女神2
「……………………」
ポカーンと口を開けたままフリーズする和装幼女。
〈女神スー〉と名乗った彼女の後ろでは付き従う天使が、どこかと交信するように耳に手を当て、無言のまま遠くを見つめている。
頼光と静璃はいたたまれない心境のままその光景を眺めていた。
天使が何をやっているのかよく分からないが、なんとなくトラブルに対してアイドルのマネージャーがスマホで事務所と連絡を取っているような感じであった。
やがて何かを受信したのだろう。彼女は相手に見えるはずもないのに何度か頷く動作をするとスマホを切り――ほんとに電話していた――まだ停止したままだった〈女神スー〉に、そっと耳打ちをした。
ちなみに顔を寄せたのは頭の上にちょこんと生えたネコ耳の方である。それは言葉を聞き取る時もピクピクと動いていたので、ネタやキャラ付けのためのアクセサリーではないのだろう。
「まさか! 本当に……?」
〈女神スー〉の顔色は、みるみるうちに青ざめていく。
彼女は頼光の方をじっと見て、しどろもどろに話し始めた。
「あー、おほん、ごほん、えへん」
「…………」
ずいぶん気が進まないようだが、それでもちゃんと言わなければ始まらないとやっと覚悟を決めたのか、そこで一度頼光の目を見て、また逸らしながら今度は本題を切り出してくる。
「ひ、ひょっとして……もしかして……いや、万が一にもという話なのじゃが、まさかお主は御船頼光さんじゃったりする?」
「そうだけど」
「マジで!?」
ロリ女神の顔色はとたんに蒼白になり、その場にガクッと崩れ落ちた。
「や、やっちまった……」
ネコ耳の自称女神様は、頭を抱えて蹲り、見ている方が哀れになるくらい取り乱しているのが分かった。ネコ耳もペタッと頭に伏せてしまっている。
それを見て頼光はおおむね事情を察したと思った。
「……つまり、俺たちを召喚したのは何かの手違いかな?」
「こ、こんなはずでは……。わしは地球の神から、一山いくらの〈勇者候補〉を譲って貰うつもりじゃったのに。そのために大人気スィーツで買収まで――」
何か聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がするが、スルー推奨と考えて聞こえていないふりをする。
だがいまだに構えたままだった静璃がすっと一歩踏み出して凄み始めた。
「今、兄さまの事を〈勇者候補〉だとか、一山いくらだとか言いましたか?」
「ひィっ!? なんじゃこのおっかない娘さんは! この人〈勇者〉の卵にしてはおかしくない!?」
再び天使が交信を始め、やがて怯える女神の耳元にまた何か囁き始めると、彼女の顔色が目に見えて悪くなっていく。
「え、〈四天王〉!? 何でそんなのが……」
どうやら手違いどころか、かなりの大間違いが起こっているらしい。ふぅと溜息をこぼす頼光。
「とりあえず戻せるものなら、〈地球〉に戻して欲しいんだけど?」
するとロリ女神は露骨にギクッと体を硬直させて、ギギギとロボットのように頼光を向いた。
「そ、それは出来ません、のじゃ……」
「……どういう事でしょう?」
最初の反応から見当がついていた頼光は落胆する事もなかったが、静璃の方は違ったようである。
冷たい口調で問い詰められ、正面からギロリと見据えられたロリ女神は、すくみ上がって天使の後ろに隠れようとするが、何故かガシッと肩を掴まれて前に出される。
「え、何で?」
正面から静璃に差し出される形になった女神が口にするのは、あっさり裏切った天使への恨み言だった。
「それで、どういう事なのですか?」
「も、もちろん二度と戻せん訳ではないぞ? ただ、先程使った召喚魔法の仕組み上すぐに元の世界に戻すのが難しいというか何というか……」
「ほう?」
すでに静璃の視線の温度は絶対零度に達しつつあり、怯えたロリ女神はひどい目に遭わされそうな予感に怯えてゴクリとノドを鳴らしていた。
――なるほど。
一方、頼光は今の説明で一つの謎が解けたと思った。
先程の強制転移は、ただ場所を移動させるようなものではなかったのだ。
複雑な運命に関係する魔術。いわゆる〈勇者召喚〉――。
