四話・Part1 2人の夜 家族と夜
セシアライト王国…王都ブライト。
王都を取り囲むようにして…聳え立っている壁を、アーチ状にくり抜かれたような…少し使った消しゴムのような形をした門を潜り抜けて、王都の馬車通りへと到着した。
荷物を背負い…ヤンちゃんを抱きかかえて、馬車を軽やかに降りる。
それからは…テイの案内に従い、右へ左へ…王都の中央区にどっしりと構えている王城へと向かい、ゾロゾロと足を進めている。
道中で、知らない食べ物や…変なオブジェクト等、様々なモノを目にした。
あの一際大きい建物は…なんの施設なのだろう。…と、興味が色々なモノに…次々と移ろっていく。
そして…辿り着いた王城の正門。
門の両端に、槍を地面に突き立てて…背筋をピンと伸ばし、銅像のように直立している騎士へと、テイが声を掛けて…門を開かせた。
そして、豪奢な庭や噴水を通り過ぎ…王城の入口の前まで移動すると、テイは立ち止まり…柔らかな笑顔で、心の底から…嬉しそうに述べた。
「…さて、お帰りなさいませ…姫様。貴方のご帰還を、俺は…心待ちにしておりました」
「…はい!セイ・レイフォン・ラ・セシアライト!無事此処に…生還出来ました!」
「ささっ、早く陛下のもとへ行きましょう。あの爺さん、食事が喉を通らない…って状態でしたので…時間も丁度良いですし、昼食の席にでも乗り込みましょう」
「俺達も良いのか?そんな感動的な…瞬間に立ち会っても」
「ああ、命の恩人なんだろう?なら、堂々と胸張って混ざればいいさ。シェフには予め文を飛ばしていたし…逆に、一緒に来てもらわないと、その分の料理が余っちゃって勿体ないからね。是非、君達も…もちろんメイも、一緒に来てくれないかな?」
「なるほど、用意周到だな。そう言うことなら…俺達も行きます」
「んじゃっ…俺が先頭で…姫様がその後ろ…更に後ろに君達ね。ついてきてくれ」
城内もテイの案内に従い、綺羅びやかな…装飾の施された廊下を歩み、セシアライト陛下の居る…食事スペースへと足を進める。
道中ですれ違う…使用人の一人ひとりが、セイを目にするたびに、綺麗に腰を折って…お辞儀をしている。
その光景に…俺は改めて実感した。セイは本当に…一国の姫なんだと。
普段はああなのに。ギャップ?が感じられるな。
「…あれってメイドぉ…?」
「そうそう、メイドさんだよ。…で、あの服の人が執事さん」
「本当に存在するんだぁ」
テイの計画を訊いてもなお…メイは、テイの左手を…メイ自身の両手でギュッと握って、隣を歩んで…横並びに進んでいる。…背中越しで確認が出来ないが…テイは恐らく、困り顔だろうと想像がつく。
セイは緊張しているのか…表情が暗く、視線も低い。
「セイ、抱っこして」
「…え!あ、はい…!」
「んしょ…」
どうしたんだ?……………セイの緊張を、解こうとしているのだろうか。
…どうやら、そのようだ。
「セイ、表情硬いよ。僕が緩ませてあげる」
セイにの首に腕を回して…ぎゅ~っと抱きつき、ヤンちゃんは頬同士を軽く擦り合わせた。
「わぁ~…可愛い…!いい香りが…!はわわわ…」
「…いつもの調子に戻ってきた。…相変わらず…甘い香りしてるね。これ好き」
「そ、そんなに耳元で囁かれると…ちょっと、良くない事になっちゃいます…!!」
戻って来たようだ…いつもの調子に。…いや…本当に、戻ってきてよかったのだろうか?先程まで感じていた…お姫様、という高貴な雰囲気が…この状態からだと感じられない。
…陛下の前では…流石に、こういう状態は晒さないだろうが……逆に、俺が緊張してしまいそうだ。
「もう、緊張無くなった?お姫様」
「……ふふ、そうですね。お陰で…緊張が解けました。ありがとうございます、ヤンちゃん」
「…もう少しだけ、このまま抱きついてていい?」
「はい!もちろんです!」
…なぜだか、腕が寂しいな。
…ん?テイが足を止めた。…ここか?
