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罪人の双六  作者: 葉玖 ルト
一章 始まり
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一話 嫉妬深き罪

 ――日本国 某少年院 


 今日、一人の青年が出院した。院での成績は決してよくなかったのだが、どうして突然と出ることを許されたのか? その理由は不明。

 太陽の光が身を焦がす。院内ではあまり味わえなかった、味わう気など起きなかった外の空気を目一杯に吸い込んだ。

 少し肌寒さが残る春の陽気な風を浴びながら、青年はキョロキョロと誰かを求めて辺りを見渡す。

 青年はその場に立ち尽くして考えた。理解する間もなく起きた自分の出院。それは納得が行くどころか対応が明らかに罪人つみびとに対するソレではない。

 手厚い待遇に加え、まるで「いってらっしゃい」と言わんばかりに手を振られた。

 青年は辺りにやつがいないのを確認すると、院内で渡された紙をめくる。

 そこには到底、理解に及べぬ内容がつらつらと記されていた。



『――様

 この度は数ある罪人の中から当選、おめでとうございます。

 これをお読みになっている頃には、恐らく出院された頃合いかと。

 つきましてはスタッフを一人そちらに向かわせましたので、合流を果たした後にお手数ですがこちらまで足を運んで頂けるようスタッフ一同、お待ちしております。


 尚、期限につきましてはひと月以内とさせて頂きます。ひと月のうちに姿を現さない場合は大変ご迷惑とお思いですが院内に戻って頂きます故、ご了承ください。

 ――スタッフ一同』


 どうやって特定をしたのだろうか、不明な手紙に不信感を抱いた。けれど今更、行く当てなんてない。

 大変な罪を犯した青年にとって、もはやどこにも居場所などないのだから。



 * * * 



 ――日本国 某公園


「お兄ちゃん、早く早く!」


 こうして兄と遊ぶことに恋い焦がれていた弟が、溢れんばかりの笑みを浮かべて手を振った。

 家が貧乏故にテーマパークなんて大層なところは行けないが、ただの公園ならば金もかからない。まるで元気が余り過ぎるほどの弟に兄も微笑した。 

 しかしそれは酷く表面的なものだった。

 弟を見る度に、心は黒く染め上げられた。全ての色が灰色に見えた。穢れ、腐っているように見えた。


 いつも元気で明るい弟。できる弟。賢い弟。親に褒められる弟。居場所のある弟。……弟。


 いつも暗い自分。何もできない自分。頭のよくない自分。親に見放された自分。居場所のない――自分。


 悔しかった。どんなに頑張っても、その実力は伸びない。人の倍、頑張った。同級生が遊びに徹している瞬間も頑張った。親のために頑張った。気苦労させないように、ずっと、ずっと。

 ――頑張っていた。


「お兄ちゃん!」


 この笑顔が憎かった。


「あっ! ――くん! うん、また今度ね!」


 居場所のある弟が羨ましかった。


『凄いわ――、いい子、いい子』

「えへへ、お母さんに褒められた。僕、もっと頑張る!」


 普通にしているだけで愛をもらえる弟が――嫌いだった。


 あくる日は、父に殴られた。


 あくる日は、慈悲すらないほど罵倒された。


 あくる日からずっと……泥小屋も同然の廃屋部屋が、自分の部屋となった。

 

 泥小屋から学校に通った。

 泥小屋でご飯を食べた。

 泥小屋で眠った。

 孤立していた。誰もいなかった。


『どうして……。――どうして、あなたはできないの!? あの子はあんなにできるのに、どうしてッ!』


 ――どうして。


 そんなもの、自分が聞きたいくらいだった。

 どうして。どうして自分はできないのだろう? 

 あんなに頑張っていたはずなのに。睡眠時間を犠牲にしてまで毎日、頑張ったのに。

 学校でいじめに遭おうが決して手を出さなかった。それは親が悲しむだろうと考慮した結果だった。

 少しでも褒めてもらおうと頑張った。必死になって鉛筆を動かし、いつか振り向いて欲しくて勉学に励んだ。

 これでも一切、勉強に手を付けていないやつよりはマシな成績だった。でも、親が褒めてくれることはなかった。

 なにが足りなかったの。なにがいけなかったの。なんでそんなに――泣くの?


