五話 覚悟を決めた日
「さて、と」
「……」
「やつの脅威は去ったか。旭氷、やつに歯向かってはダメだと、あれほど言い聞かせただろう。
どうして、素直に動かなかったんだ」
キミの生命が危機に瀕していたんだぞ。
エリアスはそう告げる。もちろんわかっている。けれど、頷くことさえ怖かったのだ。
そんな説明すらも億劫になり、ただ口を堅く結んだ。
「……わかった、キミにチャンスをあげよう」
半ば諦めたように、息を交えて言った。声のトーンからして、こんな臆病な自分に対して怒りを露にしているのだな、と瞬時に理解できた。
エリアスは一息を置いて、言葉の続きを始めた。
「私がキミの誓約書の後処理をしておく。破けば誓約書とてただの紙切れ。
……その間に、キミは島を出るんだ」
「そんなこと……」
そんなことをすれば、あの男になにをされるかわからない。結局、エリアスは自分の味方なのか。それともやつの味方なのか……?
はたまたどちらの味方でもないのか。この正体を少しでも知りたい。
まずは味方か敵か。それだけでもいい。
安心していい人物なのか。
「あぁ、見つかれば首を搔っ切られ……いや、もっともっと、恐ろしい屈辱と拷問が待っているだろうな」
あの男がしてやりそうなことを平然とした顔で告げる。
じゃあどうして、なんて何のひねりもない言葉を零すと、エリアスは淡々とそれに答えた。
「……島の外での暮らしがここで暮らすよりもずっと、キミの幸せに繋がるとは思えないからだ」
いや、この島で殺し合いを強要されるよりも、断然、良いはずだ。
「ここには居場所もある、愛情もある、お金こそないが、キミが求めていた愛で溢れている」
「善いも悪いも、殺さなければならない島で到底そうは思えません」
これが今の本音だった。
ここまで正直に言えたのはいつぶりだろう。下手すると初めてかもしれない。
当然として、エリアスは自分の本音すらも受け入れずに切り捨てた。
駄々を捏ねる子供を相手に物を言うのも呆れて『もう知りません』と放る大人の様だった。
「では帰るといい。再び監獄に収められ、出た先で、子供の皮を被った悪魔というレッテルを張られ、どこに行く当てもなく、居場所もなく一人で慎ましく生きるといい」
先程まで優しい言葉遣いだったエリアスが、同じく本音でぶつかってきた。
戻ってもいいことがないのは確かだ。けれど、ここで認められるままに罪を重ねてもいいのか。
本当に……取り返しのつかない自分になっていくのが悠に想像できる。
本物の悪魔にだけは、なりたくないんだ。
「……ごめん、少しキツく当たってしまったね」
謝られた。
別に、責めているわけではないけれど。
「でもね。この島には、外にはない愛情で溢れている。これは本当だよ。
この島で暮らす人々を見て。キミもわかる日が来る」
「……」
「私の言葉を信じてくれるのなら、どうかわかってほしい。これが最終チャンスだ。
この島で全てを受け入れる?
それとも、やつに見つかる前に……島の外へ飛び立つ?
私にはキミを留める権利はない」
桐箱に眠る剣を目の前に差し出して問いかける。
まだ全てを受け入れたわけではない。けれど、エリアスの言葉に自分は惹かれるままに――
「……そっか」
ずっしりと重い感覚が、柄を握りしめる手のひらから腕へと伝って伸し掛かる。
今からこれが……自分を護ってくれる刃。
「ありがとう」
まだ怖い。恨みもなにもない人を相手に凶器を振りかざすことが。
でも、これが彼の望みというなら。
「幸運を祈る」
「はい」
正式に口で約束を交わした。決めた、もう怖じ気づかないと。
エリアスのために――
肩をぽんぽんと二回ほど叩かれ、エリアスは酒場の方へと踵を返した。
やつの姿を最後まで見送ると、自分は自分に与えられた運命を背負って酒場を後にした――。