両開きの大きな扉。その片方のノブに手を掛けて…メイを連れて中へと入ったテイ。
…メイも中に入ってしまったが…大丈夫なのだろうか?
室内の音に集中してみると…陛下と思わしき声と、テイの会話が聴こえてきた。
「おお…テイではないか。…………その子は?」
「陛下、お食事中すみません。陛下により任されていた…姫様の捜索…そのご報告に参りました。この子は…帰還の途中に立ち寄った街で出会い、保護しているカオスです」
「なるほど…それでは、この子はテイと同じなのだな。手厚く歓迎しよう」
「手厚くだってよ、良かったな…メイ。それで…任務の結果を、先に申し上げますと…」
「…見つけられなかったのだろう?…あれから数日が経過してもなお、その手の報告は、儂の耳には届いておらん。我が息子と…その妻の遺体は見つかったのだが…セイだけは…一向に痕跡一つ見つけられない。……儂が、あの日に止めておけば、こんなことにはならなかっただろうに…不甲斐ない」
「まぁまぁ、落ち着いて…最後まで耳を傾けてください」
「…すまない。取り乱してしまった。一応訊いておくが…どうだったのだ?」
「………………」
「…テイ…?やはり…」
「姫様ー!!ご入室願います!」
…おっと、合図が来た。
ちょうど、どのタイミングで行っていいのか…考えあぐねていたところだったので、丁度良いタイミングである。
セイからヤンちゃんを受け取り、扉を引いて…中へと促す。
セイが室内へと一歩を踏み出し…聴こえてくるのは、椅子がガタッとなった音、少しして…バタンとソレが倒れる音、捻り出すように発される…陛下の驚愕の声。
俺もセイに続き…ヤンちゃんを抱いて中へ入り、扉を締めた。…こんなに広いスペースに独りで…食事に手を付けずに、ただボーッと過ごしていたのか。
国政もままなっていないのでは?…いや、それは流石に…しっかりとしている筈である。
……躓きながらも、此方へ力なく…駆け足で近づく陛下。その目には…今にも零れ落ちそうなほどに、ウルウルと涙を浮かべている。
「っ…!!ま…まさか、本当にセイなのか!?」
「はい、お爺さま!私は無事、生還しました。数日しか離れていないのに…数ヶ月間ぶりに顔を見た気がしますね」
「っ……!…おほん!セイ…もっと顔を見せておくれ」
「あれ?…お兄さまは…一緒には居ないのですか?」
「…あ~…実は、喧嘩中でな。…儂があまりにもメソメソしておったが故、呆れられてしまったのだ。気持ちを切り替えろ…とな」
「ふふ…お兄さまらしいです」
「陛下…感動の再開を邪魔するようで、申し訳ございませんが…此方の方々の紹介をさせてください」
テイが、俺達を目で指し…そう告げた。
「お初にお目に掛かります。俺は…ヨウと言い…ます」
「お初です。ヤンって名前です」
俺とヤンちゃんの…無愛想な名乗りを受けて、陛下は怪訝そうな表情を浮かべ…テイに問い掛けた。
「この者達は…?カオス…では、ないのだろう?」
「はい。ヨウとヤンちゃんは…セイの命を救った、所謂…セイにとっての、命の恩人でごさいます。以後、ご周知の程、よろしく願います」
「ほう……」
テイの方へと向けていた視線を、俺とヤンちゃんを交互に見るように動かして…足に関する事は触れずに、俺の方へ…陛下は声を掛けた。
「命の恩人…とは、お主で相違ないか?」
「ああ、俺だ。コレが本当か気になるなら…テイに調べてもらうといいだろう。陛下も、テイの力についてはご存知…ですよね」
「ああ、よく知っておる。…して、そのほかでもない、テイがお主を…セイの命の恩人だと申してくれた。………よくぞ…よくぞ救ってくれた…!儂はお主に、感謝しても仕切れない。ホク・レイフォン・ラ・セシアライトの名において、お主には最大限の褒美を与えよう」
…と、陛下が頭を下げてきたところで、何処かから…お腹の鳴る音が聴こえた。
