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よりみち勇者  作者: アベ
第二章
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地下迷宮・裏2

 頼光は転移後の感覚が好きではない。

 テレポートの際、一度すべての感覚が遮断されることになるのが、ひどく頼りないと感じるのだ。

 おそらく普段の知覚能力が鋭すぎることの反動もあるだろう。それを一時的に喪失することが、まるで裸にでもされたような頼りなさに通じているのだが、実はそれだけでもないような気もしている。転移中というものは、あらゆるものとの接続が切れたように宙ぶらりんで、自分の居場所なんかどこにもないという事を突きつけられているみたいである。人間はその状態――孤独に耐えられないんじゃないか、などと頼光は考えている。

 頼光は、究極に辿りついた哺乳類にあったことがある。

 そいつ――宇宙鯨は、あまりに巨きく、そして孤高の存在だった。

 それは個として完成しているが故に、他者とのつながりを持たないおそらく唯一の生物であった。神ですら、自らを信仰するものなくして自我を保つことは難しいというのに、それは悠々としていた。

 食糧も、呼吸も、他者との関わりさえも必要としない――

 それは自らが住むべき惑星という寄る辺からすら解放されて、宇宙という無しかない場所にただひとりで漂っている。

 とある理由でそこにいた頼光と出会った事さえ、そいつにとっては数万年ぶりの出来事だという。

 宇宙という所は、イメージに反して圧倒的に広いスケールで何もない場所だ。星と星の距離というのは光の速さであっても、辿りつくのに数十年や数百年を必要とするのだから、星の海などといってもそこはすっからかんなのである。

 だから宇宙は、ダークゾーンのようなニセモノとは違う本物の虚無といっても過言ではなかった。

 視覚的に見える星の明かりなども、実は書き割りの絵と同じなのだ。そこに辿りつくことは出来ないし、もしそこに行けたとしても、その星はすでに爆発して消えているかも知れない。満天の星空の中には、そんな亡霊の光がどれほど混じっているのか。そしてその中を無限に近い時間、唯一、ひたすら泳ぎ続けるのはどんな気分だろうか。……あの鯨は、淋しくないのだろうか? 深い知性を感じさせるあの瞳の奥に、そんなものは感じ取れなかったが、もしかして――

 頼光のそんな感傷的な思索は、不意に打ちきられた。転移が完了するようだ。今度は多すぎる情報が津波のように押し寄せてくる。

 一瞬で世界の全てを知る、といえば言い過ぎだろうが、パニックになっても仕方ないぐらいの混乱が押し寄せてくる。

 世界の傍観者から当事者に転落するような感覚だ。

 文字通り言葉としては、下世しているのだから、あながち間違いでもないのだろう。

 

「…………ふぅ」


 頼光は小さく息をついた。

 転移には罠が仕掛けやすいが、静璃がそんなものに騙されることはあり得ない。もっとも移動先が『いしのなか』などになっていても、頼光が手を打つだけである。

 転移中の無時間も意識を保つ方法が分かっていれば、大したことはない。

 どちらにせよ、転移魔方陣の行き先は、そうした短絡的で回避が簡単な罠ではなかった。もっと確実性を狙ったものだったのだ。


――既視感だな。


 そこは森の中のようだった。たくさんの木々に囲まれている。違和感があるとすれば、そこにいなければならない昆虫や微生物たちの活動を感じないことだろう。


――広い。


 おそらく、一フロア分ぶち抜いて作られている。

 心の中にささくれ立った感情が沸き上がってくる。


「兄さま?」

「……いや、大丈夫だ」


 妹の察しの良さに苦笑する。

 少し感情が荒れ気味なのが伝わってしまったようだ。


「それより――」

「ええ、分かっています」


 静璃は両手に魔力を集め、それを円月輪の形に生成した。腕を回すと、そこに次々と新しい輪が生まれていくのを惚れ惚れとするように見つめる。静璃の動きには、いつも無駄がない。かといって性急さもない。洗練された動作とはこういったものを言うのだろうと感心する。


