7話 まっくろくろすけ
えりなちゃんは二日ほど入院して、元気になって戻ってきた。
「えりなちゃん、体調は大丈夫?」
「ごめんね、もう大丈夫だよ! お医者さんからは、水分不足だったって言われたの」
「そっかぁ、夏だもんね」
私たちはそんな話をしながら、いつものように並んで学校へ向かった。
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一ヶ月くらいして、学校は夏休みに入った。
私とえりなちゃんは、毎日のように一緒に遊んでいた。
そんなある日、えりなちゃんがふと、不思議な話をしてきた。
「鈴ちゃん、最近ね、トイレで……変なものが見えるんだ」
「変なもの?」
私は少しワクワクしながら聞き返す。
「白くて、ふわふわ……なんか、もやもやしたものが漂ってるの」
「え? 雲みたいなやつ?」
「ううん、ちょっと違うの。……ごめん、やっぱり気のせいかも。忘れて」
私は、えりなちゃんが見たという物を、うまく想像できなかった。
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夕ご飯のとき、その話を家族にしてみた。
「えりなちゃんがね、トイレで白いふわふわが見えたんだって。なんだろう?」
「それって……蜘蛛じゃないか?」
父が箸を止めて言った。
「うちにもたまに出るだろ? ふわふわした大きいやつ。鈴、見たことないか?」
「大きい蜘蛛なんか見たことないよ」
「門音は見たよ! おっきかった!」
妹は興奮したように身を乗り出してきた。
「こら門音、ご飯中ですよ」
母がやんわりとたしなめる。
「明日、えりなちゃんに教えてあげないと!」
「退院明けで不安もあるだろうし……鈴、しっかり様子見てあげてな」
「うん! 任せてよ。友達だもん!」
私は元気よく答えた。
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次の日の朝。
私はえりなちゃんと、いつものように公園で遊んでいた。
「えりなちゃん、昨日言ってた白いふわふわ、お父さんがでっかい蜘蛛じゃないかって!」
「そうなのかな……でも、黒いもやもやも見えるんだよね」
「黒いもやもや? それ、いつ見たの?」
えりなちゃんは少し不安そうに首をかしげる。
「昨日の夜。……またトイレで」
私はふと、あるものを思い出した。
「それ、まっくろくろすけだよ! いいなぁ、私も見てみたい!」
「え、あれって……まっくろくろすけ?」
えりなちゃんは少し驚いたようだったけど、すぐに笑顔になった。
「触ったら手が真っ黒になるからね! ダメだよ、絶対触っちゃ!」
「ふふふ、触るのは鈴ちゃんだけだよ」
「私も触らないってば!」
ふたりで笑いながら、くだらない話を続けた。
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「お父さん、聞いてよ。えりなちゃん、今度はまっくろくろすけ見たって! 私も見てみたいな〜」
私がそう言うと、父の顔が少し険しくなった。
「まっくろくろすけ……? えりなちゃんがそう言ったのか? 蜘蛛じゃなくて?」
「うん。なんか黒いもやもやが見えるって言ってたから、それまっくろくろすけだよ!って教えてあげたの。えらいでしょ?」
私は誇らしげに笑った。
父はしばらく考えてから、真剣な表情で言った。
「鈴、いいかい。もし次に、えりなちゃんが“違うもの”を見たら……すぐにお父さんに話しなさい」
「え……わかった」
そのときの父の顔が、いつもと違って見えて、私は思わずうなずいた。
父は立ち上がって、家のトイレの上をじっと見上げている。
「お父さん、何してるの?」
「ん……ちょっと確認しただけだよ。……まさかな」
その様子が気になって、私もこっそりトイレを覗いた。
けれど、そこには何もなかった。
あるのは、1週間前に貼ったままの、お札だけだった。