夜
ふと、トイレに行きたくなって、布団から起き上がる。私と彼女はすでに就寝中であった。トイレを済ませた後、しばらく家を探索してみようという気になる。もう少し記憶の手掛かりになるものがないだろうか?アルバムは見てみたが、結局、何も感じなかった。何か別のものならば、どうだろう。昔付けていた日記なんかがあるといいんだけど。そうだ、パソコンにきっと何か手がかりがあるはずだ。しかし、昨日からそれとなく探しているがそもそもパソコンが無い。僕の過去の記憶の手掛かりになるようなものが、極力、消されているような気がする。私の思い過ごしだろうか?ここで、ふと先程の彼女の言葉が頭をよぎる。何故、彼女はあんな事を言ったのだろう。少なくとも、あの言葉は、彼女の偽らざる気持であったような気がする。これ以上、余計な詮索をするのはよした方がいいのだろうか。彼女の言う事を信じるべきなのだろうか?どうすべきか。そんな事を考えていると、急に喉が渇いてきた。冷蔵庫からビールを取り出して、ぐっと飲む。窓に映る、車のヘッドライトの明かりが、走馬灯のように見える。「眠れないのかしら?」。彼女が、後ろから突然、声をかけてきたので、思わず僕はビクリとした。「起きていたのですか?」「私も眠れないの。私も少し飲もうかしら。」そう言いながら、彼女は台所からワインを持ってきた。グラスにワインを注ぎながら彼女は、「さっきの私の言葉、きっと奇妙に思ったよね。」と言う。「気にしないで、と言っても気になるのは当然だと思う。でもね、私は、あなたに対して何か悪意を持っているわけではないの。わかってくれる?」。僕は何を言うべきか、言葉に詰まってしまった。ようやく、僕は「確かに、気にならないなんてのは嘘です。」と絞り出すように言った。「そうよね。良かった、正直に言ってくれて。」。その言葉を言って、彼女は黙ってしまった。「もしも、何か隠し事があるとしてですが、その隠し事は、僕に悪意のある隠し事ではないというのですね?」「そうね。少なくとも、私はあなたに対して悪意ある隠し事はしない事は誓えるわ。」「わかったよ。君の事を信じるよ。」「ありがとう。嬉しい。」。そして、二人は窓を見つめた。「そういえば、昨日からまだ君の名前を聞いてなかった。」「ようやく、名前を聞いてくれたのね。…杏子だよ、覚えてる。」「ごめん」「いいのよ。私を信用してくれた事が嬉しいのだから。…そうだ、乾杯しましょう。あなたのグラス持ってくるね。」そういうと、彼女は自分のグラスを床に置いて立ち上がった。その時、彼女は自分の足で、グラスを蹴ってしまった。真っ赤なワインが床に流れる。すると、突然、僕の心がざわつき、冷や汗がだらだらと流れてきた。ふと、僕の口から思いもかけない言葉が口をついた。「血だ。血が流れている。」