畿内変動
高政の出方に怒り高屋城攻めを決行する長慶に
将軍義輝の命により謎の軍団長の指令の下により動き出す
時を越えた武将 第14話 「畿内変動」始まります
高屋城を30000で取り囲んだ長慶軍は、
兵糧責めにすべく蟻1匹出さぬ態勢を取って半月経とうかとしていた。
「どうだ、まだ降ってこんか?」
「そろそろ切れる頃かと」
長慶の問いに久秀が答えたが、彼は腑に落ちないと思った。
この高屋城攻めは、急遽決めた為もうそろそろ高屋城の米が少なくなってくるはずである。しかし、城内は毎日が大騒ぎである。
騒いでいたらそれだけ早く減るにも拘わらずにだ。
陰で大きな者が蠢いている。
そこで久秀は、一計を講じ居城に引き上げたのであった。
長慶はまだ来ぬ四国勢を急がせる事にしたが、
しかし阿波は細川掃部頭真之と足利左馬頭義親【義栄】・大西出雲守頼武によって、
讃岐は十河孫六郎重好【義継】と安宅摂津守冬康・香川中務丞之景、又五郎景全によって、
長慶を支持する一派は一掃されていた。
それは、1ヶ月前に真之と義親の親友2人に3通ずつの手紙が発端であった。
義親の父義維は三好元長つまり長慶の父に味方していたけれど、
後見人である元長の自害により自害するつもりが当時の管領である細川晴元により阻止されて大内家を頼り落ち延びていた。
その時義親は真之の父細川讃岐守持隆に真之と同等に育てられたが、
1553年、三好豊前守義賢が父同然の細川讃岐の持隆を殺害、
それにより真之と義親は義賢の傀儡になり、
2人は三好長慶兄弟に不満を持っていた時に手紙が来たのである。
一通は将軍義輝公からともう一通は細川家京桃家前当主細川晴元からである。
晴元からは管領職は畠山家に譲った事、細川家の本家としての統括を真之に譲渡する事が書かれ、
義輝からは長慶を討伐する為の指示書が書かれていた。
その手紙に乗った2人は淡路の安宅冬安を説得し、
阿波・讃岐と平定した。
四国勢を待っている長慶の前に篠原長房が飛び込んできた。
「岸和田城が鈴木勢に囲まれました」
「何!!豊前守を呼べ」
長慶は驚愕したが救援を出す為、次弟の義賢を呼んだ。
義賢が来ると岸和田救援軍を設立
「前衛 篠原長房・右翼 三好康長・左翼 三好政康・中堅 三好盛政・
本陣は 三好義賢とする蹴散らしてこい」
「はっ」
義賢は一礼して自陣に戻って行った。
1刻後、義賢は7000人引き連れ岸和田へ向かった。
夕刻になると虚報が飛び込んできた。
「十河隠岐守一存様討死」
流石にこれには長慶も落胆した。
十河隠岐守一存は長慶にとって4弟に当たる。
「何故そうなった?討死とはどういう事だ」
長慶は怒り使者に切り掛かる勢いであった。
「長慶様冷静になってください」
付き人が諌めたが火を付けてしまった様だ。
「何!!貴様、冷静になれだと、弟が死んだんだぞ」
「はい、解っております」
「解っているだと、ふざけんな」
「ふざけておりませぬ、この状況で報告が出来るのですか」
長慶は使者を見ると自らの手で彼を苦しめていた。
慌てて手を離した。
「すまない、報告してくれ」
使者は一息つき話し出した。
「足利義親と細川真之に十河城を攻められ十河隠岐守一存様無念の討死」
「そうかで 甥はどうした」
「はっ、まだ討ち取られたとは聞いておりませぬ」
「あい、解った」
長慶は落胆した。
そのころ、貝吹山に布陣した義賢は救出すべき岸和田城を眺めていた。
貝塚山陣所は岸和田城から東へ3キロの所にある。
前方後円墳の山頂のことで、標高44mの平山である。
大阪湾に浮かぶ多数の船が向かっているのが見られた。
「神太郎が来たか」
幼名神太郎 義賢の弟で安宅摂津守冬康で淡路水軍の総帥である。
翌日、淡路水軍は足利義親率いる四国勢5700人を岸和田より北の堺で降ろし、
木津川の北側の標高41mにある眞鍋城に本陣を置いた。
吉伸「俺の知らない出来事になりつつあるのだが」
白 「ある出来事により少しずつ史実とはズレが生じてるね」
吉伸「何があったのだ」
白 「それは・・・・後の話で」
吉伸 「次回、時を越えた武将 えっ貝吹山の戦い お楽しみに」