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罪人の双六  作者: 葉玖 ルト
四章 貴公子
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番外編 落ちぶれ貴族 前編

 ――この世はなんて、不公平なのだろう。


 僕の知っている兄は、既に遠くへと行ってしまった。

 あの優しい兄は、どこへ行ったのだろうか。

 僕は望んでいない。こんな結末なんて、望んでいないんだ。




『えっ、結婚……ですか』

『あぁ、以前に王家主催の外交パーティーがあっただろう。どうやら王女様がお前のことを相当、お気に召したらしい』 


 ある日、兄の元へ結婚の話が舞い込んだ。


『いえ、しかし。私などが王女様と……考えられません。

 それに、父上が多忙な分の埋め合わせはきっちりとこなさねばなりません』

『大丈夫、そこは召使いであるアルカに全て任せなさい』


 父さんはアルカにも話を振るようにそう告げた。

 当然、断る訳がない。


『はい、何があっても、ロスト様のお傍に』

『……だ、そうだ。明後日に、直接お会いしたいとのことだ。いいね、エルドラの恥さらしにならぬよう、身だしなみとマナーには気をつけるんだよ』


 まだ小さかった自分は、父の言っている意味が理解できなかった。

 それでも子供ながらに、兄がどこかへ行ってしまう。そんな気は薄々、感じ取っていた。


「兄さん……どこかに、行っちゃうの?」

『大丈夫だよ、少し王女様とお話があるだけだからね』

「……うん」


 兄は、この結婚話をどう思っていたのだろうか。

 髪をぐしゃぐしゃっと、いつものように撫でてくれる兄を見て……自然に笑みが零れていた。

 思えば幸せのピークはここだったのかもしれない。

 やがて、兄は王女との結婚を果たした。

 子供の頃は、王女に兄が取られた気がした。もう帰ってこないのだと、いつもベッドの上で寂しさを紛らわすように手元のヌイグルミを抱きしめていた。


 何をしなくても、金はあった。だが心の拠り所は帰ってこない。

 そんなワガママ放題の自分を、アルカは父の代わりに……母の代わりに。二度と帰ってこない兄さんの代わりに。


「ロスト様、お夕飯に致しましょう」

「……うん」


 アルカがいなければ、今頃はどうなっていたことか。一人で寂しく、泣いていたかもしれない。


「まあ、ロスト様。いつも抱いてらっしゃるのですね」


 アルカはふと、肌身離さず抱いていたクマのヌイグルミに興味を示した。

 これは母が遺した大切な物なのだ。


「……まあ、お母様の」

「うん。だから、捨てちゃダメだよ」

「えぇ、わかっていますわ」


 あの頃に戻りたい、時々そんなことを口にする。アルカはそんな、つまらない話でもにっこりと微笑んで聞いてくれた。


 ――そんなある日、日常を壊すような出来事が起きた。


「ロスト」

「……はい」

「身支度をしろ」



 ――――十五の時


 父の威圧は、胸の奥に突き刺さる。

 なんで、自分ばかりこんな目に。そう思うしかなかった。

 どうやら兄が、家の敷地を使って住民のために新たな娯楽を開設すると言いだしたらしい。


 父の答えは当然、イエス。

 必然的に自分は追い出されたのだ。

 ――表向きは結婚と名ばかりついて。

 アルカは解雇された。僕が町を去る時には既に行方知れずだったのだ。

 行きの馬車に揺られながら、アルカのことばかりを考えている自分がいた。アルカに会いたい。

 今すぐ会いたい。


「……なんだ、その汚れた人形は」

「――っ」

「婚姻には必要ないだろう。女の子じゃあるまいし捨ててしまいなさい」

「――やだ」


 今の家を失っても、父の財産ならばまた建て直せる。

 それをしないのは恐らく僕がいらない子だから。

 父にとって、捨てて当然の子だったから。


「……この――」


 実際には何も、言わなかった。

 けれど、僕には聞こえた気がしたのだ。


