受付
ここに一枚の写真がある。僕と杏子が笑っている。結婚式の時の写真なのだろう。僕らの後ろにステンドグラスが見えている。これは、教会で写された写真である。写真の中の笑顔をみると、切なくなる。記憶をなくした僕には、彼らの気持ちがわからない。彼女を信じることのできない今のぼくには、きっとこんな優しい顔はできないだろう。写真の裏には、「思い出の生家にて、二人っきりの結婚式。2011年4月10日」と書かれている。今から約1年前に、二人は結婚式を挙げたようである。しかし、何故、「二人っきり」なのだろう?僕らは、駆け落ちでもしたのだろうか?全く、思い出せない。
この写真を見れば、僕と彼女が結婚をしていた事は事実であろう。彼女が僕の妻である事は間違いないようである。では、あの記憶の中の女性は誰なのか?
さて、勢いで家を飛び出してしまったものの、記憶を取り戻す手がかりがあまりにも少ないので、僕は途方に暮れていた。とりあえず、僕は電車に乗って、最初に目が覚めた、あの病院へと戻ってきた。まず、スタート地点に立ち戻る事が大事だとおもったし、直感的に、何かの情報が得られるような気がしたのである。僕は受付の女性に、何を話すべきなのか、どう切り出すべきなのか迷ったが、勢いで「すいません、えーっと、僕は二日前に、この病院を退院したものなのですが、ちょっと気になる事がありまして、僕の担当だった先生にお話しをうかがいたいのですが。」と尋ねてみた。受付の女性は「では、とりあえず、貴方のお名前と、担当の先生の名前を教えて下さい。」と言ってきた。そこで、僕は担当の医者の名前を特に聞いていなかった事を思い出した。細かいことは、全て杏子がやってくれたので、僕は、目が覚めて、ただ退院しただけであったのだ。「すいません、担当の先生の名前を憶えてないのですが。」「では、貴方のお名前だけでも結構ですので、ここにフルネームで書いてもらえますか。」。そこで、僕は自分の名前を書くと、受付の女性はパソコンをカチャカチャとさせながら、画面をじっくりと見つめながら、またカチャカチャと音を鳴らせた。何やら、考え込んでいるようであったが、しばらくすると「貴方は、本当にこの病院に入院されていたのですか?」と聞いてきた。「ええ、そうだと思います。僕自身は事故で気を失っていたので、入院の間の記憶は無いのですが。入院していたはずです。」「しかし、二日前に飯倉洋一という人が退院したという記録が残っていませんし、そもそも飯倉洋一という患者が入院したという記録もないようなのですが?」。その言葉を聞いた僕は、もちろん動揺はしたのだが、不思議と、そこまで驚かなかった。むしろ、「やはり、そうだったか」という確信の思いが強まったのである。僕は、彼女に礼を述べて、病院を出た。病院の傍にあるコンビニに立ち寄り、ソフトクリームを買い、気分を落ち着けるためにその場で食べ始めた。ゆっくりと食べながら、考え始めた。これで、杏子が嘘をついていたことがハッキリとした。少なくとも、僕はあの病院には入院していなかった。この事実を彼女が知らなかったわけもないだろう。これだけでも、十分彼女を問い詰めることはできる。しかし、問い詰めたところで彼女が本当の事を話してくれるだろうか?
そんな事を考えながらソフトクリームを食べ終えようとしていた時、突然、僕の前から女性の声がした。