それならあれほど劇的な効果があっても納得がいく。そしてすぐには戻れないというのも納得だ。下手すれば調整に年単位の時間が必要でもおかしくはない。
「静璃、落ち着きなさい。まず話を聞いてから――」
「しかし……いえ、兄さまがそうおっしゃるなら」
「おお、さすが本物の〈勇者〉は度量が広いのじゃ!」
「うん、反省がないようだから話を聴いてから改めて折檻しよう」
「しっかり反省しておるから許して欲しいのじゃっ!? つうかお前まで納得しておるのはおかしうない!?」
女神を捕まえているヴァルキリーが頷いていたのである。
〈女神スー〉の話はわりと単純だった。
彼女の管理する世界〈イル・スー〉が〈魔王〉の脅威にさらされており、それを何とかするために〈地球〉から〈勇者候補〉を借りる取り決めが行われたらしい。
〈勇者〉が生まれにくい〈イル・スー〉とちがい、〈地球〉は潜在的に〈勇者〉になりうる能力者がかなり多いからこうした要請は多いという。
「――しかもじゃよ? 別の世界に行ってもらうなんて、説明だけでも面倒くさいのに、〈地球〉の人間には異世界転移モノとか、ファンタジーRPGみたいなもんだといえばすぐに通じるのじゃ」
「召喚される側はたまったもんじゃない話だな」
「いや、それは……でもでも普通は死んでその世界と縁が切れた者に転生してもらうところ、わしの場合は死ぬ前に助けて転移させておる。これは感謝されてもいいのじゃないかのう?」
「? 俺は別に死にかけてなかったぞ?」
「え?」
頼光は静璃の攻撃にはカウンターする準備をしていた。もちろん妹の命を奪うつもりもなかった。
「…………」
またヴァルキリーがどこかと連絡を取って何かを調べている。そしてその後、また耳打ちが始まり、〈女神スー〉はカチンと硬直した。
そして引き攣った顔でこう言った。
「…………頼光、お主変な小細工をしておるのな? お主にかかったその『七日後に死ぬ呪い』のせいで運命を読み違えたようなのじゃ――ってゆーかこれはわしじゃなくてこのヴァルキリーのミスじゃけどね!? なんか他人事みたいにすっとボケとるけども!」
さっきと逆に矢面にたたされそうになったヴァルキリーは、女神の手をさっとかわすと逆にぺち、とはたいた。
「イタ!?」
怯んだ隙に懐から何か取り出すと、素早く地面に叩きつける。
「うお!? 煙玉じゃと! 逃げるとは卑怯者めーっ」
ロリ女神がさんざん騒いだ後そこに立ち込めた煙が晴れると、ヴァルキリーは相変わらずの無表情でぼうっとそこに立っていた。
「いや、何がしたいんじゃお前はっ!?」
胸ぐらを摑み上げている。
取りあえず服がはだけそうなので頼光はそっと視線を逸らした。するとその視界の隅で静璃が二人の方へ怒気も露わに近付いていくのが分かった。
「? 静璃――」
「呪いの事が分かったのなら、なんとしても兄さまをもとの世界に戻しなさい!」
叩き付けるように叫んだ。
「ちょ!? 一体どうしたのじゃっ?」
「兄さまの命はあと一週間。それだけの覚悟をもって〈魔王〉に挑むつもりだったのです! それがこのままでは無駄死にになってしまいます!」
「おい、シズ。少し落ち着いて……」
「お兄ちゃんは黙ってて!」
頼光が昔の呼び方をしたので、つい彼女の方も素が出てしまったような感じだった。
そして静璃がその双眸からはぽろぽろと大粒の涙を零し始めたので、一同はしんとなった。
彼女は、きっと女神を睨む。
「……頼光兄さまがそこまでしようとした理由。なぜだか分かりますか? それは学校に行きたいからだそうですよ?」
「…………」
「留年なんかしたら、妹である私にかっこ悪いと思われるって。すでに来ないと分かっている来年、同じ学年にならないように……私なんかの兄でいるためにそうするんだって……!」
彼女はふるふると震えていた。
それを聞いて頼光は、あの時ミスキャストだった静璃が、正体も隠さない怒濤の攻撃を始めた意味を知った。結局全力であっても、どちらが強いかは問うまでもなかった。それを承知で彼女は、今の自分の全てを兄にぶつけたかったのだ。もちろん負けると知りながら。
というところで女神が、
