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第六章

 アケメネス女王国の首都コルデスターンに建てられている宮殿内にある執務室のひとつ。

 午後の陽光に満たされて、温かさに包まれている空間の中で、部屋の最奥に配置されている机の前にアフタルが椅子に座っており、

「…………それで、彼の動向はどこまで掴めているの?」

 その質問は、視線の先にいる二人の臣下に向けられたものであった。

「……申し訳ございません、女王陛下。導師と思しき男性の行方は、依然として、把握しきれていません。……ただ、ひとつだけ言えることがあるとすれば、ここ一、二ヶ月ほどのアッパース同胞団が以前に比べれば、活発的な動きは見せておりません」

 と、告げたのは、直立不動の体勢を保っている二人のうち、立派な髭を拵えている老年の男性。

「まぁ、彼らに活動されてしまうとあたし達の方が困ってしまうから、それはそれで安心と言って良いのかしらね」

 と、溜め息混じりに呟いてみせる。

「しかし、アッパース同胞団が組織として、瓦解していない現状を鑑みれば、放置するのは危険に値する存在ですよ。それは、アルケサス帝国との戦争後における内乱を引き起こし、未だ、我々に対して、抵抗し続けている彼らの動向を考えて頂ければ、十二分に理解しておられるかと思いますが……」

「イマードの気持ちも分かるけど、あたしとしては、放置という選択肢もありかな、と思っているんだけどねぇ~~~。なにせ、三年前のあの時に比べれば、内乱という形までには発展していないわけだし、彼らの活動自体も落ち着いてきているのでしょ? それならば、こちらが弾圧行為を積極的にする必要性はないかな、と。……それに、出来れば、このまま泳がせときたい」

「泳がせときたい……。つまり、それは導師の行方を追う為に、ということですか?」

 そう囁いたのは、老年の男性の傍に立っているもう一人の男性であり、イマード、という名前の人物であった。

 女王陛下は首肯した後で、右肘を机の上に乗せると右の掌に自分の顎を置き、

「うん。彼さえ捕縛すれば、今後こそ、アッパース同胞団は組織として瓦解に追いやられることが出来ると思う。だからこそ、慎重に尚且つ、細心の注意を以って、お願いするわ」

「「仰せのままに……」」

 二人の返答を聞きつつ、椅子に密着していた尻の位置を微妙にずらしながら、両手を組み、んー、という声を漏らすと同時に背筋を伸ばし終える。はぁ、と細くて長い息を吐き出してから、深呼吸を行い、新たな酸素を肺の中に取り入れる。アフタルのふっくらとした唇が開き、

「…………まったく、兄さんはとんだ土産物を残してくれたわね」

 と、小声で愚痴っていた。

 二人の男性が不思議そうに互いの顔を見合わせたのも一瞬の出来事であり、己の両眼を主君である女性に焦点を合わせたイマードがおずおずといった雰囲気で喋り始める。

「アフマド様がどうかされたのですか?」

「ん? あぁ……、なんでもないわ。……それにしても、ファーティマは今頃、何しているかしらね? あたしもあっちに行きたいなぁ~~~」

「「それだけは、お願いですから勘弁してください」」

 男性達から即座に否定されてしまい、左右の頬を膨らませた自分は、良いじゃないのよ、とふてくされ気味に言葉を返す。

「いえ、良くないです。そもそも、我々が目を離した途端に、ふらっと急にいなくなるのもいい加減にやめて欲しいのですが……」

 老年の臣下は、机の前まで来ると、左右の手をその上に乗せて、諫言する。

「そうですよ。貴方様を探す俺達の身にもなってくださいよ」

「えー。良いじゃないの、それくらいは……。ここ最近は、机にかじりついての仕事が多すぎるんだもん。だから、あたしだって、たまにはリフレッシュしたい~~~」

 握り締めた両手で机を叩き出して、駄々をこねるように発言するアフタルを渋い表情で見つめていた二人の男性は、両肩を落とし、はぁ、と溜め息をこぼした。

「……分かりました。どうにかして、こちらで予定を調整して、休みを作りますから……。それまで、お待ちください。宜しいですね?」

 老年に差し掛かっている臣下の発言に、あら、良いの? と目を瞬かせながら、驚きの声を上げてみせると、

「そうでもしないと、俺達の苦労がさらに増えるだけですものね」

「嫌だわ。あたしが貴方達に苦労をかけたことなんて、ないじゃないのよ」

「「…………」」

「二人とも、なんて顔をしているのよ?」

 んっんっ、とこれみよがしに咳払いする男性達に焦点を合わせて、アフタルは口の端を吊り上げて、苦笑の形に曲げると同時に、

「それじゃあ、この件に関する話は纏まったことだし、もう下がっていいわよ」

 と、告げた。

 二人の政務官は、一礼してから退出する。

 臣下達の姿を見送ったアフタルは、ふぅー、と細くて長い吐息を吐き出した後で、両手を組んだ状態で上に持ち上げ、凝り固まっていた背筋を伸ばしていく。

 執務室には、いま現在、女王陛下が残っているだけであり、だからこそ、それにしても、と囁かれた一言が空間全体に鳴り響いて波及し、

……アッパース同胞団、か。相変わらず、手こずらせてくれるわね。

 隣国との戦争が終結して、一定の時間を置かないまま、アケメネス女王国に内乱へと導いていた組織のことについて、考えを巡らせながら、

「あぁ……。本当にめんどうくさい問題が次から次へとやってくるわね。こんなことなら、ファーティマ達に着いていく方がよかったかも……」

 と、差し込まれている陽射しを眩しそうに見つめながら、アフタルは心の裡にある思いを半ば無意識に漏らしていた。

 


 翌日、午前の時間帯。ヤンブを出発したファーティマ達で構成された馬車の行列は、次の目的地であるリヤードに向けて、移動している最中である。

 陽射しの照り返しが強い広漠な大地を進むこと、二時間近くが経過した頃に、旅の一団は現在進行形で思いがけない足止めを喰らう羽目になっていた。

 停車している馬車の内部の構造は、対面式の座席になっており、いま現在、ファーティマとレザーとマフナーズが腰を下ろしており、侍女がいる方の幌が捲られている。

 そして、外側にいるのは十代後半と思われる見習いの兵士であり、三人が乗っている馬車の御者役も務めている彼は、現状報告を行っていた。

「盗賊が出たの?」

 と、応じたレザーに、御者の少年は頷きを返すとともに、

「不届きな輩達の手によって、前方と後方を塞がれておりまして……」

「達、ということは、どれくらいの人数なの?」

「えっと、そうですね。ざっと、十数人程度かと思います。……ですが、ファーティマ様、ご安心してください。我々の中には、実戦経験豊富な者達が数多くおりますので……」

「そうなの?」

「はい。アスワドさんやシャーヒーンさんと云った……。あっ、ファーティマ様に名前を言ったところで分かりませんよね。たはは……。これは、申し訳ございませんでした。それと少しだけ、話が逸れてしまいました。えっとですね? ただいま、盗賊達と交戦中ではありますが、どうにかして、レザー様とファーティマ様を抜け出させるための道筋を作りますので、その間に脱出してください」

「この状況下で、私達で逃げられるの?」

「そのことでしたら、大丈夫ですよ。貴方様方に護衛の人々が付き、先導させる手はずになっておりますので……。それまでの間は、お待ちになってください」

「うん。ナイーム、ありがとうね」

 王子から、ナイーム、と呼ばれた見習いの兵士は、穏やかな笑顔になると同時に、それでは、失礼いたします、と一礼してから、この場を立ち去る。

 彼の後ろ姿を見送っていたマフナーズが捲られていた幌を元に戻した。

「なんだか、騒々しくなってきたみたいだね」

「そう、みたいね。……それにしても、この人数で盗賊達に勝てるのかな?」

「あぁ、そういうことなら、大丈夫だよ。なんたって、こっちにはアスワド達がいるからね」

 正面の方向。自信満々に語るレザーを見据えてから、

「…………。同じことをナイームも言っていたけど、アスワドは強い部類に入るの?」

「それはもちろん、かなりと言っていいほどにね。なんてたって、僕や周りの人々の危機から救ってくれる活躍を何回もこの目で見て来たんだから、アスワドの実力は保証するよ!!」

 レザーの台詞が引き金となり、脳裏の片隅で過去にあった出来事のひとつを思い起こすファーティマであった。



 夕暮れ時。自宅の一室に足を踏み入れたファーティマは、寝台が置かれている位置まで近付いていくと、そこに横たわっているアスワドの容貌を捉えた。

 母さん、父さん、リラー、と己の家族の名前をうわ言のように呟いている少年の声は、どこか嬉しそうだった。

 彼の横顔を見つめていた少女は、目を伏せる。そうすると、アスワドの上に掛られていた布一枚がずれていることに気がつき、直していく。

 その過程で、アスワドは身動きした後に意識が覚醒したようで、あっ、という単音が漏れると同時に己の両眼を瞬かせた。

 一拍の間があってから、

「…………なんだ。今のは、夢だったのか。本当にあのままだったのなら、良かったのになぁ……」

 と、己の片腕で目元を隠したアスワドの唇から落胆の声がこぼれる。

 目の前に居る幼馴染みの少年に掛ける言葉が見当たらず、ただただ、アスワド、と彼の名前を囁くので精一杯となってしまった。

「ん? 来ていたのか」

「うん。そろそろ、夕食時だから、それを伝えようと思って……」

「分かった。支度が済み次第、そっちに行く」

 そう言ったアスワドがゆっくりとした動作で身体を起こし始める間にも、二度、三度と口を開閉させつつ、彼の動きを見据えていた少女は、迷いを得ていた。

 だが、すぐに自分は肺の中に溜まっていた空気を吐き出して、新たな酸素を取り入れてから、

「ねぇ、まだ顔も蒼ざめているみたいだし、横になっていたほうがいいんじゃない? 何なら、アンタの夕食をこっちに持っていくからさ」

 つかの間の沈黙が過ぎ去った頃に、

「そうだな。そうしてくれると助かる。色々とすまないな、ファーティマ。ここまで、お前達に面倒をかけることになるなんて……」

 幼馴染みの少年が喋っている途中で、

「あのねぇ……、今のアンタは病人なんだから、そんなことをいちいち口にしなくて良いの!! 分かった?」

「だけどさ……」

「あぁ、もう、理由がないと駄目なわけ? ……それじゃあ、こうしよう。昔、あたしが近所の男の子連中に絡まれた時、アスワドは助けてくれた。その恩返しを今しているのよ。これで良い? というか、駄目とは言わせないけどね」

「……分かったよ。その通りにしよう」

「それじゃあ、持ってくるから待ってて」

「よろしく、頼む」

 黒髪の少女は踵を返して、移動する。

 


「……あぁ、そうなんだ」

 ほっ、と吐息をつき、胸を撫で下ろした。

 そして、自分側の幌を少し捲り、そこから顔を覗かせて、外の様子を窺ってみる。

「お嬢様、危ないですよ?」

 ほんの少しだけだから、と返答しつつ、戦場となっている前方と後方を忙しくなく顔を振り動かしてみる。

 激しく怒声と罵り声が飛び交っている戦いという舞台で、盗賊達とは対照的な兵士達の一糸乱れていない統率が取れている集団としての動きに、舌を巻く。

 そして、馬車全体が強く振動したと同時に緩やかな速度で、動き出す。

 視線の先。駱駝に騎乗している兵士達が帯同していた。

 十数秒という時間が過ぎ去ると、そこでようやく、馬車の進行方向に当たる場所で混戦模様となっている状況下で一人の青年を視認した瞬間に、アスワド、と半ば無意識に幼馴染みの名前を呟いてしまっていた。

 一瞬という短い時間の中で、すれ違うとともに、ファーティマとアスワドの視線が行き交った。

「お嬢様、馬車が動き始めたので、お戻りください」

 数拍の間を置き、うん、と返事した自分は、幌を下ろしてから、元の位置に着席する。

……アスワド、大丈夫かな?

 彼が戦場に立っていることを考えるだけで心の中が不安な気持ちに陥り、両膝の上に置いていた左右の手を上下に動かすと云った落ち着かない素振りを見せ始める。

 そんな折に、自分の右手が暖かくなる感覚を得た。

 なんだろう? と思い、目線を下ろしてみると、自分の右手首付近にマフナーズの左手が重ね合わせるようにして、優しく握り締めてくれていた。

 昔馴染みの侍女と目が合い、

「必ず、お嬢様を守ってくださいます。ですから、大丈夫ですよ」

 こちらを安心させるような声色がするりと耳の奥に流れ込んでいった途端に、自然とファーティマの口元が微笑の形へと変化していくこととなり、あぁ、と吐息を漏らしながら、

……マフナーズ自身も不安や怯えを抱えているだろうに、こんな時まで私の身を案じてくれるのは、昔からちっとも変わっていないなぁ……。

 と、彼女の気遣いに対して、感謝の念を覚えている間に、

「……やっぱり、アスワド君のことが心配なのですか?」

「そ、そんなことあるわけないじゃないのよ!?」

 マフナーズからの質問に、否定の一言を口にしたファーティマは視線を彷徨わせながら、なかなか次の言葉を発せずにいた。

「ファーティマ、何をそんなに慌てているのさ?」

 少年の台詞で冷静さを取り戻した長い黒髪の少女は、んっんっ、と咳払いを行う。それから、別の話題に切り替えるために、どうしたものかな? と話の種を考える。

 だけど、数秒も経たない内に、諦めることにした。何故なら、隣に座っている相手は、自分が幼い頃から知っている女性であり、だからこそ、ある程度、こちらの心中は見透かされているだろう、と思案したからであった。

「……別にそんなんじゃないわよ。ただ、気に食わないだけ」

「「気に食わない???」」

「……えぇ、そうよ」

「それは一体、どういう意味なのですか?」

「それはその……」

 と、口ごもってしまった瞬間に、ふと、正面の方向を見つめてしまい、レザーと視線を交差させる。

「どうしたの…………っ!?」

 マフナーズが話している最中に馬の嘶き声が鳴り響き、馬車全体が激しく揺れた後で、停車する。

 突如の出来事に、三人は馬車の内壁に片手をついたりなどをしながら己の体勢を保とうとしていた。

 な、なに? と疑問の声を上げ、顔を左右に振り動かす花嫁になる少女を余所に、周囲の音が数瞬前よりも騒々しくなっていた。

「…………。ちょっと、外の様子を見てくるね」

「それでしたら、あたしが……」 

「いや、座っていて良いよ。僕が行くから」

 レザーは、ファーティマの方を一度見てから、そう言うと立ち上がる。

「分かりました。お気をつけて下さいね」

 うん、と返事した王子は、己の隣に立てかけられた鞘に収まっている短剣を手に取り、己の腰に装着すると外の様子を確認するために出て行く。

 その姿を見送った短く切り揃えられた黒髪の侍女は、こちらに己の視線を寄越すと、

「……お嬢様。さきほどの話ですが、アスワド君のことが気に食わないとはどういうことなのですか?」

 ふぅ、と一息をついてから、昨日の出来事であるアスワドとの会話を掻い摘んで喋り始めていく。




「昨日の夜頃から、なにやら浮かない様子でしたから変だなと思っておりましたが、そのようなことがあったのですか」

 彼女は続け様に、

「でも、お嬢様は悲しかったんですよね? 自分の命を顧みない発言をしたアスワド君に対して……」

「分からないわ。そんなこと……。だって、彼がお父様を殺した事実には変わりないわけなんだし、自責の念からなのかは知らないけれど、己の死を望んでいるっていうなら、本望なはずでしょ? なんせ、私達の父親をこの世から奪ったのは、他ならないアスワドなのだから……」

