けた瞬間、僕の頭に電撃が走った。僕はなにか、『答え』のようなものを悟った。

頭に浮かぶそれを理解した時、自然と口から謝罪の言葉が出ていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

一日目の夜、人間は頂点の種だという風に思っていたが、実際は全く違った。むしろ文明の力におぼれた、救いようのない阿呆だ。その証拠に、頂点であり最強の種だった僕の命は、大自然を前にすればたった三日で尽きてしまうのだ。

空っぽなくせに自然を破壊してごめんなさい、逆らってごめんなさい。母なる自然よ、私はなんという愚か者だったのでしょうか。

私は意識を失うまで、ただただその『答え』を反芻した。

意識が途切れる寸前、誰かが私を呼んでいるような気がした。


新たな一日目


体中が柔らかいものに包まれ、とても温かい。痛みと異常な不快感を覚えて瞼を開けると、私の目の前に広がっていたのは、一面が水色で埋め尽くされた世界だった。

どうやら私は船に乗っているらしかった。海を眺めていると、起き上がった私に気がついた、人柄の良さそうな男性が話しかけてくる。

「ごめんね。私の取り逃がした猛獣のせいで」

 私を呼ぶ声は、この人のものだったか。

「いえ」

口ぶりと身なりから察するに、男性は狩りを職にしているようだった。私は目線を自分の右足に向ける。すると、彼からいただいた『答え』に、グルグルと包帯が巻いてあった。腸が煮えくり返るような怒りを覚える。

私は、わかりきった返答が返ってくることを予感していても、すがるように訪ねた。

「あなたは、あの獣を殺したのですか?」

彼は笑顔で答えた。

「ああ、心配することはないよ。きっちり処分しておいたから」

処分、処分、処分……。

「そう、ですか」

 プツン、と私をつなぎとめる何かが千切れた。

「では、私はあなたを処分します」

私は彼を、やさしそうな人間の皮をかぶった悪魔を、処分した。

そして汚らわしい包帯と、いたずらに動物の毛皮を使った不快な毛布を引きはがすと、そのまま海に飛び込んだ。平気な顔で油を垂れ流すこの機械はきっと悪魔の手先だ。あのままだと、どこに連れていかれていたことか。想像するだけで、まるで体の隅まで舐られるような怖気がした。

動かない右足をそのままに、ただ遠くを見据えて泳いだ。


僕と言う殻に包まれた私は言う。

母への感謝を忘れてしまった哀しい種よ、どうしてあなた達は自分で自分の首を絞め続けるのだ。


私という存在に侵された僕は言う。

母に囚われ奴隷になってしまった私よ。

あなたの狂信の先には何もありはしない。


二人は声を合わせて言う。

さあ、戻ろう。僕を変えてしまったあの島に。

さあ、戻ろう。私を生んでくれたあの島に。



そうして二人は、僕は、私は、静かに海の底に堕ちていった。


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