「あの、頼光は死なんよ?」
「えっ」
「そうじゃろ、頼光」
「え、えーっと……」
頼光が壮絶な覚悟をしていると思い込まれた時、伝えなかったことがある。
それは呪いを受けたのが〈妖精郷〉であるということだ。
実は〈地球〉と〈妖精郷〉では時間の流れ方が違っていて〈妖精郷〉で一日を過ごすと、こちらでは二十年程が経過する。童話の浦島太郎が竜宮城から地上に戻ると長い時間が経っていたのと大体同じような現象である。
そのため、〈妖精郷〉で七日後に死ぬ予言を貰っても、実は〈地球〉の百四十年後に死ぬことにしかならないのだ。
途切れ途切れにそんな事を説明する。
「…………兄さま」
「いや、あの……。ミスキャストが静璃だって気付いてなかったし……」
「ばかあ!」
彼女はわぁっと体育座りして膝に顔を埋めた。その直前に見えた表情は真っ赤っかだった。
「ひどい奴じゃのう」
「さいてー」
「いや、無言キャラかと思ったら喋るのかよ!?」
頼光はいたたまれない気持ちだったが、ヴァルキリーにはツッコミをいれた。
***
「取りあえず行ってみるか、その異世界」
「何じゃと!?」
「兄さま!?」
ロリ女神が驚き、跳ね起きた静璃はズイッと顔を近づけて来ている。
「いや、だって困ってるみたいだし?」
「何を言っているのですか、いくら何でも人が良いにもほどがあるでしょう!?」
「でも、どうせすぐには戻れないんだから、仕方ないだろ? それに別に始めてという訳でもないし」
「え?」
「いや、ゲームだけどな」
ああ、と頷く周囲。
ゲームで遊んだ話と思われているようだが、実際にはゲームの世界を救いに行った話である。長い間〈勇者〉として活動していれば、ゲームや絵本の世界に行く事の一度や二度はあると思うのだが、同意をもとめられる内容かよくどうか分からないので黙っておく。
「戻れるまで、ただ待ってるだけなんてのも芸が無いと思わないか?」
「しかし――」
「何だ、困ってる人を助けてこそ〈勇者〉なんだぞ? 俺はこの力のお陰で助けたい人を助けることが出来る。だからこの力のせいで起きることからも逃げない。悪いところまで含めて、全部俺の取り分なんだ」
「本音は何ですか、兄さま?」
「……気にならないか、異世界」
静璃は、はぁと盛大に肩を落とした。
「……分かりました。ですが条件があります」
「うん?」
「私も着いていきます」
「ん? 何だそれ?」
「〈魔王〉の〈四天王〉として寝首を掻くつもりなのです! 怖じ気づきましたか?」
「いや、そういうわけじゃないが――ま、いいか。と言うわけで話は決まったな」
女神を見ると急な展開にすっかり驚いていた。
「良いのか?」
「ま、〈勇者〉は度量が広いらしいからね」
「うん、根にはもっとるよね? いや、いいんじゃけど」
それから異世界へ行くための幾つかの調整を行った。
まず言葉が通じるようにする事。これは〈女神スー〉が言い出したが、文字を含めて言語関係の不自由は無くなるらしい。
次にインベントリ。これは亜空間を利用したアイテム収容能力である。着替えやある程度の食糧なども中に入れて持たせてくれた。
「後、普通ならチート能力の一つも渡すところなんじゃが……」
「いらないかな?」
「私もいりません。身に余る力は破滅をもたらすものですから」
「ふうむ。モテモテぐらいもっていってもバチはあたらんがのう」
「モテモテとはなんですか?」
静璃が尋ねる。
「ん? 異世界モノといえばハーレムと同義語みたいなもんじゃし」
「兄さま……」
「いや、ちがう! 断じてそんな理由で異世界に行きたい訳じゃない!」
必死で否定する。
最後に自分が留守の間の〈地球〉について幾つかの頼みをした。
「そんな事でいいならお安い御用じゃが、むしろそんな事で大丈夫なのか?」
「……大丈夫でしょう」
静璃が保証するのを聞いて、頼光は微笑む。
そしてスーの力を借り、心配ごとを片付けてきた。
「よし、行くか……!」
こうして〈勇者〉頼光は、その妹静璃とともに異世界〈イル・スー〉へと旅だったのであった。
読んでいてだいてありがとうございます! 明日も更新します。