七話 お腹をすかせた獅子の末路
「ん? キミを助けた理由って言われても」
シオンは寝そべる自分の隣に座り、考える素振りを見せる。当然、助けた理由なんて無いに等しいのだろうけれど。
しかし彼女は顔を赤らめ、ちらりとこちらを注視する。恥ずかしそうに、足をもじもじすると、小さく呟いた。
「……笑わない?」
そんなに面白おかしいことなのだろうか?
とりあえず適当に、笑わないと告げた。
「え、えっとね。わたし……ヒーローになりたいんだ」
ヒーローになりたいと言う彼女の顔は、リンゴのようにさらに赤さを増す。
相当恥ずかしいことを言っていると、自分でも理解しているのだろう。
「え、えっと。実は、わたしがこの島にいる理由はね。ヒーローになっちゃったからなんだ」
ヒーローになったから犯罪者になった。その理由がわからない。
「でも。ヒーローはいつでも皆に慕われるわけじゃないんだなって、罪を犯して気付いたの」
この島にいる今も尚、罪を重ねている罪人達は皆サイコパスかと思ったが。
どうやらそうじゃなさそうだ。罪を犯した人の中にも、仕方のない罪もある。
――『みいつけた』
低い、どこか嘲笑う声が木々の合間を縫って耳に届く。
ぞっとした。背筋が震え上がり、思わず飛び上がると……。
「あんた達、どこへ逃げようとも逃がさないわぁ」
ここまで血眼になって探していたのか、鉈の彼女は息を上げている。
普通であればそれだけだが、彼女の顔は明らかに異常を示していた。
光を差していない瞳。先程までの姿とは打って変わり、常時にやけている。
額からは汗が滲み、極限状態まで空腹になった獣は、獲物を前に興奮を抑え切れずにいた。
「ちっ、感情に飲み込まれている……っ! あの間に一体、何が……」
「さあさ、その首を差し出しなさい。賞金首がああ!」
狂ったように、彼女は鉈を振り回した。
シオンに手を引かれ、突っ伏すことで鉈を回避した。その鉈に巻き込まれ、木々が次々と倒れ込んでいく。
「……キミ、まだ走れる?」
正直、休憩したとはいえ本物の化け物から逃げ切れるほどの体力はない。
けど。自分の命が尽きる瞬間が、こんなにとち狂うサイコパス、というのだけは避けたい。
「よし、しっかりついて来て。行くよ!」
シオンが銃撃で応戦しながら、ただ自分は奥へ、更に奥へと共に走る。
「ちょっと、待ちなさいよおお!」
その「ちょっと」を彼女が軽く地面を蹴るだけで、風のように追いついた。
再び彼女の鉈が振り下ろされる。危ない、と背中を押されて身を転がされることで、また被害に及ばずに済んだ。
汗だくの泥まみれになりながら、ついに自分たちは山道を抜け……だだっ広い頂上へと辿り着いた。
しかし。後に下る方法はない。完全に、息詰る。
「……くっ」
「あっははは、もう逃がさないわよお」
やっと逃げ切れたと思ったのに。
地面に転がる自分は、力を振り絞って立ち上がる。
「逃げて!」
「なあに、そこの坊主もいないよりはマシ。二人とも……逃がしはしないわよお!」
振りかざした鉈を、咄嗟の判断で刀を抜刀する彼女。自分は、彼女に助けられてばかりだ。
たった少し前に、知り合ったばかりの彼女に。
……自分も、なんとか戦いたい。
「きゃうっ!」
「きゃはははは!」
刀が地に勢いよく突き刺さる音が聞こえた。
ダメだ、ダメだ、このままでは彼女が。
――ガキンッ
「んあ?」
震える手を抑え、鞘を取っ払った剣が由々しく歯向かっていく。
目の前の敵の、鉈の圧力は半端ない。力を今よりも込めないと、すぐにでも潰れてしまう。
「あんた、へっぽこのくせにぃ、この女を護るの?」
「あ、ぐっ」
「面白い、いいねえ、じゃあさあ、あんたから潰してあげるわあ」
足が痛い。腰が重い。腕が痺れる。頭のてっぺんが何かに押されるようだ。沈みそうだ。
でも、今……自分に出来ることは!
