五話・Part7 リスク
俺は本当は流産で死んでいたらしい。…のに、不思議な事に何故か息を吹き返して、大きな声で元気に泣き始めた…らしい。コレは子供の頃に両親から聴いていた内容だったようだ。
一度失われたと思われた命が、再度…いや、実は失われていなかった……なんて。まだ、金色の厄災が起きていない世界で、死者が蘇えった…なんて。まさにソレは奇跡と言える。
当時はその奇跡を…
産まれる前から亡くなっていた赤子に対して不憫な感情を抱いた〝心優しき神様〟が、ちょっとした気まぐれとして生命を吹き込んでくれた。
…と、考えていたらしく、その日以降…〝ビブリカル公国〟内では毎日のように神様へと祈りを捧げる文化が出来た。
先導してその文化を作り上げ布教したのは、当時の公王陛下と神官様であり、どちらも国内外問わず、世間に対する影響力が高い人物である。
「ビブリカル公国…」
汗を滲ませる額を、グワングワンと揺れる脳内を鷲掴みにするように抑えて、俺はその国の名を言った。
やがて弟が産まれて。
「………目眩がする」
ビブリカル公国の最東端、その海岸沿いにあるスクヴァー村。そして、その村の彼之崖という名の、公王陛下が好んでいる場所。
ソコが俺の目的地。
ソコが俺とカイの思い出の地であり遊び場。
ある日、ボロボロの見窄らしい女の子がソコで倒れてた。俺達はその日にヤンちゃんと初めて出会った。どうやって此処に?…と、その時は疑問を覚えていたようで、当時の俺はヤンちゃんの事を警戒していたらしい。
彼之崖は、その絶佳な景観を維持するために、公王陛下の好む景観を維持するために、立ち入るモノに制限をかけていた。その筈なのに、どこから入ってきたのか、見知らぬ…痩せ細った、悪い意味で浮き世離れをしている女の子は居た。
警戒して近づくことに躊躇していた俺とは対象的に、カイは軽やかな足取りで向かっていった。…ので、ここは兄である俺が…!と、カイの背中を追い越して…青髪の女の子に大丈夫かと手を差し伸べ、そこでヤンちゃんと知り合う。
それから数年が経過し……俺達はすっかり仲良くなった。
「気がつけば好きになっていて…」
そして、歪な花冠の指輪を作り、プロポーズの様な事をした。まぁ、その次の日にヤンちゃんは引っ越してしまったのだが。
そして、絶望に駆られ、その気持ちに付け入るように現れた※※※※※※※※をし、その翌日に両親が俺を慰めるようにピクニックを開いてくれた事を思い出す。場所は彼之崖の上、そこにレジャーシートを敷いて、大好きな揚げ物が沢山入っているお弁当を並べて。
そして、※※※※※※は、金色の厄災は起きた。
「ノイズが掛かっているかのように思い出すことが出来ないが…コレがリスクの内容であるのは確実だろう」
いや、リタンである可能性もあるのか。
俺が厄災を望んでいた可能性も……あるのか。
「…………」
…信じたくはないが、ソレが解だと仮定すると悲しくなるほどしっくりくる。
…恐らくは、そうなのだろう。
「俺のせいで…」
…それがリタンである。…と、直感に従って決める。ならば…リスクは?リスクはいったい何なのだろうか?
この〝キカイな身体〟は、金色の高波で生じた欠損を、同じく金色の高波に補われなければいけないモノである。コレは…リスクと言うには些か疑問が生じる。
逆に、キカイな身体はリタンである。…と、言う方が納得出来る。
だがしかし、俺は金色の高波に沈まされていない。記憶の通りならば、波の方から俺を避けている。そこで記憶が途切れ…次には海の上に。
わけがわからない。
友人である世界王ビブリカルに、ソコに移動して〝もらった〟のは判っている。際して〝回帰の力〟を与えられたことも判っている。
同じく友達…友人である取引の魔神リスクリタンと、何らかの取引をしていたのだろう…とも、判ってはいる。考察では…この〝キカイな身体〟に関する取引を。
…七年前の厄災…から、六年前に拾われる…までの一年間の謎の期間。その中に全てがあるのだろう。その中に世界王と魔神、俺の友人達についてあるのだろう。俺の記憶の重要な部分についてあるのだろう。
「ほとんどを…最重要な部分を避けて思い出した…な」
どうして、俺が公王陛下の好む場所に行けるのか。ソレも疑問だ。思い出せていないだけなのか、過去の俺も知らないことなのか、そのどちらがだとは思うが。
