くねくね道の男と老婆
星屑による星屑のような童話。
お読みいただけるとうれしいです。
桜咲く、季節。
くねくねと続く細い山道を、男が無言で歩いていた。
花の甘い香りが立ち込め、鳥のさえずりがにぎやかに響く――。世の人々が何の迷いもなく浮かれてしまうような、そんなときに、なぜかその男は浮かない顔である。
というのも、その背中に痩せ細った老婆がしがみついていたからだった。息を少し荒くしつつも男は老婆をおんぶして、一歩一歩、踏みしめるように歩いている。
男は、名を源太郎といった。
もうすぐ五十歳になる中年男であるが、彼が背負っているのは、まぎれもなく、実の母親である。今日、七十五歳になったばかりだった。
老婆の機嫌が気になるのだろう。
男は、くねくねと曲がりくねる坂道をのぼりながら、時折振り返って母親の様子をうかがっていた。
「本当にすまないね、源太郎。手間をかけさせて……」
男とは対照的に静かな息づかいの老婆。
申し訳なさそうに、自分の息子の背中を見つめている。
しかし、男は大きく首を振ると、まるで自分に言い聞かせるように老婆の言葉に答えた。
「何を言っとるんじゃ。俺は、お母ちゃんの子じゃぞ。こんなことぐらい、たいしたことじゃないで」
「そうかね?」
「でも……お母ちゃんを山の頂上にどうしても連れて行かなきゃならないんか? 七十五歳になったら山に置き去りにしなきゃならないなんて……いくら『お国』の決まりとはいえ、俺は納得がいかん」
「まあ、仕方ないことじゃて。この国が、あまりにも貧乏になりすぎたんじゃ」
「でも……でも……」
感極まったらしい源太郎は口をもごもごと動かすだけで、それ以上は言葉を紡げなかった。彼の両目から、いろいろな想いのこもっているであろう大粒の涙が、ほろほろとこぼれ落ちていった。
山道は、一層くねくねになり、ますます険しくなっていく。
それでも黙々と歩身を進める源太郎の背中で揺れながら、老婆は彼女の数少ない持ち物の入った風呂敷包みを落とさないようにしっかりと抱えていた。
と、そんなときだった。
源太郎は、ぽきんぽきんと何かが折れるような音が自分の背中の方から時折聞こえてくることに気付いた。
「お母ちゃん、大丈夫か? さっきから、何やらぽきんぽきん、音がしてるけど」
「ん? ああ……木の枝を取ってるんじゃ」
「木の枝!? そんな、ばっちいもの取ってどうする」
「ばっちい……? そうか、ばっちいか。お前にはそう見えるんじゃな。でもな、こういうものも、必ず何かしらの役に立つものよ。それに源太郎……お前が帰る道も、これを目印にすればわかりやすいじゃろうと思うてな」
「ふうん……そんなものが役に立つのか? 俺には、ようわからんな。それに、そんな目印なんかなくたって、俺はちゃんと戻れる」
やがて、親子は山の頂上にやって来た。
そこには、小さな墓場があった。青々とした草むらが茂り、苔むした古い石碑が並ぶその場所に男は足を止め、静かに母親を地面に降ろした。
「ここで大丈夫かな、お母ちゃん」
源太郎はそう言うと、頭を下げた。
老婆が、息子に微笑む。
「ああ、ここでええ。ここが、わしの終の棲家になるんじゃ」
老婆は風呂敷の結び目を解くと、そこから中身を取り出した。そこには、一枚のマイナンバーカードと、一台のスマートフォンが入っていた。
「一応、持ってきたけど……要らんかったかな」
ぽそり、つぶやいた老婆。
と、近くで何かを発見したらしい息子が叫んだ。
「お母ちゃん、そこに洞穴があるよ!」
「おお、ほんとじゃな」
「あそこで雨風をしのげそうだね。よかった」
「ああ、そうじゃな。残り少ない余生を、あの中で過ごすとするよ……。それにしても虚しいものじゃな。今まで一生懸命に働き、納税してきたのに、後期高齢者の七十五歳になった途端に何もない山に捨てられるのじゃから。ここは……まさに21世紀の姥捨て山じゃ」
「うばすてやま? 何それ、聞いたことないよ」
「……すまんな、源太郎。わしはお前の育て方を間違ったのかもしれん」
そのとき、男の腕に着いたスマートウォッチが鳴った。
画面には、最新のAIナビゲーションサービスが表示されている。男は胸ポケットからスマートフォンを取り出し、恐らくは家で彼を待っているであろう家族に対し、SNSのアプリで連絡を取ったようだった。
