ヤミビト
鉱山都市レジーナに向かう途中、森の中から響いた叫びにアゼルは一瞬立ち止まったが、そのまま歩き続けようとした。
「大人の男の声……。分不相応な場所に入り込んだ馬鹿か」
迅八とクロウは既に鉱山都市にいるらしいし、シズとトムは二人で別の事をしている。キリエはと言えば、先に乗り込んで情報収集すると言って先行してしまった。
「どうせそんな事しないくせに…。別にいいけど」
この二年間でトムとキリエとは随分一緒にいる。アゼルも彼らの性格がだいぶ見えてきた。
「一言で表すと、頭が良いアホだからな……」
そして、それはトム達だけではない。
アゼルの友達の黒髪の少年。彼もやはりアホだった。
「妹をからかいすぎて、空の上でぶっ飛ばされるってどういう事なんだよ……」
そして思い出す。黒髪の少年、迅八の顔を。
…この二年間、ほぼ毎日一緒にいる彼は、アゼルの友達だ。アゼルは迅八の顔をこんなに見ていないのは久しぶりだった。
ぼーっとしていて、ヘラヘラしていて、すぐに泣いて、…しかし時々、血を流しながら敵に叫ぶ少年の顔を思い出す。
「ふふ……、あいつバカだからな」
思い出し笑いをしていると、先ほどよりも甲高い叫びがアゼルの耳に届いた。…子供の声。
一瞬だけ躊躇した。目的地のそばで厄介事に巻き込まれるのはまずい。
しかし、一行の決定権を持つ迅八が、こういう時にどう動くかをアゼルは知っている。
ストールがほどけないように一度強く顔に巻きつけると、全速で森の中に跳んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・
敵の確認もそこそこに、目標の首に神速でナイフを走らせる。
もう見ないでも分かる。一撃で命を刈り取る会心の一撃は、いつも通り敵の体を地に倒した。
「無事か」
ナイフに付いた穢れを払う。
後ろにいる子供たちに振り返ると、真っ先に目に入ったのは、年長の少女だった。
……腰を抜かして尻餅をついているその少女は、膝をガクガクと震わせながら、それでも両手を広げていた。後ろにいる子供たちを守るように。
(……来てよかった。頑張ったんだな)
アゼルよりも年下に見えるその少女は、明るい栗色の髪の毛と、可愛らしい顔立ちを持っていた。
目に涙を浮かべ、よっぽど怖かったのか、その頬は興奮と緊張のあまり真っ赤になっていた。
まだ緊張から解けていないように見える少女は、その唇を震わせながらもアゼルに向かい口を開いた。
「あ、あり、がとう……」
「………………別に」
(ふぅ……無事で良かった)
そっけなく言ったアゼルの言葉に、少女の顔は更に真っ赤になった。
まだ混乱から抜け出せていない様に見える少女に、アゼルは近寄ると手を差し出した。
「……ほら。手を」
「え……」
「立てないだろう。……せっかく君に似合う綺麗な服を着ている。汚してはもったいない」
「そ、そんな、……はいっ」
少女の潤んだ瞳の水分が、どんどん多くなってきている。今にも泣き出しそうな少女の頭を、アゼルはそっと肩に抱いた。
「えっ…………」
「……大丈夫だ。よく子供たちを守ったな。俺はアゼルスタンだ。……君の名は?」
「あ、アゼルスタン、さま……、わ、私は、サアヤと申します……!」
「可愛い名前だ。…サアヤ、立てるか?」
「は、はいぃぃぃぃっ……!!」
アゼルがサアヤの体を離そうとするが、サアヤは腰が砕けてしまったようにアゼルから離れようとしない。
すこし強めにその肩を引き離すと、サアヤの口から悲しそうな声が響いた。
「あっ……」
「ほら、立て。いつまでも甘えるな。……子供たちを安心させてやれ。出来るな?」
「……はいっ!!」
…つまり、アゼルスタンは完璧だった。
黒髪の少年とは違った。
「おうアゼル、どこで道草食ってやがった」
その声にアゼルは一瞬だけ眉をあげて驚いたがすぐに平静に戻った。子狐がアゼルの体を駆け登ると、その肩の上でストールの端を体に巻きつけくるまった。
「途中で興味深い集団を見つけた。シズ達はそいつらを見てるよ。……それよりジンは? 一緒にいないで大丈夫なのか?」
「あいつは鼻の下伸ばしてそこの小娘の母親にベッタリだ。くかかかか……」
「……へえ」
「そういや小娘の事も可愛いとか抜かしてやがったな、あんのバカは……ゲラゲラゲラッ!!」
「…………へえ」
すっ…と。
アゼルの顔から表情が抜けた。
「あれ? あんれれえー? どうした? どおおうしたああ? ……なんか嫌な顔してんなおめえ」
「うるさいぞ犬、さっさと下りろよ。…人の肩の上で丸まってんじゃあないぞ」
「くかかかか……。んじゃそのムカつきでさっさと終わらせろ。ほれ、そいつ『ヤミビト』だぞ」
「……なに、」
ばんっっ!!
