第二話 『絶対生存計画』
「んあ……」
意識が、輪郭の無いぼやけたものから次第にはっきりと形を帯びたものになってきた。
俺は無意識に目を開いた。
そのまま何が見えているのかもわからないまま数秒間、視線を漂わせた。
そして俺の脳が目から見えているものの情報を得て、状況を確認しだすには数分を要した。
見えたのは周りを覆い、辺りの空間を暗くしている木々。
そして自分の見える視界より高い草。
俺の脳はそれらの情報を俺の知っている知識と照らし合わせた結果、ここが森だと言う事を結論付けた。
上半身を起こして高い所からも情報を得ようとしたが、やはりここが森だと言う事に間違いは無かった。
何故、俺は森に居る。
俺はトラックに跳ね飛ばされた後、ナイフで滅多刺しにされて死んだはずなのに……。
格好はあの時と変わらず黒いTシャツに、首には白のヘッドフォン。
ポケットには愛用の、電波の繋がっていないスマートフォンだけが入っていた。
「俺、助かったのかな……もしかして。でも、何で森に居るんだろう」
立ち上がって体を動かしてみる。
どこも思い通りに動き、感覚もある。
後遺症などは無い様だ。
とりあえず、この森から出るために歩くことにした。
森さえ出れば、東京なんだし建物があるに違いない。
俺は、暗い森の中をこそこそと歩き始めた。
第二話 『絶対生存計画』
「はぁ……はぁ……もう東京全域を歩いた気がする……」
手元のスマートフォンを見ると13時30分と表示されていた。
俺が歩き始めた時間が12時30分過ぎだから、もうかれこれ一時間くらい歩いている。
どれだけ広い森なんだ。
足は膝が固まって棒のようになるし、暑くて汗はかくし、そのくせ水が無いから喉が渇いてしょうがない。
体力も元々ある方では無いから、息も絶え絶えになっていた。
まさか歩くだけで息が切れるなんて思いもしなかった。
すると、歩いている道の途中に丁度良い大きさの切り株を見つけた。
地面に座るのが何となく嫌だった俺は「いやっふー」と切り株に座って休憩を取る。
ふくらはぎはパンパンに張り、汗で服が体にべったりと貼り付いている。
服をつまんで前後に振って体に風を送って、体の温度を精一杯下げようとしている俺だったが、背後で激しい息遣いが聞こえ、振り返る。
「誰かいるんですかー?」
次の瞬間、俺の頭目掛けて黒い何かが飛び掛かってきた。
とっさに上半身を逸らしてそれを回避する。黒い物体はそのまま反対側の木々の中へ消えて行った。
素早く立ち上がって辺りを見渡す。
もしかして、野犬と言う奴かもしれない。襲われたら、この森から出られなくなる可能性が高い。
俺は前に走り出した。足が悲鳴を上げるが構わず走る。
だが、途中でつま先が何かに引っかかるのを感じた。
走っていた勢いも合わさって盛大に顔面から地面に衝突する。
「痛っつー……!」
打った鼻を押さえながら立ち上がると、どうやら木の根っこに引っかかってしまったらしい。
その時、俺の周囲360度からあの激しい息遣いが聞こえてきた。
暗い木々の隙間から6匹程の犬が現れた。
しかし、俺は犬を見た瞬間心臓をキュッと締め付けられるような恐怖を感じた。
何故なら、その犬は俺が今までに見た犬とはかけ離れた犬だったからだ。
身長170㎝の俺の腰程の大きさで、赤く光った目に、体中に鎖が巻きつけられていた。
体が急に縮こまるのを感じた。
人間の本能で、恐怖を感じると反射的に体が縮こまると言うのを聞いたことがある。そして、それは同時に動けなくなる危険性も孕んでいる事も。
足にどんなに力を入れてもピクリとも動かない。
腰が抜ける、や足がすくむ、と言った慣用句の意味を身を持って知った。
「ほぉ……人間の子供か」
「人間の子供の肉は柔らかくて好きなんだ」
舌なめずりする犬が、日本語でハッキリと喋った事も恐怖を加速させた。
囲まれているが、逃げることが出来れば可能性はある。
しかし、逃げようとしても足が動かなかった。
あの時のジノの様子が何故か頭に浮かんだ。
涙を流し、足に力が入らなくて、動く事すらできない状況。
それは、張り詰めた緊張感の中での恐怖が引き起こしていた現象だった。
犬の化け物が距離をじわじわと詰めてくる。
気が付くと俺の目には涙が溜まっていた。こんな年になって、恐怖で涙を流すことになるとは全く思わなかった。