「どうして、彼はアスワド様を殺したのでしょうね?」

 思わず、と云った感じでマフナーズの唇からこぼれた疑問の声に、私にも分からないわ、そんなことは……、と答えようとした時だった。

「はぁはぁ……。二人とも大変だ。早く外に出て、逃げないと……」

 幌が捲られ、現われたのは息切れを起こしているレザーであり、彼の反応を間近で見ていたファーティマとマフナーズは、小首を傾げる。

「外に、ですか???」

「馬車じゃあ、駄目なの?」

「えっと、それが僕達だけで逃げなきゃいけない状況になりつつあるんだ」

 レザーの切羽詰った声音に、二人の女性は互いの顔を見合わせた後で馬車を降りていく。

 ファーティマの視界に広がっている光景。それは、自分達を護衛している兵士達が黒色の長衣を着ている者達と相対している戦いの場そのものであり、

「ねぇ、レザー。あの人達も、さっきの盗賊の一味なの? ……それに、あの不気味な仮面は一体何なのよ?」

 琥珀色の両眼が捉えた前方にいるこちら側と戦っている人々の表情を隠している多種多様な彩りの仮面が彼らの異様さをさらに際立たせている。

「分からない。ただひとつだけ言えるのは、どうやら、さきほどの一味とは違うということだけ」

「どうして、そう言いきれるの?」

「だって、明らかに彼らのほうが統率が取れていて、なおかつ、実力もあるみたいだからこそ、かなり、てこずっている状況に陥っていて、こっちの人数的にも不利だしね」

 砂煙が吹き上がり、緩やかな弧をいくつも描かれている状況下でも、不気味な集団の一挙手一投足は、ひとつも乱れていない。

 戦闘のバランスが仮面で素顔を隠している者達の方へと傾きかけている、という現実が戦闘に関する心得がない自分の瞳に映りこみ、嘘でしょ……、と驚きを孕んだ声を漏らす。

「そう思いたくなるのも分かるけどね……。二人とも、逃げるよ」

 驚きの声をこぼし、全身を強張らせていたファーティマの右手首を掴んだレザーが身を翻すと後方へと進み始める。マフナーズも少女と少年の後ろに付き添い、歩き出す。

「逃げるって言っても、どこに行くのよ? さっきも言ったけど、馬車だと駄目なの?」

 それが……、と呟き、どこか言いにくそうにしている少年の様子に、

……なんだろう?

 と、不思議に思い、疑問の言葉を発しようと桜色の唇を開きかけた瞬間に、彼が喋りだした内容を認識する。

 それは、

「ナイームはその……、数本の矢に刺されて、助けられなかった。それに僕の短剣じゃあ、御者台の手綱を切れない。どうしたもんかなぁ……」

 あの子が死んだ……、という一言を囁いた長い黒髪の少女は、無意識の内に下唇を噛み締めて、目を伏せた。

……彼の上に平安あれ。アッラーの他に神はなし。サラディンの他に預言者はなし。……今は埋葬することは叶いませんけど、必ず、貴方の遺体を運び、埋葬します。それまではどうか、安らかに眠っていてください。

 と、心の中で死者への祈りを唱える。

 それから、レザーの為すがままに片手を繋がれた状態で彼の隣に並び、顔を向ける。

「……あの人達は、何が目的で私達を襲ったというのよ」

「それは、僕にも分からないよ。だけど、みんなが負けじと戦っている以上は、なんとかしてこの場から抜け出さないと……」

 周辺一体を包み込んでいる双方入り乱れた怒声や叫び声に負けじと、己の声を張り上げながら喋りだしている少年に、侍女が話しかける。

「ですが……、徒歩だと追いつかれますよ」

 そこが問題なんだよなぁ……、と囁きつつ、レザーは左右の瞳を忙しなく動かし、何かを探しているようだった。

「でも、本当に逃げ切れると思う?」

「そのことなら心配しなくて平気だよ? ……だって、みんなが僕達のことを守ってくれているからね」

 根拠のない言葉の類ではあったが、それでも、少年の声色にはしっかりと自分達を守ってくれる人々への信頼が滲み出ているのを感じていくと、両肩に入っていた余分な力が抜けて、気分が楽になりつつあった。

「ふふっ……。そうよね、レザーご自慢の護衛官達が負けるはずないものね」

 と、軽口を叩きながら、微笑んだ。

「アスワド達と合流しよう。あそこなら、今頃は戦闘も終わっている頃だろうしね」

 うん、と小さな声で相槌を打ったファーティマを横目でちらりと確認したレザーが満面の笑顔を浮かべてみせるとともに、

 少女と少年の視線が行き交い、微笑していると、あっ、という男性の声が中程度の音量でありながらも響いてきた。

……ん?

 左の方向に顔を動かしてみると、

「レザー様、ファーティマ様!! お怪我はなされておりませんか?」

 三人がいる場所まで近寄ってきたのは、副隊長の一人に当たる男性。彼は駱駝に騎乗しており、生傷が絶えない表情でこちらを見下ろしていた。

「僕達は平気だよ。ファーティマ、そうだよね?」

 首肯する少女を流し見ていた副隊長は、もう一度、主君である少年の方を見つめると、問いの台詞を口にする。

「レザー様達は、どちらに行こうとしていらしたのですか?」

「とりあえず、アスワド達の所に行けば一安心かなって思ってね……」

「なるほど。確かに、あそこならここよりは危険は少ないかもしれませんね。念のために、自分もご同行いたします。……それと、この駱駝をお使いになってください」

 と、言った護衛官は、慣れた手つきで駱駝から降りる。

「えっ? 良いの?」

「はい。三人でしたら、なんとか、この一頭だけで大丈夫だと思います」

 と、駱駝の右側の表面を優しく撫でながら、説明していた褐色肌の男性は駱駝からファーティマ達へと己の視線を動かした。

 そこで、自分はある事に気がつく。

「あれ? 貴方、血がすごいじゃない」

 花嫁である少女は、ローブの内側にある懐から一枚の布を取り出すと護衛官に近付き、彼の右頬にある切傷から流れている血の痕を丁寧に拭いている間に、

「ファ、ファーティマ様!? そんな、自分は大丈夫ですよ?」

 一歩、二歩、三歩と後ずさり、慌てた面持ちで左右の掌を振る壮年の男性を眺めていたレザーとマフナーズは、各々、小さな笑い声をこぼしていた。

 丁度、その時に、

「いたぞ!?」

「みつけた!!」

 レザーと同じく、流し目で後ろを確認してみると後方数十メートルの所にいたのは、仮面を被った二人組であり、彼らとの距離が徐々に縮まっていた。

「自分があの二人を食い止めますので、レザー様達はアスワド達と合流してください」

 少女は、どうする? という意味が込められた視線を王位継承権第二位を有する少年に送る。自分と目が合ったレザーは、こくり、と頷き、頼みます、と告げた。

 副隊長は踵を返すと同時に抜刀し、走り出す。

 ファーティマは護衛官の背中をちらりと見やった後で、前方を見る。

「相手は二人なのに、彼一人で大丈夫?」

「彼は、副隊長を務めるほどの実力者だから問題ないよ」

 それでも、背後の様子が気になり、二回、三回と見やる度に、副隊長を務めている男性が仮面の二人組を相手取り、食い止めている。

 その事実に、これで一安心ね、という感想を抱く一方で、視線の先にいる駱駝を目の前にして、どうしよう、と内心で冷静さを欠いている自分自身がいることを認める。

……見る分にはまだ良いのだけど、乗るとなると未だに苦手なのよねぇ……。

「二人とも僕の肩に足をかければ、高さが足りると思うから」

 駱駝の前まで来ると、片膝立ちの体勢を作ったレザーの背中を見つめていたファーティマは、生唾を飲み干した後でマフナーズの方に振り向き、

「マフナーズ。先に乗ってくれると助かるんだけどなぁ……」

 少女の言葉を聞き、眼の奥を細めた昔馴染みの侍女は、分かりました、と一言を口にしてから、

「それでは、レザー様。肩をお借りしますね」

 無事、駱駝に騎乗することが出来た昔馴染みの侍女を見上げ、今度は自分の番だ、と思い、喉を鳴らしながら生唾を飲み込んだ。

「お嬢様、大丈夫ですよ。あたしもきちんと支えますので安心してください」

 マフナーズは優しさがたっぷりと含まれた声音で言い、こちらへと片手を差し出してきた。うん、と返答した長い黒髪の少女は、彼女の手を握り、彼の肩に左足を掛けるとともに身体を前後させて、勢いをつけるとそこから一気に駱駝の上に登りきった。

 座り心地を確かめている間に、乗れた? というレザーの声が届き、えぇ、と発言しつつ、立ち上がっているレザーと自分の視線が行き交う。

「しまっ……!?」

 と、副隊長の叫び声が響いてきた。

 ファーティマ、レザー、マフナーズの三人は、ほぼ同じタイミングで振り返ってしまう。

 仮面で素顔を隠している一人が護衛官の制止を振り切り、約十メートルの範囲内に黒衣の人物が迫ってきた瞬間に、王位継承権第二位を有する王子が己の腰元に装着している鞘から短剣を抜き放ち、甲高い音が鳴らす。

 小柄な少年は短剣を持っていない側の片手で女性二人を乗せている動物の胴体を一撫でした後で、駱駝をゆっくりと進ませる。そして、仮面を被っている者と対峙する形で前に進みだしていく姿に、

「レザー様!?」

「二人は、早くみんながいるところへ……。僕はここでほんの少しだけでも時間を稼いでみせるから……」

「何をふざけたこと言っているのよ。貴方が危なくなるじゃないの!!」

 上体を捻り、レザーの背中に焦点を合わせつつ、叫んでみせると、

 なんとかするから大丈夫だよ、とそんな言葉が返ってきて、彼は仮面で素性を隠している一人へと突撃を試みる。

 しかし、相対している人物の刀剣によって、いとも簡単に受け止められ、弾かれる。

 仮面の一人が一振り、二振り、三振りと刀剣を動かす度に、大人と子供では体格や筋力の差が如実に表れる結果となり、レザーは劣勢に立たされることになり、切り傷がひとつまたひとつと己の身体に刻み込まれ、血だらけとなる。

 足元が覚束ない少年ではあったが、攻撃の意思は衰えていないみたいで、短剣を構え直した。相手に一撃を与えようとする。

 だが、それすらも謎の人物は半身でひらりと身をかわすとともに、己が握り締めていた刀剣の柄の部分で、少年の後頭部を殴打する。

「くっ……!?」

 彼が体勢を崩しかけながらも反転させようとしていた矢先に、黒衣を着ている者はもう一度、刀剣の柄で横殴りしていた。

 自分がいる位置からでもレザーの頭から鮮血が飛び散り、約数十センチの距離を吹っ飛ばされながら、鈍い音を立てて、横に倒れ伏せる。

……助けなくちゃ。

 半ば無意識にそう決断を下したファーティマは、無我夢中で飛び降り、砂埃を微かに立ち昇らせて、左右の足の裏が地面に着く。

「お嬢様!?」

「マフナーズ。をアスワド達に知らせてね。……それじゃあ、彼女のことを頼んだわよ」

 振り返らないまま、そう告げると同時にレザーがいる場所まで駆け出す。

「えっ……。ちょっと、待ってくだ……」

 少年の方へと歩み寄った仮面で顔を隠している者が大上段に刀剣を振り上げる動作に移ろうとしていた時に、砂利に両膝と両膝を着き、血を流しているレザーの身体に覆い被さるようにして、彼を守るファーティマは、視線の先にいる黒衣を着ている一人を睨みつける。

「ファーティマ……。危ない、よ」

「心配するから、あまり無茶なことをしないで。……貴方達は、何が目的でみんなを襲ったのよ? 金品が目的なら、好きなだけ持って行きなさい。その代わり、私達のことを見逃してちょうだい」

 そこでようやく、

「……ファーティマ様ですね?」

 と、黒衣を着ている人間が男性の特有な声音で問いかけてきたので、えぇ、そうよ、と応じた際に、気付くこととなる。それは、仮面で素顔を隠している者達による包囲網であり、視界一杯に広がるその光景に、鈍い汗が頬を滴り落ちていき、生唾を飲み込んだ。

……ここから、逃げる方法を考えなくちゃいけないわね。

 と、思いながら、慎重な眼差しで周囲を眺める。


 そして、数分後には決着が付くこととなった。




 秋の穏やかな気候が含まれている風が自分の肌を撫でるように触れていく感覚に対して、思いがけない心地良さを得ていたアスワドは、いま現在、盗賊の一味である一人の男性を組み伏せている最中であり、

「放しやがれ!!」

「……おいおい、そんなに暴れるなよ。そうした所で、どうせ逃げられないんだからさ」

 と、己の背中に左右の手首を回されて、丈夫な紐で括りつけられている男性を両膝立ちで跨ぎながら、呟いた。

 そこに、

「アスワド君。そっちは終わったみたいだね」

 馴染み深い男性の声がした方向に振り返ると、こちら側へと歩み寄ってきているのは柔和な表情を浮 かべている同僚の兵士。

「お前の方はどうだった?」

 と、シャーヒーンに話しかける。

「こっちは逃げ切られちゃったよ……。ふぅ、これで、アスワド君が捕まえたものも含めて、あら かたの連中は捕縛できたみたいだけど、それでも、逃げられた者達も何人かいるから、どうする?  まだ彼らを追ってみる?」

 立ち上がった後ろ髪を縛る青年は、捕縛されている盗賊達が一ヶ所に集められている地点を見据えながら、

「いや、そんなことはしなくても良いんじゃないか? どうせ、後のことは、ヤンブの警邏隊がやって くれるだろうから、監視役を二、三人くらい残しとくだけで、問題ないだろ。俺達は、さっさとレザ ー様達の所に合流しようぜ。そうしないと、集合地点に辿り着くのにだいぶ遅れるしな」

「あはは、それもそうだな。それじゃあ、行こうか。ほら、君も立ち上がって……」

 アスワドとシャーヒーンは、捕縛されている盗賊の一人を起こした後で、連れて行く。

 十数秒が過ぎ去り、数十人以上の人々が喋りだしている声が聞こえ、感じ取れる距離にまで詰め寄っ た際に、自分達の位置から一番近い場所にいた四人の不届き者が視界に入る。

 左右の手首を固い紐で拘束されている彼らは、互いの背中を合わせながら菱形に腰を下ろしており、

「ちきしょう!! まったく話が違うじゃねぇかよ。こんなに強いなんて聞いていないぞ……」

 左の位置に座らせられている盗賊の一人が己の両肩を激しく揺さぶりながら苛立ちを募らせた低い声 音で叫んだ。

……こいつはなにを言っているんだ???