『お前のような子は、うちにはいらないんだよ!』


 目の前が真っ暗になるほど、ぶたれた。痛いから、丸まって堪えていた。

 いつもの光景だった。日に日に当たりが強くなるのを感じて、やっと嫌われている自分に気付けた。

 自分はいらない子だったのかと、ある程度の諦めがついた。


 ある日のこと。暴力を振るう父に対して、弟が勇気を振りかざして父を止めた。

 皮肉なことに、弟の勇気は自分の胸に一ミリたりとも届きはしない。それどころか……。


「もうやめてよ、お父さん! お兄ちゃんをそれ以上、いじめないで!」

『……ちっ。いい子だなあ――は。こんなやつのことまで、護ってあげるなんて』


 ――偽善者が。


「お兄ちゃん、大丈夫……?」


 ――同情をかけるな。


『どうしてあの子は』

『なにもできないのだろう』

「お兄ちゃんは悪くないよ」


 弟のあれが本心なのかは今でもわからないし、わかりたくもなかった。

 ――考えた。考えた末に、なにもかもがどうでもよくなった。


 苦痛に追いやった両親を殺害しようという決断に至った。

 全てを壊そうと考えた。自分の人生にうんざりした。願わくば、誰かこの非道な自分を殺してくれとさえ願った。だから殺した。


「……はあ」


 まずはことあるごとに手をあげた醜い父から殺した。

 台所にあった包丁を新聞で包んで持ち出し、またいつもの日常が繰り返される時を待った。

 案の定、父は自分の頬をぶつ。身体を蹴りつける。痛かった。もうこんな日常は……終わりにしよう。

 痛みに堪え父の手を払い除けると、刃物抜き心臓を突き刺した。

 息をするような、流れる動きだった。おかしい、殺人なんてものは初めてのはずなのに。

 人は道徳と憎しみを天秤に掛けた時、憎しみの感情が群を抜いて勝つと、殺すのに躊躇しなくなるらしい。

 事実……自分がそうみたいだ。


 心臓を一突きしたものの、まだ不安だった。父が実は意識があって、また自分を突き飛ばすのでは、恫喝するのではと怖くなった。

 父には心臓を三回ほど、念を押して突き刺した。人間の血液が吹き出す瞬間を見た。これが人の死ぬ瞬間なんだと感嘆した。涙は出ない。出す価値すら感じ取れない。

 痙攣しながら飛び出る血が、返り血となって自分の頬や服に付着した。それを確かめるように頬の血液を手で拭い目の前にもってくる。

 錆びた鉄のような臭いが鼻腔を刺激するが、特に恐怖に悶えることはなかった。

 案外あっけないものだな、抱いた感情はその程度のものだった。

 真っ赤に染まった冷蔵庫……台所。これらを後に母の帰りを待つため隅っこに踞った。

 死した父の遺体をただ、ぼうっとした目で眺めていた。嘆くことも笑うこともなく、ただ能面のように座っていた。


『……はっ、い、いやああ!』


 母は帰って来るなり、奇声のような甲高い声を上げた。過呼吸になりそうな息を抑え、冷静を保ち母は急いで電話へ向かう。

 恐らく父の変わり果てた姿が先に目に入ったのだろう。

 こんな血みどろの自分に反応を示すことなく、救急車を呼ぼうとしているのだから。


『あ……あんた、なんのつも――』


 電話を切るとようやく、自分の存在に気がついた。 

 血に塗れた息子に驚きを隠せず、怯えた声で口を開いた。

 ……喋らせるつもりなどない。そう言わんばかりに包丁を突きつける。だが母はある程度の抵抗を示してきた。

 そのためか手が滑り、心臓を刺そうと思っていた刃は喉元に向かって進み、頸動脈を斬り付ける。

 こちらも同様、痙攣をしながら血を噴射した。ただ父と違うところは斬り場所が悪かったというところだろう。

 母の血は刺した本人を狙って真っ赤な液体を浴びせてきた。

 こんなに罪を犯しているのに、なぜだろう。

 ――物足りない。

 その感情が先駆けダメ押しの如く背中を何度か突き刺してやった。


 ――ある日を境に……一家が消えた。

 古い木造の家にこびり付いた人間の血。人の身体から血がドクドクと溢れている。血だまりが自分の足を濡らす。足をあげる度にぴちゃぴちゃと音が鳴る。

