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よりみち勇者  作者: アベ
第一章
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プロローグ

しばらくは毎日更新の予定です!

 剣と魔法の世界〈イル・スー〉において人間は多くの領土を有していた。

 しかしそれは彼らが、強靱な肉体のモンスターたちより強者という意味ではない。力のないその生き物はまず群れる事を覚え、そして大きく広がることで危険に滅ぼされることを避けてきたのだ。それは誰かを犠牲にすることで、他の者が生きのびてきたということであった。人間は弱いからこそ、繁栄したと言い換えることも出来るのだ。

 では、その人間の先祖たちが、離れて身を置きたかった危険のある場所とはどこか。

 そのひとつが森である。

 森には豊かな恵みがある。食糧。薪。木材。薬草。獣の毛皮……。だから身を守るために壁を作り、街と名付けその中で生活するようになっても、そこから完全に距離を置くことは出来なかった。人間たちの中には森の恩恵を手に入れるために、そこへ入る者が必要だったのだ。それは生け贄を捧げる行為にも似ているが、誰も指摘することは出来なかった。彼らがいなければ、その生活は不便で貧しいものとなるのだから。

 だがこれだけは忘れてはならない。森は与えてくれるだけでなく、奪いとる存在でもあるということを。

 それは十の恵みを渡す代わりに、たった一つを狙っている。生きるための糧を得ようとする者は、かわりに何を要求されているのか。決まっている。それはたった一つしかない大切なもの。


――つまりはその生命である。


     *

 嘘、と言う形に少女の唇が動いた。

 そこはワスタールの街に近いラーンケルスの森林地帯。木々は鬱蒼と繁り、昼でもなお夜闇に近い空間だ。

 森の中の少女は、まさしく森が求めている生贄にされようとしていた。

 彼女の名はルミアナという。

 驚きのあまり声を失ったルミアナは、鼓動が早鐘のように激しく打っているのを感じていた。血液が全身を駆け巡っている。まるですぐ耳元に心臓があるみたいだ。だが反対に顔からは血の気が引いているのも分かる。不思議だ。彼女はこんな時だというのにそれを可笑しく思った。

 森の葉影にぬっと突っ立っている大きなものが、虚ろな眼窩に灯る小さな目でこっちを見下ろしている――そいつが彼女の考えを見透かしてまるで共感するように笑った気がした。釣られて笑みが零れそうになった。

 すんでのところで彼女はそれを堪えた。

 それが正気と狂気の境目だったと気が付き、のどから漏れそうになった悲鳴をぐっと呑み込む。

 ルミアナはそいつの事を知っていた。普通の街娘ならそいつが何者なのかなど分かるはずもないだろう。その怪物の名はトロル。


――腕が立つ冒険者でも、遭遇戦では苦戦を免れない化け物……。


 そんな知識は、彼女が冒険者ギルドで受付嬢をしているから身についたものだった。

 その職種は、冒険者たちを危険に送り出し、自らは安全な場所で報酬を用意しているのが仕事といえる。

 では、なぜその彼女が森などという危険な場所にいるのだろうか?

 答えは、彼女の後ろで震えているふたりの見習い冒険者たちだ。

 十二才の兄が名をカイン、そして二つ下の妹がマグダという。金髪の兄妹だ。兄は死んだ父の背を追ってこの世界に入り、妹も魔法使いの母から手解きを受けてその手伝いをしていた。

 まだ子どもの年齢にある二人に、冒険者ギルドから認められる仕事は安全な場所での薬草採取しかなかった。しかし彼らはこっそりとゴブリン退治の副業に手を出すようになっていたのである。

 それをルミアナが聞いたのは数時間前の事だった。


     *

『森でカインたちがトロルに追われている!』

 ルミアナがいつものように受付業務をおこなっていると、仕事を終わらせて街に戻ってきた冒険者のパーティーが、その報せを持ってきた。

 冒険者たちは怪物に攻撃を仕掛け、何とか注意を引いたが、それ以上の事は出来ずにカインたちは森の奥へと逃げるしかなかったという。

 何故ふたりが妖魔の出る森なんかにいるのか?

 ルミアナは狼狽えた。彼らはもう少し離れた安全な場所で、薬草採取をしている筈だったのだ。

 そして彼女は、周囲から二人がそこにいた理由を聞く。

 ふたりはルミアナに隠れて、森の妖魔ゴブリン退治をしていた。魔石を手に入れ、こっそりと換金していたのだ。そしてそれは母親が病に倒れ、その治療代を稼ぐためであるという。

 ルミアナは二人が初めてギルドのドアを叩いた時から、その面倒をみてきた。いつの間にか情が移り、今ではまるで弟妹のように思えていた。二人が最近になってもっと稼げる仕事をしたいと言ってくるのも、子どもたちがませてきて背伸びしたいのだろうと考えてしまったのだ。もし自分がちゃんとその理由を聞いていれば……。