 彼が発した言葉の意味が分からず、アスワドは、ふと、この場にいた仲間達の方に目を向けてみると 、みんなも自分と同じみたいで、??? という疑問符が顔色に表れている。

 その間にも、柔和な顔立ちの同僚がさきほどアスワドが捕まえたセレウコス人の男性を少し離れた場所に座らせていた。

「あぁ」

「そうだな」

「うんうん」

 と、肯定の返事が次から次へと盗賊達の唇からこぼれていく。

「なぁ……。もしかして、あいつらは俺達を騙したりしていた、とか?」

 アスワド達がいる方向へと顔を動かしていた盗賊の一人は、横目で彼自身の仲間達を見遣り、己が 抱いたひとつの疑念をぽつりと漏らしていく。

「騙す? 俺達を騙して、あの連中に何の得があるんだよ」

「…………」

「……いや、待てよ。確かにお前さんの言う通りなのかも知れないよな。第一、今回の依頼自体、 そのものがおかしいところがありすぎる」

「おかしい???」

「あぁ。そもそも、この件を依頼してきた奴らは、一体、何が目的だったんだ? こっちが依頼料の半 分を前金で支払うように交渉すると、いとも簡単に承諾されることとなったわけだし、なおかつ、強奪 した金品などは私達だけで配分していいって……。今になって考えてみれば、あの時にきちんと 問い質してみれば、良かったんだ!! そうすれば、こんな捕まる羽目にも…………」

「……そこは諦めとけ。あの時の俺らのほとんどが金欠に陥っていたんだからさ。連中の金が無か ったら、今頃、飢え死にしていたはずだぞ?」

「……それもそうだな」

「確かに……」

 質問者以外の男性三人は、同じタイミングで己の両肩を落としていた瞬間に、不届き者である彼らの 面前へと一歩、二歩、三歩と歩みだしていく後ろ髪を束ねている青年であった。

 どうしたんだ? とか、アスワド? といった問いの台詞を同僚の兵士である人々から掛けられてい き、そちらを流し目で一瞬の間だけ見遣った後で、己の視線を正面に戻す。

 一拍の間を置いてから、

「なぁ、今の話はどういうことだ? それに、依頼してきた、とは一体どういうことなんだ?」

 と、半ば無意識的にその言葉を紡ぎだしていた。

「ん? なんだ……、って、俺を捕まえた奴じゃないか!? 何しにきやがった、俺はお前なんか には、何も言ってねぇぞ。だから、さっさと失せろよ」

「用件ならこっちにはあるから、質問している。だから、答えてほしい」

「…………」

「…………」

 それでも、眼前にいる男性達は、口を開こうとはしなかった。

 両者の視線だけが激しくぶつかりあい、五秒、十秒、十五秒と時間だけが過ぎていく。

……まったく、強情な奴だな。こいつは……。

 呆れの色が交じった眼差しで盗賊の一味を見下ろし、はぁ、と溜息をこぼしたアスワドは、顔を左右に動かしながら、同僚達の方を見回していた中で、一人の人物に焦点を合わせる。

「隊長、どうします?」

 後ろ髪を束ねている青年に呼ばれた四十代の護衛官がこちらへと歩み寄りながら、んー、と己の顎先を右の親指と人差し指で挟み、思案を重ねているようだった。

 つかの間の沈黙が過ぎ去ると、

「……では、こうしよう。もし、今の会話の詳細を教えてくれるのならば、後でここにやってくれ るヤンブの警邏隊と交渉して、君らの罪が軽減されるように取り計らおう。どうだ、悪くない取引と思うがな」

 隊長の発言がこの場にいる盗賊達の耳に届いた途端、互いの顔を見合わせ、ざわつきはじめる。

 所属している部隊の長がいる位置に二、三歩と寄り添ったアスワドは、宜しいのですか? と小さな 声で訊いてみる。

「構わないだろう。これで、この連中がレザー様達を襲った理由がはっきりすれば、今回のことが突 発的なものなのか、それとも、意図的なものなのか。どちらかが分かれば、今後、旅路のルート変更を したりと云った対処の仕方も分かるからな」

 なるほど、と相槌を打つ後ろ髪を束ねている青年の傍で一歩前に踏みだした四十代の隊長が先頭の四 人に質問しようとしていた矢先に、

「きゃあああ!?」

「逃げろ!! 逃げるんだ!?」

 と、悲鳴や戸惑いの声があちこちで響き伝わってきて、その場にいた盗賊の一味と自分を含めた兵士 達は咄嗟的に人々の声がした方向へと振り返る。

 瑠璃の瞳に映り込んだのは、今しがた発生した戦闘から約百メートルの距離の所に婚約を交わしたフ ァーティマとレザーの旅に随従している炊事や洗濯やその他の雑事を担っている老若男女達が避難し 、待機させている地点であると同時に、ファーティマとレザーを脱出させていた経路の近く。

 そこでは今、御者の制御を失ったことにより、暴走している駱駝の突進から逃げ惑う人々の姿が視認 できた。

「「なっ……!?」」

 と、アスワドはみんなと同様に、驚愕する。

……あれは、マフナーズさんじゃないか。というか、あのままじゃ、落ちる!?

 と、興奮状態にある駱駝に騎乗している女性が身体半分が落ちかけている。その事実を知った後ろ髪 を一本に束ねている青年や隊長達が、あの駱駝を止めるぞ、と周りにいた者達に声を掛け、駆け出していく。



 約十分近くの時間が過ぎた頃になると、アスワドやシャーヒーンを含めた兵士達の尽力により、暴 れだしていた駱駝をなんとか落ち着かせることに成功し、乗り手の方も怪我ひとつもなく、地面へと降ろせた。

 だからこそ、

「あぁ、もう……。なんで、こいつはこんなにも興奮していたんだ?」

「……そんなことは、知らねぇよ。何にしても、疲れたぁ~~~」

 と、激しく両肩を上下させながら両手両足を伸ばして、地面にへたり込んでいる十数人にも及んでい る男性達は、各々が安堵の息をついていた。

 そんな中で、意識が朦朧としているマフナーズの横に移動したアスワドは片膝立ちの体勢になると、 自分の片手に握られている水が入った皮袋の紐口を緩めてから眼前にいる男性の背中にもう片方の腕を 潜り込ませ、抱き起こす。

 彼女の口元に皮袋を近づけて、水を飲ませていく。

 大丈夫ですか? と声を掛け、相手の片頬を二、三回と軽く叩いた。

 そうすると、緩慢とした動作で目蓋を開けた顔見知りの侍女は呻き声を零しながら、一呼吸、二呼吸 してから、言葉を紡ぎだす。

「大変、よ。お嬢様やレザー様達の身に……」

 彼女が己の喉の奥から絞り出すようにして発した内容の意味が聞き取れずにアスワドは瑠璃の両眼を 大きく見開き、疑問の言葉を紡ぎだすより早く、

「各部隊の隊員達、至急、集合せよ!!」

 と、隊長格の男性による号令がかかり、長年の訓練の成果でそちらへと振り向く。だが、数秒も過ぎ ていない間にマフナーズの言葉が気になりだし、自分が抱えている親交のある侍女の方に焦点を合わせ る。

「……えっ? 今、なんて言ったのですか?」

 彼女がそのふっくらとした唇を開き、後ろ髪を束ねている青年の問い掛けに答えようとした折りに、

「アスワドも何をしている!? 盗賊達から重要な話を聞きだしたから、早く、こちらに来い!!」

 再三の命令ではあったが、

……このまま、マフナーズさんを放っとくわけにもいかないし、どうしたものか……。

 と、普段から笑みを絶やさない昔馴染みの侍女がこの時ばかりは、苦悶に歪められているからこそ、 迷ってしまう自分がいた。

「私達がマフナーズさんを看病いたしますので、貴方は隊長殿の所に行ってください」

 ふと、そんな声が聞こえてきたので振り向くと、瑠璃の輝きを秘めた一対の瞳に映ったのは、旅の一 団の中で、もっとも重要な炊事や洗濯などを任せられている女性二人の姿であった。

「……それでは、よろしくお願いいたします」

 抱き抱えていたマフナーズの身体を恰幅の良い女性の両腕へと預け、立ち上がる。




 部隊を統率している男性を中心とした同僚の護衛官達で構成されている人の輪にアスワドと数人の 仲間が遅れて加わった。

 揃ったようだな……、と言い、周囲を見渡し終えた隊長は己の腰に両手を組んだ姿勢を取り、二 の句を継ぐ。

「よし、そのままの姿勢で良いから聞いてくれ。さきほど、盗賊の口から我々にとって、もしかすると 重大な問題となる情報を手に入れた。……彼らが言うには、今回の襲撃は依頼されて、行われたも のらしい。つまり、それが意味するのは、我々を襲うことで何らかの利益を得ようとしている不届き者 の存在がいる、ということになる。……では、何か質問したい者はいるか?」

 はい、と言った後ろ髪を縛っている青年が手を挙げると、

「ん? アスワドか。良いぞ」

「では……、盗賊達の背後にいる人間は特定できているのですか?」

「いや、それが何者なのかまでは盗賊連中の方も掴めていないらしくてな……。ただ、ひとつだけ 分かっているのは、アケメネス人の男ということだけだ。まぁ、それも依頼した本人の背後に誰かがい る可能性だって捨てきれないし、そのことも踏まえて、今後どうするかはレザー様と相談してみるさ。 他に、質問があったりする者などは……、いないな。それじゃあ、俺達はレザー様達と合流… ………」

「ちょっと、待ってください」

 と、隊長の話を遮る形で発言した人物がおり、自分にとって、聞き馴染みのある声が聞こえてきた方 向にシャーヒーンを含めた武装している男性らが一斉に振り向く。

 マフナーズが前に進み出てきた。

……マフナーズさん、大丈夫なのか?

 という心配を余所に、隊長と彼女のやり取りが行われる。

「ん? あんたは確か……、マフナーズさんだっけか? どうか……。いや、ちょっと待てよ 。そういえば、どうして、あんた一人だけが戻ってきているんだ?」

 部隊を統べる男性は、己の顎鬚を右手で擦りながら、不思議そうに疑念の声を漏らした。

 憔悴、という一状態が当て嵌まる表情になっている親交のある侍女は、ふぅ、と深呼吸をついた後で 、真剣な眼差しで隊長を視認する。

……そういえば……。さっき、彼女は何かを言っていたような……? あれは一体なんだ ったんだろう?

 と、思案を巡らしていたアスワドは、黒髪を肩口まで伸ばしている侍女と隊長である男性の会話が聞 こえる範囲に近寄ろうと移動する。

 温暖な気温と陽射しの影響で左右のこめかみから汗がいくつも滴りだしていき、地面へと落下する。 汗の跡を手の甲で拭っている間に、

「貴方達のおかげで抜け出した。……あの後で、再び、襲撃されました」

 侍女の言葉に、えっ? とも、嘘だろ? と言った当惑と驚愕の声が周囲にいる仲間達の唇からこ ぼれていた。

「あいつらの他にも仲間がいた、と。そういうことなのか???」

「……いえ、それが別の集団だったのです」

「なに……? 一回目と二回目では襲撃した連中は全く異なる……? それは確かなのか?」

「はい。二つの集団の間には実力と統率の差が分かりやすいくらいはっきりしているとレザー様が仰っ ていましたし……、それに、お嬢様やレザー様を襲った人々は仮面で素顔を隠しておりました。も し、彼らの仲間なら、最初からそんなことをする必要はないかと思います。ですから、このことを貴方 達に知らせようとお二人とともに逃げようとしていた最中に、護衛している方々の壁を突破した彼ら の手にレザー様とお嬢様が掴まってしまい、あたしだけがこうして……、ここに到着した次第でご ざいます」

 俯き加減になり、左右の掌を握り締めたマフナーズが悔しそう声色を込めて、語った内容に対して、 この場にいる護衛の任に就いている人々は、両眼を瞠り、言葉を失う状態に陥っていた。

 つかの間の沈黙を破るように護衛官を束ねている壮年の男性が、んっんっ、と咳払いする。その音が 聞こえてきて、はっ、となる。

「なるほど、事情は分かった。今から、レザー様とファーティマ様や先行した者達を救出作戦を敢行する。三番隊、四番隊に所属する兵士達の中から六名を選出し、その六人には、ヤンブの治安部隊が到着するまで、盗賊の一味を監視すると共に、周辺一体の警備に当たり、 三度目の襲撃が行われる可能性に備えよ。残りの者達は、ただちに装備を整え次第にいち早く、現場に急行せよ。そして、マフナーズさんには、襲われた地点が何処なのか、 という案内を頼むことにする。……宜しいですか?」

「お願いします」

「……よし。では、彼女を同乗者としても良いという者はいるか?」

「俺がマフナーズさんを連れていきます」

「ふむ……、アスワドか。よし、お前に任せるとしよう。マフナーズさん、この男が乗る駱駝に乗 ってください。それでは、解散!!」

「「了解!!」」

 と、応じた兵士達は、各々の持ち場へと慌しく行動に移していく一方で、後ろ髪を束ねている青年 は人の流れに逆らう形で進んでいき、知り合いの侍女と合流し、マフナーズさん、と呼びかける。

「ねぇ、アスワド君。あたし、あたしは……。守ることが出来なかったよ」

「貴方に落ち度はないですよ。……相手の方が一枚上手だった。ただ、それだけのことなのですか ら……。それになにより、仮面の集団の目的が金銭がらみだったとするならば、ファーティマ達 は、きっと無事です。だから、大丈夫」

