第六話 側室候補者の試練
後宮は国王以外の男性が入ることを禁じた秘密の花園である。そこは女の意地の張り合い、嫉妬などが渦巻く恐ろしいところ。国王の妃となった女達の醜い争いの場でもある。
今までは国王の妃は王妃マチェンダのみであったため争いは存在しなかった。しかし、今日から百人の側室候補が後宮入りしてくる。実際に側室となるのは一人だが、この中に未来の自分を脅かす存在がいると思うとマチェンダは歓迎できない。
「陛下はどの女性をお選びになるのかしら?」
バルコニーから側室候補達が後宮に入る様子を眺めているマチェンダがつぶやく。
「どの女性が側室になろうとも王妃様の敵になる女性はいませんよ。正式な后はマチェンダ様ただ一人だと陛下はおっしゃったじゃないですか」
「そうね……」
確かにアルフベーセルはマチェンダにそう言ったが、果たして本当にそうなるのだろうかとマチェンダは国王の言葉を疑う。
マチェンダは十八歳の時、隣国から嫁いできた。今まで蝶よ花よと大切に育てられた末の王女であるマチェンダは、端正なアルフベーセルを見て一目で気に入る。この人と一緒に人生を歩めることをとても嬉しく思っていた。アルフベーセルに気に入ってもらおうといろいろ努力をする。だがアルフベーセルはマチェンダを王妃として大切にしてくれるが女としては見てくれなかった。だから気付いてしまった。アルフベーセルには想いを寄せる女性がいることに……。
その女性が誰かは分からない。でも結婚して十年経ってもアルフベーセルの心からその女性の影が消えることはない。いつかその女性が現れてアルフベーセルの妃になるのではないかと危惧していたこともあったが、今まで指一本も現れることがなかったのだから、これから先も現れることは無いだろうとマチェンダは少し安堵していた。それなのに結局は他の女性を後宮に招くことになってしまう。それはマチェンダにとって苦痛でしかない。
一番有力な側室候補はクリステル・ラッケンシンだと言われている。公爵家の令嬢でとても聡明な女性らしい。しかも国王陛下と従兄妹であり幼馴染で見知った仲。そして王妃にふさわしい風格を持っていると聞いている。そんな素晴らしい女性をただの側室に据えるだろうか?
『妻はマチェンダただ一人だけだよ』
そうアルフベーセルは言ったのに、結局は貴族達の進言に負けて側室を持つことにしたのだ。これは立派な裏切りだ。アルフベーセルの言葉が信用できない。
マチェンダの心は猜疑心と嫉妬心に押しつぶされそうになっていた。その時、側室候補の一人と目が合った。正確には顔の判別が出来ないほど離れていたので、目が合うことなどありえないのだが、マチェンダはまるでその女性をズームアップしたように彼女の美しい瞳が見えるような気がした。
とても美しい漆黒の瞳。生気にあふれ、自信に満ち、そして見たものを虜にしてしまう魔性の瞳。その瞳に捕らえられたマチェンダはその女性から目が離せない。
「あの女性は誰なの?」
その女性を見た瞬間、マチェンダは心に嫌な胸騒ぎを覚えた。
「え? どの女性ですか?」
侍女は遠くに見える側室候補達に目を凝らして眺める。しかしこの距離では顔の判別が出来るわけが無い。
「王妃様はこの距離で側室候補達の顔を判別できるのですか?」
侍女は疑問に思い、マチェンダに聞いてみる。
「いえ、確かに顔の判別すら難しいほど遠いわね。きっと私の気のせいだわ」
マチェンダは自分の心をわしづかみした先ほどの女性の視線を気のせいだと思うことで平常心を取り戻す。きっと気の迷い。あんな瞳を見るだけで魅了されてしまうような存在などいないのだ。
でももしマチェンダさえ魅了した美しい漆黒の瞳の存在が本当に存在するなら、国王すら魅了してしまうかもしれない。陛下を虜にしている女性の影さえ取り除いてしまうほどに……。それはマチェンダにとって一番恐ろしいことであった。
「皆さん静粛に!」
後宮の一室に集められた側室候補達の前に一人の女性が現れる。後ろで髪をきつく結んだ気難しそうな女性は堂々とした態度で側室候補達の前で話し始めた。
「私は、この王宮の侍女頭ジステリア・レイモンドです。そして今回の側室の審査官でもあります。まずあなたたちには側室にふさわしい礼儀が身についているかどうかの試験を受けてもらいます」
その言葉を聞き、あたりはざわめきだす。まだ昨日の舞踏会での疲れが残っているものも多く、万全の体制とは言えないからだ。
「ではそこのあなたから順に行いましょう。合図があったらこの部屋に入室してください」
そして側室候補達の厳しい試験が開始される。
次々と入室する側室候補者達の後ろ姿を見て、他の候補者達は何を言われても答えることが出来るように練習する者達が多かった。それに比べてソフィアはのんびりと構えている。
だが一人、また一人と審査室に入って行き、そして青い顔して退出していくのを見ると、ソフィアものんびりもしていられないと感じ始めた。
その時、乱暴に扉を開けて駆け出して行く女性が現れる。彼女はまるで恐ろしいことを体験したかのようにかわいそうなほど青ざめて泣いていた。それを見た側室候補者達は眉をしかめる。この部屋で一体何が行われているのかといろいろな憶測が飛ぶ。だが答えはでてこない。
「次の方どうぞ」
試験が行われている部屋から侍女らしき女性が出てきて次の入室者を促す。
「中で何が行われているのですか?」
次の入室者は怯えたように呼んだ侍女に問う。
「私にはわかりません。ただ、礼儀作法等を見させていただいているだけです」
「嘘よ! じゃあなぜ先ほどの候補の女性は泣きながら逃げ出したの?!」
