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アゲイン×2 ネームレスの冒険  作者: 紺堂悦文
第二部 第一幕
1/7

それは空から舞い降りる

 



 この世界には名前がない。



 世界の辺境と呼ばれる場所にある、巨大な『南の木』。その南の木最寄りの町、オズワルドで初めて少年は目撃された。


 オズワルドを混乱に巻き込んだ、天使と悪魔の戦い。それを止めた少年は、異界から来た転生者だった。

 正体不明の転生者。誰も名前を知らない少年、通称ネームレス。



 ……吟遊詩人達は歌う。

 曰く、異界の知識を駆使し、燃え盛る館を消火させ、中から囚われの少女を助け出した。



 旅芸人達は演じ語る。

 曰く、空を翔ける翼でもって、魔の手に落ちた亜人の姫君を救い出した。



 世界に広まる書物には記されている。

 南の国の地底墳墓にて起こった、人と天魔入り乱れての戦い。

 十二使徒、千年の大悪魔、世界に名を馳せる忌々しい大悪党、あるいは、誰もが避ける死にたがり。

 この世界に住む人間なら、一度は聞いた事のある者たちが集う死地において、戦いを収めたのもネームレスであるという。






 ……けどね。それってホントかな?






 だって、千年の大悪魔とか十二使徒とかロックボトムとか……私みたいな一般人だって知ってるような、危険な魔物や怖い人ばっかりなんだよ?

 私は、そんなお話はウソだと思ってる。


 ネームレスって、漫画の中では凄くかっこ良く描かれてるんだけど、せめてこれはホントだったらいいなって思う。…だって、どうせそんなお話ウソだもん。


 迫り来る魔物をものともせずに、見ず知らずの女の子を守る為だけに困難に立ち向かう男の子。いたら素敵だけど、いないよね。

 私たちは勇者じゃないし、人間の心ってそんなに綺麗でもないし強くもない。……だって、私には見えるし聞こえるから。



 みんなが言うの。

 この世界は美しい。

 けどね、聞こえる。

 違う言葉が。



 ……元の世界にいた時から持ってた私の特別な力は、この世界に来てからというもの、どんどん強くなっていった。

 その力が嫌で、こっちの世界も嫌で、私が住んでる暗い町も、なんだか全部が嫌で嫌で。…元の世界でそうしてたみたいに、こっちの世界でも私は一人で漫画ばっかり読んでる。


 そんな自分の事も、本当は嫌で嫌で仕方がない、いつもの一日。……ホントに突然、その男の子は空から降ってきた。








 ————————————————

 アゲインx2 ネームレスの冒険

 ————————————————








 ……カアン、カーン ……カアン、カーン



 正午をしらせる鐘が、鉱山の町に鳴り響く。

 部屋の中で本を読んでいた少女は、聞こえてくる黄色い音に気付いてその本を閉じた。


 用意しておいたパンかごに、読み途中の本を差し込む。パンかごの中には母親の昼食が入っている。……朝、出掛ける時に持っていけと何度も言っているのに、母親はそれをしない。必ず娘に持ってこさせる。



「……私はあんたの道具じゃないっての」



 窓の外をちらりと見ると、いつもと同じぼんやりとした町並みが見えた。

 今、この町は雨季の終わりかけで、いつでも薄暗い。今日は雨が降っていないようだが、いつ降り出すか分からない。少女はパンかごに差し込んだ本を見て、一瞬置いていこうかと考えた。


「大丈夫だよね。……もってこ」


 母親と話はしたくないので、出来るならこれを逃げ場にしたい。少女がパンかごの取手を持ち玄関の扉へ向かうと、部屋の奥から少女を送り出すように、オレンジ色の鳴き声が聞こえた。


「行ってくるね。チータ」






 ……扉を開けると、いつも通りの町並みが見えた。

 標高三千メートルに近い場所。山の斜面を切り取ったような、天然の絶壁に作られたこの町は、正午を越えるといつでも薄暗い。中天を越えた太陽が、絶壁の向こうに隠れてしまうからだ。

 雨季のどんよりとした雲と、そびえる壁の向こうに行ってしまった太陽。

 薄暗い町の通りを少女が進むと、丁度向かいの家から住人が出てきた所だった。


「おや、サアヤ。レジーナの所に行くのかい」

「……こんにちわ」

「あたしも旦那んとこに弁当もってくんだ」

「……はあ」


 ころころと太った女。

 その女は少女の横に並ぶと微笑みながら言った。


じゃあ一緒に行こうか(…陰気な子だねえ)


