六話・Part1 プロローグ
人間のような外郭の影が、揺ら揺らと…灯火に照らされながら、白いタイルの様なモノが一定の間隔で貼り付けられている、見上げても首の角度が足りない程の巨壁の…その中で佇んでいる。
『ほう…産まれたか』
『はい。ですが、人間が出産中に死にましたので、腹を裂いてでの誕生にございます』
『なんと、ソレだけで……実に軟弱であるな』
『私めもそう思います。……ささっ、皇帝陛下。赤子は此方の部屋にて丁重に保管しております故、どうぞよろしく申し上げます』
『うむ。ご苦労だった』
『有難きお言葉…私めは感銘の至りにございます。…ではこれにて…失礼します…』
薄暗い洞窟内の、余程綺麗に掘り進められているのか…やけに壁や地面が平坦で滑らかな〝地底宮殿〟にて。
その日、魔物の王は爆誕した。
『なんと…これは想像以上の……!』
産まれたばかりの王を抱き上げて…口元を綻ばせながら、皇帝陛下と呼ばれた人形の何かが…嬉々とした声色で言った。
部屋と呼ぶには余りにも暗すぎるが、だがしかし…視界に収まるソレラは荘厳華麗であるが故に、一種の芸術作品のようになっている室内。
…という情報を鮮明な視界から受け取った赤子は、その瞳をパチクリとさせて、父親と思われる人間のような生き物に向かい…小さな手を伸ばして、頬にペタリと触れた。
『おお、我が息子よ…私が父親であること…オブゥアッ!?』
皇帝は理解に時間が掛かった。
まさか、産まれたばかりの赤子から、皇帝の頬ですらジンジンと痛む威力のビンタを食らうなんて。そんなの想像すら出来るはずもない。
「俺に気安く触れるな」
…と、産声よりも…喃語よりも先に、〝それっぽく発音するだけのモノ〟とは違う、やけに流暢でハッキリとした〝人語〟で言い放つ皇子。
『………は?』
胸に抱きかかえている自分の子を、怪訝そうに凝視し始めた皇帝。口元は引きつりがちに開かれており、眉間にはシワが寄せられている。
光の無い室内にも関わらずギラリと妖しく輝いている…鮮やかな真紅の瞳。
喋るために開かれた口からは、赤子にも関わらず…すべて生え揃っている…歯。そして、地上を跋扈する獣のように鋭い…犬歯。
皇帝でさえも思わず魅力的だと感じてしまう程に、美しく整っている…顔立ち。
皇帝は自身の身体の震えに気が付いていない。
『………何者だ?』
少し威圧的な声色で語りかけた皇帝。
対して、目を細めて人間モドキを観察する皇子。
『………答えよ』
「……………」
『……お前は』
喉に手を当てて調節をしながら…皇帝は問う。
「お前は何者だ?」
「……俺は…」
ジトッとした眼を皇帝に向けて、少し小馬鹿にするかのようにしながら言う皇子。
「あんたの息子だ。違うか?」
『…………』
絶句。
自身の息子からの返答に、思わず続く言葉を失う。
そして、皇帝の脳裏に浮かんだ言葉。やがてその言葉は…脳内から溢れ落ちて、口から声として流れ出した。
『…最高だ……!まさか…このようなブーイが産まれるなんて、一欠片も想定出来なんだ!』
「あんたはさっきから、何を言っているんだ?」
『…まだ教えていない言語さ』
「だから、何て…」
『よし…』
皇子から発声される人語を無視して、部屋の外に向けて歩き始める皇帝。向かう先は、他の皇帝が身を休めている…今現在歩いている宮殿とはまた別の、〝蓮の地底宮殿〟である。因みに、現在彼等が居る地底宮殿の名は…〝鳳の地底宮殿〟だ。
他の皇帝の所まで赴いて、いったい何をしに行くのか?…それは、シンプルに言い表すならば…自と慢の二文字である。どうやら、魔物も己の子の話に限らず…他者に対して自身の優れたるモノを誇示する文化はあるらしい。