「――この、不孝者が。母親殺し」


 耳を塞いだ。何も聞こえないようにずっと塞いでいた。


 母は病弱だった。

 自分を産んでから病気が悪化したのは言うまでもなかった。

 徐々に衰弱していく母が残した、ヌイグルミ。それがこのクマだった。

 だから誰にも触らせないし、誰にも渡さない。


「ついたぞ」


 そこは辺鄙な村だった。

 村のほとんどは田んぼに面積を奪われている。

 今にも崩れそうな、木の家が数軒。


「ご足労、ありがとうございます」

「今日から愚息を、よろしくお願いします」


 贅沢な暮らしから一変。僕は兄に捨てられた。父に捨てられた。

 したくもない結婚をさせられた。

 僕は村娘との婚姻を交わされた。

 今日からはこの古びた家が自分の家になるのだと思うと、耐えられなかった。


「まあ、あなたが私の夫となる人なのね」

「……――っ」

「素晴らしいお召し物ですね。容姿端麗で、私に見合うだけの男性です。

 お父様あ、素敵なプレゼントをありがとう!」


 ……屈辱。


「こんなに素敵な方と出会えるなんて、私はなんて幸運なのかしら! ロストさん、よろしくお願いします!」


 ……不幸だ、不運だ。


「どうですかな、我が娘は」

「あはは、す、素晴らしい娘さんだと、思います」

「そうでしょう、そうでしょう」


 これが田舎のスタイルなのか。

 泥まみれの手で、頭を撫でてくる常識外れの村長に……。


「ねえねえ、ロストさん。私達の子供とか、ほしいな」


 一人、大声で盛り上がり腕に持たれてくる常識外れの嫁。

 馴れ馴れしいこと、この上ない。

 なんで、こんなに常識のない者達と暮らさなければならないのだ。

 わからない、理解に苦しむ、アルカに……会いたい。


「――あ、このクマのヌイグルミ、かわい……」

「やめろッ!」

「きゃっ!」


 思わず声と同時に手が出た。

 興奮気味に彼女の頬を殴りつけ、ストレスに声を荒らげた。

 言っていいこと、悪いこと、あまりの逆上になにが善くてなにが悪いのか、判断が追いつかない。


「はあ、はぁ……。触るなッ……そんな薄汚い恰好で、近寄るなあ!」

「――ひどい」


 こんな生活なんて、もう嫌だ。


「本当は、あんたなんかと、いたくないんだよ!」

「なんで、そういうこと言うの」


 アルカに会いたい。


「もう、いっぱいだ。出て行く」

「そんな汚いヌイグルミなんかのことで怒るなんて気の短い人」

「――ッ」


 これが、地雷になるなんて。この時、彼女は思わなかったのだろう。

 だが、僕は許さない。

 母が紡いでくれた、このヌイグルミを侮辱するなんて、許さない。


「……ごめん、あはは。少し気が動転していたよ。痛くなかったかい? 女性に手を挙げるなんてキミの夫として失格だね」

「わかってくれたらいいよ」


 なぜ、僕が謝らねばならないのだろう。なぜ、この女性は全面的に、自分に非がないと言いたげな態度を取るのだろう。

 この笑顔の下は、悪魔だということを、彼女に知らしめねばならない。

 ――数日後


「ロストさん?」

「実はここに来る前に、これだけはと思って、紅茶の葉を持ってきたんだ。

 どうかな、飲んでくれる?」

「これ、とってもお高いやつですよね?」

「――うん」


 彼女は、自分が激高したことを謝ったその日から余計に子をせがむようになった。

 どうやら僕が完全に服従したと勘違いしているらしい。

 この優しさの裏は、悪魔の形相だなんて。誰が予想しただろうか。

 上辺だけの愛を注ぐと、彼女は本気になったようだ。

 ……信頼されている今が、チャンスだった。


「いただきます!」


 その日、村娘が一人……部屋の中で亡くなっていた。

 紛れもなく、自分が殺したのだけど。これでいいのだ。

 怒りに震え過ごすくらいならば、僕はキミを探し求める。

 ――アルカ、待っててくれ。





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