トロル
怪物が少年に向けて振るった腕に、飛び込んだ頼光は手刀を入れた。くるくると切り離された腕が飛んでいく。吹き出る血しぶきは浴びない位置に立つ。
「妹をかばうなんて、よく出来たお兄ちゃんだなー」
「かばわれる妹の気持ちは分かりませんか?」
頼光の声音は嬉しそうに響いたが、横にいる静璃はどこかうんざりしているようだった。しかし彼女はその言葉の後には、素早く倒れていた少年に手を貸して後ろの二人の所に連れて行っていた。よく出来た妹だ。
「あ、ありがとうございます! あ、あなたたちは――」
後ろの少女に問いかけられて頼光はそうだな、と言った後ちょっと笑って、
「通りすがりのただの学生さ」
「……いえ。不本意ですが兄さまは、伝説の〈勇者〉とかいうやつです」
静璃に訂正されていると、シュウシュウという音が聞こえてきた。
先ほど地面に切り落としたモンスターの手首が、溶けるように消えていくのだ。そしてそれに合わせてモンスターの腕が再生していくのが分かる。
――トロル、か?
向き直り、青い肌をした巨大な人型の怪物を見上げた。長い樹齢を生き抜いた巨木が動きだしたような節くれ立った肉体。いびつではあるが人間と動物の中間のような顔。粗末な衣服らしきボロをまとっている。そして凄まじい臭気。
頼光はトロルを見るのは初めてである。
いや、厳密に言えばこの怪物によく似たモノと戦ったことはある。しかし〈地球〉にいるそれらは魔力によって、脅威という概念が受肉したモノ――平たく言えば実体化した幻想だ。
だがこいつは何かのゲームで見たトロルにそっくりなのだ。
「気をつけてください、トロルには強力な再生能力が――」
「ああ、こういうのは焼かないとダメか」
「は、はい」
再生する怪物には、火。神話などでもよくある話だ。一部のゲームでも再現されている事が多い。
〈女神スー〉が言うように、〈地球〉出身者なら当たり前の発想だ。しかしもしかするとこちらではそうでもないのかも知れない。少女からは軽い驚きが伝わってきた。
「しかし面白いな。再生するとちぎれた部位の方が消滅するのか」
頼光の知るファンタジーにトロルを餌にしてドラゴンを飼育する話があったが、そう上手くはいかないようだ。確かにそうでなければ、トロル一匹で多くの食糧問題を解決出来てしまうかも知れない。常に空腹に苦しんでいるトロルには皮肉すぎる話だ。
「それにしてもこれは凄いぞ……?」
思わず顔をしかめる。それはニオイの話だった。凶悪な再生能力を維持している新陳代謝のせいなのだろう。どうやら静璃が大人しく下がったのはこの臭気のせいらしく、簡単な術で風向きを変えている。
「おっと」
考えに没頭していた頼光の頭を掠めるようにトロルの生え替わったばかりの腕が振るわれた。細い木ぐらいならなぎ倒しそうな威力があったが、身を屈めるのが素早かったので問題はない。
再び、今度は乱暴な前蹴り。
威力はあるようだが、あたらなければ意味がない。巻き上げられた土砂の方が面倒だ。視界を塞ぐし、吸い込めば呼吸が乱れる。
頼光としてはこれは色々参考になるケース、と考えていた。
どこかでこちらの世界のモンスターの強さを知る必要があったのだ。このトロル、その試金石としてちょうどよさそうだ。
基本的に〈地球〉のモンスターは自然の一部ではなく、危険という概念や人々の抱く恐怖が具現化したものだ。例えば魔王城で戦ったチュパカブラなどがそうだが、本来ヤギの血を吸う事から命名された未確認動物が、強豪ひしめくガードモンスターの中でも手強い部類というのはおかしい。あれはチュパカブラというイメージに、魔力が受肉したからなのだ。たまたま注入された魔力の大きさが強さを決定している。
だがここ〈イル・スー〉のモンスターは違うようだ。種として定着するところまで馴染んでいる事が感じられた。トロルにしても、今は遠巻きに取り囲むだけのゴブリンらしきモンスターにしても、その衣服の汚れかたや筋肉の付き方、歩き方の癖などに個体差が読み取れる。こいつは普段からまじめに狩猟しているのだろう、とかこいつはサボっているな、というのが分かる。
〈女神スー〉にはRPGと説明されたが、
