十三話 ヒーローの真実
「……くん」
薄れる視界の中またあの柔らかい声が身を包む。
「――シ、オン?」
「よかった、うぅっ寒い。こんなとこに長居していたら死んじゃうよ。今すぐここから、出よっ!」
どうして、ここに。
「はいっこれで大丈夫。いこ、話しは後だよ!」
慣れた手つきで首輪を外し、自分の手を引っ張った。本当は疑いたくない。
疑いたくないけど……。
あの男の言葉をどうしても、脳内で再生してしまう。
――キミのことを、自身が満足するための手段に使っている
「ここまで来れば大丈夫だね!」
気絶させられた場所から然程、離れていなかったようだ。
謎の冷却室を抜け、倉庫街を突き進むと港口に出る。
いつの間に、あの土砂降りの雨は嘘のように止んでいた。
彼女は石垣の上に腰を降ろすと、嬉しそうに足をパタパタさせている。
「よかったあ、間に合った!」
本当に……あの男の言葉は真実なのだろうか。
自分は利用されているだけなのだろうか。
「ん? どうしたの、暗い顔して。もしかして、まだクラクラするの?」
「……いや」
「大丈夫? ほら、私に捕まっても――」
「それ以上、近づかないでくれ」
急に怖くなった。
何もかもが信じられなくなっていく。全てに対して疑心暗鬼になっていく。
「え……?」
彼女はきょとんとした表情でこちらを見据えてくる。確かに、助けてもらったのはありがたいことだし、自分を騙そうとしたあんな毒殺野郎の言葉を信じろという方が理解に苦しむ。
けれど、もう嫌なんだ。
全てが。
周りが、疑って掛かる自分が、全てが――。
「ねえ、待って、どうしたの? 本当に気分が……」
「やめろ、来るな!」
「あーっ、わかった。きっと錯乱しているだけなんだよ。大丈夫、少なくともわたしはあなたの味方だよっ!」
「やめろ、来ないでくれ……」
こつん、と足下が石垣に当たる。これ以上はどうやら、下がることができない。
逃げるならばこのまま真横に移動し、林を抜け、住宅街へと逃げ込むしかない。
「触るな、来るな、来ないでくれ!」
「――どうして」
彼女の暗い声が心に突き刺さった。
本当に、自分は嫌なやつだ。こんな彼女を傷つけるなんて。自分の身を護ることで精一杯で、何を信じたらいいのかわからない。
「どう、して」
「シオン……」
「どーして、そういうこと言うの!?」
突然の大きな声に身を竦ませ、倒れそうになる。
とても興奮しているように見えた。こんな彼女を見るのは初めてだった。
「どうして、ねえ、どうしてよ!」
「助けてくれたのは感謝する、でも」
「言いたいことがあるなら言いなよ意気地なし!」
確定した。
彼女は……自分を、満足するための道具に使っている。やましいことがあると、人はその興奮を抑え切れない生き物だ。
感情的になって全てをぼかす方が、幾分も楽だから。
シオンは怒りのままに自分の、胸倉を掴む。
……今は手元に武器もない。もう……どうでもいい。そうだ、最初から無理だったんだよ。
いくらでもピンチはあった。けど全て、自分の実力じゃ抜け出せなかった。
いつ死んでもおかしくなかった。
だから……シオンが満足してくれるなら。
「……どう、してだよお」
「シオン?」
「うぅっ、わたしを……わたしを、嫌いにならないでよう。本当は、悪い子なんだってわかってるの。
ダメな子だって、わかってるの!」
涙で顔を濡らし、倒れる自分の、胸元に顔を埋めて来る。
……彼女は、どうしてこんなに泣いているのだろうか。
突き放したから?
確かに、豹変したのは突き放した直後だ。
でも……なにか、様子が変だ。
突き放したから、というより。過去に似た経験があったから?
「ごめん、なさい、追いかけて、ごめんなさ、だから、嫌いに、ならないでえ……ひぅっ」
「ごめん」
「今まで、騙して、ごめんなさあ――」
泣きじゃくる彼女を、そっと抱きしめた。
彼女はずっと、ずっと……胸の中で泣き叫び続けた。声が枯れるまで、ずっと。
胸元が彼女の涙で溢れぐしょぐしょになっていく。それほど、泣き叫んでいた。
「……落ち着いた?」
「ん、ごめん。はしたないとこ、見せちゃった」
泣く力のせいで真っ赤に染まった顔を、両手で隠すように再び石垣に腰を据えた。
彼女には色々と聞くことがありそうだ。
「……失礼なことを聞いてもいい?」
彼女の前に膝を折り、問いかける。彼女もまた、静かに頷いた。
「どうして、追いかけるような真似を?」
「……」
「ハッキリさせておきたいんだ。実は、捕らえられている時……、ロスト。あの男が言ってたんだ。
ストーカーだとか、満足するための道具として見ている、とか」
「それはちがっ……こ、後者は、違うの」
では前者は、正解、ということだろうか。
「キミのこと陥れようとしていないの。本当なの、信じてよ!」
「大丈夫、だから続けて」
「……うん」
自分の問いに、彼女は面目無さそうに告げた。
彼女は元々、親に愛されて育ったらしい。自分とは真逆の存在。
しかしある日を境に、両親は失踪した。理由は不明だが、近所の噂では「借金」だとか「娘が嫌いになった」とか、好き勝手に言われていたそうだ。
一人暮らしを初めて、高校に通い始めた頃を境に彼女の転機が訪れる。
両親が消えてから、もの静かな子になった。
けれど昔から正義感だけは誰にも負けない子だった。
その日、マンションの向かいに住むお隣さんに一目惚れをした彼女。
名前も知らないけど、彼のことが気になったらしい。
話を掛ける勇気すらなかった彼女は、犯罪行為に手を染めた。明くる日も、明くる日も、彼を双眼鏡で監視する日々。
いざ蓋を開けてみれば、彼は高校の先輩だった。
しかし先輩は、同学年に虐められるくらい弱い存在だったらしい。
そんな先輩を虐めている悪い先輩が、許せなくなり……彼女は一度、彼を救う為に喝を入れた。
その日から先輩が心配になり、マンションの窓から眺めていた関係は崩れ落ちた。
彼女はバレないように、ストーキング行為に及んだ。もちろん、彼には気付かれなかった。
何度も助けた。何度も虐めから救った。
けれど先輩への執拗な虐めは続いていく。
……次第に、何を言っても聞く耳の持たない悪い人達に怒りを覚え始めた。
誰にもバレない場所で、また先輩が虐められているのを発見した彼女は……。
『――大丈夫? せーんぱいっ』
衣服が真っ赤な鮮血で染め上げられ、顔にも返り血を浴びている状態で先輩に微笑んだ。
もちろん、助けてあげたことに感謝されて即、愛を育める……と彼女は思っていたのだろう。
『あ、あ、あ……』
『先輩?』
『ひ……――』
『ひ?』
『この、人殺し――っ!』
『え……』
先輩は腰を上げ、逃げていった。
見捨てられた。助けてあげたのに。彼女に残されたレッテルは、殺人鬼の異名だけだった。