「ごめんねぇ。今じゃないよねぇ」
「いやいや…もうお昼だし、今ではあるよ。……陛下、お食事…ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「うむ、構わぬ。…儂も、少しだけ腹が減っての…」
「安心してお腹が空いたんですね、陛下」
「では、シェフに連絡を入れなければな…」
「それなら、既にしてありますので大丈夫ですよ。そろそろ…到着する手筈かと」
…褒美か…何が貰えるのか、何を頼めるのか。
各々が、縦長のテーブルに…思い思いに腰を落ち着けた。
お誕生日席に陛下。…離れて、テイとメイ。…その対面に、セイ、俺、ヤンちゃんの順である。
こころなしか…陛下が寂しそうな表情をしている。視界の端から、此方側を見つめる…しょぼんとした顔。…はっきり見えてしまうが故に、気になって仕方がないな。
セイは……陛下との、実の祖父ほと感動の再開だろうに…なぜ、俺の隣に腰を下ろしたのか。
セイに視線を向けると、ニコニコ笑顔で…俺を見つめ返すばかり。…陛下など眼中にない?…いや、そんな事はないだろう……とも言い切れないのか。
「良いのか?陛下の隣に座らなくても。積もる話もある…でしょう?」
「良いんです。………私は、ヨウさんの…と、隣が良いです」
「…そうか」
………陛下。
なんて顔をしているんだ。思わず背けてしまっただろう。
呼吸を整えて、陛下が視界内に入るように戻す。
…これは駄目だ…!やっぱり堪えきれない。笑ってしまいそうだ。
「ヨウ、陛下の顔…」
「ふっ……ん゙ん゙!解っている……くふっ…」
「テイも凄いことになってるね」
ヤンちゃんの発言を受けて、対面へ腰を落ち着けている…テイの方へと視線を移した。……なるほどな。俺と同じような表情をしている。だが…殆ど隠しきれていない…肩が震えて、笑い声も…耳を澄ませば聴こえる。
「テイ、どうしたのぉ…?」
「…………………」
「テイ?具合悪いぃ?」
「ち…違うんだ……ングフッ……死にそうではあるね…ククッ」
「え…死んじゃ駄目ぇ。メイよりも先には駄目ぇ」
「大丈夫大丈夫。俺もカオスだから…心臓か、首から上か、核かを守れば死なないよ。それに、寿命も人と比べて長いしね」
陛下の…しょぼくれにしょぼくれた顔に、クツクツと笑いを堪えていると、扉から…各料理が乗った、手押しの…車輪のついた…わ、ワゴン?…………を、使用人が室内へと運んできた。
各々の配置を確認して…少し吹き出しつつも、使用人は料理を配膳し、気が付けばパーティーのように…料理の乗ったお皿が、ところ狭しとテーブルの上に並んでいた。
揚げ物やサラダ、スープに加え……中が赤い…レア?のお肉、一見ワインだが…恐らくジュース。
……っく…駄目だ。
陛下を視界に入れては駄目だ。
今は…両隣と正面、そして…料理に集中しよう。
いい香りだ。食欲を唆られる。
「いただき…ます」
スープからいこう。…急にドカドカとモノを入れては、胃を驚かせてしまうからな。
俺が…スプーンでスープを掬い上げると、なぜだか…セイやヤンちゃんも…スープへと手を伸ばしだす。俺と考えが同じなのか……好感度が高いが故に、同じものを食べたいのか。恐らくは後者だろう。
「メイ…口の周りが汚れてるよ。…ほら、こっち向いて。拭いたげるから」
「ありがとうぅ」
「…………よし、綺麗になった。改めて見ても、やっぱり整った顔立ちだね。可愛いよ」
「あ…ありがとうぅ…?メイも、テイの事格好良いって思うよぉ」
「うんうん。妻と娘にも、良く言われてたよ。お父さんは格好良いってね」
「あぁ………既婚者かぁ…」
……お肉も美味いな。
揚げ物も、サラダも…シェフには脱帽だ。
…さて、食べ終えたな。
おっと、お皿の回収も…かなり速いな。気が付いたら…テーブルの上がピカピカに拭かれている。いつやったんだ?
