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靴の精霊

作者: 日ノ竹京


≪売ります。赤ん坊の靴。未使用≫



 野糞をした近くの壁にそう書いたチラシが張られていたので、老人はそれを剥がし取って尻を拭いた。それを一緒に生垣に捨てると歩き出して、橋のそばの街道で腕に抱えていた新聞紙と段ボールを広げ、拾い物のマグカップを置き、物乞いを始める。俺は傷痍軍人だと老人は訴えたが、片目がないのは数年前若い不良にリンチにあってのことだった。

 その日は少しましな食事にありつけそうに思えたが、駆け込んできた孤児のグループにあっという間に金を奪われ、老人はしかたなく路地のゴミ箱をいくつか漁って食べ物が捨てられていないか探した。宅配ピザのソースを舐め、缶詰の隅をこそいでいると、ゴミの中にひときわきれいなものがあるのに気づく。ほかのゴミで汚れているが使われたふうではない、ひと揃えの小さな靴だ。赤ん坊用の靴だった。

 老人はそれを拾い上げ、売って金にするために眺めまわした。中を覗き込むと、靴のつま先になにか詰まっているのを見つけて、彼はそれを引っ張り出す。≪売——坊の靴——使——≫と書かれているのが断片的に読み取れる汚い紙が出てきたので、公園の蛇口で靴をよく洗った。老人は水気を含んだ靴のつま先に新聞紙を詰め込んで、盗まれないよう抱えながら眠った。


 翌日はいつもの通りでなく、中心街へ行った。クリスマス気分に浮かれたショーウィンドウを横目に歩いていると、道路の向こう側で、パン屋から追い払われる小さな女を見かける。その背中には大きな赤ん坊をおぶっており、すでに歩けそうに見えたが、その真っ赤になった小さな足には靴がなく、雪が凍った街道を歩かせてやれないのだろう。老人のコートの中には、あのふくれたまんまるい足にぴったりの靴があった。


「お嬢さん」


 話しかけると、若いブロンドの女は汚れたぼろぼろのコートを着た老人を見て警戒するような顔をした。老人は慌てて赤ん坊の靴を出し、指先に靴のかかとを引っかけて差し出した。


「靴はいらんかね」


 すでに女の頭から腹に達しそうな赤ん坊は、やはり背負い続けるには重かったのだろう。女はしばらく疲れたようにそれを見つめ、ため息をついた。礼を言って老人から靴を受け取り、彼が入れっぱなしにしていた新聞紙に気づいて何気なくそれを引っ張り出す。そうすると、栓が抜けたように小さな靴に金の砂粒が流れ込んだ。背の低い女の頭越しに、老人はそれを見ていた。


「それでなんでも買いなさい」


「おじいさん、この砂金は、この砂金は……」


 女は声を震わせていた。まるで神からの使いを見たように恍惚とした瞳で老人を見上げる。


「私のものではない。主があなたに贈られた奇跡だ」


 金を得るために噓を吐く老人より、赤ん坊のために食べ物を得ようとする善人が選ばれるのは至極まっとうなことだった。私は借金に追われたただのホームレスなのだから、と老人は言い訳をするように言った。


「いいえ」


 女は温かい手で老人の手を取り、靴の片方の中の砂金を新聞紙の紙切れに包んで押しつけた。


「いいえ、あなたが奇跡を起こしてくださりました」


 これは主から私たちへの贈り物です、と女は言い、ゆっくりと縁石に腰を下ろして赤ん坊を胸に抱いた。もう片方の靴の中の砂金を新聞紙にくるんで仕舞うと、我が子を優しくあやし、小さな足に靴を履かせる。老人は手の中の重さを確かめ、コートに仕舞うと縁石に段ボールを重ねて敷き、女にその上に座るよう促した。

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