…元々、記憶を失う前から知らないような事は思い出せない…か。当たり前だが…頭からソレが抜けていたな。
「…あっ…つぅ…」
指がしわしわだ。…しわしわになるのか、この身体でも。
気がつけば長い間湯船に浸かっていたようだ。そろそろ上がらないと、そのまま倒れてしまうだろう。…記憶の考察は、また後で続きをしようか。今は少し…頭を休めたい。
湯船から立ち上がり、少し揺らめく視界の中で壁に手を這わせながら、浴室から更衣室へと繋がる扉へと手を掛ける。
ノブを回して少し開けると、心地の良い風がのぼせ気味な身体を通り抜けていった。程よく冷えている風だ。今の俺には丁度いい。
更衣室内へと足を踏み入れて、自身の衣服が入っている籠のある方へと向かう。
…と、居た。
なるほど、こんなにも涼しい理由だ。
「…セイ…?」
安定してきた視界。目に映るのは。
「俺の服に…何か?」
「っふぇ…!?いつのまに…!?え…あ、あぁ〜…こ…れは…ですね…」
「……まぁ、別に気にしないが…」
セイが顔を埋めていた…俺の衣服を手に取り、ソレを身に着けてから彼女を抱き締めた。この行動は、俺はセイのヒンヤリとしている身体から冷をとる為、そして、セイの吸引欲求を満たさせる為、お互いのモノを満たすためのアクションである。
セイは常に、その周囲の空気を冷やし続けている。…ので、こうして抱き着くと…火照り気味の身体を冷やしやすい。段々と…熱くなってきたが。
「ッスー…フーッ……スーッ!……スッーーーーッ…!!」
「吐かないと窒息するぞ…?」
「っはぁ〜…好き…」
「…そうか」
…よし、いい感じに涼めた。
セイを離して、手を取り立ち上がらせる。そのまま夕食に向かい、割と楽しみにしていたカレーを二杯食べて、割り振られている自室へと足を動かした。
扉を開けて自室へと足を踏み入れる。
テーブルセットの椅子に腰を掛けて、何かの本を読んでいたヤンちゃんが、此方にチラリと視線を向けてその顔に、ばぁ~…と花を咲かせた。
「読書をしていたのか?ヤンちゃん」
「うん。ヨウとセイが戻って来るまで暇だったから、イツ兄から……ターバンの人から借りたんだ」
「ほう」
ヤンちゃんの隣の椅子へと腰を下ろし、その本の名前を確認する。セイは対面、俺とヤンちゃんをニコニコと眺め始めた。…見ているだけなのに、どうしてこうも楽しそうな表情になれるのか。
「…ん?どうしたのヨウ?」
「…いや、この本のタイトルが気になってな」
「言ってくれればいいのに」
「読書の邪魔になるかと思ったんだ」
「そんなことないよ。…ほら」
…と、本の傾けてタイトルを見せてくれたヤンちゃん。
どれどれ……?
「〈赤瞳の竜凰騎士〉…?SF系か」
「読む?僕二周目だから、内容全部解ってるし」
「いいのか?」
「うん」
「なら読ませてもらう。ありがとうヤンちゃん」
丁度いい。気分転換も兼ねて、読書でもしよう。厚くもなく、薄くもなく、半刻もすれば読み終えられそうだ。
そう考えて本を開く。
「ふむ…」
ダブル主人公なのか。竜凰と騎士の。挿絵があって…いや、写しにも見える…良くできているな。
様々な世界を転々と移り渡る二人の人間の物語…?二人の人間?片方はドラゴンのように見えるのだが………まぁ、俺も人間とかどうとか言える立場ではないのだが。
「………なるほどな」
人間の形態と切り替えられるのか。
こっちの、ドラゴンになれる方が………苫春流という名で…?もう片方が…西呂也杭という名前なのか。そして…日本人?とかいう存在らしい。俺の記憶を探ってみても、コレは初めて見るタイプだ。
ほう…SF系の主人公にそぐわぬ力を持っているらしい。なぜなら叙述的に、どちらも〝超越者〟の称号を保有していると考察出来るので。
ほうほう…これは…ふむ。
なるほどな…コレは辛い。余程のこと強靭なメンタルなのだろう。
「………ふむ」
…誰がここまで仔細を調べたんだ?
コレは小説ではない。
コレは端的に言って歴史書だ。
面白おかしく加工してはいるが…実際に起きた事柄である事は確からしい。もはやドレがどこまで事実なのかは判らないが。
少なくとも、他の世界は存在している。その揺るぎようがない事実は元々把握している。何故か把握している。
その複数個存在している中の、何処かの世界から、次元を転々と移動して…そして偶然この世界にも足を止めたのだろう。
興味を惹かれるようなものでもあったのだろうか?