「…おっほん!」
全員が食べ終わった事を見計らい、咳払いを軽くし、皆の注目を取る陛下。
何やら真剣な面持ちである。
その視線はセイへと向いており、今から…彼女に関する話をするのだろうと、陛下が口開く前に勘付かされた。
俺は…ヤンちゃんを自身の膝の上に移動させて、いつでも此処を出られる準備を開始。2人きりで話したい内容である可能性、ソレが考えられるが為の行動である。
「では陛下、俺達はこれにて…」
「うむ。テイ、君に与える褒美なのだが…何を求む?悪れぬうちに、先に訊いておこう」
「俺は………」
「何でも良いぞ?家でも…土地でも…如何様でも構わぬ。お主が件の任務を成功させた事は、それほどの大義である」
少し考える素振りをして…メイへと視線を向けたテイ。軽く微笑み、頭を撫でた。そして…再び陛下に向き直る。
彼が望むのは…
「…では陛下。メイに似合う、可愛い衣服の用意を願います。俺に…服選びのセンスなんてないので」
「……そのくらいなら、願わずとも与えてやろう。……では、今件の褒美は保留という事にしよう。契約書を後で作成する。心待ちにしているといい」
「はい。ありがとうございます」
「では、メイ?といったかな?…お主には後日、我が王家専属の服飾士に、採寸からデザイン…その全てを受けてもらう。完成には…数日は掛かってしまうだろう。だが、我々が着用している衣服と遜色ない仕上がりとなる筈だ。………もちろん、外を出歩く為に素朴なデザインも頼んでおく。楽しみにしていなさい」
「良かったね、メイ。それでは、俺はこれで」
テイと目が合う。
お前も来い。そう言っているような気がした。
俺は無言で…軽く頷き、ヤンちゃんを抱き上げて…その場を後にした。
褒美の話…何を頼むか考えておこう。それで…また明日にでも、此処へもう一度訪れるとしよう。
その後は、王都の観光をした。
テイの案内のもと、様々な観光スポットやグルメスポットに立ち寄り、ソレを楽しんだ。
メイも、外見相応の子供のように燥ぎ…楽しんでいるように見える。
…並んで、少し先を歩む2人の後ろ姿を見ていると、まるで兄妹のように………そう、まるで…家族のように見えて仕方がないのだ。
「……………」
そうか…やっと思い出した。
…カイ。
セイと顔が似ている。だが…セイとは違って、髪の色が…俺と同様に緑。その瞳も緑だ。
癖っ毛で、いつも…髪がところどころピンと跳ねていた。
あの崖の上で、よく一緒に…3人で…?遊んで…?
3人で?
………青い…長いボサボサの髪の…女の子?
