きっかけは
「……追っ手のこと、殺さないのね」
移動中、セレーナがふと呟いた。オルコスはしばらく黙っていたがボソリと返事をする。
「仲間を殺すのはご法度だからな」
「私を連れ出しておきながら?」
痛いところを突かれたオルコスはただ黙って歩いていく。セレーナには少しだけ動揺したようにも見えた。彼が何かに恐れていることを彼女は知っているが、今の自分では彼の力になれないのが辛かった。
しばらく無言で歩いていた二人だが、人気のない公園につくとオルコスが口を開いた。
「…少し休憩しよう。まだまだ歩くだろうしな」
そう言うやいなやベンチに座り込むオルコスに、わかったわと返事をしてセレーナは隣にちょこんと座った。歩き続けていたので体はさほど冷えていないはずなのに、心なしかオルコスが震えている。セレーナは何も言わずに彼にもたれかけた。
ただ、静かな時間が流れていた。慌てて逃げたのが噓のように、世界には二人しかいないのだと錯覚してしまうほどに、ただ静寂がそこにあった。そんな今を、セレーナは少し嬉しく感じながら夜空を見上げていた。街灯が少ないので星が綺麗に見えていた。この星の輝きをオルコスはどう思っているのだろうと思い、ふと隣の彼をじーっと見つめる。
物思いにふけっているのだろうか、静かにどこか遠くを見ていたオルコス。すると彼が視線に気付いたのかセレーナの方を向いた。もちろん視線がバッチリと合うのだが、オルコスの虚ろな瞳はセレーナを捉えずセレーナを通して何かを見た。見てしまったのだ。オルコスは大きく目を見開き、まるで何かに責められることに怯えるように頭を抱えて唸る。彼の呼吸は浅く、汗もかき始めていた。
セレーナが声をかけてもオルコスは反応しない。セレーナは更に声を大きくするがそれでも少しの反応もなかった。
見てる、さっきもあの瞳が見てた。澄んだ瞳、何を考えているのか分かるようでわからないあの、青い瞳。それがこちらを覗いている。あの人と同じ色の瞳が。あの眼が見てる。あの人が、見てる。
裏切ってない、裏切ってないけれど、今の自分はどう見ても。あの人は気付いてるのだろうか、気付かれていなければ俺は、あの人に。嫌、嫌だ、それだけは。
俺には何も、あの人以外には何も。
そうグルグル回る思考を止めるかのようにふわりと甘く柔らかい匂いに包まれる。オルコスはセレーナに優しく抱きしめられていた。
「…大丈夫、大丈夫よオルコス。パパは分かってくれるわ、だって私のパパだもの。それに、貴方には私もいるのよ。だから、大丈夫」
まるで何を考えているか分かっているかのように声をかけるセレーナの温かさに身を委ね、呼吸が落ち着いてくるまで縋るようにセレーナの背中に手を回してしがみついていた。
「……すまない、セレーナ」
やっと落ち着きを取り戻したオルコスがそう口を開く。相変わらずセレーナにしがみついたまま顔を向けることなく話す。彼女を守るために、逃亡生活を始めたというのに。これで彼女を守れるわけがない、こんな弱いところを見せるわけにいかない。そう思っているのに、彼女を拒めない。
「大丈夫よ。もう少しこうしておく?」
ゆっくりとオルコスの背中をさすりながら、優しい声色で話しかける。
「……いや、大丈夫だ。すまなかった」
オルコスはセレーナから離れるとそう言った。
「ふふ、いいのよ。…ねぇ見て、オルコス。星がきれいよ」
彼女が指さす方をゆっくりと見上げると、夜空を一面に彩る星の輝きが目に入る。先ほどまで、自分の世界は光なんて一つもなくただ暗かったのに。
ちらりと隣の彼女を見ると、彼女もこちらを見てくる。嬉しそうに、明るい笑顔で語りかけてくる彼女の瞳は、夜空の星々と同じように輝いて見えた。
「ね、綺麗でしょ?二人で見れて嬉しいわ」
「…ホントに、綺麗だな」
彼女には救われてばかりだ。だからこそ、俺はあの人から彼女を守らなければならない。
「…セレーナ、そろそろ出発するがいいか?」
「えぇ、私はいつでもいいわよ」
二人はゆっくりと立ち上がると公園をあとにし、あてもなく歩いていった。
どのくらい歩いたのだろう、すっかり空が明るくなってしまった。人気のない路地や寂れた住宅街を歩きまわっていると、前の場所に少し似た空き家を見つけた。周りの家にも人はいないようで、二人には好都合の物件だ。二人はさっそく中に入っていく。
「見てオルコス、ここ穴が空いてるわ。風が凄く入ってくる」
「そうか。塞がないとな…」
オルコスはその辺にあった古びたタンスを移動させ穴を塞いだ。中は他にも修理する必要がある場所が多いが雨露を凌ぐ には十分だ。さて、ここで過ごせるように色々と整えていかないとな。
「ねぇ、今更だけど聞いてもいい?」
考え事をしていたオルコスにセレーナが声をかける。何か彼女に言っていないことでもあっただろうか。そう疑問に思いつつオルコスは返事をする。
「どうした?嬢ちゃん」
「なんで私たち逃げてるの?」
セレーナがオルコスにそう問いかける。そう言われてオルコスは気付く。彼女を連れ出した時は説明どころではなく、彼女に何も言ってなかったことに。しかし、それならば彼女はこの半年間なんの疑問も持たずに自分についてきたことになる。
「……嬢ちゃん、今まで説明してなくてすまなかった。ただあの時は…」
「いいのよ。理由なんて分からなくても、私のためだったのはわかったもの」
彼女はどこまで知っているのだろうか。もしかしたらこの生活を打破するためにやらなければいけない事も分かっているのかもしれない。もしそうなら、彼女はどう思っているのだろうか。
今そんなことを考えても仕方がない。俺がすべき事は全て話すことだろう。
「そうだな、嬢ちゃんのためなのは確かだ。それは信じてほしい。…さて、組織から嬢ちゃんを連れて逃げたのはだな」
セレーナがじっとオルコス見つめる。何があっても受け止めると、表情がそう語っている。濁す必要なんてないだろう。
「ボスから…嬢ちゃんの父親から守るためだ。あのままだと嬢ちゃんは…あの人に、殺されてただろう」
精神不安定なおじさんと、そのおじさんを少女が可愛がってるのが癖。そしてその癖の最たる例がこの話です。