そして、場所は代わる。
鳳の地底宮殿よりも、一回りも二回りも小ぢんまりとして見える…蓮の地底宮殿の、その宮殿の主の私室にて。
嬉々とした表情で語る鳳の皇帝と、ソレをうざったそうに〝本を読みながら〟聴き流す蓮の皇帝、それに加えて少しぐったりとしている様に見える赤子。
どうやら蓮に辿り着くまでの間に、乗り物に乗っていないにも関わらず…乗り物酔いをしてしまったらしい。コレは、赤子を胸に抱きながら…軽やかに走る皇帝の移動速度が、あまりにも速いが故の体調不良である。
『…で、今も頬が痛むのだ…!』
『あぁ…そうか…ご愁傷さまだな』
『今この場に父上が居れば…我らのように、名を与えてくださっていた事だろう…!』
『…へぇ…そこまでの逸材なのかい…?』
基本的に…彼等ブーイは名付けを行わない。産まれてから一年足らずで身体が急速に発達し…人族と戦えるようになる彼等は、常に死と隣り合わせであるが故に…というか、いちいち名前を付けると葬儀が面倒になり時間が掛かってしまう為に、敢えて…名前を付けないのだ。
…ので、誰かに対して呼びかける場合は、ボディタッチか…外見の特徴的な部分で呼ぶのが常である。例えば…鼻が特徴的ならば、デカ鼻…などと呼んでいる。コレは…美しくあろうという文化が著しく欠けている彼等だからこそ出来る呼び方だろう。
逆に、名を持っているブーイは…言わずもがなであり、端的に言って、強い…から…名を持っている…だ。
『よく見せてくれ……どんな餓鬼なのか…気になってきたよ』
『あ…まずいかもしれぬ…』
『ヘブォッ…!?』
鳳の皇帝が絶賛する…強力な赤子に興味を示した蓮の皇帝は、手に持っていた本に栞を挟んでから机に置き…不運にもその顔を赤子に近づけてしまった。
お陰で、鳳の皇帝の嫌な予感は的中。鳳の皇帝よりも防御力の低い…蓮の皇帝は、両手で自身の頬を抑えてその場に蹲った。彼は痛みに対する耐性も低いようだ。なんとその目には涙が滲んでいる。
『はぁ…?おかしいだろ…』
『ハハハハ!すっ、すまぬな我の息子が……ックハハハハハ!』
『本当に兄者は…魔物の不幸がお好きで…』
『相変わらず貧弱よのぉ〜』
『兄者が強靭なだけだよ…絶対に…』
『…………』
『…………』
深紅の瞳をバチリと合わせながら、妖しさを含んだ表情で微笑みあう…二人の皇帝。今、彼等の脳内では、まるで…悪戯好きな童子のように、良からぬ考えが縦横無尽に駆け巡っている最中だ。
ソレをただ冷徹に、産まれたばかりの赤子は観察している。
『『弟者にも食らわせよう』』
同時に発して、同時に受け取る二人の皇帝。悪い笑みを浮かべた二人は、また別の地底宮殿へと一飛び。何十キロもの距離があろう洞窟内を、迷わず、正確に、道行くブーイを華麗に避けながら突き進み始めた。…ようやっと酔が収まってきていた赤子からすれば、コレは正に最悪の事態と言えようか。
ものの数分ばかりの時間が経過し、鳳蓮の皇帝が辿り着いた先は〝草の地底宮殿〟の菜園場である。此処は、地底の建造物では珍しく…部屋全体が見渡せる程に灯りが置かれており、地底ではあまり見掛けない…緑色を見ることが出来る数少ない場所の一つだ。
『おお、ロペじゃないか。それにロッサまで。久しぶりだな…って、子供が出来たのか?』
鳳の皇帝の胸に抱かれた赤子に…興味を示す〝草の皇帝〟は、農作業の手を止めて、衣服を培養土で汚した状態のまま…鳳の皇帝の方へと駆け寄った。
『うむ、一応…リアにも見てもらおうかと思ってな』
『へぇ、随分と律儀なこった』
「菜園…?」
『っえぇ!?ロペ!この子、今、完璧な人語を!?』