ヒステリックに叫ぶ女性に侍女はあらかじめ言うように教えられた言葉しか言わない。
「それは私にはわかりかねます。さあ、入室してください。ここで拒否をするなら側室候補からはずさせていただきますが、それでよろしいのですか?」
侍女のまるで脅すような強気の態度に質問をした側室候補の女性はしぶしぶと試験の行われている部屋に入室していく。
「きゃあーーーー!」
試験が行われている部屋から突然悲鳴が聞こえてくる。そしてその後に部屋から出てきたのは失神した側室候補の女性。周りから息を呑む音が聞こえる。
「どういうことですか? 先ほどの方は泣きながら立ち去り、今度の方は失神していました。この試験の間で何をしているのですか?」
試験を終えた者達はこの控えの間からすでに次の部屋に移っているため、まだ試験を受けていないものに正確な情報をもたらす者はいない。そのため憶測が飛び交っている。
拷問されたのではないのかと……。
「それはお答えできません。もしこの試験を受けるのを拒否するのでしたらお帰りくださいませ」
侍女のその頑な態度についに側室候補の中からついに脱落者が出ることになる。
ソフィアはその脱落者の中にカーラの姿を見つけた。
「カーラさんも諦めるのですか?」
昨日知り合ったばかりのソフィアに話しかけられたカーラは晴れ晴れとした顔をする。
「ええ、諦めますわ。もともと私はこの話に乗り気ではなかったわけですし、お母様もこのような事態になったのだと話せば理解してくれるでしょう。私にとっては不幸中の幸いですわ」
そしてカーラは嬉しそうに話した後、退出する他の候補者の中に混じって出て行った。
退出していった側室候補者達はかなりの人数にのぼる。これぐらいのことで諦めるのなら初めから来なければいいのにと思うのだが、他の候補者にもそれなりの事情があるのだろう。
この審査室で何が行われているかは分からないが、まさか本当に拷問をされるわけは無いだろう。そう考えると恐れる必要はなくなる。
ソフィア以外にこの部屋に残ったのはわずか数人ほど。すでに試験を終了し合格した者は次の部屋に行っているので最終的に何人残るのか現時点ではわからない。でもその中にはきっと一番強敵のクリステル嬢の姿があるのは推測できる。
側室はたった一人だけだからこのクリステル嬢に勝たなければ意味が無い。ソフィアは密かにクリステル嬢に勝つための秘策を考え始める。でもその前にこのわけの分からない試験をクリアする必要があった。
そんなことをソフィアが考えているうちにクリステル嬢が試験の行われている部屋に入っていく。残った候補者達はその様子を固唾を呑んで見守る。
数分が過ぎた頃、ゆっくりと扉が開かれる。そこには入るときと何も変わらないクリステル嬢の姿があった。まるで何もなかったかのようなその態度に他の候補者達は安堵している様子だ。
次々と側室候補達は試験の間に入っていく。中には先ほどのように青ざめたり泣いたりして出てきた人もいる。クリステル嬢が平然と受けていたので試験内容が違うのかと思ったがそうではないらしい。そしてついにソフィアの番になる。本当はソフィアの後にも候補者達はいたのだが、拷問という噂を聞いて早々に退出してしまったのでソフィアが側室候補の最後になった。
「では最後のご令嬢、どうぞ」
試験の間の扉を開き入室を促す侍女に導かれ、ソフィアは入室する。扉をくぐる前から試験は始まっている。入室する際、礼をするのは当然の事。それすら満足にできない令嬢が結構いたことにソフィアは軽く驚いていた。一体誰に教えてもらえばその慇懃無礼な態度が取れるのかとソフィアは首をかしげる。
「どうぞおかけください」
審査官はソフィアを席に導く。その声にどこか聞き覚えのあったソフィアは不躾にならないようにその審査官を見る。そこにいたのはソフィアに礼儀作法を教えてくれたサイリアだった。
それに驚いたソフィアだったが、それを顔に出してしまうのは失礼にあたる。ソフィアは優雅に微笑むと、何もなかったように礼をしてまるで羽毛のように体重を感じさせずに椅子に座る。
「まず名前からどうぞ」
サイリアにそう促されるが、ソフィアはまるで初対面のようにサイリアに言う。
「人に名前を聞く時はまず自ら名乗るのが礼儀ではありませんか? 試験といえども礼儀は礼儀。あなたは礼を尽くさないのですか?」
ソフィアの言葉にサイリアは面白いものを見るかのように微笑む。
「サイリア・ファールです。今回の礼儀作法の審査官として参りました。よろしくお願いします」
サイリアは見るものを魅了する優雅な礼をする。さすが礼儀作法の教師をしているだけあると思わされる仕草だ。
「わたくしはソフィア・ダッカルゼと申します。僭越ながらこの度の側室に立候補させていただきました。至らない点も多いかと思いますが、よろしくお願いします」
そして椅子から立ち上がり礼をする。その優美な礼は素晴らしく、どんな者でもそんな礼をされたら心を許してしまいそうだ。
「どうぞおかけください」
「ありがとうございます」
サイリアから椅子に座る許可をもらってからソフィアは再度椅子に座る。
そこからは当たり障りのない礼儀作法の確認などを行った。サイリアに教えてもらったことの復習のような質問はソフィアにとって無意味で退屈なものに感じる。
これのどこに逃げ出す要素があるのだろうか? ソフィアは疑問に思いながらもサイリアからの質問を正確に答えていく。
結局何も無いのかと安心した時、その質問はやってきた。やはり他の側室候補達が逃げ出した理由はあったのだ。