 青年自身でも、さほど意識してはいなかったが、目の前にいる昔馴染みの女性を勇気付けるように話 しかけていた。

 二回、三回と一対の瞳を瞬かせたマフナーズは、口を閉ざしたまま、約十秒が経過した。

 どうかしましたか? と質問し、小首を傾げると、

「ううん、なんでもないから気にしないで……」

「そうですか」

 と、応じた後で、騎乗用の駱駝が何十頭と待機している密集地帯へと親交のある女性を引き連れたアスワドは、歩き出す。

 そして、

……どうか、俺らが行くまで無事でいてくれよ。

 ただ、ひたすらまでに願いを込めているアスワドの脳裏に真っ先に浮かび上がってきたのは、幼馴染みの少女であった。



 約十分後。風に運び込まれる形で濃密度の血の匂いが漂っている乾燥地帯に三番隊と四番隊の人々が到着した。

「な、なんだよ。これは一体……」

「おいおい、どういうことになっているんだよ」

「……嘘だろ」

 と、同僚達は次から次へと驚愕の声を漏らすとともに、己の視線がある一点から逸らすことが出来 なくなっていた。前方に広がる数百メートルにも及んでいる空間。その内側には、一回目の襲撃を抜け 出し、護衛の為に先行していた一番隊と二番隊が壊滅している状況そのものが存在していた。

 折れた刀剣が地面に転がり、また、死体の身体に貫かれている刀剣。仲間が騎乗していた何十頭の駱 駝が横転していたり、死んでいた。

 至る所で二十人以上の人間が倒れ伏している。アスワドがいる距離からでは一番隊と二番隊の仲間た ちの生死の確認はできないものの、それでも、傷つき、現在進行形で血を流し続けていることだけは分 かった。

 移動中の一頭の駱駝にはアスワドとマフナーズが二人乗りしており、

「こんなことになっているなんて……」

 と、囁いた女性の方に振り返り、苦虫を噛み潰した表情になっている所を視認する。

……気持ちは分からないでもないけどな。

 と、胸中で溜息混じりに呟く。

 二つの救出部隊は目的地へと接近するに連れて、

「よし。三番隊は生存者の確認を行い、四番隊は周囲の警戒に当たれ!!」

 二つの部隊を指揮する男性が大声で指示を飛ばすと同時に、この光景に怯え腰になりかかっている者 達に対する活を入れると、三番隊と四番隊の人々が各々の仕事に取り掛かる為に、各自が散開する。

「顔色が優れないようですけど、ここで休んでおきますか?」

「……そんな風に見える?」

 はい、と応える。ふぅ、と吐息をこぼした彼女が微笑みを浮かべてみせてから、

「あたしなら大丈夫。それに何より、お嬢様とレザー様をいち早く見つけて、安心したいもの。心配してくれてありがとう」

「分かりました」

「それじゃあ、お嬢様達を探しましょう」

「そうですね」

 各々が仕えている主人の名前を叫び、舗装されていない道を前進するアスワドとマフナーズは、注意深く周囲の風景を眺めていく。

「マフナーズさん。二度目の襲撃を行っていた者達は仮面を被っていたといってましたけど、全員が 全員そうだったんですか?」

「……あぁ、なるほど。襲撃者に関する情報を得たい、と。そういうわけね。とはいえ、あたしが 知っていることはほんの少しだけよ? それでも良い?」

 構いませんよ、と返事する。彼女は横目でこちらを一瞥してから、己の顎先に右手を当てて、思惟を 廻らしているようだった。

「うーん、仮面は全員だった。だけど、その仮面は統一されていなかったわね。本当に多種多様。素顔を隠したかっただけだと思う。後は、とても変だったわよ?」

「変、ですか。どうして、そう思ったんです?」

「んー、なんだか言葉にしづらい所があるのよねぇ……。彼らの動き方、ひとつひとつが洗練され ていた、と言っていいのかな。そうね、まるで、君やファルザード様みたいだった、という表現が一番 当て嵌まるかも知れない」

「えっ? 俺やファルザードですか???」

 思いがけない形で自分や友人だった青年の名前を聞かされることとなり、ぽかんとしてしまうのだっ た。その変化を隣で見ていた幼馴染みの少女を主とする侍女は、苦笑と微笑が半分ずつが入り交じった ものを自身の口元に表せる。

……どういうことだろ。俺やアイツみたい、というのは……。

 マフナーズが発した言葉の意味する所を思考している途中で、空を仰ぎ見た。

 有形の縮れ雲が大きいのも小さいのも区別されずに流れている中で、太陽は相も変わらず爛々と輝き 続けており、陽光の強さに条件反射として、片手を翳しながらも両眼を細める。

……昼寝したり、剣技を磨くのにせっかくの良い天気なのに、かなり、もったいないことしているよなぁ~~~。

 落胆の吐息を漏らしている所に、

「ねぇ、アスワド君。あそこにいるのって、レザー様じゃない?」

 と、そんな言葉を発した彼女の指先で差した方向に、目線を動かしたアスワドの唇から、本当だ、という一言を口にした。

 方角としては、南西より。十数メートルの地点に在る巨岩の一つにレザーと思しき人物が己の背中を預け、左右の足を伸ばしている。

……ここからだと、レザー様の顔が見えないな……。

 確かめたい、という衝動を抑えきることができずに居ても立ってもいらなかった青年は、慌てた様子で駱駝から下乗すると同じタイミングで巨岩がある方角へ駆け足で近付いていく。

 一メートルの距離まで来てみると、やっぱりだ、と囁き、そこにいるのがレザーであることを確認する。

 主君の右肩を掴むと、揺さぶっている間に、駱駝が蹄を鳴らす硬質な音とともに、後続の仲間達が次々と自分の背後を通り過ぎる。

 五秒、十秒、と短いながらも、時が過ぎ去った。ん、と小さな声をこぼしていた王位継承権第二位を 有する少年は、ゆるやかに目蓋を開けていく。焦点が合っていなかった瞳孔が正面にいる相手を捉え始 めると、あぁ、という吐息をついた。

「アスワド……。そっか、来てくれたんだ」

「はい。今から起こしますよ? 宜しいですか?」

「うん。お願い」

 彼の両脇に双方の手を差し込んで、抱き起こした。

「レザー様、ご無事になによりでした。……お嬢様はどこにおられるのですか?」

 琥珀色の双眸を有する青年の隣まで追いついてきたマフナーズが安堵の両肩を下ろしながら、声を掛 けてきた。

「あっ、マフナーズ……」

 一瞬にして、王子が困惑の色を露わにさせた後でハシバミ色の両眼を忙しなく左右に動かすようにな り、その反応を眼にした二人の大人は、互いに顔を見合わせる。

 その後で、

「「レザー様???」」

 と、男女の疑問を内包した声。一呼吸を置いた少年がこちらに視線を向けるとともに、

「仮面の者達に連れ去られてしまった」

……アイツが攫われたって、嘘だろ……。 

 レザーから告げられた事実を受けた瞬間に、自分の中に存在していた平常心が脆くも崩れ去り、思い もかけずに身体の重心を失ってしまい、左足を一歩分だけ後ずさる。

「…………お嬢様が連れ去られた? それは、本当なのですか?」

「うん。僕の手では助けられなかった。…………本当にごめん」

「貴方様はあの人達からお嬢様を守ろうとしてくれたのでしょう? ……ですから、そんな風に謝らないでください」

 花嫁の少女に仕えている女性が花婿である少年に向けて、柔らかい声の調子で話しかけた。

「なんで、彼女を守ろうとしたことが分かったの?」

「出会ってから三週間とちょっとばかりですけど、少しは分かってきましたから……。レザー様ならきっとこうするだろうな、ということくらいはね?」

 と、言ったその最後に片目で瞑る仕草を見せるマフナーズに対して、そういうものなのかな? と不思議そうに喋りつつ、小首を傾げていたレザーは、不意にその横にいる後ろ髪を一本に束ねている青年 の方へと己の視線を向ける。

「ねぇ、アスワドはどう思う?」

 数拍の間があってから、

「えっ? あっ、はい!! レザー様、なんですか?」

 と、慌てながら、間の抜けた返事をした自分の反応を横目で捉えていた二十代の女性が琥珀色をした 一対の瞳を半月の形に変化させてから、言葉を紡ぐ。

「居ても経ってもいられないくらいお嬢様のことが心配?」

「…………アイツの心配なんてしてません」

 と、断言した。

「アイツね……。いつの間に、君はお嬢様のことを呼び捨てるようになったのかしら?」

「……っ!?」

 、どこか楽しそうにしている眼差しでこちらを見つめているマフナーズを横目で捉えて、しまった、とばかりに表情を歪める。

……落ち着け、落ち着くんだ。

 胸の裡で同じ言葉を繰り返しながら、大きく息を吸い込み、吐き出した後で、んっんっ、と咳払いすることで中断してしまった会話の空白を生める。

 それから、

「レザー様、仮面の連中が去った方向は分かりますか?」

「……彼らが去ろうとしていた時には、僕は気絶させられてしまった。だから、分からない」

 レザーと視線を交わしたアスワドは、そうですか、と一言を口にしてから、

……奴らは、一体、何が目的なんだ? 身代金が目的なら、レザー様も一緒に攫っているはずだ。 だけど、実際はファーティマ一人だけを誘拐した。それが意味するのは、仮面の者達にとって、あいつ自身に価値を見出しているということになるわけだよな。

 脳の片隅で冷静に分析を試みている一方で、未だに根強く残っている焦燥感が今すぐにでも、 幼馴染みの少女を攫った者達の追跡に駆り立てるようとしていた。

 だからこそ、

「このまま、じっとしていても埒が明かないので、俺は奴らを追ってみます」

 と、言い切った琥珀色をした両眼の青年は踵を返そうとした瞬間に、待って、アスワド、と囁いた少年に自分の右手首を掴まれ、動きを止める。

「……お願いです。離して下さい」

「君の気持ちは痛いほど分かるけど……。だけどさ、彼らの正体や行方も把握し切れておらず、さらに当てもない状態でこの土地を移動するのは、無謀すぎるよ? そのことは、アスワドだって十二分に理解しているはずでしょ?」

「理解しております。……ですが、このまま放っとけば、ファーティマの身に危険が及ぶかもしれない。それだけは絶対に避けたいんです」

……何もしないまま、これ以上、俺の大切な人が死んでいくのだけは見過ごせない。

 と、思いを巡らしている内に、利き手が自然と拳の形になり、力が入る。

「それなら大丈夫なはずだよ」

 二回、三回と緩やかに左右の瞳を瞬かせているアスワドは、えっ? という呆けた声をこぼしており、主君が口にした内容をきちんと呑み込めずにいた。

「どうして、そう思ったのですか?」

 落ち着き払った声色で質問したマフナーズの方に焦点を合わせたレザーが、えっとね、と一言を述べた後で、

「彼女に対する襲撃者達の態度がまるで主君に忠誠を誓う兵士そのものというか……。かなり、丁重に扱っている感じがしたし、それに、人質という形で捕らえたということは、価値がある。そうでしょ?」

 レザーの意見に耳を傾けていたアスワドは、肯定の意思を示すために首を縦に振ってみせたものの、それでも、簡単には信じられない。

「その時のことを詳しく訊かせて貰っても宜しいですか?」

「うん。元々、言うつもりだったし、良いよ」

 


「僕は大丈夫だから。そろそろ、どいてくれないかな?」

 レザーに覆い被さっていた長い黒髪の少女は、あっ、それもそうね、と告げてから起立した。

 自分もまた、起き上がろうとしている最中に、

……うわぁ!?

 と、驚きの表情を露わにして、思わず後ずさったレザーの瞳に映り込んできたのは、自分達に対する包囲網であった。それらを作り出しているのは仮面で素顔を隠している者であり、その数は二十人近くにも及んでいる。

……この人達の目的が分からない以上は、僕達が殺される可能性は勿論あるわけだし、彼女を逃がす切欠のようなものがあれば良いんだけど、彼らの雰囲気から察するに、その隙があまり無さそうだもんなぁ……。

 半径約二十メートル以内にいる相対している人々の様子を注意深く見つめていたレザーは、ふぅ、と小さな溜息を漏らした。

「ファーティマ様。我々にご同行して貰います。宜しいですね?」

 と、丁寧な口調で言葉を紡ぎだすとともにこちら側へと一歩を踏み出してきたのは、最初に自分達を追ってきた男性だった。

「貴方達……。私が狙いでこんな馬鹿げたことを起こした、と。そういうわけなのね?」

「馬鹿げた、という言葉はこちらとしてはとても心外ではありますが……。まぁ、その通りです」

 鋭い眼差しを向けている少女に構うことなく、また一歩、二歩、三歩と徐々に近付いてくる仮面の男性を警戒したレザーは、彼女の前方三メートルの地点で立ち塞がる。

「邪魔しないでくれますか? 王子様」

「……嫌だね」

 やれやれとばかりに、首を左右に振った相手は、己が手にしている刀剣を持ち上げていき、少年の鼻先に触れるか触れないかという絶妙の位置で止めた。

「これ以上の殺生は避けたいところなんですがね……。仕方がありません、君には死んでもらうとしましょう」

 その言葉に触発されたレザーは、二歩、三歩と後退しつつ、間合いを作り出した後で応戦しようと短剣を改めて握り締め、身構える。

……どうするかな?

