十八話 静かなる青銅の教会
再びあの青銅の教会へやってきた。
自分の推測が正しければ、やつはここを根城にしていると思うのだが。
重い扉を開け、また趣味の悪い祭壇が目に映る。
ふと参拝者用の、長椅子に誰かが座っていた。
少しガタイのいい男、間違いない。あいつだ。
「……来たのか、坊主」
何も声を掛けていないのに、気配と扉の音だけで自分がやって来たことに反応を示す。
振り返ってこそいないが、口元が緩んでいる、そんな気がした。
アロケルに言われた通り、やつと対峙をするためにまずは顔を向かい合わせる。
ある程度、近づいた。しかしやつは、戦闘ムードではなく……むしろ、ビールを片手に寛いでいた。
「坊主、飲むか」
突如、投げられたビール缶。ビックリし、慌ててそれをキャッチするが、口端を曲げて文句を返す。
「あの、未成年、だから」
「付き合い悪い真面目ちゃんだな。ほら、これでどうだ」
もらったビール缶を床に置く。それを見て、男は次にサイダー缶を放り投げた。
確かに、これなら飲める……いや、そうじゃなくて。
「ふざけているのか」
やつに威圧を込めてそう告げた。
……ふざけている。今ここに、お前の命を狩ろうとしているやつがいるんだぞ。
何で、こいつは。
「ふざける、俺が?」
「……命、ね、狙ってるんだぞ」
「やめとけ。何にしたって、そんな足腰ガタガタな野郎を虐めるほど暴力的じゃねえ」
「――ッ」
また、バカにしやがった。
「まあ、落ち着いて座れよ。少し語り合おうや」
「……一体、何が目的なんだ」
男はビールをちびちび、何かを一点に見つめている。ステンドグラスか?
「なあ坊主、もしもお前さんが、誰かに命を奪われたとしよう。そりゃあもう、慈悲なんてねえ」
「……何が、言いたい?」
「その時、お前は復讐を望むか。自分を殺した犯人に、死の制裁を与えるか」
いきなり、なんなんだよ。
男に逆らう意味はなく、男の隣に腰を降ろす。
すると男の方から、再び疑問を投げて来た。
「この祭壇は元々、悪魔を崇拝していたって噂だ。その証拠が、あのステンドグラスだな」
「悪魔を崇拝?」
「で、だ。その悪魔の瞳は人の死に様を映し、その死に様を見た野郎はショック死するらしい」
「……」
「ただまあ、俺が思うにそれは健全で平々凡々な暮らしをしていた連中の場合であって。
俺達、罪人にゃ関係のない話だよな」
「いつ死んでもいい、という意味でか」
「ご名答。幸せに死ねたら一番、いいんだろうな」
幸せに死ねるなんて、そんなこと不可能だ。
死こそ全ての終着点、死は美しく、綺麗なものだとは言うけれど。
ありえない、罪人に安らかな死などあるわけがない。
「人の命を奪っておいて、自分は死にたくないと。覚えておきな、坊主。俺の一番大嫌いな野郎だ」
「……お前の嫌いな人間なんて、どうでもいい」
もらったサイダーに毒が入っていないだろうかと確認する。
前例があるから、余計に疑ってしまうが……。
そもそも封は開いていないから、毒を混入させるのは不可能だろう。
やつにもらったサイダーのプルタブに指を引っかけ、缶を開ける。
ぷしゅ、と炭酸が抜ける音と共に甘い匂いが鼻腔を刺激した。
サイダーを一口、飲む。
年に一度、飲めればよかったあの時を思い出す。こんな甘味なんて、中々に味わえない。
一口、また一口と飲んでいった。おいしさのあまり、手が止まらない。
そんな自分を横に、やつはまだまだ口を開いた。
「俺はな……、監視者様の刺客を何度もぶっ潰してきた。中には女性もいたもんで、娯楽として楽しんでやったもんだ」
「それで、シオンは」
「あぁ、精神が折れるまで潰してやった。はは、あの女も言ってたねえ、死にたくない、死にたくないと。待っている人がいるんだと」
「……待っている、人」
幸せもんだぜ、お前。
やつにそんな言葉を返され、何を言っていいのかわからず口籠る。
「少なくとも俺が見て来た連中は、自分のために死にたくないやつらばかりだった。
でもあの女は違った」
「……」
「ははは、こんな連戦連勝の悪魔に何を言われても、嬉しくないか」
