十二話 寒い寒い部屋の中で
今に震え死んでしまいそうな中、謎の部屋の扉が開く。
霞のせいでよくわからないが、人影だということは理解に追いついた。
「……ご機嫌はいかがかな?」
「お、前は……」
陽気な声と共に、あの時自分を陥れた男、ロストが現れた。
寒さに強いのか、外見は防寒具など着込んでいなかった。
震える唇を噛み締め、その目線をやつに向ける。
「そんなに怒らないでくれよ、生かしてやったんだからさあ」
眉を下げ、苦笑いをする。明らかにこちらを嘲笑していた。
しばらく睨んでいたもの、もう抵抗する気力なんてない。抵抗したくとも、手足がかじかんでやつを攻撃する手すらも伸ばせない。
「キミを生かしてやったのには訳があるんだ。実はね、キミがあのヒーロー女と接点があること、知ってるんだよ」
「……――っ」
「アルカの情報だとね、あの女はどうやらキミのことを、自身が満足するための手段として使っているらしいよ」
「――そ、だ」
嘘だ、と声を出したつもりだった。
だが、口すらもうまく回らない。
「嘘じゃない。本人に聞いてみればいい。あぁいやそう死にそうな身体じゃ会いにも行けない、か」
こんな、自分を騙した男の言葉の方が信じられるわけがない。
「気付かなかったの? あの女、巷ではあくどいって言われてるんだよ。
なんでも、ストーカー経験がある、とか。
愛する人のためなら他人を殺してでも手に入れるとか」
黒い噂が一杯だよ、とあくまでも明るく振る舞うロスト。
やつは嘗めるように、バターナイフのようなもので顎を押し上げてきた。
「だーかーら、条件だよ。キミを生かしてあげる。代わりに、あのヒーロー女を三人で甚振っちゃおうよ」
「……っ」
「実は僕、以前からあのヒーロー女にお世話になっていてね。
毒殺、なんて手段を知られちゃったからさあ、他人に飲み物を渡そうとする度に厄介払いされてね。
いやあ、ヒヤヒヤしたよ。今回もまたあの女が現れるんじゃないかって。
でも、キミは猫という犠牲の上で助かった」
男は顎を向けているバターナイフの先で、顎の上を滑らせるように前後に動かした。
余裕の表情を前に、自分は何も出来ず、寒さと体力の限界で段々と眠りに落ちていく。
「ほら、まだ寝せないよ。人の話を最後まで聞く」
チクッとした痛みがくるぶし辺りを襲う。痛みと寒さで思わず悲鳴をあげるが、男は嬉しそうに話を続ける。
痛みの正体は千枚通しだった。こんな甘い考えだから、生き残れない。あの時、アロケルは子供達に言い聞かせたじゃないか。
どうして、こんな苦痛に身を置かなければならないんだろう。
あの時、油断なんてしなければ。
あの時、二人を斬り殺していれば。
後悔は……後から後からついて回る。
「……なっ! あの女を引っ捕らえて、その賞金を三人で山分けしよう。それがいい!」
「……だ」
「なに?」
「――嫌」
些細な抵抗だった。
けれど、あの子を傷つけてしまうくらいなら……自分は。
「ふうん、じゃあここで死んでもいいんだ。あっ金はもう返さないよ、ショッボイ金額でも、金は金だからね。おいしく頂きましたっと」
やつは不満を口にしながら、千枚通しであちこちを刺して来る。
痛い、痛い。けれどその痛みは、一気に殺してくれるわけでもなく、なぶり殺す痛みでもなく、ただの嫌がらせ程度だった。
それがバカにされているようで余計に腹が立つ。
そんな時、やつのポケットから何かが落っこちた。
やけにほつれていて、薄汚れたボロボロの小さなクマのヌイグルミ。
……なんだって、こんなものを。
そのヌイグルミに触れようとした瞬間、やつは血相を変えた。
「――触るなッ!」
息を上げ、突然とこちらに牙を向ける。
まるで別人だった。
先の余裕どこへやら、必死の形相でクマのヌイグルミを抱きかかえる。
「はあ、はあ。くそッ、興醒めだ」
やつはクマのヌイグルミを再びポケットに収め、立ち去った。
妙にピリピリしていたが、とても大事な物なのだろうか。
ロストが扉を開けた瞬間、アルカと鉢合わせしたようだ。やつは怒りを胸に留め、明るい表情を取り繕った。
「――ロスト様」
「アルカか。今終わる。さあ行こうか――ん?」
ロストは彼女に近づく。何かの異変を感じたようだ。
「アルカ? おい、アル……」
「ロスト、様っ」
腕にもたれ掛かるように、アルカはロストに倒れ込む。息を上げ、気持ち悪そうに震えている。
「どうした、おい、アルカ!」
今度こそ本当のピンチ到来らしい。非道な話、当然の報いのような気がした。
演技が演技でなくなる日が訪れたのだから。
ロストは彼女を抱きかかえる。その時に触れた背中に違和感を覚えたようだ。
恐る恐る目元に手のひらをもっていくと、陽気で端正な顔付は、徐々に絶望の表情へと堕落していった。
「血……?」
「様、に、げ」
「アルカ、アルカああ!」
何者かの手がスッと伸び、まるで糸で操られた人形のようにロストの手から消えた。
誰かに連れ去られたのだろうか。こちらからでは様子が見えない。
「う、そ、だろ。あああ」
あの男だ。ロストは憤怒に身を滾らせた。
瞬間、自分を放って謎の影を追いかけていった。
恐らくロストは、この場に帰って来ない。
……凍え死ぬのかな。自分は。