「……はい」








 サアヤと呼ばれた少女は、ずっと足元を見ながら歩いていた。鉱山の町は昼食の時間に入り、仕事の音は鳴りを潜め、その代わりに人の話し声で溢れている。

 母が働いている坑道に向かう途中、商店が立ち並ぶ町の広場に差し掛かると、聞きたくもない人々の会話がサアヤの耳に聞こえてきた。



「おい、おまえんとこのガキは今年で幾つだっけ? だいぶデカくなっただろ?」

「七つだ。…………可愛いもんさ(金がかかって仕方ねえ)


「おい、そっちの新入りは嫁さんもらったばっかりだろ? …さっさとガキ作れよ」

いやあ……ははは……(おまえに関係ねえだろ)




 …今日も鉱山の町の男達は、サアヤにとっては意味のない下品な会話、本音を話さない暇つぶしの会話だけで場を繋いでいる。

 サアヤは足元だけを見て歩き続けていた。聞こえたくない声だけでもうんざりとしているのに、顔を上げれば見たくもない色まで見えてしまう。

 すると、サアヤの視界に青い言葉が飛び込んできた。


「……ちょっとあんた、聞いてんのかいサアヤ」

「あ……」


 その冷たい声に。


「……サアヤ。あんたもっとシャキッとしなっ。あんたも鉱山の女なんだ。そんな下ばっか向いてないで、レジーナを見習って……」

「ご、ごめんなさい」

「……はあー。ったく。ほら行くよ」


 サアヤは足元を見たまま、太った女の後を追った。




 ————————————————




 なだらかな傾斜を登り続け、絶壁のふもとにたどり着いたサアヤが壁を見上げると、そこには幾つものぽっかりと空いた暗い穴があった。

 この町、絶壁の鉱山都市『レジーナ』の名物、『アリの巣』と呼ばれる坑道。


 点々と空いた暗い穴は、その中で縦横無尽に広がり、鉱床に添い掘り進められた穴の中には地下数十メートルまで伸びるものもある。この中で、働きアリのような人間達が働いている。


 簡単な縄ばしごがぶら下がっているだけの穴。

 整地されて階段が伸びている穴。

 はたまた地面に接している坑道にはレールが敷かれ、トロッコが往き来出来る穴もあるし、数年前には一部の物好きしか乗り回していなかった、『自動車』のモーターを流用して作られるようになった運搬機、移動用の昇降機まである。

 絶壁にほぼ等間隔に設置されている昇降機は、途中で作られた足場などを経由して頂上まで続く。

 サアヤの居る場所からは見えない絶壁の上の部分には、アリの巣と並ぶ、この町のもう一つの名物仕事場がある。サアヤは地面と頂上の間で動き続ける昇降機をちらりと見た。



 ……ガンガン ガーンガーン。元の世界の静かなエレベーターとは違う、この世界の野蛮な昇降機の野蛮な音。


 野蛮な音に乗り、野蛮な人間達が降りてくる。

 そして、野蛮人の中には彼女の母親も居るのだ。…母親と呼んでいいのかよく分からない人が。


 ここまでサアヤと一緒に来た女は、夫が働いている坑道に向かっていった。

 ……往復する昇降機が、アリの巣の中で働いていた人間達をどんどんと吐き出してゆく。

 ほとんど裸同然で働いている、屈強な男達の汗の匂い。風に乗り流れてくる濁った色をしたそれに、サアヤは吐き気をこらえた。



「……サアヤ! ありがとね、もうお腹減っちゃってさ!」



 聞こえてきた声。それを見たサアヤはまた下を向いた。


「サアヤ、あんたもお腹減ってるでしょ。ほら、一緒に食べよう」

「…………」


 足元を見ているサアヤの視界に、母親の声の暖かい色が見えた。そして、それに続いて、汚い足が見えた。

 ススとほこりと泥水で汚れた生足、女とは思えないふくらはぎの筋肉。

 サアヤがゆっくりと視界を上げると、予想していたものが目に飛び込んできた。


「……!! もうっ、なんでちゃんと服着ないの!? 信じられない!! 」

「だ、だって、今やってるとこはすぐそばを熱水脈が通ってるから、中は暑いんだよ」


 サアヤの母親は、丈夫な革で作られた短いズボンを履き、上半身は半裸でそこに立っていた。

 …男のように短く切っている髪。羽織っているシャツをはだけさせ、豊かな乳房が半分程こぼれてしまっている。


「だからって……!」

「みんなこうなんだよ。暑いんだから仕方ないじゃんか」


 母親は周りの男達を指差した。

 みんな上半身裸の男達は、サアヤ達親子のいつものやりとりを苦い顔をして見ていた。

 母親…レジーナのそばに居た男が呆れたように言う。


「…おいサアヤ。あんまり母ちゃんいじめんなよ」

「………………」


仲良くしろよ。な?(めんどくせえガキだ)