「ここ、あんまり電波がよくないね。でも、ナビで何とか家まで帰れそうだよ」
「そうか。それはよかったな」
「じゃあ、元気でね。さようなら」
そう言って自分の母親の肩を軽く叩くと、源太郎は意気揚々とその場を去っていった。その背中は「厄介者を追い払うことができた」という喜びに満ち溢れているようにも見える。
そんな息子の背中を見送りながら、老婆はその場に座り込んでしまった。
老婆は、かつては老人を大切にしていた時期もあったこの国が、経済的に行き詰まって年金制度も破綻すると、結局はないがしろにされてしまうという老人の運命は変わらない、ということを悟ったのだった。
「これでよかったんじゃ。うん、これでな」
老婆が、憂いの漂う顔でゆっくりと洞穴へと入っていく。
思ったよりも深い、洞窟だ。しばらく奥に進むと、なぜか、人々のにぎやかな声が聞こえてきた。
「おう、まさこさんじゃねえか。遅かったな、だいぶ待ったぞ」
そこは、洞窟の奥の開けた空間だった。天井がくり抜かれたような形で、見上げれば青空が見える。
そんな春の日差しに照らされる中、老婆よりやや年配の白髪のおじいさんがスマートフォンを手にした右手を高く突き上げ、老婆を歓迎した。その周りには、まるで南国のバカンス地のようにデッキチェアが並び、大勢の老人がそれに寝転んでそれぞれの時間を過ごしている。
「おお、ひでさんじゃないか! 二年ぶりかのぉ……。元気じゃったか?」
「おう。元気、元気。下界にいる頃より、健康になったくらいじゃ。それにしても、遅かったのう。まさこさんの誕生日は今日じゃとわかっとったし、早く『歓迎会』を始めたいと、皆で首を長くして待っておったんじゃぞ」
「いやあ……すまんかったなあ。なにせ最近、ウチの息子はスマホばかりいじって運動もしていないもんじゃから『ひ弱』でのう……おんぶもうまくできなかったんじゃよ」
「そうじゃったか。ならば仕方がないのう」
ひで爺さんは、まさこ婆さんに新品のデッキチェアを勧めた。
まさこ婆さんが「よっこいしょ」と、そこに腰を下ろす。するとひで爺さんは、「まずは、『うぇるかむどりんく』じゃ」と言って、桃色のスパークリングワインらしき飲み物が入ったシャンパングラスをまさこ婆さんに手渡した。
グラスをかちりと突き合わせ、かつて自宅がお隣同士で仲良くしていた頃を思い出しながら再会を祝した二人。
「ようこそ、老人の国へ!」
まさこ婆さんの歓迎会が始まった。
質素ではあるけれど、とても美味しそうな魚と野菜中心の料理がテーブルにいくつも並べられている。
「ここは、夢の国じゃ。金なんかなくたって、老練な医者もいれば、薬も食料もある。裏ルートで仕入れる方法なんて山ほどあるんじゃからな……。国も、年金なしで暮らしてもらえるならと、目をつぶってくれとる」
「ほほう、それはいいのう。わしは、もっとさみしい生活を想像しておった」
「奥に行けば、森に囲まれた開けた土地があって、そこで農業もやっとる。皆の、元気の源じゃな。水力や風力で発電する施設もあるぞ。元電気技師もいて、わいふぁい、とかいうものも使えるから、何の不便もない。これからはひもじい思いもせず、あの世に行くまで幸せに暮らしてこうや」
「ああ、やっぱりこの世は知恵と経験こそが、すべてじゃ。スマホやAIに頼りっきりで知恵も経験もない若者たちには、下界でコンピューターかなんか知らんがそんなものに言いなりになって、ひもじい暮らしをしてもらうしかないのぉ……。あ、そうじゃ。ひでさん、良いものがあるぞ。わしからのおみやげじゃ」
「おみやげ?」
まさこ婆さんは、「ちょっと待っての」と言い残すと洞窟の入り口の方に向かった。
しばらくして、まさこ婆さんは両手にたくさんのきれいな花をつけた桜の木の枝を抱えて戻って来た。
「これで、今日は『花見で一杯』といこうじゃないか。ウチのバカ息子は、これを『ばっちい』と言っていたがな……。ほんに、育て方を間違えたわ」
桜の花を見た人々から、賑やかな笑い声とともに歓声があがった。
その夜、LEDライトで照らされた洞穴の広場では、美しく薫る桜の花を愛でながらの、楽しい宴会が盛大に行われたのだった。
(おしまい)
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