「い、や、逃げ……やめて」
か細い彼女の声が間もなく夜に切り替わる空へと消えていった。
苦しい。あまりの重圧からか、歯を食いしばりすぎて口元から血が流れ出す。
「はあ、はあッ」
もはや限界か……。
目が霞んでくる。やはり、自分の力なんかじゃあ。
シオンを。彼女を護るなんて、途方もない話だったのかもしれない。
手を緩めそうになった、その時。ふわっと身が軽くなった。
鉈の重圧から解放された?
どうして、今になって。
その様子を理解するまでに、数秒の時間がかかった。
「今まで、ご苦労様でした」
「あ、ああ、あ……ア」
鉈の彼女の背後には、軽く肩に手を置く男がいた。彼女はアロケルという名を呼びたいのだろうが、震えるばかりで言葉に出せない。
彼女から自然と力が抜けていき、手から鉈がするりと抜け落ちた。
しかし、どうして自分達を、男が助けたというのだ。それこそ理由なんてないはずなのに。
「キミは重大なミスを二つ犯した。よって、罰を決行する」
「あ、ああ……ちがっあたし、何も……」
「いいや、否定したって無駄だよ。一つ、引き下がれという命令を無視したこと」
あの時の電話は、やつだったのか。
「言ったよね。最初に。俺の言うことは絶対、答えは、はいかイエス。リピートアフターミー?」
「あ、が……アロケル様の、言うこと。絶対」
「はい、よくできましたー。いい子には、はなまるをプレゼントしないとね」
男は下げていた鞄の中から、登記印のようなものを取り出した。
登記印の持ち手にあるスイッチを押す。すると徐々に押印部分が赤く染まり、少し遠目からでもわかる、空間が揺らぐ程の熱を発した。
「はい、はなまる、まんてーん」
「や、やめて、くださ、許して、謝ります、反論したこと、謝りますう。
謝ります、からああ!」
男は容赦なかった。涙ながらに訴える彼女の意志表示などおかまいなしに、押印部分を額へと押し当てた。
じゅっ……熱の籠った登記印は、彼女に苦痛的な熱さを伝える。
「ああああ、がああ! あうい、あぐうっ!」
押し付けて数十秒。彼女は登記印の地獄から抜け出すことができた。
その額には真っ黒に焦げた前髪と、真っ黒なはなまるを残す。
そのまま、彼女は立ち上がる気力もなく地に倒れ込み、痛い熱いと連呼を繰り返しながら額を押さえて苦しみ悶える。
惨い所業だ。襲われたとはいえ、可哀想に思う。見ているだけで辛い……。
「二つ。忘れた、気付かないとは言わせない。商店街でコレを襲った直後、砕けた石畳の破片が凶器となって飛び散り、幼気な子供に怪我を負わせた」
「うう、あ、あ、つ……いぃ」
「即ち島民を傷つけた。幸い大事には至ってないが、泣き喚く子をあやすのに大変だったんだぞ。
――以上。ルールに法り、キミを退場とする。
残念だなあ、命令さえ聞いていれば街での件はなかったことにしてやったのに」
ただやつは横暴な態度を取っていただけかと思っていた。
けれど、自身の決めたルールをしっかりと護り、その秩序のため、島民のためにこうして動いている。
彼女には気の毒だが……。
「そーいうことだ。あんた達、今回はルール違反の敵が相手で助かったな。
わかったら島民に手を出すんじゃねえぞ、俺だって暇じゃねえんだよ」
悲鳴を出したくても出せない。辛くても痛みに負けて声を出せない、そんな無抵抗な彼女の足を無情にも掴む。
アロケルは最後に、自分達に「幸運を祈る」と手を振った。
鉈と彼女を回収し、ずる、ずると彼女を引き摺って夜の闇へと去っていった。
もはや動けない、動く気すらもなさそうな彼女の顔面は、地面に擦られていった。
そのせいか、山道に血の線を残していく。
「……たす、かった」
ようやく魔の手から解放された自分達は、腰が抜けたように二人で座り込んでいた。
真っ暗な山の頂上に二人。完全に緊迫から解き放たれた自分達は、無防備にも草原に寝転んだ。
このまま次いで誰かに教われないことを願って、疲弊した身体を休めるように目を閉じた。