彼等がこの世界に訪れたのは…………考察では、七年前から六年前の、謎の空白の期間内だと思われる。
……………………。
「…………う〜む」
…当たり前だが頭が疲れた。気分転換にはなっているが、休息にはなっていない。…まだ、少し早いが眠気を覚えている。
…やはり、全ては空白の一年間に詰まっているのだろうか。
俺が何者なのかは……まだ解らない。どんな生まれで、誰と友人で、誰の子供なのかとか。まだまだ抜けているところが多い。
記憶を虫に食べられているみたいに、そこら中に空白がある。…そんなイメージだ。
「どうだった?ヨウ」
「……興味深い内容だった。…俺は騎士の方が好きだ」
「ヨウも同じなんだ!僕も騎士の方が…なんか好感が持てる。壮絶な過去を経験しているところにシンパシーでも感じたのかな」
「…あ、あの!その本、私も読んでみてもいいですか!なんだか…気になっちゃって…」
「ああ。…いいか?ヤンちゃん」
「いいよ。セイも読んでみて。というか、一緒に読もう?」
「いいんですか!では…お隣に失礼して…」
対面にいたセイがヤンちゃんの隣へと場所を移して、女子二名での読書が始まった。
…この本は半刻程度で読み終わるとはいえ、その分だけ内容が濃い。まるで、歴史を無理矢理にぐぐっと一冊に纏めた、かのように感じてしまう。
つまり、
「脳を休めないとな…」
頭が疲れた。
今日は、いや、今日も頭を酷使しすぎたようだ。少しズキズキと頭が波打つように傷んできている。
椅子から立ち上がり、ベッドの上へと身を投げだした。お風呂上がりで血行が良くなったのか………血液が俺にあるのかは定かではないのだが、すぐに眠気が訪れる。
つい先程も……お風呂に入る前までも、睡眠をとっていたのだが、まだ足りていないようだ。…記憶が一気に呼び覚まされたからだろうか。恐らく、いや…十中八九そうだろう。
「…あと幾つ…失っている記憶があるんだ…?」
ベッドに…うつ伏せに身を任せながら、ボソリとそう呟いた。
…まさか、お風呂場の一件でこんなにも記憶が蘇るなんて、一欠片にも想定していなかったので、カイと会った時に記憶が蘇るのだろう…なんて、楽観的に考えていたので、逆に…抜けている記憶が判らない。
蘇ってきた記憶に対する…疑問は生じた。厄災以前の記憶に対する疑問は。
特に……………
「…………」
はぁ。
おじさん達は、俺の名前をどう見つけたのだろう。…いや、俺が先に言ったのだろうか?…どっちだったか今では分からない。記憶力は良いはずなのに………ヤンちゃんが引っ越した後の※※※※※※のように、頭の中なはずなのに厚く重たい霧が掛かっている。
要要。
ずっと変な名前だと思っていた。
なぜ、同じ漢字を用いて…名を与えたのか…と、思っていた。
普通に考えておかしかった。
………………。
「廻…要」
弟の名前が、廻るに要という………正直かっこいい…モノなのに、俺は。
おじさん達が俺を拾ったときに…何処かに名前があって知ったのか、俺が目覚めたタイミングでボンヤリと自己紹介でもしていたのか。
要要という名前はいつ生まれたのか。
「……………」
…でも、要要…以外の名前はしっくり来ない。俺は……産まれた時から要要なのだろう。多分。
コレは…重要度は低い疑問だ。……解決しなくとも、どれだけ保留してもいい疑問だ。…別に今悩んだところで…答まではたどり着けないだろう。
迷宮の中にでもいるかのように、一人では解決不可能なモノ。………第三者が上から道を教えてくれないと、決してゴールに辿り着けない。……だが、辿り着いてもリタンは少ないだろう。
…のに、気になる。
俺の〝名前〟がなぜこうなのか。
「…………ヨウ。もう…寝た…?」
「……いや、まだ寝れていない。なにかあったのか?」
…と、身を起こして声のする方へと向き直ると…なんてこったい。
「コレ…実は貰ってきてたんだ」
「ヤンちゃんが貰ってきてたなんて知ったときは、私も驚きました。………同時に、口元が緩んでも…しまいましたが…」
どこか妖しい笑みを浮かべて二人は此方に近づく。
「…ねぇ、ヨウ…」
「ちょうどいい機会だと思いませんか?」
気がつけば両隣に二人はいて。
「……………俺は」
言いかけて、口を紡ぐ。
そんな気分じゃない。今は必要ない。また今度。
…今は…ただ。
「オレは…………」
「えいっ…!」
「知ってたよ。僕は既に。ヨウが断ろうとするなんて…だから」
俺のこと押し倒して、どこか残念そうな笑みを浮かべている…セイは力強く抱き着いてきた。ヤンちゃんも俺に足を絡ませてその身体を押し付けてきている。