「じゃあ、みんなこの人の事をいやらしい目で見るのやめて」

「はあ?」


「サアヤ、何言ってんの。そんな目で見てる奴がいるはずないだろ……ねえ、そうだろあんた達?」


 レジーナが周りの男達に言うと、みんな口々にそうだそうだと言っている。


「ほら、みんなこう言ってるよ」



(あんたは心の声が聞こえないだけでしょ……)








 …下を向いて黙ったサアヤの横を、男達が通りすぎてゆく。周りの者が誰もいなくなると、レジーナはシャツをちゃんと着直してからサアヤの肩を掴んだ。


「ほらサアヤ。ご飯食べようよ……ね?」

「…………」


 何も答えないサアヤに向けてレジーナが吐いたため息は、サアヤの視界に入ってくると悲しそうな色に変わった。




 ・・・・・・・・・・・・・・・




 この町の支配者であるレジーナの方針により、鉱山で働く者たちはゆっくりとした昼食を取る。

 みんな傾斜を降りてゆき、町の食堂に行く者や一度自宅に帰る者、様々に過ごす人間達の中で、サアヤとレジーナの二人だけは、アリの巣のそばの丘で座り込んでいた。


 サアヤが見下ろす先には鉱山の町が広がっている。……絶壁の町、日の光から見放された町。

 正確な測量はされていないものの、おおよそ標高三千メートルに位置すると言われているこの町は、北の大地の寒冷な気候とあいまって、いつでも肌寒い。

 それでもレジーナや炭鉱夫達は慣れたもので、いつも通りの薄着だが、滅多に表には出ないサアヤにとって、母親との寒々とした場所での昼食は、気が滅入る時間だった。


(……うちに帰りたいな。あったかいスープ飲みたい)




「…ほら、これも美味しいよサアヤ」

「知ってる。私が作ったから」


 レジーナはやたらとサアヤに構いたがる。

 サアヤはそれを無視して家から持ち出してきた漫画を読みだした。黙ってその様子を見ていたレジーナは、口の中の物を飲み込んでから、おずおずと娘に言った。


「…サアヤ、それ面白い? けど、一緒にご飯食べてるんだから……」

「…………ん」


 母親の事が嫌いな訳ではないのだ。

 ただ、どう付き合えばいいのか、最近はよく分からなくなってしまった。

 漫画を読めなくなったサアヤは、いつものように空想の世界に一人だけ飛んだ。


 …いつも思い出す。

 元の世界で大好きだった、漫画やアニメの事を。

 その時だけは、自分の忌まわしい力の事も、このつまらない世界の事も気にならない。


 元の世界で幼い頃からずっと憧れていたのだ。ファンタジーの世界に。

 しかし実際に来てみたら、そのファンタジーの世界も元の世界となにも変わりはしなかった。

 …本音と建前だけの世界。嘘ばかりの世界。



「ねえサアヤ……、それでね……」



『母親』がずっと何かを喋っている。

 それでも、すでにサアヤの意識はその場から遥か空へと飛んでいた。


 この世界で最近お気に入りの漫画も面白いが、サアヤが一番好きなのは元の世界のアニメだった。……空から落ちてくる少女の話。

 物語の冒頭で、主人公の元に、青い光に包まれた少女が空から落ちてくる。

 非現実の始まりが分かりやすくてドキドキするそのシーンに、初めて見た時はテレビの前で口を開けた。


(…………ラララー、 ララー、 ラーラー…………あんな世界に、行きたかったなあ)


 そんな、願いのような事を心の中でつぶやき、サアヤもボソボソとしたパンを食べた。














 ……そして、少女の願いは叶えられる。



 時、今。

 場所、ここで。


 少女にとっての非現実は、雨季の終わりかけのどんよりとした空の下、暗い鉱山の町に落ちてきた。




 ————————————————





「…………え?」

「ん? どうしたのサアヤ」


 初め、目にゴミが入ったのかと思った。

 どんよりとした空の真ん中に、黒点が見えた。

 目をゴシゴシとこすってみても、その黒点はどんどん大きくなってくる。

 サアヤの視線に気付いたレジーナも、空を見ると驚きの声をあげた。


「……なにあれ」

「ウソでしょ? …ホントに、空から……」


 青い光に包まれた何かが落ちてくる。

 段々とその姿形が目に見えるようになると、その青い光は少年の姿だと分かった。


「な……」

「ウソ……ウソ!? ……凄い凄いっっ!! ホントにっ、ホントに空から青い光につつ、」




 ぶわおんっ!!


 ドッッダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンッッばしゃあああああああああああんっっ!!


「……え」



 叩きつけられる音が聞こえる少し前、少年の顔が見えたのは一瞬、本当に一瞬。巻き起こった風がサアヤの髪を逆立たせる。

 そして、その一瞬の後、凄まじい速度で落ちてきた少年は、地面に激突して破裂した。


「えっっ!!」


 血の霧が舞う。日の光を遮る雲から漏れるわずかな光が更に暗くなる。

 ……ひゅるひゅるひゅるひゅる

 風を切る音がすぐ上から聞こえたかと思うと、サアヤの頭の上に何かが降ってきた。

 バシンッッ!! 平手で頭を叩かれた衝撃。

 すぐに横のレジーナを見る。


「痛ッ、な、なにすんのっ!?」


 しかしレジーナはその場に座り続けていて、目を見開いてサアヤの頭の上を見ていた。


「さ、サアヤ…………!!」

「え、なにこれ…………手っ!? ちょ、ちょおおおおおおおーーーーっ!?」


 まだ温もりが残る千切れたその腕は、サアヤの頭の上でビクビクと動いている。悲鳴と共にサアヤがそれを投げ捨てると、その腕はまるで断末魔をあげるように、一度、二度、地面に爪を食い込ませた。


「ひぃぃぃぃぃッッやあああああああッッ!!」

「な、にゃ、にゃにゃ……っ!!」


 口の中に広がっている錆びた味。

 血の霧を吸うたびに肺の奥に沈殿してゆく、人間の死の匂い。この時点ですでにサアヤは限界だった。


「こ、き、ひ、ひィぃぃ……!!」


 ぬちゃりと。糸を引くような何かが、自分の頬に貼り付いている。

 ……ゆっっくりと、レジーナを見る。


「ねえ、ねえ……かあ、……レジーナ、これ、なに? 私のほっぺたに、なにが、ついてるのッッ!!」

「さ、さあ、さあや……、うし、うし……」

「……牛?」


 サアヤはそんな事を言いながら、そんなはずはない事も分かっていた。


「やめて……、ちょっと、やめてよ……!!」

「うし……ろ……」

「だからやめてって!!」

「サアヤ後ろっ!!」


 ……げふぅ


 突然自分の肩の後ろから聞こえてきた赤い呼吸音に、サアヤは肌が粟立った。

 そしてその音が聞こえた直後、自分の背中にもたれかかってくるものがあった。


「ヒィィィィィイイイイイイッッ!?」

「…………して」


 振り向けない。

 何が居るのか分かりすぎてて振り向けない。血まみれの少年、地面に激突して破裂した少年の顔が脳裏に浮かぶ。


(ちょ、ちょっと待ってよ……!! あんなの、生きてるはずないでしょ!?)


 サアヤは混乱しながら反射的に言葉を出した。



「な、なに、なにっ!?」

「かえ……して」

「だ、だからなにをおおおおおおおっ!!」


 すると、前を向き続けているサアヤの視界の端、後ろから回り込むように、その顔は少しずつ現れた。


 ぐしゃぐしゃに潰れた顔。

 血涙を流し続ける、真っ暗な深い穴。


「目玉、返してェ……」


 ……コロンと。

 サアヤの頬に今まで付いていた柔らかい何かが落ちると、それは地面の上をコロコロと転がった後にサアヤの事を真っ直ぐに見た。


「あひゃああああああああああああああッッ!!」


 くるり かくり ばたんっ!

 白目 腰砕け 地に倒れる。







 ……少女の願いは叶えられ、それは空から舞い降りた。


 時、地底墳墓の戦いの二年後。

 場所、北の国の外れに位置する鉱山都市レジーナ。


 絶壁の鉱山都市、石炭と鉱石と塩の町で、ネームレスの冒険は幕を開ける。




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