 鼻腔を刺激する血液すらも、つまらない日常に比べたら非常に甘美なものだと思えた。声を掛けてみた。あの母は床に突っ伏したまま喋らない。

 当たり前だ。憎さ故に何度も突き刺した背中。動かないのはわかっていても、目に映すと虐げられた日々を思い返して身震する。

 また顔を上げて自分を睨むんじゃないか。それは単なる被害妄想で、実際には確実に死んでいて動きはしない。


「お、にい、ちゃ……?」


 どうやら弟が帰って来たらしい。か細い声が自分の耳についた。

 ゆっくりと弟の方へ顔を向ける。あの兄を慕っていた綺麗な顔はもはやどこにもない。恐怖に顔を歪ませ、一歩足りとも動けはしない。

 そんな腰の引けた弟にはあえて急所を外し、腹部に深く突き刺した。

 弟の顔が更なる恐怖に歪んでいく。けれど慈悲はない。


 ……せめてもの情け。

 玄関先に放置されてあったスコップを片手に弟の遺体を夜の闇に引きずった。街灯のない田舎道、遺体を擦り付ける音は星が瞬く夜空に響いた。

 近所の山へと登った。頂上にはこの街を見渡せる丘があり、一本の桜の木がもう直き来る満開の季節を待ちわびながら立っている。


 夜の静寂を切り裂くはスコップで穴を掘る音。

 必死で掘り続けた。しばらく経つと、人が埋まる程度の穴ができあがった。

 ――ここに弟を埋めよう。

 弟の遺体を放り投げ、再びスコップで穴を埋めた。埋めた場所にスコップをザクっと突き刺し、その場を後にする。

 憎き弟をここに埋めたという印を置いて。


 ――その後、すぐ警察に連行される形となった。

 近所の人が通報した警察が、うちに辿り着いたのだろう。

 家の前には赤と青のランプをちかちか光らせたパトカーが数台ほど止まっている。突然の眩しさに目が眩みよろめいた。

 警察は自分を見るや否や駆け寄り、この家の子なのかと問いただしてきた。

 まだ駆けつけて間もないのだろう。このこびり付いた血液だって、恐らく犯人から逃げた際に浴びた血痕としか思っていないようだ。

 捜査されてしまえば逮捕は免れない。けれど、それまでの些細な猶予なんて、ほしくもなかった。

 だから自首をした。警察に捕まえてくれと腕を差し出した。


 普通の感覚ならば胸が痛むところ、まるでサイコパスのようだ。この連行に胸を躍らせた。あくまでも自殺という手段は取りたくなかったので、署による処刑を期待した。

 灰色の世界から解放されるのだと心から喜んだ。だがその考えは非常に甘かったのだ。

 未成年で殺人を経験した自分は少年院へと送致された。こんな場所へ送られても無駄だと伝えたかったが、有無を言わさず、だった。


 ――平凡な日常の中でも何もできなかった自分が普通のことを普通にできるはずなどなかった。

 成績が良くなければ進級や出院が適わない、言うなれば留年状態が続く。気付けばこの場所で足止めされるがまま、進級することなく一年の月日が経っていた。


 ――某所 十八の刻

 

 ある日、突拍子もなく転機が訪れた。

 院内に自分宛の手紙が届けられた。普通ならば手紙のやり取りに色々と許可がいると聞いていたが、おかしいことに特には触れられなかった。

 その上に、出院の準備をしろとまで告げられる。

 とある人物が待っているとだけ伝えられ、言われるがままに準備をしてあえなく出院することができた。


 出院後、手紙を読んだ。

 どうやら一人のスタッフと共に、手紙の送り主の元まで来い、ということらしい。


「キミが手紙を受け取った子だね」


 門の先に突っ立つ、背の高い謎の男。配達員のような格好を模していて、キャップ付きの帽子で目の様子が隠れてしまっている。


「……話は後だ。島までの手段は手配しておいた」


 淡々どころか一方的に告げられる。一体どこに行こうと言うのか。手紙の内容からして、多くの罪人を集めている様子だ。


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