 彼我の実力差は歴然として、向こう側の方が戦闘経験も修羅場を潜り抜けてきた回数も圧倒的に上であることは一目瞭然であり、だからこそ、何の対策も立てずに挑むのは、危険だとレザー自身の防衛本能が知らせてくれている。

「そのような短剣で、俺に勝てるとお思いなのですか?」

「やってみないと、案外、分からないってこともありえると思うけど?」

「……まったく、付き合いきれませんね」

 と、溜め息混じりに呟いた仮面の男性が横一閃をいつまで放てるように刀剣を構えた状態で、一息を入れる。

 一色触発の状況になりつつある現在において、緊張感が否応に増していくのが手に取るように分かり、喉の奥を鳴らすレザーは、直線上にいる相対している男性に焦点を合わせようとしていた時に、

「二人とも、やめなさい!!」

 と、発せられた女性の叫び声に、対戦者同士は音がした方向に各々が視線を投げ掛ける。

「ファーティマ?」

「ファーティマ様?」

 レザーよりも一歩前に出てきたファーティマが黒衣を身に纏うの男性を射抜くような眼差しで見る。

「ねぇ、貴方達は、私達を護衛していた彼らを全て殺したの?」

「はて、どうだったろうかな……? 少し、お待ちを……」

 と、疑いの声を漏らした眼前の男性は身を翻すと同時に、周囲にいる仮面の男性の仲間である様々な彩りを施されている仮面を被っている人々と向き合い、

「なぁ、みんな。ファーティマ様からの質問は訊いたと思う。…………生存者はいるのか?」

「勿論、俺は息の根を止めたが……」

「さすがに殺してはいないよ。まぁ、重傷を負っているけどね」

「あいつらは、起き上がれない程度には痛めつけてはある」

 二十人以上の仮面で顔立ちを隠している者の口々から、死んでいる、とか、生きている、というどっちか片方の単語が聞こえてきた。

 一分もの時間が経過した辺りから、最後の一人が答え終えることとなり、

……大半の人達は生き残れたわけか。

 油断ならない者達を相手にしていたものの、全滅の可能性が消え失せたことを理解したハシバミ色の双眸を有する少年は、ほっ、と半ば無意識に安堵の両肩を下ろした。

 少年と少女がいる方へと身体の向きを変えた仮面で素顔を見せない男性の唇が開かれ、言葉が紡ぎだされる。

「ファーティマ様、これでご満足して頂けましたか?」

「えぇ、そうね……」

 と、応じた彼女は下唇を右の指先で触れながら、何やら考え込んでいる反応を見せており、その仕草のまま、約十秒間ほどが過ぎていく。

「どうかした?」

「ん? いえ、なんでもないわ。…………取引しましょう」

 取引ですか? と興味深そうな声音で繰り返すように喋りだした仮面の男性に、少女は一人、こくり、と首を縦に振り、そうよ、と告げる。

「ちょっと、取引するって……、君は何を考えているのさ?」

 と、彼女が着ているサリーの右肘に当たる部分の裾を少しだけ引っ張りながら、小声で話した。

「ここは、私に任せて」 

……信じる、しかないか。

 一歩、二歩と後ずさるレザーであった。

 一呼吸の間があってから、

「私が貴方達と行く代わりに、レザーや生きている人達を解放して」

 ファーティマの台詞に、目を大きく見開き、言葉を失う。

「……どう思うよ?」

 と、相対している男性は振り返り、己の仲間達に問いかける。

「良いんじゃねぇか? 俺は瀕死状態の奴らを嬲り殺す趣味はねぇしな」

「構わないと思います。なんせ、導師から殲滅せよ、という命令を受けているわけではないですし……」

 賛成の意見が多数であることを確認した仮面の男性は、なるほど、と一言を囁き、こちら側へと視線を戻した。

「それでは、取引成立、と。そういうことで宜しいですね?」

「えぇ、良いわよ」

 と、返答した長い黒髪の少女が仮面の男性達がいる方向へと歩を進める。

 遠ざかる彼女の背中を眼にしたレザーは、しまった、という苦りきった思いが込み上げるとともに、彼女を止めようと右の五指を伸ばしていく。

「あっ……」

 しかし、触れられなかった。

 ほんの少し、という距離感だったにも関わらず、一連の出来事によって、心が乱れてしまい、慌てふためいてしまったことにより、反応が遅れてしまった。その間にも、仮面で素顔を隠している人々の中へとファーティマが進んでいき、その姿が見えなくなる。

 それでも諦めきれず、彼女の名前を声を大にして言う為にも酸素を吸い込もうとした数瞬の間に、仮面の男性の接近を許してしまい、

「……っ!?」

 彼から放たれる右の拳。レザーの腹に打撃が加わり、肺の中に残っていた空気が全て吐き出され、呻き声がこぼれ落ちる。

 身体を支えていた力の比重が急速に消え失せていくとともに、王位継承権第二位を有する少年の両膝から倒れこもうとしていた。

 その最中に、仮面の男性の露出した右腕。その前腕部分の肌に描き込まれている刺青が目の端を過ぎねも、意識が霞みかけていた為に、きちんと認識することは叶わない。

……何の模様だろう……???

 自分の耳に、ファーティマと仮面の男性の会話が遠ざかりつつも聞こえてくる。

「貴方、何てことをしているのよ」

「……申し訳ございません。ファーティマ様を止ようとしていたもので、一番これが手っ取り早かったんです」

「……もう良い。行く前にみんなの無事を確認したいのだけど、良いわよね? それくらいの余裕はあるでしょ?」

「勿論です」

……ファーティマ……。

 と、心の中で彼女の名前を叫ぶ自分の意識がそこで遮断されることとなった。






「…………と。ここまでが彼女が連れ去られた経緯なんだ」

 と、レザーは語り終えたことに対する安堵感から、一息をつき、両肩を撫で下ろした。

「あの、レザー様。その刺青って、どんな模様だったか。思い出せますか?」

 と、訊ねる。

「こっちも意識を失いかけそうな時のことだったから、よく覚えていない」

「……そうですか」

 少年の返答を聞き、残念そうに囁いた直後に、あっ、と小さな驚きの声を漏らした青年は、琥珀色の双眸を微かに瞠ると、

「他にも襲撃者の刺青を見た奴がいるかも知れないですよね? マフナーズさんはどうです?」

 首を横に振る女性の反応を見た。

……マフナーズさんは見ていない、と。

「アスワド、刺青を見たひとを探して、どうするのさ?」

「それはですね? もしかすると、襲撃者達が共通の…………」

「あぁ。なるほど、そういうことか。……でも、それが彼らの手掛かりになると限らないよ? もしかして、僕が戦った相手だけかも知れないしさ」

「えぇ。勿論、そのことは承知しております。……ですが、襲ってきた奴らの情報がひとつも無いわけですし、万に一つの可能性があるのだったら、そちらに賭けてみたいと思いませんか?」

 微苦笑の息を吐き出した褐色肌の少年は、右の親指と人差し指で己の顎を掴み上げ、思案の素振りを見せる。

 十秒にも満たない時間が過ぎ去り、

「確かに何も手立てがない以上は、今、重要なのは彼らの情報となるものを手に入れること。……その為にも、一番隊と二番隊のみんなの安否を確かめないとね?」

「はい。まずは、レザー様が無事であることを知らせに行かないといきませんから、隊長達の元に送ります。あの駱駝に乗ってください。マフナーズさんも行きましょう」

「うん、分かった」

「えぇ」

 レザー、マフナーズの二人を乗せている駱駝とともに、集合地点へと向かいだすこととなった。




 数分後。

 集合場所まで、約二十メートル近く。

「「レザー様!!」」

 隊長と一箇所に集められている重軽傷者である一番隊と二番隊の人々とその警護を務めている兵士者達が王子の存在に気がつき、歓喜の声を上げる。

 三番隊と四番隊の指揮を統括している壮年の男性が自分達がいる所まで駆け寄ると、

「ご無事で何よりです。お怪我は為されて…………ん??? ファーティマ様はご一緒ではないのですか?」

 レザーが唇を開き、言葉を紡ぐよりも早く、後ろ髪を一本に束ねている青年が隊長に近付き、

「……ファーティマ様は、襲撃者達の手によって、誘拐されてしまいました」

 と、言う。目の前にいる男性は、瞠目する。

「どうして、奴らがあの子を……???」

「彼らの目的は、最初から彼女だったみたいで……。レザー様の話だと、どうやら、人質として、囚われた感じが強いそうです」

「まったく……、これでは連中の思惑が読み取れないな。……レザー様。今から追跡部隊を編成して、襲撃者達を追わせてみますか?」

 四つの部隊を束ねる隊長の進言に、王位継承権第二位を有する少年は、しばしの間、黙考する。

 そして、

「……いや、今ここでは追跡するのはよそう。こちらの戦力が削られている以上は、追跡部隊を送ったとしても、やられる可能性がある。だから、本来の目的地でもあるリヤードに行こう。そこでなら、叔父さん達に協力を仰げる。その方が色々と効率も良いと思うし、リヤード周辺の地理を把握している叔父さんなら、もし、彼らが身を隠した場合、どこに隠れているのかも分かるからね。……こんな所でどうかな?」

「はい、宜しいかと思います。我々も全ての生存者と死体を馬車の方に移し終えたら、そのように手配いたします。……ですので、もうしばらくお待ちください」

「うん、お願いね。……アスワド。そういうことだから、もう少しだけ辛抱してほしい」

 分かっております、と了承した一方で、

……ここで、俺が一人で勝手に動いたとしても、アイツを探しだせる可能性はかなり低い。だから、焦るんじゃない。ここは、ファーティマが無事でいることを祈るしかないよな。

 目蓋を閉じた一瞬の間に、ふぅ、と吐息をつき、全身に入っていた余分な力を抜き、両肩を下ろした。

「それじゃあ、各自、出発の準備してほしい」

「「はい」」


 

 十分後には、一番隊と二番隊の生存者と死者を馬車の荷台に収容を完了したレザー達は、セレウコス王国に存在する都市群の中でも、大都市に位置するリヤードへと移動を開始する。



 小刻みな上下の振動が何十回以上と連続し続けており、失心状態にあった少女の意識が徐々に戻りだすようになっていた。

「んっ……」

 と、言葉にならない呻き声を漏らしながら、二度、三度と瞬きを行うが、それでも、琥珀色の双眸に映る光景は、黒一色。いつまで経っても変化することはない事実を脳が把握した頃には、気を失う前の出来事を蘇ってきた。

……あぁ、そっか。私は彼らと取引した後で、そのまま眠らされてしまったんだっけ……。うん、思い出した。

 それから、自分自身が置かれている現状を一から再確認の作業に取り掛かる。一つ目、口元は布で塞がれている為に、声を発することは出来ない。二つ目、黒色の布で自分の視界を塞がれている。三つ目、両手首と両手足も縛られているから、まともに身動きすることも叶わない。四つ目、荷台かの上に自分が乗せられて、どこかに輸送させられているということであった。

 そんな風に思案を巡らしていた時に、

……あれ? いつの間にか揺れが収まっているような……。

 心の中で小首を捻っていると人の足音が聞こえてきた。その瞬間に、目隠しの布の結び目が緩みだしていき、空の色を反映した一筋の光が左右の瞳に飛び込んできて、眩しさの余り、うっ、と小さな声をこぼすとともに表情を歪める。

 だが、あっという間に光にも慣れていき、俯き加減になっていた顔を元に戻すと三、四メートルの位置にいる仮面で表情を隠している人間二人の姿を直視する。

 連れ去られる直前まで見た黒衣は羽織ってはおらず、目の前の二人が筋肉の付き方や体格から性別が男性であることを把握している間に、さきほど、目隠しを外してくれた方の男性が今度は両手足を縛っている布を解き始める。

「どうやら、お目覚めになっていたようですね。立ち上がることは出来ますか?」

 ファーティマは首肯してから、起立の動作に入る。やや体勢を崩しながらも、左右の踵に重心を置き、立ちあがる。

「到着いたしましたので、外に出てください」

 と、発言した男性の台詞に促されて、ファーティマは男性達と一緒に荷台から降りると、冷たさを孕んだ外気に触れる。つい今しがたまで居た幌馬車の内部との気温差に、微苦笑の息をこぼした。

 そして、自分達を取り囲んでいるのが緑豊かな森林であることを知り、ここが森の中なのだということを半ば無意識に認識している途中で、

「お待ちしておりました、ファーティマ様」

 と、言った男性特有の低い声が自身の聴覚を捉えると、その方向に顔を上げたファーティマは、上体を折り曲げて、こちらに深々と一礼している一人の男性を視認した。

 一礼から姿勢を正していく彼の相貌に焦点を合わせた瞬間に、両眼を瞠った。

……あの人は確か……。

「~~~~~~っ!?」

 一体、貴方達は何者なの、と喋ろうとするも失敗に終わる。何故なら、己の唇に布が宛がわれている為に発声することが出来ないからであった。

「おっと、私としたことが……、これは失礼いたしました。ニダール、ファーティマ様の口を塞いでいる布を外してくれ」

「はい、導師」

 長い黒髪の少女とともに幌馬車から地面に着いたニダールはそんな風に返答してから、導師と呼んだ男性の指示に従う行動に移る。

 数秒が過ぎ去ると少女の口元を覆っていた布が無くなり、これでやっと話せる、と思う。

 ふぅ、と一息をついたファーティマは、桜色の唇から言葉が紡がれる。

「なんで、貴方がここに……、というのは馬鹿げた質問よね? ……ムフタールさん」

 ムフタール、と呼ばれた男性は人の良い笑顔を浮かべてから、

「……私の名前を覚えて頂いていたとは、光栄でございます」

「昨日のことを忘れるわけがないじゃない」

 と、警戒心を露わにしている自分とは対照的に、三十代の男性は柔和な雰囲気を崩さず、あくまでも己の調子で喋りだす。

「このようなやり方で連れてきてしまったことは、大変、申し訳ございませんでした。しかし、私達には貴方様がどうしても必要なのです」

 ムフタールの台詞を聞き、怪訝そうに眉を寄せるファーティマは、細心の注意を払い、周囲に視線を奔らせる。

 両隣には仮面で素顔を隠している二人の男性が陣取り、自分が逃げ出さないようにしているのはもちろんのこと、ムフタールの背後には、木漏れ日が当たっている空間が存在しており、そこでは十数名以上の男性達が駱駝の世話や仲間と談笑を交わしてる場面がちらほらと見受けられていた。

 さらに、彼らがいる地点から数十メートルの奥の方には老朽化が著しい一軒の家が聳え立っていた。

……多分、あそこにいるのは私達を襲撃していた人達……。それにしても、これじゃあ、逃げようがまったく無いわね。

 と、苦笑する。

 穏やかな眼差しをこちらに向けている彼と自分の視線が行き交うこと、数秒。

「……それで、貴方達は一体、何者で何を企んでいるの?」

「アッパース同胞団。まぁ、組織と公言するには憚れるものではございますが、一応、そんな風に私達は名乗っております。何を企んでいるのか、という質問に関しては、この場では控えさせて頂きたく思います」

「貴方達があのアッパース同胞団……。ということは、差し詰め、私は叔母様に対する交渉材料になるわけね?」

「ご想像にお任せいたします」

 ムフタールが柔和な笑みを口元に漂わせながら、応じた。

「つまり、貴方達は、三、四年前の時と同じように、あのような惨劇を繰り返そうと画策している、と。そういうわけなの?」

 と、喉の奥から絞り出すようにして、導師と呼ばれる男性に詰め寄った。

「ファーティマ様、それは違います。俺らにとっても、あの当時の被害は、予想外だったんですよ」

 そんな声を投げ掛けたのはニギールであり、彼の方に振り返り、射抜くような眼差しで見る。

「予想外? よくそんなことが言えるわね。叔母様がようやくアルケサス帝国との戦争終結に漕ぎ着けることが出来て、ようやく、アケメネス女王国を再建しようとする為の重要な時期だったにも関わらず、貴方達は革命と云った大義名分を掲げ、内乱を先導した。その影響で、未だにもがき苦しんでいる人々がいるんじゃないのよ」

 後半部分の台詞を喋りだしていたファーティマの脳裏に思い浮かび上がってきたのは、幼馴染みの青年の姿であった。

……アスワドは、あの内戦で家族全員を失くしてしまった。その傷痕は、多分、未だに癒え切っていないと思う……。

「お言葉ではありますが、ファーティマ様。先代の女王陛下における治世は、アケメネス女王国に住んでいる人々にとって、最悪極まりないのものだったのは、理解しておられるんじゃないんですか? アルケサス帝国との戦争は泥沼化していき、俺達の生活は日を増すごとに困窮へと追い詰められていた。そうした現状があったにも関わらず、先代が取った選択肢は、ただひたすらに、仇敵であるアルケサス帝国を侵略するという目的のみに邁進することだった。だからこそ、我々は…………」