『ああ、凄いだろう?』
『これは…ロプと同じケースだよな?でも、見た目は十割ブーイだし…うん!キモいや!』
『我の息子だぞ?悪く言うでない』
現在、体調の悪そうな赤子は、キョロキョロと目を動かして周囲の状態を確認しながら、人間モドキの謎の会話に耳を傾けている。…だが、全く内容は理解出来ていないようで、たった今キモいと言われた事実にも気が付いていない。
『っていうか…この子、すでに歯が生え揃って…』
『『…………』』
『っ痛えぇ!?』
『ックハハハハハ…!』
『あははは…最高だね…ここ最近で一番面白いよ』
『はぁ!?あり得ない!赤子の筋力とは思えないぞコレ!』
『やっぱり…綺麗なビンタだよね。これは…将来に期待出来そうだよ』
『ロッサ!お前知ってただろ!思ったもんね、何かやけに静かになったなって!』
『ごめんよ弟者。でも、面白かったから良いじゃないか』
『許されるかぁ!ほんとに、兄貴達は魔族の不幸が好きだな』
変な場所に運び込まれたと思ったら、また別の人間モドキが居て、そいつを他の人間モドキと同様にビンタしてみたら、急に人間モドキ同士で賑やかにし始めたので、赤子からすれば理解の出来ない…よく分からない状態になっている。
…だが、彼等が自身に対して敵意や害意が無いことは理解しているらしく、顔を近づけるとビンタを食らわせるくせに…この赤子は大人しく父親の胸に抱かれていた。単に楽なのか、それとも、別の理由でもあるのか、その真相は赤子のみぞ知る状態だ。
『ロプ…奴にも食らわせたかったが、会いに行くにはちょいと時間が掛かる。それに、わざわざ地上に赴こうとも思わぬしな』
「さっきから…何語なんだ…?理解が出来ない」
『そうであろうな』
そして、彼等はしばらく近況の報告を交わした後に解散。鳳蓮の皇帝は、どちらも…採れたての野菜を片手に自身の宮殿へと帰った。赤子はこの速度に順応してきたようで、乗り物酔いも最小限に留められているらしい。超高速皇帝便地底宮殿行きの初乗車の際と比較すると、幾分か酔も軽そうに見える。
▲ ▲ ▲ ▲ ▲
時は流れて、赤子は少年体まで成長した。
『おい、ロペ…アレはなんだ?』
…と、魔物の言語を習得した少年が鳳の皇帝…彼の父親に問い掛けた。
彼は今、鳳の皇帝に半ば無理矢理に宮殿外へと連れ出されて…地底内を散歩させられている。最初は不満気にダラダラと歩いていたが、今となっては、地底内にある…ありとあらゆる見慣れぬモノに興味津々といった具合であり、逆に…鳳の皇帝の方が少年に連れられている状態となっていた。
信じられない事に…顔を近づけただけでビンタをしてきていた赤子は、自ら父親の手を引いて、アレはアレは…と質問攻めする程までに、人間モドキに対して気を許しているらしい。
そして、もう何度目かも分からない質問に、どこか満更でもなさそうに…どこか楽しげに答える鳳の皇帝は、少年が産まれた際とは違う…しっかりとした父親の顔をしている。育てるうちに愛着でも湧いたのだろう。
ブーイは基本的に、育児を誰かに任せるような事はしない。子供が産まれれば、その親は謎に…責任感紛いの感情を抱いて、子が一人前になるまで育てるのである。
一人前という点で言えば、少年は既に何人前にも強力な存在ではあるのは確かだ。…が、しかし、鳳の皇帝はどうやら…まるで人間かのように、愛情を持って少年と接しているらしい。…少年が実践に投入されるのはまだまだ先の話になりそうである。
『アレは…いい機会であるな。お主も学んでみるといい』
今度は父親が手を引いて、少年が指で示した先の建物へと進む。
