壊れた懐中時計
いつからだったかは覚えていないが、
アリスは、
壊れた懐中時計を持ち歩くようになった。
鎖付きで、少し重く、音もしない。
「直せばいいのに」
僕はそう言ってから、
目の前で黙々とお菓子をたべているセレナを見る。
「……?」
少し目線を上げ、
俯いてから、首を傾げている。
「いや、懐中時計の話だよ。アリスが持ってるやつ」
「あぁ、あれですか。
……最近は毎日持ってますよね」
今度はコーヒーに目を移し、
カップの取っ手を指で撫でながら、
セレナは静かに応える。
「でも直すって、なんの話です?」
「……あれ、壊れてるんじゃないの?」
「そうなんですか?」
「あれで時間を見ている所、見たことある?」
セレナは頭を持ち上げ、少し黙る。
「たぶん……ない、と思います」
「だよね」
カップを一口煽り、セレナは僕の方を向く。
「なんで……でしょうね。
アリスさんなら、さっさと直しそうですけど」
アリスは道具の手入れにうるさい。
壊れたまま放置する性格ではないのは確かだ。
「……呪いの懐中時計?」
——呪いとは?
セレナは声を落とし、ゆっくりと続ける。
「冒険者組合の噂です。
あるらしいですよ、呪い」
「……なんの呪い?」
「外せなくなるやつです」
「でも、外してるよね」
「そう……ですね」
着け外し出来るのに……必ず着ける。
「想い出の品とか?」
「想い出……ならありえますかね」
浅く頷くセレナを見て、悪くない気がした。
「大切な人に貰った時計。
直したら、同じものか分からなくなる、
だから直さない。
とか、どう?」
言ってから、その説明が妙にしっくりきた。
セレナはすぐには答えなかった。
カップの縁に口をつけたまま、
しばらく考えている。
「……ありそうです」
静かに、そう言った。
「アリスさん、そういうところありますよね」
「そういうところ?」
「壊れてても、
その……“そのまま”であることが大事」
スプーンが、カップの内側で小さく鳴る。
セレナは僕の視線を掴んだまま、続けた。
「……だから」
言いかけて、
言葉を探すように一瞬だけ口を閉じる。
「直すかどうかは、
壊れているかどうかとは、
あまり関係ないのかもしれません」
なるほど、と頷きかけて、やめる。
その続きを、彼女が言う気がしたからだ。
「“今のまま”でいることに、
意味がある時って、ありますよね」
視線が外れる。
セレナはカップの中身を確かめるように覗き込み、
もう一度だけスプーンを動かした。
澄んだ音が、小さく鳴る。
「……時間を見るための時計じゃ、
ないんでしょうね」
分かったような、分からなかったような、
そんな歯痒い気持ちだ。
——もう少し、アリスを理解したい。
そういうことなのか?
「想い出がモノに変わる……」
「はい。だから……
壊れたままでも、
動いていた証拠が欲しい、とか」
胸に刺さった棘が抜けたような気がした。
——
アリスがあの懐中時計を見ている。
「アリス、何を?」
「え、時間を見てるけど……何?」
あれ?おかしいな。
慌てる僕を、アリスは目を細めて見てくる。
「壊れてたんじゃ」
「よく知ってるわね。
壊れてたわ。だから直したのよ」
「いや、そうなんだけどさ」
アリスは、いつもと同じ顔で立っていた。
それだけで、
僕の考えが全部ずれていたと分かった。
「でも……着けてたじゃないか」
「お気に入りなのよ」
懐中時計を目の前で揺らし、
遠くを見るように眺めている。
——やっぱり。
「見た目がね、好きなの」
……。
「服に合うし」
結論はそれだけだった。
「どうしたの、ライル?」
「な、なんでもない」
「そう?なら、行きましょ。
もうすぐ待ち合わせの時間よ」
ほんのり重くなった足を引きずり、
僕はアリスについて行った。
——
「アリスさん、その懐中時計って」
「?あぁ、昔ね、貰ったのよ」
アリスさんは懐かしそうに言った。
読んでいただき、ありがとうございました。
自分のキャラクターを使った短編です。
これは、普通の冒険譚だと思っていたけど──たぶん僕だけがそう思っている
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