 対策を決めるにあたり、冒険者ギルドでは慎重な意見が出た。


『森の浅い場所に、トロルのような危険なモンスターが出現したのだ。愚かな見習の救出などより、確実にトロルを討伐する事を優先するべきだ』


 鑑定部の長を務めるその魔法使いの話は、理屈では理解できた。

 そして長い沈黙の後、ギルド長もそれを承認するだろうと分かった。

 だからルミアナは席を立ち、会議室を出た。

『……ルミアナ嬢は感情的になりすぎているようだな』

 魔法使いの声が背中から聞こえた。

 どうせ何か出来るわけではない。そう嘲笑されているようだ。

 しかしルミアナは、我慢できなかった。可能な限りの準備をすると、ギルドを飛び出してしまったのだ。


     *

 ルミアナも絶対に出来ないことに挑戦するほど無謀ではない。

 彼女は受付嬢だが、ある程度冒険者としての訓練も受けている。

 知識に関しては、本職の冒険者たちを上回っている自信もあった。

 しかしその考えは甘かったかも知れない。

 森に入った彼女はさほどの時間もかけず、見事にカインたちを見つけ出すことに成功した。

 ふたりは傷付きながらも、大きな木のうろの中でお互いに身を寄せ合い、不用意に体力を失わないようにしていた。


――もう、心配させて!


 彼女はふたりを見つけたら、まず説教をしようと思っていた。なんて危ない事を! もっと自分を大切にしなさい、と。しかし一番伝えたかったこと、それは……困っているならもっと頼ってほしかった。ということだ。

 だが、

「ごめんなさい、ルミアナ姉ちゃん。怒ってる?」

 そう聞いてくるカインを前にして、彼女はそっと首を振った。

 ふたりがルミアナに甘えようとしなかったのは、彼らが一人前になろうとしているからかも知れない。子どもではなく、もう一人前の冒険者として扱うべき時が迫っているのだ。


 まずは、街へ戻るのが先だった。

 カインたちは夜陰に乗じて逃げることを計画していたようだが、それは良くない作戦である。トロルは陽光を嫌うため、昼間の方が動きが鈍い。森は陽射しを遮っているが、それでも夜になれば自由に動ける範囲が広くなる。それに夜は夜行性の動物が徘徊し、他のモンスターの活動も活発になるだろう。逃げるなら今しかないのだ。

 二人を隠れていた木のうろから出したその矢先、風向きが変わりヒドい悪臭が臭ってきた――


「大丈夫、だ、大丈夫だから…」


 ルミアナは後ろに庇った二人をそっと励ましながら、何が大丈夫なんだろう、と冷静に考えるもう一人の自分に気が付いていた。


 先ほどまでの風向きは、獲物の位置を狩人に知らせていた。目の前のトロルは、獲物を見つけた事にニタニタと不気味な歓びを見せていた。


     *

 トロルが見つけた食料――つまり自分たちに向かって一歩を踏み出すと、饐えたような臭いが鼻をついた。恐怖と悪臭に昼食べたものを戻しそうになる。

 マグダが魔法の矢を放った。それは胸板に突き刺さったが、トロルは気にした風でもない。えぐれた傷痕は瞬くうちに治癒してしまっていた。

「そ、そんな!」

 悲痛な叫び。

 トロルには再生能力がある。

 それを封じるには炎の力が使う必要だ。

 ルミアナはギルドから持ち出してきた『火霊石』を戦闘ポケットの中で握り締めた。この道具は、炎を生み出す。その爆発は数匹のゴブリン程度なら、簡単に追い払えるはずだ。ダメージを与えたトロルに使えばその再生も封じられるかも知れない。

 だがこんなものが何の役に立つというのだろう?

 巨人のような身体を持つトロルと人間の間には、大きな力の差がある。仮に再生能力がないとしても、こんな化け物をどうやったら倒せるというのか。

 再びトロルが歩き出した。

 ひ、とマグダが悲鳴を上げ、カインが妹を安心させるために強く抱きしめたのが分かった。 

 ルミアナはもう一度、

「大丈夫」

 と言ってから、やっと何が大丈夫なのか分かった。

 ああ、そうか。

 この状況で全員が無事に逃げおおせようとすることは、そもそも不可能だったのだと気が付いた。

 犠牲が必要――。

 それなら迷うことはなかった。

 彼女は自分が残酷な笑みを浮かべていることに気付かずに、二人に言った。

「大丈夫、作戦があるんだから! 私に任せて?」

 思ったより声は震えていなかった。

 幸い後ろにいるふたりにその表情を見られることもなかった。


「いい? 合図をしたら後ろを見ないで走るの。何があっても、何が聞こえても絶対に振り返ってはだめだからね」


 ポケットの中で『火霊石』を握るルミアナの手に、ギュッと強い力がこもった。

 これならカインたちは助かる――。

 その作戦は二人が合図で逃げ出すと同時に、『火霊石』を投げつけるという無謀なものだった。

 トロルは激怒する。そして自分は死ぬだろう。それでいい。


 なかなか名案じゃない――。


 トロルは凄まじく強力な胃液のせいで常に腹を空かしている。そこに八つ裂きにした相手の死体があれば、その衝動を抑えきれるはずはないのだ。

 苦手な昼間に出歩いているのも、空腹に耐えかねたのが原因に違いなかった。トロルが食べないのは自分の手足と岩ころだけ、そんな風に言われているくらい食欲に忠実な怪物なのだ。