風が破裂するように聞こえたその音は弛緩した空気を裂く。寒冷の森の中、鋭角的な木々の隙間を縫う悪意。
「イギイイイイイイイイ、ッッヒャ……」
倒れた姿勢のまま宙に跳ねた怪物は、その腹に空いた口を下に向けて、紫色の吐瀉物を撒き散らした。
……雨が降る。
粒の大きなその雨は、糸を引きながら散らされる。咄嗟に顔をかばったアゼルの後ろで子供たちの叫びが聞こえた。
「……サアヤッ!! ここから離れろ!!」
「な、なにこれ……!」
「いいから下がれっ!!」
じりじりと。顔をかばった腕、露出した前腕に紫色がへばりつく。ちりつく痛みと灼ける音、それと共に肌が溶ける。
「なんでこんな所にこいつが!!」
「知らねえよ。ほれさっさと倒せ」
だしゅっ! 地に落ちた怪物は、皮一枚でかろうじて繋がっている首を接合させるように持ち上げた。
めり、めりめり、…胴体の脊髄にあたる部分から紫色の触手が伸びる。するとその触手は螺旋を描きながら首の断面に食い込んだ。
引き離すようにえぐり貫き、宙に浮いた首はゆっくりと触手に引き戻される。やがて胴体と接合した首はその目玉をくるりと回した。ひきつれる目玉、その下の口から溢れ出る。威嚇の為の笑い声が。
「ぐぎひはははははははははっっ!!」
「ステージ4……、病み人っ!!」
アゼルは腰に巻きつけたベルトに下がるナイフの一本を抜き払い、下から上に振り上げるように怪物に向けて投げつけた。
一呼吸する前に敵に到達する投擲は、呆気なく怪物の心臓に食い込んだ。…がくり、怪物の膝が落ちる。
予想していなかった敵の出現に、アゼルは荒い息で声を出した。
「ビビらせやがって……! クロウ、なんで病み人が、」
「だあーかあーら、さっさと終わらせろっつってんだろが。脳味噌いけ脳味噌。心臓じゃダメだろ」
「イギヒィアアアアアアアアアッッヒャ!」
怪物の顔が再び上がると右腕を前に突き出した。
べり、べりべりっ!! …腕が裂ける。
五本の指が広がり続け、手のひらが裂ける。
裂けた手のひらは亀裂を更に進め腕の根元まで到達する。わずか数秒、その後には右腕は枝分かれした紫色の触手に変わった。
無造作に振るわれる触手はうねりながらアゼルに迫る。ぶんっ! 風を切る音が自分の体に当たる寸前、アゼルは両足の魔力を爆発させて宙に跳んだ。
「……ほら、じゃあこれでいいだろ」
「初めっからやっとけや」
きんっ
腰のナイフを両手で抜き払う。
ざすっ、ざすっ!!