――ゲームとは違うな。
軽く考えている部分があれば改める必要がある。ゲームっぽく思える印象だけで行動すると足下をすくわれる事があるかも知れない。ここは現実なのだという認識を引き締めなければならないだろう。その時、
「お兄ちゃん……!」
「マグダ!」
静璃がかばう後ろの二人から、無事を喜びあう声が聞こえた。しかしその声色からはまだ恐怖と緊張は解けてはいない。
頼光はそれを聞いてトロルに向き直り、そして気付いた。
――俺はバカだな。
この状況が色々試せる機会だとか呆れる、と自分を叱責した。これはゲームじゃない。こんなことでは〈勇者〉失格だ。
頼光は人差し指だけ立て、残りは軽く握った。そこに魔力を集中すると赤い刃が形成される。
トロルはその様に警戒心を刺激されたのか、慌てるように拳を握って襲いかかってきた。
だが、遅い。
「え……?」
後ろからそんな声が聞こえる。
一呼吸掛からない時間で、トロルをバラバラにしていた。
「もしこの状態からも再生したら驚きだが……」
その心配はもちろん杞憂であった。
一応警戒していたが、あたりに落ちた肉片たちが再び動きだす気配はない。もしそこまでいけば、もはや再生どころの能力ではなく、不死身とかそんな世界である。
頼光は指先に集中した魔力をふ、と息で吹き消した。もちろん本当にそんな事が出来るわけはなく、その動作にあわせて技を解除しただけだ。
「少しやり過ぎだったかな」
そもそも赤い魔力刃は炎の属性効果が付加してあるので、再生能力が働こうとしても封じられたはずだ。念には念を入れて細切れにしてみたが、そこまでの必要はなかったようだ。ちなみにトロルの消化液は何でも溶かすと聞くので、胃袋の辺りはわざと大きく刻んだ。
ゲームで調子に乗って斬撃属性の大ダメージを与え、『酸の反撃』とかいう特殊能力で痛い目にあったのはいい思い出なのである。
「う、うそ……何、今の? あんな一瞬で……」
「スゲ-……」
「ほ、ほんとに〈勇者〉なのかな……?」
そして――
ゴブリンたちの耳障りな悲鳴。
すぐには何が起きたか判らなかったようだが、状況を理解すると慌てて逃げ出していった。追撃するべきだろうか、と考えたが今はやめておく。この程度の数なら追いついて掃討するのに大した時間は必要ないが、そこまで行くとギャラリーたちから見て怖すぎるだろう。
だが、
「なに? 魔力?」
残留する気配を察してトロルの死骸の中を探ると、反応したのは石だった。すぐに拡散するはずの残留魔力が結晶化したような不思議な状態になっている。
「すごい、なんて純度!」
さっきアドバイスをくれた少女が、それを見て素直な驚きを口にする。
「ルミアナ姉ちゃん、これ魔石だよね!?」
「ええ……! 魔石はモンスターを倒した際に現れる魔力の結晶。やっぱりこのトロルはとんでもない大物……」
「すげぇ! これ結構な値段がつくんじゃない?」
今度は少年がキラキラした目で、興奮している。
「ちょっとお兄ちゃん! そんなことより……」
「あ、そっか……」
妹が兄をたしなめ、それに謝る兄。
二人は顔を見合わせた後、頼光のところへやって来た。そして全く同じ動作でぴょこんと頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとうございました!」
声まで綺麗にハモっている。おお、と少し感動した。そして再び少年は顔を上げ、尊敬のまなざしで頼光を見た。
「ねぇねぇ、さっき言ってたのって本当なの?」
「ん? なんの話だ?」
「ほら、さっき兄ちゃんが伝説の〈勇者〉って……」
好奇心がその幼さの残したワンパクな表情からにじみ出している。
そこに静璃がなぜか少し怖い顔でバッと間に入った。
「に、兄ちゃんって――あなた!」
「おい、静璃……」
「言っておきますが、兄さまは私の兄さまであって、あなたたちの兄ちゃんではありませんからね!?」
「……」
そのあんまりな物言いに、思わず赤くなり頼光は、顔を見られないように片手で覆ってしまったのだった。
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