恐怖があるから足が動かないのに、恐怖を振り払うことが出来ない。
膝が石膏で塗り固められたかのように動かない。
「さあ兄弟、一斉にかかるぞ」
目の前の一際大きな犬の怪物が、他の犬の怪物に喋りかける。
怪物共は、体勢を低くして飛び掛かる準備に入った。
悪あがきでもなんでもいい。俺は、足を必死に叩いた。
その時。
ブーッ、ブーッとポケットのスマートフォンの鳴らしたバイブレータが暗い森の中に鳴り響いた。
その音を聞き、犬の怪物どもが驚いて一瞬動きを止めた。
俺に恐怖を味わせていた緊張感の中での恐怖が一瞬、消えてなくなるのを感じた。
「ど、どけえええええええええええええええええええええええええええ!!!」
70㎝はある犬の怪物の一匹を弾き飛ばし、俺は全力で走った。
「逃がすな、追え! 追いつき、捕まえた奴は喉笛を噛み千切れ!」
背後から声が聞こえ、森の中の地面に落ちている木の葉を踏みながら走ってくる音が迫ってきた。
俺はスマートフォンを取り出し、メニュー画面を開く。
さっきのバイブレータはこのスマートフォンがアプリをダウンロードし、インストールし終わった時のバイブレータのパターンだった。
電波が繋がっておらず、なおかつ操作をしていないのに勝手にダウンロード・インストールされたアプリ。
間違いなく、この状況を打破する何かがある。
メニュー画面には、電話やメールと言った普通のアプリとは違って一際浮いている見覚えのない六芒星の『サバイバープログラム』と言うアプリがあった。
俺は走りながらアプリをタッチし、起動した。
しかし、表示された六芒星をバックにした画面には何も映っていないかった。
俺が見たいのはこんな記号じゃない!
絶対に何かがあるはずだ……何かが!
「よう、何してるんだ?」
しまったっ―――――!
そう思った時には、俺は上半身に飛び掛かられ、地面に叩きつけられていた。
リーダー格の大きな犬は俺の喉笛を掻っ切ろうとして噛み付いてきた。
スマートフォンを持った手で顔を押しのけようとするが、犬の化け物の力はあり得ないほどに強かった。
し、死にたくない。
あの時だって、俺は「死にたくなかった」。
ネットと言う薄い繋がりだろうと、俺の友達が一人死んだ。だから、もう一人は助けなきゃと思った。でも助けられず、不可抗力で俺も多分―――――死んだ。
でも、今は不可抗力じゃない。何故か俺は生きてるんだし、今だってどうにかすれば助かるかもしれない。
だから―――――俺は「死にたくない」じゃなく、
(俺は「生きたい」っ!)
『召喚プログラム、実行。召喚プログラム、実行』
次の瞬間電子音声が流れ、スマートフォンからまばゆい光が放たれた。
気が付くと上半身の重みが無くなっていた。犬の化け物が俺から離れたのだろうか。
光が消えると、俺を守るように立つ何かが居た。
『【番犬の英雄】の召喚を確認』
「貴様……魔物のクセに人間の味方をするつもりか!」
犬が何かに向かって吠える。
何かは、それを無視して俺の方を向いた。
それはマンガに出てくるような美男子で、全身を純白の鎧で覆い、手には長槍を携えていた。
「我が名はクー・フーリン。我が主との盟約を果たすため、番犬としてお前たちと戦うまでだ」
「この野郎……殺っちまえ、兄弟!」
いつの間にか増えていた犬の怪物どもがクー・フーリンと名乗る青年に襲いかかる。
しかし、クー・フーリンはその場を動くことなく、飛び掛かってくる犬の怪物を串刺しにしていった。
その突き出すスピードと戻すスピードは、俺の目では確認することが出来ないほどのスピードだった。
気が付けば、5匹が長槍に貫かれ息絶えていた。クー・フーリンはそれらを血飛沫を飛ばす動作で地面に叩きつけた。
リーダー格の犬の顔の皺が見る見るうちに増えていく。
「よくも兄弟を!」
そう言うと、全身に巻き付いている鎖がクー・フーリンに襲いかかる。
それを弾き飛ばすクー・フーリンだったが、その隙をついて上からリーダー格の犬が飛び掛かった。
「かかったな、アホが! 拘束!」
次の瞬間、鎖が数十本にも増え、クー・フーリンの体に巻き付いた。
そしてクー・フーリンの持っていた長槍が、倒れている俺の元に落ちてきた。
「フン、そのままあの世へ逝け、我が兄弟たちと共にな!」
落下してくる犬の怪物。どう見ても隙だらけだ。
これなら……!