怪物の頭頂にそれを突き立てる。
そこを支点にくるりと宙で一回転すると、振り落とされないようにストールにしがみついている子狐の姿が見えた。
「……おまえもやれよ。なんでその姿のままなんだ?」
「調子出ねえ。なんか他の姿になったらバラバラになりそうな気がすんだよ」
一瞬の間に呑気な会話を終えるとすぐ目の前に地面が見えた。…くるん。体を丸めて足から地に降りたつ。風でほどけそうになったストールをきつく締め直すと、アゼルの後ろで怪物が倒れる音がドサリと響いた。
「くかかかか……。お前今、決まった……! って思ってただろ」
「思ってない……あいつと一緒にするな」
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(な、なんなのこれぇぇ……)
サアヤは目の前の光景が信じられなかった。
自分の目の前に横たわっている怪物の死体。
信じられないのはそれもそうなのだが、その向こう側で立っている、主人公の様な少年。
(……王子……!!)
赤毛の少年、…サアヤから見ると少年の瞳は余りにも美しい。
サアヤよりも少し年上に見える少年は、鉱山の町の粗野な男たちとは全てが違った。
赤毛の間から見える、きめ細かい肌。
肩にかからない位まで伸びた髪は、男にしては長い方だが中性的な瞳によく似合っている。
上半身はダボついたフード付きのコートを着ているが、下半身には半ズボンを履いているようで、コートから裸の足が伸びているように見えた。
(……アゼルスタン、さま……!!)
そして、サアヤが完璧なる一目惚れをした瞬間、目の前の死体の顔が起き上がった。
「あ」
「ギシシシシシャシャシャシャ……」
間近で見たその顔は、変形して歪んではいるが、人間だった。ナイフが突き立つ頭頂から流れ出る赤い血液、目から涙のように流れ続ける紫色の液体。
……ばかり。サアヤの目の前で、口が開いた。
すると怪物はその首をサアヤに伸ばした。
「ウソ……」
首をかじられた。
ぶつりと。
己の動脈に歯が突き立つ。
死ぬ。
……パンッ
その乾いた音が響き渡ると怪物の牙から力が抜けた。ごりん、動脈にかかる牙が最後の力で引きちぎろうとする。
……パンッ 再び音がすると完全に牙は首から離れた。
サアヤにのしかかる様に体を預けてきた怪物は、まるでサアヤの耳元で囁くような格好で肩の上にアゴを乗せている。
歩いてくる人影。
ぐいっと。その人影、アゼルが怪物の髪を掴んだ。
ぱんっ
左手で髪を掴むアゼルが右手に握っている道具。それがサアヤの目の前で火を噴いた。
「け、拳銃……?」
ぱん、ぱん、ぱんぱんぱんっ
脳味噌を混ぜるように頭頂に銃身を突っ込むと、そのまま連続で引き金を引き絞る。
サアヤの肩に伝わる振動。鼓膜から入る音で頭がくらむ。
ぱん、ぱん、……空気を破裂させる音がやがてカチカチと引き金を引く音だけに変わる。
振動が止むと赤毛の少年は怪物の体をサアヤから引き剥がした。
「……悪かったな。脳味噌の壊し方が甘かったみたいだ」
サアヤは自分の顔にへばりつく何かが口の中にまで入り込みそうになっているのに気付いた。
するとアゼルスタンと名乗る少年は、優しくその肉片を手で拭った。
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「熱っ!!」
「レジーナさん、だ、大丈夫!?」
坑道の中、熱水脈が湧き出る高温の温泉。
時折吹き出す熱湯のしぶきがレジーナのシャツにかかった。
「ちょ、ヤケドしちゃうよ、大丈夫!?」
「大丈夫だよ。慣れてるからさ」
「ジンさん……、まさか、流れで脱がせたいんすか?」
「いや、違え!! そんな事本当に思ってねえわっ!!」
迅八はこんな事をしていた。