「………ぁ……」
「…ヨウ?どうしたの?」
「…いいや、気にするな。ヤンちゃん」
…俺と…カイ。緑の2人。
そして…どこか見覚えのある…
だが、あまりにもボロボロで…
痣だらけで…
汚れだらけで…
ガリガリで…
棒切に布を被せたかのような身体をしていた。
「ヤンちゃん」
「何?ヨウ」
「ヤンちゃんは今…幸せか?」
「…?もちろん。…なぜだか解らないんだけど、本能的に、僕の身体がヨウを求めてやまないんだ。いい匂いで…出会って数日ばかりの筈なのに、こんなにも僕を大切にしてくれて…愛してくれているから…なのかな?とにかく…僕は幸せだよ、ヨウ」
「……………」
「…どうしたの…?えらく積極的だね」
俺はヤンちゃんを、強く抱き締めた。俺の今の顔を…彼女には見られたくなかったから。
周りの視線が…今は気にならない。
久しぶり………ヤツテ・ヤンちゃん。
僕の故郷の友達。
そして…俺の恋人。
俺は…君が愛されなかった分、際限なく君を愛す。今ここに…改めて誓う。あの日の自分が、そう誓ったように。
カナメ・ヨウ……僕の、俺の初恋の相手だから。
「ヤンちゃん……」
「今度はなぁに?ヨウ」
「耳を貸してくれ。…少しだけでいい」
「…?うん、良いけど…」
耳を此方に向けたヤンちゃん。
俺は…囁いた。
「…!?…え…?え?」
「…駄目か?」
「…こ、この身体でも…良いの?大丈夫?」
「ああ。俺の身体が削れたとして、ヤンちゃんは冷めるか?」
「いいや。むしろ、お揃いだね!って…ブラックジョークを言うよ」
「お二人さーん…!水を差して悪いね。王城に戻ってきたから一応言っとくよ」
「…ああ、了解…です。セイを迎えに行きましょうか」
いつの間にか、王城前に戻って来ていた。
空も少し赤みがかってきている。
…さて…
セイを迎えに行こう。
▲ ▲ ▲ ▲ ▲
…さて…
セイは今晩、王城に泊まることになったらしい。
どうやら、身内だけで色々するらしい。…お墓参りに、家族で食事をしたり…等々だと考えられる。
申し訳無さそうにしていたが、今回ばかりは仕方がないと言える。
…それで、王城から出ると…暗い空とご対面。
宿をどこに取るか。王城に近い所にしたいが…相応に金額も上がるだろう。
そうして、今晩の予定を再構築していると…テイから提案された。
「うちくる?」
「良いのか?」
「良いの良いの。メイ、君も家に泊まりなよ」
「やったぁ、テイのお家ぃ…!凄く楽しみぃ」
「有り難く、泊まらせて…もらいます」
それからは、場所を…テイの自宅へ移した。
ちょっと大きめな、ちょっと豪華な、そんな雰囲気の邸宅である。
俺は今晩、此処に一泊する。
扉を開いて、中へ入るように促される。…トイレの場所や、お風呂の場所、客室…と、テイは次々と案内してくれた。
「好きに寛いでくれていいよ。俺は…家族に挨拶してくる。夕食はもう少し待って欲しいかな」
「…ああ、分かりました」
客室を後にして、別の部屋へ向かったテイ。
…トイレに行きたい。
…場所は確か……
と、記憶の中と照らし合わせて…家の中を進む。
「ここか」
無事にトイレを済ませた。その戻りでの事。
俺は…見た。
「…こんな事があってね。それで…」
仏壇に向かって…これまでの事を話している…テイ。扉の隙間からギリギリ見えない、推定…奥さんと子供の写真に向かって。
「それで…さ、新しく…養子に迎え入れたいんだけど、良いかな?怒るかな…いや、世界一優しい君のことだ、カオスと結婚して…子供まで作るような変わり者の君のことだ、笑って良いよって…言ってくれるよな」
……戻ろう。
敢えて盗み聞きするようなモノではない。少しだけでも、家族との時間を邪魔したようで…なんとも申し訳ないな。
…それに、扉の先に俺が居た事に…テイは気が付いていた。…目線も変わらず、声色も変わっていなかったが…俺がチラリと隙間から見た際に、耳がピクリと動いていた。
……俺も…あんな聖人になれれば良いのだが…無理そうだ。
線香の香りが微かに感じられる。そんなスペースから…俺は客室へ戻った。
「ヨウくんも格好良いと思うよぉ?でも、メイはテイの方が好きかなぁ」
「どういう好きなの?」
「ん~…そうだなぁ。テイは…兄って感じがするんだよねぇ。異性としての好き…とは、違うかなぁ」
客室に戻ってから、女子2名のキャッキャとした会話に…自身の耳を少し傾けつつ、読書をしている。いや…読書と言うのは語弊があるな。…一人黙々と…地理についての勉強をしている。
やはり…スクヴァー村の名前は記載されていない。なぜか……心がホッと一息ついた。
古い地図は…もうほとんど処分されてい待ったのだろうか。
ヤンちゃんの〝知る力〟があれば…あるいは…と、考えた事もある。…だが、それで…見つけたとして、この旅はどうなる?