「ニギール、もう止さないか」

「ですが……、導師。彼女の言葉を聞いて、悔しくないのですか!?」

「悔しい、悔しくないの問題ではないよ。ファーティマ様の指摘は、何も間違っていない。私達は、結果的にあのような内戦に発展させてしまったのだからね」

 苦虫を噛み潰した表情を作った同胞団のメンバーは、反論の言葉を紡ごうとはせずに、そのまま、口を閉ざす。

「仲間がとんだご無礼をお掛けしてしまい、申し訳ございませんでした」

 と、謝罪する導師と呼ばれる男性の反応に、虚をつかれたマフナーズは、あっ、とも、えっ、と云った単語にならない声を漏らした。

 一呼吸、二呼吸があってから、己の視線をニギールからムフタールに向ける。

「そんなのは別に良いわよ。それよりも、ムフタールさんに訊きたいことが出来たわ。……貴方は、私を交渉材料に用いたやり方で、アッパース同胞団の理想とやらが現実のものになる、と。そんな風に信じているの?」

「それもまた、ご想像にお任せします、と言いたいところですが……、ここは答えないといけませんね。確かに過去の女王陛下達と比較したら、アフタル女王陛下は非常に良くやっておられるのではないかと思います。それでも、一度、根付いてしまった王家に対する不信はなかなか拭えきれないのが私達であり、また、同じ想いを抱いている人々は多いのではないかと推測しております」

「……でも、それは推測の域でしかないじゃない?」

「その通りです。だからこそ、私は目に見える形で民衆の是非がどうであるのかを知りたい。現在の王家にアケメネス女王国を任せて良いのだろうか、とね? ……ですが、私達の身分では普通の方法では交渉のテーブルにつくことさえ、叶いませんので、無理やりにでも女王陛下と直に話し合う機会を作らねばなりませんでした。こちらの我侭に振り回す形になってしまいましたが、我々としましても、貴方様を乱暴に扱うような真似はしない、と約束いたします」

「そう、なんだ」

 それ以上の言葉を紡ぎだすことは、ファーティマには出来なかった。何故なら、長年にも及ぶアルケサス帝国との戦争で失ってしまったものがこの人にもあるのだ、というムフタールに対する印象が新たに芽生えてしまい、どう対応していいのか、と戸惑いを得ていた。それもまた、私も王家に連なる人間である、という責任感から来ており、戦争に対する負い目を何かしらかに感じてしまっていた。

 そうした自分がいる、ということを客観視していたファーティマは、ただただ、苦笑を濃くするしかなかった。

「……導師。あまり、こちらの事情を話しすぎるのもどうかと……」

 と、窘めるニギールに、分かっているよ、と穏やかな笑みとともに返答したムフタールが己の両眼を長い黒髪の少女に定めると、

「貴方様の身柄をあちらにある拠点の方へと移させていただきます。それでは、ご案内いたします」

 と、言った目の前にいる男性は、踵を返すと同時に邸がある方向へと歩き出す。

……ここは、おとなしく従うしかないわね。

 ムフタールの話が終わったことに対して、深く息を吸い込み、吐き出した長い黒髪の少女は、視線の先にいる導師と呼ばれている男性の後を追い始めると、ニギールともう一人の男性が遅れないように帯同する。

 十メートル、二十メートル、三十メートル、と前進していた際に、ふと、あることを思う。

……交渉できると信じているのなら、どうして、内戦になる前にそうしなかったのだろう? そうすれば、あんな惨劇を回避することくらいはいくらでも出来たはずなのに……。

 ひとつの疑念が頭の片隅を過ぎたファーティマは、十数秒間を使って考え続けた結果、意を決した表情で前を向き、

「ねぇ、ムフタールさん。あの当時に、何故、そうしなかったのよ? そうすれば、内戦なんてことにはならなかったかもしれないのに……」

 と、発言した瞬間に、両隣にいた二人の男性が息を呑み込み、自分の方を一斉に振り向いた。

 数拍の間を過ぎ去った後で、

「確かに、最初からこういう方法が出来てれば、あのようなことが起きなかったかもしれません」

 導師が苦笑の色を強めた声音で応じた。隠れ家を目指す四人の足取りは止まらない。

「なら、どうして……!?」

「我々とて、一枚岩ではなく、意見と方向性の食い違いはあった、ということです」

「細々とした調整を行い、自分が信じている方向性に引っ張ってこそ、組織の長としての責任があるんじゃないの?」

「えぇ、その通りだと思います。……ですが、当時のアッパース同胞団を率いていたのは、この私ではなく、別の男性なのです」

「別の男性……」

「はい、私はその代理を務めているに過ぎないのですよ」

「……それでも、貴方がやれることは何かあったはずでしょ?」

「そうすることが出来ていれば、どれほど良かったものか……」

 と、実感が込められた口調で囁いた導師の反応に、

……何を他人事みたいに言っているのよ。

 と、憤りを覚えるとともにいつの間にか渋面を作る少女を余所に、ムフタールはこちらに振り返ることもしないまま、話を続ける。

「それに、彼の理想に賛同し、集まった者達が多い同胞団の中では、私の言葉に耳を傾ける者は少数であると同時に、私もまた、導師に惹かれていた人間のひとりであった以上は、あの人に従う方法以外のことを思いつかなかったりしたわけで、そこが難しいところでした」

「でも、その人が内乱に発展させる方法を通してきたわけでしょ?」

「……もしかしたら、結果的にそうなってしまっただけかも知れませんし、気付いたときにはもう既に何もかも遅かったのですよ」

「何よ、それは……。途中で気付いたならあなたがそこで止めることだって、出来たかも知れないじゃないの!? そうすれば、被害は最小限になった可能性だってあったかも知れないのに……」

 と、喉の奥を絞り出すようにして、叫んだ。

 左右に並んで、移動していた監視役の二人は、複雑そうな表情を浮かべていたものの、自分達の会話に口を挟む素振りは見せてはおらず、ムフタールに任せているみたいだった。

……何を言ってるのよ、私は……。これじゃあ、八つ当たりしているだけじゃないの。

 己が発した言葉の意味を数秒の差で認識したファーティマは、自己嫌悪に駆られることとなり、片頬を歪めてしまっていた。

 その間にも前進していたムフタールだったが、三、四メートルの地点で立ち止まり、こちらの方向に振り返る。

「全く以って、返す言葉もございません」

 と、返答した導師は、柔らかく微笑んでいた。少女と男性達も歩みを止める。彼我の距離は、一、二メートル。

「他に質問はありますか?」

 と、訊かれる。

「それなら、最後にひとつだけ質問させてもらうことにするわ。ムフタールさんの前にいたと云う導師の方は、今、どうしているの?」

 行方不明です、と溜め息混じりに呟いたムフタールの様子を凝視していたファーティマは、行方不明??? と鸚鵡返しのようにぽつりと漏らしていた。

「……仲間なのに所在も掴めていないの?」

「それは……」

 と、言ったきり、目を伏せたムフタールの代わりに、

「ファーティマ様。前代の導師が一体、何者なのかという肝心なことを知っている者はひとりもいなかったのですよ」

 と、ニギールが導師の言葉を継ぐようにして、二の句を言った。その言葉を聞いていた隣の男性は口の端を吊り上げて、微苦笑する。

 彼らの反応を横目で捉えていた少女は、余計に頭の中が混乱を招くこととなり、小首を捻るばかりであった。

「どういう意味なの?」

 もう一度、目線を上げたムフタールの唇が開き、言葉が紡がれる。

「導師は、その素顔を仮面で隠しておりました。私達は、一度たりとも、彼が仮面を外した瞬間を見たことがありませんでした」

「そんなことって……。本当に素性も分からなかったというの?」

 三十代の男性は、何かを言おうと声を発しかける直前に、口を閉ざした。

 だが、こちらが問いかけるよりも早く、ムフタールは台詞ではなく、こくり、と深く頷くことで、肯定の意思を伝えてきた。

 少女は力を抜き、脱力したように両肩を下げるとともに、

「よく、それで主導者に据えることが出来たわね……」

「あの方には、独特な存在感と聞く者の心を鷲掴みにさせる言葉の力がありましたので、アッパース同胞団を率いる素質があり、向いていたと思ったので、そうしたのです」

「そう……。分かったわ」

 自分の台詞を区切りとして、会話を終えた三人の男性と一人の少女は、移動を再開する。



 アッパース同胞団の隠れ家としている建物の中に区切られた部屋のひとつに、現在、ムフタールを含めた男女達が各々の好みの姿勢で敷物の上に座を占めており、丁度、その形は円陣になっていた。

 空間の片隅には、四ヶ所も設置されている燭台に蝋燭の火が灯され、午後の陽射しとともに部屋全体を明るさに満たしている。

「とりあえず、最初の段階は達成しましたね」

「それにしても、ファーティマ様を連れ去ってきたまでは良いのだけれど、どう接して良いものか分からなくなるわねぇ」

「あぁ、それは分かる。……なんたって、アケメネス女王国の英雄の娘さんだもんなぁ~~~。自分なんて、初めてお目に懸かったもんだからかなり緊張しちゃったよ。それにしても噂ではかねがね聞いていたけどさ、本当に美人だったよなぁ……」

 美人、という単語に反応したムフタール以外の男性陣は、肯定の意思をはっきりと分かる形で、何度も頷いていた。

 女性陣は、彼らを呆れの色が混じった眼差しで見つめる中で、

……こいつらと来たら、まったく……。

 と、苦笑を深める導師と呼ばれている男性は、ふぅ、と一息をつき、

「……我々に対して、恐怖や不安を抱いているはずなのに、それをこちらにちっとも見せない所か毅然とした態度で、尚且つ、好意的に接してくださるとは、さすがとしか云いようがなかった。君達も、あまり、ファーティマ様に感情移入しすぎて、計画に支障がきたすことがない様に、各自、心がけるようにしといて欲しい。本題に入る前にひとつだけ。みんなも十二分に分かっているとは思いますが、くれぐれも彼女を丁重に扱うようにしてください。良いですね?」

「「わかりました」」

「それでは、本題のセレウコス王国を脱出に使用する経路に関してですが……」

 と、議論を開始する。



 どこまでも澄み切っている秋空には同じ形がひとつも存在していない多数の積雲が緩慢とした速度で 漂い、動き続けている。

 そのような雲の下では、セレウコス王国の南東の方角に位置している商業都市リヤードの正門が大き く開き、レザー達が乗車している馬車の一群を迎え入れていた。

 リヤードの正門を潜り抜けた瞬間に、うわぁ、とも、わぁ、と云った市民達の歓声が周辺一体に轟 き渡る。

 音の発信源である老若男女は、中央通りの歩道側に所狭しと集まってきており、その数はざっと都市 の人口数千人の半分にも満たないものではあったが、それでも、十分なほどに迫力が備わっていた。

「「レザー様!!」」

「「ファーティマ様!!」」

 と、主役である花婿と花嫁の名前を高らかに叫んでいる民衆に応じる形で、先頭の幌が外された馬車 の上で後ろ髪を束ねている兵士に支えて貰いながら、起立しているレザーが満面の笑みで利き手を振っ ており、

「みんな、出迎えてくれてありがとう!!」

 と、声量を大にして、感謝の言葉を紡いでいた。

 王子からの反応に、再び、大歓声が沸き起こる市民達の中で、

「……あれ? そういえば、花嫁さんの姿が見当たらないような……」

「噂だと、ファーティマ様は風邪で寝込んでしまっているみたいだぞ」

「…………あぁ、なんだよ。一目で良いから美人と噂されている王子の花嫁さんを見たかった のになぁ~~~」

「それでも、しばらくの間はリヤードに滞在するみたいだから、一度くらいは見られると思うぞ? と いうか、ここからだと顔は見えないけど、レザー様の傍で眠っているのがそうなんじゃないのか?」

「えっ!? そうなのか。どれどれ……」

 と、云った花嫁となる少女に関する会話があちこちで囁かれていた。

 その間にも、レザー一行は馬車が通れる場所をいくつも通過しながら、リヤードの南西地区へと向かっていた。



 南西地区にある住宅街。その一番奥に建てられている邸の階段前に到着したアスワドやレザー達を 出迎えたのは、統一された服装に身を包んだ市議会の男女達十五人名が待っていてくれた。その中にいた一人の大柄な男性がこちら側に歩み寄ると、彼は王位継承権第二位を有する少年の身体を軽々と持 ち上げ、地面に降ろすまでの間に、

「レザーよ、また背が伸びたんじゃないか?」

 と、闊達とした声音で告げた。

「そうかな? 僕自身だとそんなに変わっていないと思うだけどなぁ……」

 大柄の男性は、確実に大きくなっているぞ、と言った後で、地面に両足を付けたレザーの身体を力強 く抱き締める。

「叔父さん、苦しいってば……」

 と、苦笑気味に応えていた。

「少しくらいは良いじゃないか。久々の再会なんだしよぉ~~~。それよか、兄上は今も引きこもり続 けているのか? そんなんじゃあ、身体が怠けちまうぞ、と云っといてくれ。……おっ、アスワド も一緒に来ていたのか。剣の腕前、ちっとばかりは上達しているのか? 前みたく俺なんかに負けてい るようだと、護衛官が勤まらないぞ?」

 第二王位継承権を有する少年が座っていた座席と対面する形で座席に腰を掛けている後ろ髪を一本に 束ねている青年に焦点を合わせた叔父と呼ばれた男性は、意地悪そうに口の端を吊り上げながら、話し かけてきた。

 お久しぶりです、と一礼したアスワドは、二の句を継ぐ。

「剣の腕前ですが、さすがにジャバード様の領域にはまだ到底及びませんよ」

「何を謙遜しているんだがな……。そういえば、ファー……、あー、レザー。奥さんの名前は なんて言うんだっけか?」

 甥を解放した叔父である男性は己の顎を擦りながら、疑問の声を発する。

「ファーティマだよ」

「おぉ。そうだった、そうだった。ファーティマちゃんの調子はどうなんだ? 風邪を引いてしまった んだろ? ……あれ? なんで、ここまで毛布をかけていると暑くないのか?」

 先頭の馬車に近付き、反対側の座席に座っている女性の方を見たジャバードが彼女の額辺りまで覆い かぶさっている毛布を確認すると、身を乗り出してから毛布を捲ろうと右の指先をかけた瞬間に、レザ ーが咄嗟に叔父の右手を掴み上げる。