「格好いいな、その技」

「ふふふ、こちらの魔法を習ったお陰ですね。術の幅が広がりました。これはさしずめ、マジカルチャクラムといったところでしょうか」


 頼光は周囲に気を巡らし、


「ここから先に普通の人間の気配はない。いつもほど手を抜かなくてもいいが――あまりやり過ぎないようにするんだぞ?」

「それは兄さまの方では? 暴れたくてうずうずしてるようですが」

「……こっちに来てからずっと手加減続きで、体がなまってるしなぁ」


 妹と違い、一方の頼光は拳を軽く握ったりしながら、肉弾戦の準備をしていた。その様は軽い運動不足を取り戻すとでもいった調子である。

 もし、こちらに来てからの頼光しか知らない者がここにいたら、腰を抜かすほど驚いただろう。普段あれだけの動きをしている者が、まさか本領ではないというのだから。


「来るぞ」


 この本当の九階層は、罠だった。

 

 頼光は軽く両手を開いて待ち構える。いや、その自然体を構えていると呼ぶのも正しくないだろう。何が起きても当たり前のように対応できるような余裕。それが伺える。

 そこは見渡しの良いはずの大きな広間で、それなのに壁が見えないようになっている。何故ならひしめき合うように見える多くの木々とその影、影影……


 それらは全て『世界樹』だった。

 魔力と瘴気を浄化するため、モンスターという形に受肉する装置。


 通常のダンジョンに召喚出来るモンスターだけでは飽き足らず、こうして大量の『世界樹』を配置しているのは、ここまで来た侵入者を確実に仕留めるつもりだからだろう。余剰魔力から生まれる瘴気を、わざとこの階層に集めてあるのは明らかだ。ダンジョンの構造・目的からすれば、もちろんそのように歪んだやり方は褒められたものではない。しかしこのダンジョンの創造者は、囮のフロアに釣られず、万が一にもその正しい構造を見抜いた者が現れた場合のために、この階を犠牲にしたに違いない。


「この世界樹は、エルフたちを騙して手に入れたのか?」


 頼光の言葉には、普段余りこめる事がない熱のようなものがちらついていた。この場にいない相手への怒りであろう。


「兄さま」

「大丈夫」


 もう一度先ほどと同じ答えを返す。しかしその声には少しだけ苛立ちが隠れていた。静璃がその珍しい出来事に驚く前に、『世界樹』の赤い実が急速に膨れ上がり、そして次々と一斉に爆ぜはじめた。

 さながら花火のような光景。赤い閃光。

 それは森で見たものとはレベルが違った。『世界樹』すら、本来の状態から歪められている。悪意のある方向に。


 そこに現れたのは魑魅魍魎だった。

 山羊の頭を持つ下級のデーモン。自らの首を抱えた亡霊騎士。邪悪なビースト。それらの軍団がもたらす破壊と死の旋風に期待を込め、泣き叫ぶ狂ったバンシーたちのオーケストラ。


 一階層に使える魔力的リソースを、全てモンスターに注ぎ込んでいる。

 世界の、精霊たちの悲鳴が聞こえるようだ。


 悪用された『世界樹』たちは、苦悶しながら瘴気をモンスターに変換し続けている。負の連鎖。

 ダンジョンは地上世界にありながら、この時もっとも地獄に近い場所となったといえる。

 それに対して世界の切り札とも言うべき〈勇者〉は、


「モンスターハウスだ!」


 とか言ってみた。


「……はい? 何ですか、それは?」

「……いや、まぁ」


 静璃には何の事か分からない冗談はさておき、頼光の様子はいつもの頼光に戻っていた。

 そう――らしくないのは、らしくない。

 構えと同じく、自然体であった。


「さて……」


 押し寄せる敵の波の中に、ふ、と頼光の姿が掻き消えた。

 戦闘に特化し、生成されたばかりの怪物たちに感情と呼べるものがあるかは分からない。

 しかし起きている出来事を認識することは出来る。モンスターたちは頼光の姿を見失ってハッキリと我を失った。戦闘中に敵を喪失することなど普通あり得ることではない。そして殺意を向けていた相手が突然消え失せると言うことは、そこに突然空いた穴の中に吸い込まれるようなものである。殺意が虚無に吸われると表現すれば良いのだろうか。深淵をのぞき込むときに感じる、あの墜ちていくような感覚が連続して訪れる。

 しかし怪物たちのその後を心配する必要はない。

 前にいたビーストたちは、悲鳴をあげる暇もなく叩き潰されていった。肉食獣の獰猛さを持つ個体も、草食動物の頑強さを備えた個体も、何の差別もなくひしゃげ、骨が砕けた。頭蓋の中に脳がある者はそれを失っただろう。そうでなかった者たちもどうせ命を失ったことに変わりはないので、大した違いがない。〈勇者〉は残酷なまでに平等だった。