…少年は、魔物の言葉を話すことは可能だ。そう、話すこと…は、出来るのだが、彼はまだ、読みも書きも習得できていない…というか、未だにソレラは教育されていないらしい。
因みに、少年が指で指し示した建物の看板に書いてあるのは〝人間ショー〟だ。
そんな悪趣味な建物内に入った鳳の皇帝と少年。
『うむ、やはりいつ見ても変わらぬ事しかしておらぬな。…う〜む、やはり…我には合わぬ文化よ。実に…』
「は…嘘だろ…?コレは流石に…」
『「不愉快だ」』
彼等親子が入った建物内では、人間の[自主規制]が執り行われていた。
交じる、人間の悲痛な叫び声と…魔物の愉快そうな声。
「お願いします!大事な娘なんです…!!俺の…俺の唯一の家族で…!」「パパ〜!見てみて〜!えへへ~…」「お願いします……!もう……許してください…………!」「パパ〜!凄いよ〜………なんか、腕が無くなっちゃったのに痛くないの〜!えへへ……」
『さてさて〜!クスリの効果が途切れる前に、もっと痛みを植え付けたいんだけど〜…皆んなは何処がいーいー?』
『足!両足行こうぜ!』『爪を剥いで!』『爪を剥ぐなら、その前に隙間から針入れてよ!』『指を一センチ毎にスライスしようぜ!んで、父親に食ってもらおう!』
『うんうん♪いいねいいね♪それでは!……って、あ〜れぇ〜?僕ぅ、ミスっちゃったみたいだな!』
「あれぇ…なんか…痛くなって…っ〜〜〜〜〜!!!」「っマリアァ゙!!」
『んふふふ…!いい声!いい顔!僕これだぁ~いすき♪』
「痛あああああああぃぃ!うわぁぁぁぁぁん…!!痛いよおおおおおおぉ!うあああああぁん!」「マリア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ーーーーーーー!!!!」
鳴り響く鎖の音と、少女の悲鳴と父親の叫び。観客達の歓声と笑い声。
少年は目が離せなかった。彼等人間か最期を迎えるその時まで、少年はその場から動けなかった。ただ、鳳の皇帝の服を強く握りしめて…ビリビリにしてしまう程に握りしめて、極度のストレスをその目から溢れさせるくらいしか…今の少年には出来なかった。
鳳の皇帝は我が子の涙を指で拭い、抱き抱えてその場を後にした。鳳の皇帝の眉間には…人間に同情してか、息子を泣かせたことに対して苛立ちでも覚えたのか、シワが寄せられている。…道行く魔物が思わず後ずさってしまう程に、鳳の皇帝は機嫌が悪そうに見えた。
そして、そっと息子を地面に立たせて、無言のままその場から立ち去る。
『そろそろか…』
…と、なにか意味深な事を呟いた鳳の皇帝。
直後、先程まで入っていた〝人間ショー〟は、静かに…それでいて激しく、無音のまま大爆発をした。不思議な事に、爆風も…残骸も、何かに阻まれるようにして、もともとあった建物の敷地内から…一ミリ足りともはみ出していない。
鳳の皇帝は、前々から気に入らなかったらしい。人間を…戦意の無いモノを〝過度に痛めつける行為〟を、彼自身が産まれてから現在に至るまでの間…頗る気に入らないと感じていたらしい。
故に、鳳の皇帝はその〝力〟を使って一撃で終わらせたのである。
「なんで…爆発してるんだ…?」
少年は摩訶不思議な光景に驚き、その瞳をパチパチとさた。先程まで震えていた彼の拳は、鳳の皇帝のお陰か…もう既に収まりを見せている。
ソレラをジロリと見下ろしながら確認した鳳の皇帝……いや、鳳は、自身の眉間に寄っていたシワを伸ばして、少年へ…タイミングを見計らいながら声を掛けた。
『…やっと泣き止んだか。もう二度と、公衆の面前で涙など流すな。これ以上、我に恥を欠かせるでないぞ、息子よ』
「………」