元々は、崖を確かめに行くのが目的の一人旅だ。…ただ彷徨って…行き当たりばったりで…だが、目的地へ…少しずつ…ほんの少しずつでも愚直に突き進む…そんな一人旅だった。
だが今は…そのほんの少しが、とても大切な時間になってしまっている。気が付いたら…そうなってしまっている。終わりが…旅の終わりが…やけに近い所にあるように思えてしまう。
何故なら…
これが、ただの…旅から…
…楽しい…旅行になっているからだ。
…だが、俺は必ずゴールに辿り着く。
どんなに遠回りをして、一緒に旅をしている時間を楽しもうとしても、いつかは到着している。
ならば、目的が果たされるその時までは…この気分に浸っていよう。…言い表せない、変な気分に。
「悪い悪い、これまでの事話てたら、少し長くなってたんだよね。さぁ、夕食作るから、ヨウ…手伝ってもらえるかな?」
「ああ、了解…です」
「キッチンはこっちね」
「ああ」
…旅を終えたその先の事。…ソレが、なぜだかわからないが…全く想像できない。
皆で…ひっそりと暮らしているのか。はたまた、全ての街を踏破しに行くのか。…どちらも楽しそうだ。
だが…どちらもしっくりこない。
どちらも遠い…手を伸ばそうとしても、走って近づこうとしても、その分だけ遠ざかっていく。
俺に、そんな未来は訪れないと言わんばかりに。やがて見えなくなっていく。
俺は…目的を果たして…その後はどうなるのだろうか?
「凄いな、ヨウってめちゃくちゃ綺麗に魚を捌けるんだな」
「6年くらいやっていたからな。気が付けば、出来ていました」
「6年も!プロじゃん」
「…テイは何を作っているんですか?」
「俺は…箸休め的なやつ。ヨウが海鮮丼だからな」
そして、料理を終えて客室。
ご飯を待つ2名に提供して、皆で食べた。
美味しいと言ってもらえて良かった。
「ごちそうさま。…メイ、話があるんだけど…」
「どうしたのぉ?」
「俺の子にならない?メイを養子として迎え入れてさ…」
「…嫌だぁ」
「…嫌か。そりゃ残念だね」
「…妹」
「…ん?妹が良いのかい?」
「うん。親子って程、歳は離れてないでしょぉ?」
「……俺は21歳だけど、メイは?」
「16歳だよぉ」
「それはそれは……意外だね」
「どこ見て言ってるのそれぇ…これから成長する筈だから、そんな目を向けないでよぉ」
…俺よりも歳上なのか。
あまりにも幼い容姿だからか、しっくりとこない。
「ごめんごめん。では、改めてよろしくね。俺の妹、メイ」
「うん、これからよろしくぅ」
「明日…メイが採寸している間に、色々手続きしないとなぁ…あ、君達、先にお風呂入ってきなよ。でも、あまり湯船のお湯は汚さないでおくれよ?後が控えているからね」
「ああ。何だと思っているんだ?」
「…彼女さんには…俺の台詞が効いたみたいだね」
「………さて、お風呂に入ろうか、ヤンちゃん」
ヤンちゃんを抱き上げて、お風呂へと向かった。
服を脱がせて、タオルを巻いてあげて…服を脱いで、タオルを腰に巻いて…準備を整えて、ヤンちゃんの身体と髪を洗った。
そのままだと溺れてしまうので、軽く足場を沈めてから湯船に入れる。
既に顔が赤い彼女は、俺の手を握って離さない。