俺はクー・フーリンの長槍を握りしめ、立ち上がった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「何ッ!? バカなぁ!!!」
真上に突き出した長槍はそのまま犬の怪物の口を貫通し、尻尾の当たりから先端が突き出した。
それと同時に突き出した槍の先端から血が噴き出した。
「……この、糞餓鬼……がぁ……!」
断末魔を上げながら、そのリーダー格の犬の怪物は光の粒子となって消えて行った。
そしてクー・フーリンに巻き付いた鎖も消えて行った。
俺は、膝をつくクー・フーリンに長槍を手渡す。クー・フーリンは驚いた顔をしていたが、
「……恩に着る」
と言うと、同じように光の粒子となって消え始めたのだ。
「ちょ、ちょっと待て! ここはどこだ? 君は何も知らないのか!」
しかし、クー・フーリンは何も答えず、ただ右を指で指し示すと完全に光の粒子となって消え去った。
俺は、もう一度アプリを開いたが、何故か俺の顔写真と名前が記されていただけだった。
「……チクショウ」
俺は思い切り地面を踏みつけた。
でも、ここから出られそうなのは確実だ。さっきの右と言うのは出口の事だろう。
と、アプリの下にメニューが新しくある事に気が付いた。
『ストック』と、『パーティー』という項目が増えている。
ストックを押すと、そこにはあの黒い犬の怪物の画像が表示されていた。
【地獄の番犬】と言う名前らしい。
その時、偶然指が滑って隣にある召喚ボタンを押してしまった。
『召喚プログラム、実行。召喚プログラム、実行』
電子音声と共に、俺の目の前へあの黒い犬の怪物が現れた。
『【地獄の番犬】の召喚を確認』
「くっ……! 死んだはずじゃあ……」
俺は慌てて後ずさりする。
しかし、それを見たヘルハウンドはやれやれ、と言った表情でこちらへ歩み寄ってきた。
「心配するな。もう襲わないから」
「……どういう意味だ?」
「全く不本意だが、俺はお前に殺られた後、何らかの理由でお前と
契約を結ばされ、生き返ったようだ。
だから、お前を襲えば俺は折角生き返ったのにまた死ぬことになる。
そうなれば死んだ兄弟に顔向けができない」
「へ、へぇ……あ、そうだ」
目が覚めて、ようやくまともに話せる相手に会ったのだから、ここがどこかを聞いておく必要がある。
「ここがどこなのか知ってるか?」
「お前、バカか? ……ここは争奪の世界だ」
は?
こっちがバカか? と聞きたいくらいだ。
何なんだ、スクランブルワールドって!
「じゃ、じゃあここの辺りに東京って地名の所はあるのか?」
「……お前は異世界人か。そんな地名は無い」
異世界人……?
待てよ、ラノベで読んだことがある。
人が死ぬと、神様が気まぐれで異世界に飛ばすんだとか。
まさか、俺は異世界に来たのか―――――!?
……成程ねえ。
異世界、か。悪くない。
現世は何か刺激が無くて退屈した日常を送っていた。
でも、異世界にはこんな奴らが居る。
決めた。
もしかすると博麗やジノもこの世界に居るかもしれない。
俺はこの世界で生き抜いてやる。絶対に。
俺はヘルハウンドに右手を差し出す。
「な、何だそれは?」
「俺は、異世界人だ。お前の言うとおり。だからまあお前は俺がこの異世界で生きる上でのパートナーって訳だな?
これは、俺の居た世界の礼儀作法だ。俺は黒峰真也。よろしくな」
ヘルハウンドは差し出された右手を見ていたが、やがて同じく右前足を俺の手の上に乗せた。
「……フン、まあいい。兄弟達の分まで生きさせてもらう為に貴様には生きていてもらわねばならんからな」
ここに、俺の異世界サバイバルが始まった。
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