第三話 少女からの贈り物
ヨハネスは基本的に王都で生活している。領地にある屋敷はとても豪華で素晴らしいと評判だが、ヨハネスがその家に居るのは一年のうちの一月に満たない期間だ。領地には優秀な従兄がいるので、彼に任せておけば領地の事は何も心配しなくて大丈夫であることが領地に戻らない理由の一つとなっている。
領地の屋敷よりもずいぶん小さい王都の家は古いが、掃除は行き届いており不快感を持つことは無い。しいて言うならずいぶん古い屋敷であるのでところどころ床が軋むのが難点である。
夜遅くにソフィアは目を覚ました。まるで何かに呼ばれるような感じがしたのだ。
「誰?」
ソフィアが呼びかけるとどこからともなく少女の笑い声が聞こえる。これはあれかもしれない。ソフィアは一つ大きなため息をつく。
ソフィアには魅了する瞳の力の他に人には見えないものが見える力がある。それは幽霊と言われるものから精霊といわれるものまで様々だ。彼らは自分たちの姿が見え、声が聞けるソフィアを見つけるとちょっかいを出してくる。そのおかげで周りから不審な目で見られることが多々あった。昔の仲間に本当に頭は大丈夫かと心配されたこともある。あんな思いをするのはもう本当に勘弁してもらいたい。
「明日は早起きなの。あなたに構っていられないわ」
そう言うとソフィアはシーツを頭までかぶり何も聞こえないように耳を塞いだ。だが声の主はソフィアを寝かせるつもりはないようでシーツを引っ張ってくる。
「もう、なんなのよ」
こういう霊は用件が済めばもう関わってこない。つまり用件を終わらせなければつきまとってくるのだ。それを知っているソフィアは仕方がなくその霊の用件を聞くことにする。
その霊は十歳ぐらいの少女の姿をしており、どこか見覚えがある顔をしている。
「こっち……」
その少女の霊はソフィアをどこかに導こうとしているようだ。
ソフィアは軋む床を気にしながらランプを持って静かに廊下を歩きだす。するとある部屋の前にたどりいた。少女の霊はまるでソフィアを誘うようにその扉をすり抜け中に入っていく。
「この扉ってお父様が言っていた開かずの間じゃないの?」
この屋敷にやってきてからヨハネスにこの家のことを説明してもらった。その説明で鍵をなくしてしまって開かない部屋があることを教えてもらう。鍵が開かないのなら鍵屋にでも頼んで開けさせれば良いと思うのだが、特に大切なものがあるわけでもなく不自由はしないからとそのままになっているらしい。その部屋の前にソフィアはいた。
「開かない扉をどうやって開けろと?」
しばらく扉を眺めていたソフィアはおもむろに扉の取手に手を伸ばす。すると扉はまるでソフィアを歓迎するかのように静かに開いた。そしてその扉の向こうにはここまで導いてくれた少女の霊がいる。その少女の霊が指を差して何かを訴えている。その指の先をソフィアは見る。そこには大きな絵が飾られていた。暗くてよく見えないが女性の肖像画のようだ。
「この絵がどうかしたの?」
ソフィアは小さな子供に問いかけるように霊に優しく聞く。
「これ……」
少女はどこからか箱を持ってきた。その箱をソフィアに開けてほしいらしい。ソフィアは指示されるままに箱を受け取りふたを開ける。そこにあったのは緑翠石でできた四葉のクローバーの形をしたペンダントだった。
ソフィアはこれをどこかで見たと感じた。これは……そう、この部屋にかけられた肖像画の女性がしていたペンダントと一緒なのだ。
ソフィアは再び肖像画をよく見るためにランプを向ける。
艶やかな栗色の髪、白い顔、優しく微笑む唇は薄紅色をしている。そして何よりその肖像画を印象的に見せていたのはまるで黒色に見える暗緑色の大きな瞳。
「この女性がどうしたの?」
ソフィアはここまで導いてきた少女の霊に問いかける。だが少女の霊はいつの間にか消えていた。
「このペンダントをどうしろというのかしら?」
ソフィアは何時もながら自分勝手な霊に呆れながらこのペンダントを見て悩む。このまま持っていっていいものなのか、悪いものなのか……。
「持っていって何かが起こったら嫌だし、このペンダントはここにおいて置こう」
ソフィアはその部屋にペンダントを残し眠い眼をこすりながら足音を立てないように自分の部屋に戻る。
夜中に起きたせいで少し寝坊をしてしまったソフィアを起こしたのは、領地からついて来た侍女のメリスである。
「お嬢様が寝坊をされるなんて珍しいですね。興奮して眠れませんでしたか?」
メリスはこの珍しい光景をみて微笑んだ。ソフィアは伯爵家に来てから今まで一度も寝坊をしたこともなければ、無作法な態度をとったことも無い。まるで完璧な淑女のような彼女にメリスは薄ら寒いものを感じていたのだが、やっぱりソフィアも人の子だ。興奮して眠れず寝坊するなんて子供のようである。まあまだ十六歳のソフィアだから少し子供じみたところもあるのかもしれないが……。
「そういうわけではないのだけど……」
ソフィアが寝坊してしまった理由は別にあるのだが、それを言うことはできない。
「自分の未来が決まる大切な日なのですから眠れないのは仕方が無いことですよ。でも夜更かしをすると化粧の乗りが悪くなってしまいますからね。しっかり寝ないと駄目ですよ。まだ出発まで時間はありますから、支度は朝食を食べた後に始めましょう。ゆっくりと朝食を食べて来てください」
メリスの薦めでソフィアは朝食を食べに行く。実のところ食欲が無いソフィアであるが、ドレスを着ればコルセットがきつくて食事もできない状態になるのは分かっている。だから今日唯一まともに食べられる朝食は無理やりでも食べなければならないのだ。
「ソフィアが寝坊をするなんて珍しいね。興奮して眠れなかったかい?」
食堂に入ってきたソフィアを見て、ヨハネスはからかうようにそう言う。
「夜中に起きてしまって眠れなかったのです」
昨日はこの屋敷にいた霊に起こされた。用件が済んでベッドに戻ったのはいいが、あれからしばらくは寝ることが出来なかった。そういえば開かずの扉は実は鍵がかかっていなかったことをヨハネスは知っているのだろうか?