ヤンちゃんの手には何も握られておらず、ただただ寂しげに…目に映る。
「…せめて、熱が冷めるまでは…密着させてね」
「…ああ。…すまない、ふたりとも」
「スーッ………スッーーー……スゥ゙〜〜…!」
「セイ…そろそろ息を吐いたほうが…」
「っほはぁ〜ぁ……好っ…き!…」
「………セイ…?」
一国の姫とは思えない。…が、それだけ此処がラフな環境であるということなのだろう。…彼女にとって、周りの目を気にせずに、素の自分のままでいられる環境である…ということなのだろう。………素でいられることが必ずしも良いこととは限らないのだが。
対してヤンちゃんは、俺の足に絡みつけた自身の足の指を…わしわしと動かしたり、俺の片足を彼女自身の足で完全にホールドしたり、俺の頬に手を伸ばして…頬と頬をくっつけたりしている。
身体の片方が少しヒンヤリして、もう片方がポカポカして、俺は風邪を引きそうだ。……まいったな……風邪を引きそうだ。
明かりが消えて、窓から差し込む月明かりしか光源がない室内で、俺は、
「…………」
何をしているのだろう。
……頭が痛い。
▲ ▲ ▲ ▲ ▲
夜中の飛空艇。
八咫烏の御三方を見送ってから、日課であるタバコを吸いに甲板へと赴いた。〝未成年〟は喫煙を禁じられているらしいけれど、そんなのは人間達の話。その枠に収まっていない私には関係のないことだ。
月明かりのみの薄暗い廊下を歩みながら、ボンヤリと窓の外の景色を眺めると、何も無い暗闇が一面に広がっており、夜目の効く私でも…あまり情報が掴めない。
…パパや…おじいちゃんなら、こんな暗闇でも昼間のように見通せるかもしれないけど、人間の血の方を濃く受け継いだ………私の目では無理そうだ。他の部分はパパの血の方が圧倒的に濃いのだが。
「…ママ」
生きているかしら?
パパは強いから心配ないのだけれど、ママは…もう衰弱死でもしているかも。あまり関わることがなかったのだけれど、そう考えると少し淋しい気持ちになってくる。
何故なのかしら?ほんの数年一緒に暮らしただけなのに。
おじいちゃんは不死だから端から心配はしていない。今もきっと何処からか、空を徘徊していることだろう。
「この扉、少し滑りが悪くなってきたわね…買い替えようかしら?」
船首側へ続いている扉を開き、少し冷える甲板へと足を踏み入れた。
「あの子達って、真面目よねぇ…」
眼前に広がる、清掃の行き届いた甲板を見渡してそう言った。
百を頼んだら、こんな感じで二百にしてくれるもの。
「…だから、せめてものお礼として、美味しい料理を食べてもらいたくなるのだけれど」
船長としての威厳を保つための制服、その内ポケットからタバコを一本取り出し口に加え、柵の方へと向かいながらジッポライターで火をつけた。
「ふぅ~……」
落下防止用の柵に肘を置いて、黒い景色に白色を吹き入れる。
タバコは、本当は吸おうなんて思っていなかった。
奴隷商に無理やり吸わされる………を繰り返しているうちに、自分から求めるようになってしまった。
あの日に陛下が助け出してくれていなかったら、今頃どうなっていたか。
「本当に、坊やには感謝してもしきれないわね…」
…懐かしい。
本当に…懐かしいわね。
「あの頃は、なかなかにイケてたのに…あんなにシワシワになっちゃって…」
遠い過去の記憶に思いを耽ながら、ゆっくりと、のんびりと、その一本を満喫する。中毒者だったハクの喫煙量を一日一本まで減らすことが出来たのは、彼女の努力か…はたまた…陛下のアイデアか。
奴隷制度が撤廃されてからはや数十年が経過した。
その間に、陛下には子が産まれて…孫まで出来て。私は背丈が数ミリ伸びて。他の友人が天寿を全うして…その友人の子供が、子供を産んで。私は…………また数ミリ背が伸びて。
………人間の時間の流れって速いわよね。少しのんびりしているだけでも…どんどん〝おいていく〟んだもの。時代に取り残された私は、ただただ…なんとも言えない気持ちになるだけなのだけれど。
「そういえば、今も…私のことを探してたりするのかしら?」
…と、ふと、そんな疑問が脳裏に浮かんだ。
私とママが…奴隷として攫われてから、パパは大量の男の人達に取り押さえられて、薪を焚べられて焼かれてたけど…………そんな状態でも私とママから目を離さずに、絶対に取り戻す…って。
パパは今…どうしているかしら。
数十年の時が流れた今でも、パパは私を覚えているのかしら。
今も…ずっと探してくれているのかしら。
だとしたら…探してくれているとしたら…
キングブーイとしての責務を果たしながら、ママや私を探してくれているとしたら………
凄く嬉しいな。