「どうしたんだ? レザー」

「えっと、これはその……」

 と、少年の視線が左右に忙しなく揺れ動き、曖昧な表現を口にしている。

 その様子を見かねたアスワドがジャバードに進言する。

「一刻も早く、風邪をこじらせているファーティマ様をゆっくり休ませたい、と。レザー様、そうい うことですよね?」

 自分の言葉を聞いたレザーは首肯した後で、次の言葉を紡ぐ。

「うん、数時間前に伝えたときよりも症状が悪化しているから、早く彼女を休ませたい。邸の方に移動 しても良いよね?」

「そんなに良くないのか……。分かった、連れて行こう。今日のパーティも中止しとく」

「そうしてくれると助かるよ、叔父さん。アスワド、お願い」

 分かりました、と返事したアスワドは、馬車から降りた後で女性が座っている座席側に周りこみ、

「今から抱えますので、じっとしていてくださいね」

 と、言い、毛布ごと彼女を抱き抱えた時に、レザー様、と主人である少年の名前を呼びかける男性の声を聴覚が捉え、思わず、その方向に首を動かしてみると、隊長の一人が駆け寄ってくる姿を視認した。

「我々は、一番隊と二番隊の再編成と救出の準備に取り掛かります。……貴方様には市議会の方をお任せしても宜しいのでしょうか?」

「うん。僕が叔父さん達に話しとくから、部隊の方はお願いするね」

「分かりました。それでは、失礼いたします」

 と、言った彼は身を翻して、後続の馬車がある方向へと駆け出していく。

「ん? レザー、部隊の再編成と救出って、なんだか物騒な単語が飛び交っていたが、どうしたんだ?」

「彼らにはやってもらいたいことがあるから……。そのことは叔父さんには邸に入ってから、きちんと話すよ」

「……ふむ、お前がそこまで言うのなら、分かった」

「叔父さん、ありがとう」

 と、感謝の言を告げたレザーは、次には旅の雑事を担ってくれた人々が滞在するのに必要な宿の手配など諸々の雑事を市議会の人々に頼み込み、彼、彼女達に任せる。

「後、今日のパーティは中止という事を招待状を送った人達に伝えてくれ」

「そのように手配いたします、ジャバード様」

 と、市議会員の男性の一人が応じた。

「それじゃあ、行こうか。皆の衆」

 移動を開始する王子の叔父の後についていくのが病人一人を抱え込んだアスワドとレザーの二人であった。



 ジャバードの邸宅内部に数多く存在する部屋の中で、大広間として用いられている一室。西北の方角 にある二つの窓枠から午後の陽射しが入り込んできており、大広間全体を明るく照らし出していた。

「アスワド、降ろして良いよ」

 レザーの言葉に、はい、と応じたアスワドは、ゆっくりと片膝立ちの体勢を作りだしながら、両手で 抱えている毛布を掛けられている女性の足先から絨毯の上に降ろしていく。

 女性の両足が床に着いたことを確認し終えると同時に上体を起こして上げている間に、彼女自身が毛 布の上端部分を掴んでいた左右の手を離してから、折り畳みだす。

 毛布が捲られた瞬間に、事情を知っている者以外のこの場にいる人々が、これ以上ないというほどに 目を大きく見開き、唖然とした表情を露わになっていた。

 驚いた人達の視線の先にいたのは、王位第二位継承権を有する少年の花嫁であるファーティマでは なく、少女が連れてきた侍女であるマフナーズであった。

「あぁ、やっと解放されたぁ……」

「マフナーズさん、お疲れ様です」

「アスワド君、ありがとう。…………ところで、ひとつだけ質問しても良い?」

 マフナーズと目を合わせたアスワドは、心の中で小首を傾げつつも、なんでしょう? と答えた。

「あたしってば、けっこう重かったでしょ?」

 二回、三回と琥珀色の双眸を瞬かせると、ようやくそこで、彼女が言った内容を呑み込めることが出 来て、思わず、口元を微苦笑の形に変化させていた。それと同時に、一語でも答えを間違えると跡がめ んどくさいことになりそうだ、という予感に、内心で鈍い汗が噴き出てくる。

「全然、そんなことは無かったです」

 間違えないように心がけつつ、一言一言を区切るように述べていく。

「今、一瞬だけ目を逸らさなかった? やっぱり、あたしは……」

 まったく、仕方が無いなぁ、という想いが込み上げてくるとともに、

「そんなことは無いですよ。というか、どうして、そんな質問を……?」

 彼女が喋るだろう次の言葉を簡単に予測できた為に、それを遮るように話し出していると、

「いや、だって、こんな形で抱っこされるとは思わなかったから……」

「何度も言うようですが、それほど、重いわけではなかったので、ご安心してください」

 そう、と安堵の声色で囁いたマフナーズの反応に焦点を合わせていた自分は人知れずに胸を撫で下ろした所に、レザーとジャバードのやり取りが聞こえてくる。

「お、おい、これはどういうことなんだ? お前の奥さんになる子は確か、十六歳の少女だったんじゃないのか?」

……そりゃあ、驚くのも無理もないよなぁ……。

 と、苦笑を深める。

「はい。ここに住んでいる達に余計な心配を掛けたくなくて、彼女にはファーティマの影武者になって貰っていたんですよ」

「なんだか、込み入った事情がありそうだなぁ……」

 両腕を組んだ状態で渋い表情で呟いた叔父に、その傍らでは、レザーが片頬を掻きながら、ふぅ、と深呼吸した後で、話し始める。

「ちょっと、厄介なことになってきているんだよね。…………実は、ファーティマが誘拐されたんだ」



 レザーの話を聞き終えたジャバードの行動は、迅速そのものであり、まず最初に、レザーの花嫁に関する情報収集兼捜索の為にリヤードの治安機構から人員を割き、小隊規模の部隊をいくつか構築するとともに、リヤードの数キロメートル圏内に送り込んだ。それと同時並行で、周辺一帯の町々に協力を仰げるようにしよう、と市議会から職員を派遣していた。

 また、王子の花嫁が誘拐された事実をアケメネス女王国側にも伝える為に、駿馬で使者を送り出した。

 そうした指示を送っているジャバード自身は、市議会にある大部屋のひとつを使い、ファーティマ救出に関する作戦会議を開かれた。

 作戦会議に参加しているメンバーは、レザー、全ての部隊を指揮する隊長が一人と一番隊から四番隊に所属する副隊長が二人ずつ、さらには、全部隊の五体満足や軽傷で済んだ兵士達であり、その中にはアスワドも含まれていた。



 四角形の空間。壁際の窓はどれも幅のある木の板によって、外部からの採光を遮断している為に部屋全体が暗さに満ち満ちている。しかし、この場に設置されている数少ない燭台の灯りが唯一の光源として、完全な暗闇に包まれていることを免れている。

 そして、蝋燭の火に照らされている人影が陰影を色濃く揺らめいており、辿ってみた先にいるのがアッパース同胞団に囚われている長い黒髪の少女であった。

 部屋を支えている柱のひとつに凭れていたファーティマは、左右の手を柱の反対側に回されているとともに、分厚い紐で縛り付けられている。後は、喉の奥に布を詰め込まれていて、音を出せないようにされていた。だが、その一方で、両足は拘束されてはおらず、その分、自由に楽な体勢で座ることが出来ていた。また、目隠しの布も外されていることから、室内の様子をいつでも眺められる。

 だからこそ、抜け出した際の脱出経路を妄想しながら、遊んでいたが、それもしばらくすると飽きてしまった。

……それにしても、今、何時頃なんだろう? ここに連れられてから、三十分? それとも、一時間近くは経っているのかな? お腹が空いたぁ……。

 鼻から深くて長い息を吐き出してから数拍の間が過ぎ去った時に、

「失礼いたします」

 と、いう声と同時に部屋の中へと入ってきたのは、見知らぬ少女であり、自分がいる位置まで歩を進める。

……私とそんなに変わらない年齢の子なのかな?

 彼女がこちらに近付くに連れて、鼻腔をくすぐる匂いが漂ってきた。すぐに、香辛料を使用しているのが分かり、腹の内側から高音が鳴る。

「夕食をお持ちしました」

 と、緊張を孕んだ声音で言ったサリーを身に纏った少女が身を屈めてから、木の盆を地面に置いた。

 目線を落としてみると、木の盆に乗せられている料理は、薄焼きのナン一枚と木の容器に盛られている青野菜がふんだんに使われているシチューであった。

 再び、顔を上げた瞬間に、自分と女の子の視線が行き交い、

「~~~っ!?」

 と、言葉にならない音を発声する。

「あっ……、そうでした。今から外しますね?」

 彼女は、己の右手でファーティマの喉元を塞いでいた布切れを掴み、引っ張り出した。数秒前まであった違和感が取り除かれたことから、ふぅ、と小さな吐息を漏らした。

「ありがとう」

 いえ、そんな……、と応じる少女の反応に、恐縮している感じが一目で分かってしまい、思わず、心の中で苦笑する。

「……念の為に聞くけど、手首の方は外してくれないのよね?」

「…………さすがにそちらは導師からも駄目だと言われているので、ごめんなさい」

「駄目元で訊いてみただけだから、そんなに恐縮しないで良いのよ? ……ということは、貴方が私に食べさせてくれるということなのね」

「……はい。ちなみに、あちらが聖地の方角に近いですので、礼拝する際の参考にしてください」

「分かったわ。あっ、礼拝する前に貴方の名前を訊きたいのだけれど、良い?」

「レイリと申します」

 良い名前ね、と眼前にいる相手の名前を噛み締めるように囁いた。

「ありがとうございます」

「それじゃあ、礼拝しましょう」

「そうですね」

 礼拝を始めることとなり、身動きできないファーティマは、そのままの状態で祈りの言葉を唱える。

 そして、礼拝に捧げられる三分間が過ぎ去った。

 


 ファーティマはレイリの手を借りながら、食事を進めている途中であり、

「やっぱり、そんなに歳は変わらないんだ。私達」

「そうですね。でも、あたしの方は、誕生日を迎えていませんから、ファーティマ様より年下ということになりますね」

 彼女の反応を眼にした長い黒髪の少女は、微苦笑の吐息をつき、レイリちゃん、と呼びかける。

「はい。何でしょうか?」

「歳も近いことだし、私を様付けで呼ぶ必要はないわよ」

二度、三度と目を瞬かせるレイリは、えーと、と迷いの声を漏らした。

 数拍の間を置いた後に、

「ファーティマ。これで宜しいでしょうか?」

「……口調は変わらないのね」

「さすがに、それは、恐れ多いです。んっんっ、今度は牛肉を食べますか?」

 うん、と返事した長い黒髪の少女は、桜色の唇を大きく開けている間に、シチューの中に入っている一口サイズの牛肉をスプーンで掬っていたレイリがファーティマ自身の咥内へと運んでくれた。

 牛肉の欠片を噛み締める度にその歯ごたえと舌全体に浸透していく肉汁を味わう。

 口の中にあった食べ物を咀嚼し、呑み込み、喉を鳴らした。

「そういえば、貴方の出身地はどこなの?」

 えっと……、と囁き、躊躇いの反応を見せる女の子に、??? と疑問符を浮かべるファーティマは、彼女が話し始めるのを待った。

 一呼吸目、二呼吸目、三呼吸目の間が過ぎ去りかけていた矢先に、

「私が住んでいたのは、ゴムです」

 レイリは、微かに目を伏せて、出身地である町の名前を口にした。

 ゴム、という単語を聞いたファーティマは、あれ? という疑問符を得る。

……あっ……。そうだ、思い出した。ゴムって、確か、アルケサス帝国との小競り合いが頻発していた地域にあった町のひとつだ。でも、あそこの地域にある町の殆どは今はもう……。

 沈思黙考に耽っている間に、

「ファーティマ、悲しい顔を為さらないでください。私のことなら、大丈夫ですので」

 と、彼女から穏やかな声音で話しかけられる。

「えっ……。私ってば、そんな顔になっていた?」

 一度、首肯したレイリは、すぐさま、笑みを作り、

「今度は、何を食べたいですか?」

 と、質問した声の調子は、明るさが内包されていた。

……こんなにも優しい子がアッパース同胞団にいるなんて……。一体、どういう経緯があって、ここにいるのだろう?

 と、胸の裡で小首を捻ると同時に、そのことを問おうと思い、

「ねぇ、レイリちゃん。貴方はどうして、アッパース同胞団に入ろうと思ったの? やっぱり、ムフタールさんの理想に共感したから?」

 自分の言葉を聞いた琥珀色の双眸を有する少女は、柔らかい微笑を口元に漂わせるとともに首を横に振り、いえ、と否定の意味が含まれた前置きを言った後で、

「……私は、ファーティマが仰ったような理由などでアッパー同胞団に来たわけではないのですよ? まぁ、皆みたいに集まれたら良かったのになぁ、と思うことは何度かありましたけどね」

 と、微苦笑の息混じりに告げていた。

「そう、なんだ。でも、それなら、どういった経緯でアッパース同胞団に……???」

「……えっとですね? ムフタール様達に助けられたことがあったのですよ」

「助けられたって……。レイリちゃんの身に一体何が起こったというのよ?」

 ファーティマから発せられた純粋な疑問に、それは……、という声をこぼし、目線を落としたレイリは、左右の手にしていた容器とスプーンを木の盆に置いた。

 沈黙の間が生まれる。

……何だろう???