震える声を整えて、目元を拭った少年。その真紅の瞳に映っているのは、父親か…はたまた。
『ああ、約束しよう。…そもそも、俺は泣いていない』
『ックハハハ…!ぬかせ、我自身でも拭い取ってやったわ』
『涎でも拭ったんじゃないか?』
相変わらず無愛想で少し生意気な息子の返しに対して、鳳は慣れた調子で…軽く優しそうな笑みのようなモノを浮かべながら言う。
『そう父を誂うでない。我の前では、お主はただの一人息子よ。泣きたいならば、我以外に見られぬように泣け』
『………』
それから鳳と少年は…少し散歩をした後に、鳳の地底宮殿へと帰ってきた。少年の手には、帰り道の途中で購入したのか…数冊の本が握られている。
少年は宮殿内の自室に戻り、早速本を開いた。この世界の魔物と人間についての本である。
少年は勉強した。この世界の人間がどういった存在なのか、魔物とは何なのか、その歴史を、少年は勉強した。
そして、理解した。この世界の仕組みを、魔神という存在を、少しながらも理解した。
故に…知ってしまった。魔物として産まれてきてしまったという…意味を。
「俺も、人間と…殺し合うのか?」
本を置いて溜息をつく…麗しい容姿の少年。その震える握り拳の中には何があるのか、この地底にソレを言い当てられるのは…誰一人として存在しないだろう。
あくまでも、地底の中では。
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更に時は流れて…少年は初めて、戦場へと出陣をしている。
初陣ということもあり、少年の派遣された戦場地帯は…老人ばかりの、わざわざ襲いに行く必要のない筈の場所だ。もちろん、これには理由がある。それは、少年は人間を殺害するのに慣れていない…というモノだ。
彼は、人間が亡くなるところ、魔物に遊ばれているところ、魔物に弄ばれているところ、商品として売られているところ……………などはその目を通して経験している。
「…っぷ…ぐぉえぇ……」
結論から言うと、少年は大金星を上げた。
誰よりも多く、誰よりも速く、誰よりも正確に、老若男女を問わず蹂躙し尽くしたのである。お陰で、他のブーイ達はほとんど、その場に立ち尽くしている状態で暇そうに事の成り行きを眺める羽目になっている。
中には、少年と競うようにして人間を狩るブーイも居たのだが、少年は不思議な事に、魔物の手柄を奪うようにして…そのブーイと人間の間に割って入り、隼魔の滑空にも追いつくかもしれない速度で…人間の首を刎ね飛ばしていた。
「はぁ……っう…ぅぉろろろろ…」
…少年の真紅の瞳に張り付いている死屍累々の光景は、産まれてから数年程度の彼には少しばかり刺激が強過ぎたらしい。今の少年からは、人間を殺めたことに対して…申し訳ないとでも思っていそうな雰囲気を感じ取れる。
「……はぁ……ッペ…!」
口に残ったモノを吐き捨てて、地面に無造作に投げ出されていた〝剣〟を手に取り、自身が監督している部隊のもとへと戻る少年。
少しばかりトイレに時間が掛かった風を装い…味方陣営と合流した彼は点呼を取った。一列に横に並ばせて、出陣時の魔物数と照らし合わせを行っているのだ。
『一体居ないようだ。戦死でもしたか…』
「おぎゃぁぁぁぁ!…あうぁぁぁぁ!」
『……………』
「おぎゃぁぁぁぁ…!」
少年は部隊にその場から離れないように指示を出し、赤子の泣く声のする方へ足早に向かっていった。
近づけば近づく程に、当たり前のように声は鮮明に耳に届くようになる。少年はその当たり前を恨むように睨みつけてながら、その音源へと辿り着いた。
『あっ、隊長じゃないっすか』