…仕方がないので、俺はもう片方の手のみで全身を洗った。…キカイの身体なのに洗っても良いのだろうか?…そんな疑問が、ふと脳裏を過ったが…今更気にするような事でもない。
「ヨウ」
「…どうした?ヤンちゃん」
「なんか…僕に対してさ、敬語使わなくなったね。なにか心変わりでもあった?」
「…むしろその逆だな。変わっていた心が、元に戻ったんだ」
全部戻った訳では無いがな。
「ふぅ~ん?」
身体を洗い終えて、ヤンちゃんの下に敷いていた足場を取って…代わりに俺がそこに胡座をかく。
柔らかく重たい感覚が、俺の足にプニュンと乗っかる。
何故か…向き合うように身体を捻って座り直すヤンちゃん。
腕を俺の背に回し、ギュッと、優しく抱きしめてきた。
彼女の鼓動が、柔らかい胸越しに伝わる。
「ヨウ…僕のこと、1人にしないでね」
「ああ。1人にはしない。絶対に」
「大好き」
「…………………………ああ」
1人にしないで…か。
何を〝知って〟そんな意味深な発言を唐突にしたんだろうか。
「ぉあっ……ヨウ?」
「……………」
「…するの?」
…違う。抱き締めただけだ。
「ヤツテ…」
「…!へ、へぇ~…知ってるんだ、僕の名前。………カナメ」
「…それは…元々知っていたのか?それとも…」
「ど~っちだ」
「いつから…思い出していたんだ…?」
俺の目を真っ直ぐ見つめる。…妖艶な顔をした、艶めかしい恋人の瞳。
俺は………………………………………。
「…ヤツテ」
「…する?…いいよ?」
「…違う…」
「僕のこと…好きじゃない…?」
………君の場合…そうなってしまうのか。
「行為に及ぶことだけが、愛の証明ではない。…ただそれだけだ」
「………そっか」
そうして、窮地を乗り切ったタイミングで、更衣室から声が掛かった。…テイの声である。実に…有り難い。
内容は…
いつまで入っているんだ。もう1時間半が経過しているぞ。逆上せてしまうぞ。
とのこと。
…後でさり気なく、恩返しでもしておこう。
「ヤンちゃん、上がろうか」
「うん。…残念」
「………すまないな」
俺達はお風呂から上がり…少しして、入れ替わるようにしてテイが入っていった。
それにテチテチと続くのがメイである。
彼女も服を脱いで、中へと入ろうと試みようとしていたが、ポイッと数回は浴室の外へと追い出されていた。
当然ながらタオルは巻いていた。…少し丈が足りていないように見えるが…それは、テイや俺の想定よりも、メイの足が長かったからだろう。
そんなやり取りを耳で感知して寛いでいると…
兄妹みたいなことしてみたいのぉ。お願いぃ。
…ぐ…ぐぬぅ…今回だけだよ。あと、目隠し取ってくるね。
…と、そんな会話が聴こえた。
それ以降には、騒がしい…楽しげなあのやり取りが無くなった為、2人で浴室に入ったのだろうと、容易に想像できた。
お風呂に入り…色々と血行が良くなった為か、眠気が俺を襲った。
敷布団を床に敷いて…ヤンちゃんを、無意識的に…普段よりも力強く抱き締めて、その日は眠りに就いた。
いつの間にか、それまで考えていた不安は…色褪せて消えている。
この旅の目的が果たされても、この感覚は…続いてくれると思ったから。