 大丈夫、上手くいく。

 本当は逃げ出したくなるほど恐ろしくて怖かったが、それで二人が助かると思ったらなぜか大丈夫だった。

 しかしその直後、悲愴な覚悟を決めたルミアナの笑みが凍りつく出来事が起こった。

 辺りの木立を揺らして小さな妖魔――ゴブリンたちが下品な笑い声をあげながら飛び出してきたからだ。この小妖魔たちは自分たちよりも強力なモンスターに侍ることがある。


 まさか――!


 そのまさかだった。どうやらトロルは、ゴブリンたちの王になってしまっているようだ。ゴブリンのうちの一匹が腕を伸ばしたトロルに捕まり、口の中に放り込まれた。耳障りな悲鳴。噴き出した血がバシャバシャと音を立てた。トロルはそれをもったいなさそうに拭っている。しかしゴブリンたちは不条理な仲間の死すら、面白いことのようにはやし立てているだけだ。死んだのが自分でないから良い――おやつがわりにされた仲間の不幸を笑いながら、彼らは逃げることもない。

 兵隊たちは王のために獲物を探していたのだ。まるで忠実な猟犬のように追い立てるために。こうなるとたかがゴブリンなどと侮る訳にはいかなくなる。ルミアナは自分の考えでは誰も逃げる事は出来ないと気が付いてしまった。

 誰か助けが来ないだろうか……

 そんな都合の良いことを考えてみる。だがギルドの依頼状況からこのあたりにいる冒険者たちの現在位置は把握していた。彼らが都合良くこの場に現れてくれる可能性があるだろうか? 無い。では彼女がギルドを抜け出した事に気付いて追ってくるものは? ダメだ。

 ガチガチと音が聞こえた。なんの音だろう? それは歯の根がかみ合わず、震えている音だった。


 そうか。怖いんだ。


 怯えるカインたちを慰めてやらなければ。そう思った。違った。それは自分の奥歯が鳴っている音だった。恐ろしさにマグダが泣き出したのが聞こえた。

「だ、大丈夫、だだ大丈夫だから…!」

 もはや大丈夫な事など一つも無かった。その時、


「うああああああっ!」


 突然マグダにすがりつかれていたはずのカインが彼女を振り払い、ルミアナの横から飛び出して行った。父親の形見の片手剣をぶるぶると揺らしながら構えてトロルに向かって突き進む。

「お兄ちゃんっ!」

 マグダの絶望的な悲鳴。立ちすくんで動けないルミアナ。

「逃げろ、マグダ! ルミアナ姉ちゃん!」

 巨大なモンスターに小さな少年の無謀な剣が突き刺さった。そして、それだけだった。


「あ、あ……!?」


 脚を動かされただけで少年は倒れ、ゴブリンたちはそれを嘲笑った。その彼に向かってトロルはいびつに歪んで節くれ立った腕を伸ばし――鮮血が散った。

 クルクルと回転して落ちたのは、トロルの手首だった。


「え?」


 事態を受け入れられず、ルミアナの声が上擦った。しかし突然現れた黒髪の男は意に介すわけでもなく、悠然とトロルたちに相対している。トロルは痛みに凄い悲鳴を上げていた。

「妹をかばうなんて、よく出来たお兄ちゃんだなー」

 その青年はなぜか嬉しそうに言った。

「かばわれる妹の気持ちは分かりませんか?」

 彼の横にいつの間にか、こちらも黒髪の少女がうんざりしたような顔で立っていた。彼女は素早くカインを立たせるとルミアナたちの方へ連れてきた。

 どちらもこの辺りでは見ない衣装と顔だちだ。彼らはすごく頼りになるように見えたが、それはその態度がとても落ち着いているからで、実際の年はルミアナと変わらないか下手すれば下なのではないかと思った。しかしその腕が立つのは今のわずかな攻防だけでも明らかだった。

「あ、ありがとうございます! あ、あなたたちは――」

 ルミアナが問いかけると青年は面白そうに、そうだな、と言った後ちょっと笑って、

「通りすがりのただの学生さ」

 と答えた。

「……いえ。不本意ですが兄さまは、伝説の〈勇者〉とかいうやつです」


 そして少女の方がそう言ったのだった。

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