 と、目の前にいる相手の反応に、きょとんとした表情になった自分を余所に、五秒、十秒、十五秒と過ぎ去ろうとしていた。

 その頃になって、ようやく、そこで顔を上げたレイリと目が合い、

「私の話を聞いても、気を悪くしないでくださいね?」

 おずおずと云った声の調子で話しかけられることとなり、腑に落ちない点があるものの、

「……えぇ、良いわよ」

 と、応じた。

 同年代の少女は、己の視線をファーティマから絶対に外す素振りを見せないまま、形の良い桜色の上唇と下唇を微かに開き、語り始める。

「アルケサス帝国との戦争では住んでいた町を失い、路頭に迷ったこととなった私と家族は、それでも、各地を転々としながら、なんとかその日暮らしをしていました。……ですが、あの内戦が勃発して、レジスタンス活動をしている人々と女王軍の衝突の場面に遭遇してしまって、どうにかして、その場から逃げそうとしていた最中に家族と逸れてしまって……。そのまま、二、三日くらい探してみたんですけど、それでも、なかなか見つからなくて、途方に暮れていた矢先に、人買いしている人達に目を付けられてしまった」

 眼前にいる相手が息継ぎの為に話すのを止めている間に、

「それで、レイリちゃんはどうなったの?」

 話の続きが気になり、半ば無意識に言葉を投げ掛けていたファーティマの様子に、レイリは、微笑みを返すとともに、

「攫われそうになりかけていたのを偶然その場を通りかかったムフタール様と同胞団の皆さんが私を助けてくれて……。その縁で、ムフタール様達の所に身を寄せるようになり、現在に至る、と。そんな感じですね」

「……えっと、家族とは再会できた?」

 首を横に振る女の子を目にした途端に、そうなんだ、と囁き、人知れずに落胆の吐息を漏らした。

「私のことを心配して頂き、なんとも、勿体無い限りです」

「私にできることがあれば、言ってね? 手伝うから……」

「ファーティマさんのお気持ち、大変、嬉しく思います。……でも、家族のことなら大丈夫ですよ? まだ、手がかりのひとつも掴めていませんけど、家族の行方を探すのは諦めるつもりないですし、それになにより、皆さんにも手伝って貰えてますから、気長にやるつもりです」

「協力してくれているんだ?」

「はい!!」

 元気良く返事を行い、力強く頷いた同年代の女の子であり、その様子を眺めていたファーティマの口元が無意識の内に綻びかけている途中で、それなら良いんだ、と一言を述べた。その直後には、ふぅ、と一息を入れてから、

「ここには、とても優しいひとがたくさんいるのね」

 と、穏やかな声色で話した。

「はい。ですから、皆さんのことが大好きなんです!!」

「大体のことは、分かったわ。話してくれてありがとう。…………後、こんな単純な言葉しか思いつかなかったけど、本当にごめんなさい」

「どうして、ファーティマが謝るのですか?」

 緩慢とした動作で琥珀色の両眼を瞬かせたレイリが疑問詞を投げ掛けた。

「だって、貴方と家族を生き別れさせてしまった要因を作ったのは、他ならない私達……王家の人間だもの」

 気持ちが下降線気味になり、頭を垂れるファーティマに、

「なるほど、そういう理由だったのですね。顔を上げてください」

「えっ? う、うん」

 あのですね……、という女の子の声が聞こえると同じタイミングで、視線の高さを元に戻した。 そして、彼女がこちらを優しい眼差しで見ていることに気がつく。

「最初の方にも言いましたが、私は、ファーティマの気を悪くさせたり、謝ってほしくて、この話をしたつもりはまったくありませんよ? だから、そんな風に責任を感じることはこれっぽっちもないですからね?」

 彼女の台詞を耳にした瞬間に肩の荷が降りた気分となり、ふぅ、と吐息をこぼし、全身の力を抜いていた最中に、

「嬢ちゃん。そろそろ、ファーティマ様のご飯を食べさせるのは終わりそうかい?」

 牢屋代わりの部屋の外側で待機していた看守役を務めている男性がこちらに顔を覗かせながら、声を掛けてきた。

 レイリが上体を軽く捻ると看守役がいる方向に振り返り、

「もう少しで終わりますよ?」

「分かった。……あぁ。それと、話もほどほどにしとくこと。良いね?」

「ほどほどって、どういう意味ですか?」

 二十代の男性は、口の端を吊り上げるとともに無邪気な表情になると、

「それゃあ、勿論、嬢ちゃんの話がいつも長くなる傾向にあるからさ。……だから、ほどほどにしないと話し相手であるファーティマ様が疲れてきちゃうだろ?」

 それは、あんまりです!! と抗議の言を発したレイリに、あはは、と大きな笑い声を上げた後で定位置に戻る看守役であった。

 もう、と吐息混じりに囁いた琥珀色の両眼を有する女の子は上体を元に戻してから、正面にいる長い黒髪の少女を見据える。

「……話を中断してしまい、すみませんでした。では、食事を再開しましょう」

「えぇ、お願いね」

 と、言い、笑顔を浮かべた自分は肯定した後で、レイリに食べさせてもらう為に口を大きく開けるのだった。


 


 リヤードに建てられている市議会館内に存在する大部屋のひとつから回廊側へと姿を現したのは、十数人以上の男性達。その全てが皮鎧を身に纏い、背中にはいずれも曲刀の鞘をぶら下げており、彼らは、レザーとファーティマの婚礼の旅に帯同している者とリヤードに駐屯している治安部隊に所属している者の二つに別れていた。

「あぁ、終わった……。やっと、これで俺らも夕飯にありつけるな」

「作戦会議中にお腹が鳴った時は、本当に参った。何を食おうかな? そういえば、リヤードで美味しい食事処はどこだっけ?」

「リヤードはあんまり、来たことがないから、知らないなぁ」

「……そうか」

 市議会議員や職員でもない戦闘を主戦場とする人々がここにいるのは、王子の花嫁を救出する、という作戦会議に参加していた為であり、それは、さきほどまで居た一室で行なわれていたが、現在、夕餉の時刻に差し掛かるということもあって、休憩を挟むこととなり、大部屋で夕食をとるレザーとジャバードと市議会の人々と隊長達とは異なり、他の兵士達は、夕食を食べようとリヤードの市街へと出かけようとしていた。

 そして、二十メートル以上もある直線の通路を歩く一団の中には、後ろ髪を束ねている青年も含まれている。

 アスワドは、ふぅ、と肺の中に溜まっていた空気を吐き出し、新たな酸素を得ようと深く息を吸い込んでいる最中に、三時間以上にも及んだ話し合いの間、ずっと椅子に座りっぱなしだったこともあり、筋張ってきていた身体を柔らかくしようと左右の五指を重ね合わせた状態で頭の天辺まで持ち上げて、背筋を伸ばそうとしている。

 前方を行く二人の男性の背中をぼんやりと見ている間に、

「しかし、ファーティマ様を攫った連中の目的が分からないまま、会議が終わってしまったけどさ、ジャバード様達は、これからどうするつもりなのだろうか?」

「それさえはっきりしてくれていれば、私どもも動きやすいんだがなぁ……」

 二人の男性がぽつりと漏らした呟きは、そのまま、救出作戦に関する方針すらもまだ見出せていないという今の現状を表しているものでもあった。

……結局、作戦会議中にアイツに関する手掛かりが届くこともなかった。このまま、明日も袋小路の状態が続くのだろうか? ……それだけは、何が何でも避けたいよな。だったら、自分で集めるしかな…………ん??? この香り……。

 鼻腔の奥を擽り、空腹をさらに刺激する料理の匂いが漂ってきた。

 ふと、視線を右に動かしたアスワドは、こちらの方へと料理を運んでくる女性達の姿を視認する。

……レザー様達の食事かぁ……。

 一人目、二人目、三人目とすれ違い、四人目の給仕役を務めている女性が横切ろうとしていた時だった。彼女の風貌を目の端で捉えた瞬間に、あれ? と思い、歩みを止めるとともに振り返り、

「マフナーズさんはこんな所で何を為さって……。あぁ、食事を運んでいるのですか」

 顔見知りの女性も足を止めて、自分の方に振り向くと同じタイミングで、そうよ、と応じた。

「それじゃあ、俺は行きますね」

「……アスワド君。ちょっと、待って。尋ねたいことがあるの」

「何でしょうか?」

「作戦会議の方はどうだった? お嬢様の行方に関する手掛かりを見つけることは出来たの?」

 焦燥感を隠しきれていない声の調子で問い掛けるマフナーズを一瞥したアスワドは、首を左右に振りながら、言葉を紡ぎだす。

「……目新しい情報が届くことはありませんでした。救出作戦もいつ決行するのかすらも、不透明のままです」

 そうなの、と吐息混じりに囁いた親交のある侍女が二の句を告げる前に、

「……俺はこれから、襲撃者のタトゥーに関する情報を集めようと思っています」

「あぁ、レザー様が仰っていたタトゥーね。そういえば、作戦会議でそのことを訊いてみたんじゃないの?」

「いえ、あの場に集まってくれていた者達からは有益なものは訊けませんでした。……ですから、一番隊と二番隊の負傷者達がいるジャバード様の別邸の方に向かってみようと考えてます」

 あぁ、という吐息とともに琥珀色の双眸に納得の色を露わにしたマフナーズは、ふっくらとした唇を開き、

「彼らなら、何かしらの手掛かりを知っているかも知れない、と。そう考えているのね」

「はい。……それに、仮面で素顔を隠している連中と戦ったあいつらなら、タトゥー以外にも連中の正体に繋がる何かを知っている可能性もありますしね」

「なるほどね。それじゃあ、期待して待っていることにするわね。アスワド君、いってらっしゃい」

「はい、行って来ます」

 市議会館の正門へと駆け出す後ろ髪を一本に束ねている青年であった。



 青から赤へと空の色がゆるやかに変化し続けている時間帯。陰影が濃くなり、昼間とは異なる明るさに包まれている空間には、重軽傷を負い、看病が必要不可欠となった一番隊と二番隊の者達の寝床が揃えられて、左右一列ずつに別れている。

 その数、十人以上。現在進行形で仲間達のほとんどが夕飯を食していた最中であり、そこに足を踏み入れたアスワドは、その場面を眼にすることとなった。

 一歩、二歩、三歩と前進していく中で、

「あれ? アスワドじゃないか。こんな所でどうした……あぁ、そうか。俺達の見舞いに来てくれたのか」

 左手側の方向から声を掛けられ、振り向いた自分の琥珀色の瞳に映り出されたのは、列の手前付近にある寝床のひとつで上体を起こしている仲間の一人であった。

 後ろ髪を縛っている青年は、同僚である彼の傍まで歩み寄った後で肯定の意思を伝える為に、頷きを返すとともに、怪我の具合はどうよ? と尋ねる。

「こうして、ご飯を食べられているくらいには平気だよ」

 自分と対話している相手が己の利き手側の地面に置いてある木の盆に載せられている料理を見下ろしながら、言った。

「それなら、良かった。…………ところで、襲撃してきた仮面を被っていた連中のことを訊きたいのだが、今、良いか?」

「……えっ? 作戦会議に参加した者達がその時の状況を話したんじゃないのか?」

「んー、俺の知りたかったことが分からなかったから、ここに来たんだよ」

「知りたいこと、ね。まぁ、俺に答えられる範囲のものであるならば、構わない。それで、何を訊きたいんだ?」

「そうか、ありがとう。えっと、俺が知りたいのは、レザー様が見た襲撃者の一人の身体に描かれているタトゥーの紋様がどんなものだったか、ということなんだが……」

 タトゥー……、という声を漏らした負傷兵は、己の顎先を右手で掴み、目を細める。

「それで襲撃者達の正体が判るのか?」

「そうなるかもしれないし、そうならないかも知れない。だからこそ、レザー様が見たタトゥーをおまえ達が見ているかが鍵になるってわけだ。……で、お前は見たのか? それとも、見てないのか?」

「…………」

 ハシバミ色を有する一対の瞳を大きく見開いた仲間の一人が後ろ髪を一本に束ねている青年を不思議そうな眼差しで見上げる。

「ん? 急に黙り込んじゃって、どうしたんだよ?」

 お前は、という一言をまず最初に紡ぎ出した相手の反応に、アスワドが首を傾げ、疑問の声を上げるよりのも早く、目の前にいる男性は二の句を継ぐ。

「何をそんなに焦っているんだ?」

「そう見えるか?」

「あぁ。……でもまぁ、その気持ちは分からないでもないさ。相手を必要以上に甘く見てしまった結果、レザー様の大切なひとを守りきれなかったからなぁ……。ましてや、アスワドはあの場に居合わせなかった訳だし、悔しさは俺達以上かも知れない。そうだろ?」

 と、吐息混じりに囁いた同僚の一人は、苦笑気味に口の端を吊り上げる。

 二十代の男性が言った内容が耳の奥に流れ込んできた瞬間に、レザー様の大切なひとね、と胸中で呟いている間に、無意識の内にアスワドの唇が引き絞られる。

……確かにそうだな。だからこそ、これ以上、レザー様を悲しませない為にもファーティマを探して、助けださなきゃいけないといけないよな。

 と、自分自身にそう言い聞かせる。

 数拍の間を置いてから、

「…………まぁな。それで、さっきの質問なんだけど、答えはどんな感じ?」

「アスワド、レザー様が見たっていうタトゥーは、どの部分にあったんだ?」

「確か、右腕の辺りだと、そんな風に言っていた」

「右腕辺りかぁ~~~。…………んー、やっぱり、お前が言っている相手のタトゥーは記憶に無いから見ていないと思うぞ?」

 そうか、と残念そうに応じてから、この場を離れようと右足を一歩分の距離を後退させようとしていた。あっ、という気付きの小さな声を漏らした仲間の一人であった。

 その音に反応したアスワドは、目線を落として、もう一度、眼前にいる男性に焦点を合わせる。

「……そういえば、他の奴なら見た。そうだ、確かに見た。そいつは確か、首筋から背中にかけて、タトゥーがあった」

「それは本当なのかっ!?」

「あぁ。でも、俺が見たので良いのか?」

「良いよ。だって、仮面の者達の情報がこっちは一つでも多く欲しいから……。それに、レザー様が見たのと同じタトゥーの紋様である可能性も捨てきれないと思うしね。それじゃあ、その紋様を教えて欲しい」

 彼は、えっと、あれはだな……、という一言を述べてから、

「…………」

「胴体を絡ませている三匹の蛇が顎を大きく開けて、正面を向いている模様だった」

 負傷兵の言葉を自分の脳が正確に捉えるのに、五秒以上十五秒未満の時間を要する。

 そして、理解した時、驚愕の色がアスワドの瞳孔に映し出され、急速に舌の根が乾きだすような錯覚に襲われる。

……嘘だろ。そんなのって……。

「アスワド、どうしたんだ? 顔が蒼ざめてているぞ?」

「いや、何でもないから気にしなくて良い。……それよりも、本当に三匹の蛇だったんだな?」

「おう」

 深くて長い息を吐き出しながら、右の五指で己の髪を乱雑に掻き回す。

……よりにもよって、こんな形で出くわすなんてな…………あっ!! そうか。マフナーズさんが言っていた違和感の正体が今になって、ようやく、分かったぞ。彼らなら、俺と同じ剣術であっても、おかしくない。なんで、今の今まで、そのことに気がつかなかったんだ。だけど、組織として関わっているのか。それとも、違うのか。それを知ることが大切だよな。もっと、情報を集めないと……。

「情報、ありがとうな」

 と、告げた後ろ髪を一本に纏めている青年は、今まで話し相手だった男性の所から別の仲間達がいる位置へと移動する為に身を翻す。

 その途中で、

「なんか分かったのか?」

 若者の問いかけに振り返ると、彼と自分の視線が交差しあう。

「そうだなぁ……。お前達をこんな目に遭わせた襲撃者の正体が分かってきたかも知れない。ただ、確証を得る為にも、みんなに聞き込みをしてくる」

「とりあえず、俺の情報が役に立ちそうなんだな。それなら、良かった」

 と、安堵し、両肩を撫で下ろす視線の先にいる男性の反応を横目でちらりと見ていたアスワドは、かなり、助かった、と労いの言を掛けた後で、現在、意識を回復している負傷兵達の所に近付き、話し始める。




 数分も経たない内に、自分の胸中にあった一つの疑念は、彼らに対する手掛かりとなる証拠へと変化して、確信をもらした。そして、レザーやジャバードにこのことを伝えようとしたが、作戦会議の方は、闇夜の時刻ということもあり、お開きになってしまい、明日以降に持ち込まれることとなった。

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