ソフィアはそれを言うべきか悩んだ。もし言ってしまえば霊のことも話さなければならなくなる。父親になってくれたヨハネスに隠し事をするのは心苦しいが、こんな話信じてもらえないだろう。
ソフィアがそのことを話そうか悩んでいると、突然ヨハネスが目を見開いて何かを凝視していることに気づく。ヨハネスの劇的な変化にソフィアは不審に思い問いかける。
「お父様、どうかしましたか?」
だがヨハネスはソフィアをじっと見つめるばかりで返事をしない。
「そのペンダントは……どうしたんだい?」
ヨハネスが指差すソフィアの胸元にはペンダントが一つ輝いていた。それは緑翠石でできた四葉のクローバーの姿をしたペンダントである。
ソフィアは驚いた。これは夜中にやってきた霊が持ってきたペンダントだ。余計な問題を起こされるのが嫌だったのであの開かずの間に置いてきたのになぜソフィアの首にかかっているのだろうか?
「これは……」
ソフィアがどうやって言い訳をしようかと考えていると、ヨハネスがペンダントから視線をはずし、何かを考え出した。
「ああ、やっぱりそのペンダントはそこにあるべきものだね」
ヨハネスはそう言うと優しそうに微笑んだ。
ソフィアとしてはヨハネスがこのペンダントを見て何を考えたのかさっぱり分からず、とりあえずその元凶であるペンダントを何とかしてはずそうと試みる。だがペンダントの結び目が見当たらない。頭を通してはずそうとするもペンダントの鎖は頭の大きさよりも小さいため頭を通らない。あの霊はどうやってこのペンダントをソフィアに着けさせたのだろう?
ソフィアがペンダントと悪戦苦闘をしているとヨハネスは晴れやかな顔で言った。
「そのペンダントはソフィアにこそふさわしい。だからずっと持っていてほしい」
ヨハネスはそのペンダントをつけたソフィアを見てそう言う。
「でもこれは……亡くなった奥様のものでしょう?」
あの部屋にあった肖像画の女性はソフィアにそっくりな顔をしていた。この屋敷にソフィアの肖像画があるわけが無いし、それにその肖像画の女性の瞳は暗緑色だ。ソフィアの瞳は暗緑色ではなく漆黒である。そしてソフィアの容姿は亡き奥方に良く似ている事を以前メリスに聞いていた。だからこのペンダントはおそらく亡き奥方のものなのだろうと推測できる。
「きっと妻も自分の娘であるソフィアにつけて欲しいと思っている」
母の形見だと言われると、尚更ソフィアはそのペンダントを受け取れないと思った。
ソフィアは捨て子だった。この国の隣国サイシン王国の道端に捨てられていたのだと養い親から聞いた。人通りの少ない道端に捨てられた赤ん坊は人目に付かずに拾われず死んでしまう可能性が高かったそうだ。だが養い親がソフィアを拾ってくれた。そして育ててくれた。だから今のソフィアがある。
生まれて間もない頃に捨てられたソフィア。一方の本当の伯爵令嬢は幼い頃まで領地で育てられたのだと言う。だから本当の伯爵令嬢がソフィアであるはずがなかった。
「私は行方不明の伯爵令嬢ではありません」
「ああ、そうかもしれないね。でも今の君は亡き妻と私の子供だろう? ならこのペンダントを持っていても不思議は無い」
ヨハネスはそう言うとパンを口に運んだ。
ソフィアとしてはこのペンダントを持つことに抵抗があるのだが、どうせはずせないのなら持っているしかない。そう考えてソフィアも食事をし始める。食欲の無いソフィアだったが、それなりに朝食はおいしかった。
朝食後の夜会の支度は戦場のようだった。
まずは風呂に入ってマッサージをされ、その後香油を全身に塗られる。風呂から上がれば侍女が総がかりでコルセットを締め上げ、この日のために特注したドレスを着せられ髪にも香油を塗り、念入りに化粧をされる。
仕上がった頃はもう夕方に近かった。でもそのおかげでソフィアは美しく生まれ変わる。
メリハリのある曲線を描く腰は艶かしく、白く豊かな胸は寄せてあげた傑作だろう。高く結い上げた髪は艶やかな光を放ち、もともと白かった肌はさらに白く決め細やかに変わっている。そして魅力的な大きな瞳には長い睫毛が影を作っている。
侍女達は自分たちの仕事に満足していた。ソフィアは素がいいからどんな化粧をしてもどんな服を着せても似合うと思うが、やっぱり一番美しく着飾りたい。そこが侍女の腕の見せ所だ。なにぶんダッカルゼ伯爵邸には着飾る女性がいないので今まで侍女達の見せ場はなかった。だがこの屋敷にも凄腕の侍女がいるのだ。美しく着飾られたソフィアを見てヨハネスは思わず見惚れてしまう。その様子をみた侍女達が満足そうに得意げにしている姿を見て、この屋敷がソフィアのおかげで華やいだことを執事であるバハムは感じていた。出来ればソフィアには側室などにならずにこのままヨハネスの娘として爵位を継いでほしいものだ。そうすればこのダッカルゼ伯爵家も明るくなるだろう。
そう、あの頃のように……。
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