『……………』
『ちょっと待っててくださいね…もう…終わりますんで…』
『点呼を行ったら〝一体〟足りなくてな』
『おっと、そいつはすいません…っふ…っふ…』
『戦死した事にしておいてやったぞ』
『…っふ…っふ…た、隊長、そんな冗談笑え……』
その手に握りしめる剣を目にも止まらぬ速度で振り抜き、一体の魔物を戦死させた少年。首から上を失った骸からは、だらりと力が抜け出して…そのまま背中面から地面に倒れ落ちた。
「冗談…?いつ誰がそんな事を言った」
片目が潰れた半裸の少女に…自身の短剣とマントをそっと投げつけ、赤子の声のする方へ近づいた少年は、瓦礫を軽々と退かして…土埃に塗れた赤子を拾い上げる。
「おぎぁぁぁぁ…!」
『…ごめんな』
少し下手くそに赤子を抱く少年は、マントに身に包み…抜き身の短刀を構えて震える少女のそばに屈み込んだ。
「こ、来ないでよ…!化物っ…!」
『…………』
「近づかないでってば!!」
『…強く生きるんだ。この子を生かす為に』
「来ないでよぉ…!!」
少女の短刀が少年の真紅の瞳を切り裂いた。
だが、少年は止まらず。その瞳を真っ直ぐ少女に向けて。
『…………』
「な、なんで赤ちゃんを渡すの…!何を…企んでるの!」
「…西に向かうといい。エディという子爵が統治する領がある」
「っ…!?ど、どうして…」
少年はその場から立ち上がり、何事もなかったかのように…〝本当に何も無かった〟かのように、無傷な両方の瞳を自身の部隊が待機している方に向けて歩き出した。
『隊長、またトイレしてたんでしょ?』
『すまないな、少しばかり用を足していた』
『隊長は頻尿っすね〜。って、マントは?』
『俺はトイレに行っていたんだぞ?もちろんちゃんと拭いたさ』
『うげっ…訊かなきゃ良かった…』
死屍累々の元農村をぐるりと見渡した少年は、戦利品代わりに何冊か…血泥に塗れた本を手に持ち、魔物の巣窟がある方…東の方角へと部隊を引き連れて帰って行く。
ソレを、遠巻きから赤子を抱えて注視する…マントに身を包んだ少女は、彼等の姿が見えなくなってから…半信半疑ながらも西へと赤子を胸に抱いて駆け出した。…たとえそれが憎き魔物の言葉だとしても、たとえそれが全くの嘘だったとしても、他に選択肢のない彼女にとっては、闇を照らす月のように…美しく輝いて見えたらしい。
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数年後、エディ=クラム・メリオス子爵領は、歴史に名を残し、世界地図を新調しないといけない程まで莫大なの規模の…魔物と人間の戦争に巻き込まれて陥落したようだ。
女は繁殖のために、男は労働力や娯楽のために、子供は大切に保護し、何も出来ない老人は即処刑された。
この数年間で魔物たちは、とある決議をとったらしい。
自らの種が終えぬように、人間を〝養殖〟しようという…愚かで、禁忌的で…なんとも合理的な決議をとった…らしい。
……知能の低い個体が多いが故に………養殖していた人間は数年で全滅したのだが。
そうして愚かにも慌ただしくなり始めた巣窟内で、日々を鬱々しく過ごしていた少年……鳳皇子は出会ってしまった。
己の運命を変える存在に。
未来の妻に。
出会ってしまったのである。
『なぁ…』
「ひぃ…!?」
巣窟に運び込まれてきた女性に対して、鳳皇子は問い掛けた。産まれる前から使える言語で。
「な、なに…!?」
「俺と結婚してみないか?」
その瞬間、その場に居合わせていた皇帝達や、他の〝知能が高い〟ブーイ達は耳を疑った。鳳皇子はいったい…何を言っているんだ?…と。