 そこに、亡霊の騎士が突撃した。青白い首なしの馬に命じ、騎乗する戦車(チャリオット)で爆走する。仲間を巻き込み轢き潰す事などどうでも良かった。まき散らされる死の中、死を宣告し、やがてそれを刈り取りに現れるその無慈悲な騎士は予感していた。それは……


「誰かの魂を模倣(コピー)した亡霊の騎士か?」


 頼光は馬を飛び越え、ランスを躱した。そのまま空中を舞って一閃。

 戦車の車輪は壊れ、手綱は引き千切れ、騎士はその甲冑ごと断たれて分解していた。

 そのデュラハンが小脇に抱えていた人間の顔が、最後に見せたのは喜びの色であり、彼は頼光に何かを言ってそのまま消え失せた。感謝の言葉だったのだろうか。


「精神的にクるから、そういうのはやめて欲しいなぁ……」


 格好良い言葉の一つも出てくれば良かったが、あいにく思いつかない。

 もし彼の攻撃が騎士を解放したのなら幸いだ。

 頼光は着地するや、次々と敵を倒し始めた。

 全て徒手空拳。蹴りや手刀、そして歩法を活かした投げ技で集団戦を制していく。

 斧を振り下ろすデーモンの懐に潜り、肩を当てていく。それは鉄山靠と呼ばれる技だ。さすがに中国拳法を習ったことはないが、それを使う相手と戦った事がある。技というのは狙ってやるのではなく、必要なときに引き出されるものである。

 それがどのようなシチュエーションで活きてくるのか知っていれば、自然と体が動くのだ。これは頼光が凄いというより、かつてこの技を放った相手が凄まじかったからこそ、伝わってきた事だった。その相手とはすでにかつての強敵であるが、もうこの世にはいない。もしこうして最後に戦った者の中に、自分の技が息づいているのを見たら、どんな気持ちになるだろう。

 どう? 悪くなかったんじゃないか?

 そう聞いてみたい。


――まだまだだな。


 だが、そんな事を言われそうな気がして、頼光の口元に笑みがこぼれた。

 頼光は囲まれても気にしない。囲まれたのではなく、囲ませたのだからそれでいい。倒すために近づけさせたようなもの。戦いとは己の中に相手すら取り込む行為である。まるで自分の一部のように相手を動かせるようになる事こそがその究極の境地といえる。


……だとすれば悪鬼羅刹をも自らの内に引き込み平気で操ってしまうこの頼光という男は、どれほどの怪物なのだろうか。モンスターたちはそれを思い知ることになる。


 後ろの敵に首投げを仕掛け、次の敵を裏拳で破壊する。顎を打ち抜いた隙を、タイガーステップと呼ばれる動きで流れるようにフォローし、正面に捉えた相手を二体同時に合気道のように投げ捨てる。

 合気と異なるのは、その落とし方に容赦がない。

 路上の投げ技が危険と言われるように、堅い石畳のダンジョン内では投げは致命の一撃と化す。一回転して頭から落ち、頚椎を砕かれた妖魔が蛙のような悲鳴をあげた。

 近くの敵を倒し終え、その凪となった空間の中で顔を上げて怪訝そうに妹を見る。


「静璃、何だそれ?」


 彼女もまた人外と言いたくなる魔性の技で敵を倒していた。魔力の円月輪を使った遠距離戦には飽きたのだろう。今はもっと大きな魔力の輪っかを振り回したり、縄跳びのようにその中を飛んだり、体に這わせて回したりしながら敵を切り刻んでいる。


「マジカルフラフープです」

「……色々ひどい」


 特にネーミングセンスが、とはあえて言わなかった。

 頼光が名付けるなら、もっと凝った名前にする。


――例えば、御船流魔輪須放通(マリンスポーツ)とか。うん、これもないな……。


 やがて全ての敵を倒し尽くすまでに大した時間はかからなかった。少なくとも良い技名が思いつくには足りない短さであった。

 いつの間にか現れていた階層ボスのミノタウロスさえ、兄妹のどちらがやったのか分からないままに打ち倒されていた。

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