同級生
「飯倉君だよね。」と僕の顔をじっと見つめながら、囁くように話しかけてきた女性が僕の目の前にいた。「私の事、きっと覚えてないよね。中学の頃の同級生の吉崎理佐というんだけど。」「はぁ」「やっぱり、覚えてないよね。ごめんなさい。じゃあね。」。彼女は会話を終わらせて、立ち去ろうとしたが、私は「ちょっと、待って!」と声をかけた。「なに?」「ちょっと話したいことがあるんだ。」「私も、あなたに話したいことがあるの。特に、杏子ちゃんの事とか。」「時間は少しあるかな?」「ある。」「じゃあ、花見をしつつ、少し歩きながら話そう。」
私と彼女は、桜の木がどこまでも続くかのような細い道を一緒に歩き出した。私は、まず、何から話を切り出すべきなのかを迷っていた。記憶を失っている僕には、彼女が一体、何者なのかも分からない。私の中学校の頃の同級生である事は、彼女の言った内容から間違いないようだが。「私の事、変な人だと思ったよね。というより、きっと覚えてないよね。中学校の頃、話しかけたことなんてなかったし。」「正直、覚えていなかった。でも、本当のところ、君の事だけを憶えてないわけじゃないんだ。」「どういう事。妙な言い方ね。」「それこそ、信じてもらえないかも知れないけど、僕は今、自分が一体何者なのかもわからないんだ。」「私も自分が何者なのかよく分からない。みんな、人生の道に迷っているんだね。」「いや、比喩表現ではなくて、言葉通りの意味なんだ。…つまり、記憶がないんだ。」「へぇ~。」なんだか、信じてもらえないようである。「信じてもらえないかな?」「うん。まぁね。」「別に信じてもらえなくても構わないんだけど、僕にしてみれば、僕の事を知ってる人に出会えて、とても、ラッキーだと思ったんだ。」「ねぇ、ということは、杏子ちゃんの事も憶えてないの?」「それって、僕の妻の事だよね。」「えっ!!あなた達、結婚したの。」「…らしいですよ。記憶がないので、よく知らないけど。」。僕の言葉に驚いたのか、彼女は一瞬立ち止まってしまった。が、すぐに、再び歩き出して、「私が聞きたかった事も、その事だったの。あの後、連絡が取れなくなっていたから、どうしているのか、ずっと気になっていたんだ。」「“あの後”って、どういう事。」「あっ…、そっか、そうだよね。あなた、記憶無いって、さっき言ってたもんね。」「僕と杏子の間に、何かあったのですか?」「うん、私ね、杏子ちゃんと友達だったから。二人の結婚について、色々な揉め事があったことを、杏子ちゃんの口から聞いていたの。」「揉め事って、どんな事?」「あなたの両親が二人の結婚に猛反対したらしくて。あの頃は、よく私との会話の中で、杏子ちゃん泣いていたっけ。」そんな事があったのか。「何故、僕の両親は、彼女との結婚に反対してたのですか?」「それって、私の口から言うべきじゃないかも知れないし、本当のところ、貴方の両親が何故、反対していたのか、その理由も分からない。でも、思い当たる節はあるし、杏子ちゃんも、その事でよく私に相談してきてたから。」「できれば、教えて欲しい。」「杏子ちゃんは『私が、子供を産めない体だから、彼の両親は反対してるんだ。』って、言ってたけど、私はそれだけじゃないと思う。」
彼女は、僕の隣で、とても寂しそうな顔をしながら、雲のような桜を見上げていた。