ビールを床に置くと、やつはタバコを銜えてこちらにも差し出した。
「……だから、未成年、ですから」
「ん……付き合い悪いわ」
そっと自前のライターで火をつける。ほんわりとタバコから煙が浮かび、その独特の異臭を放った。
煙を思い切り吸い、嬉しそうに肺から煙を一杯に吐き出した。
……臭い。
「ほら、食えよ」
今度はソーメンイカ、と名前に書かれた極細のスルメイカを取り出した。
なんだって、こんな駄菓子をもらわなきゃならないんだ。
宴会をしに来たわけじゃないのに。
「……お前は何が目的なんだ」
「別に。ただ、あんたも他の連中と同じなのかなって」
「……ごちそうさま」
手元のサイダーを飲み干し、やつに缶を押し付ける。やつもまた「お粗末様」と返して、缶を床に置いた。
「で、あんたも俺を仕留めに?」
「……シオンの、仇」
「そうかい、そうかい。あの女が相当、好きなんだな……羨ましい限りだよ」
男はぐいっとビールを一気に喉へ入れる。
こんな酔っ払いと、今から武器を交えなければならないのか。
なんだか気が引ける。
「俺ぁな、女に捨てられてんだよ。バカだよな、完全に信用してたからさ、やつがヤリマンだって気付くのに時間が掛かっちまった」
「――っ」
「そんで、なんだかなーって、俺のどこが悪いのかなーって、考えるのも面倒になって、その女を監禁した。
でもふとした拍子になんか急に冷めちまってよ。
その女を閉じ込めたまま、家を出てった」
急に聞いてもいないことを語り始めた。
これも、酒のパワー、なのか?
「で、さ。なんか面白いことないかなって携帯をいじってる時だった。
ほら、今流行の、家出少女が家に泊めて下さいって叫ぶアプリ、あるじゃん?
あれに目をつけた」
そんなアプリ、初めて聞いたけど……。
自分が電子機器周辺に弱いのだろうけど。
「家出少女にアプリで声を掛けたら、とんでもなく簡単に引っかかってよ。こいつも尻軽か、とかヒョイヒョイ釣られる女に軽蔑な視線を送ってた」
「……その少女達は」
「家に泊めたよ。その後はある程度の仲になって完全に女が油断したところを襲った。
女なんて、どいつもこいつもヤレりゃいいんだろとか思ってたからさ。
今思うと悪魔の所業だよな、女の電話で実家なり彼氏なりに繋ぎ、犯される娘の声を聞かせるんだぜ」
確かに、悪魔である。
立派なサイコパスだ。でも、どうしてそんな話を自分に。
「……身も心もボロボロになった娘は、銃で撃ち殺した。こんな惨めに生きるくらいなら死んだ方がいいだろって気遣いさ」
「それが、あんたが島にいる理由?」
「まあ、そうだな。人の不幸は蜜の味、ではないが正直のところ、楽しかった。
信じる者がバカを見る世界で、今度は俺が世の女性を騙す側になる。
それが……俺の復讐であり、背負うべき罪さ」
こいつも案外、苦労していたのか。
信じる者がバカを見る……何故だか、こいつの言葉が相当、重く感じた。
少し未来が違えば、きっと自分もこんな感情を抱いていたに違いない。
自分だって、信じる側だった結果が、父にも母にも誰にも認められない、バカを見る結果になったのだから……。
「んっ」
「……だから、いらないですってば」
「なんだよ、大人の酒くらい受け取れよな、真面目すぎるお子ちゃまだな」
再びビールを突き出されるも、断る。
……自分は何をしに、ここまで来たのだろう。
なんで、こんな男の戯言に共感を得てしまっているのだろう。
「――さて」
男はビールを飲み干すと、重そうな腰をゆっくりと上げる。
銜えていたタバコは携帯灰皿に、やつが立ち上がるのを見て自分も思い切り立ち上がった。
「あんた、彼女を穢された恨みに俺を潰しに来たんだろ」
「……そうだ」
「ならさ……」
カチッ。銃のセイフティを外す音が聞こえた。
「せっかくだし、殺し合おうや」
「――っ」
「俺が死ぬか、お前が彼女を救う勇者となるか。いくぜ、少年」
やつの一呼吸に合わせて、こちらも剣を手に取った。
鞘を外し、血痕すらついていない相棒の輝きを目に通す。
あまりマジマジと見ることはなかったが、その刃は銀色の表面で主の姿を映していた。
鏡にのように――。