7話 クエストに挑戦してみましょう③
その判断は、一瞬だった。
カイルさんが大剣を抜くより早く、僕は彼の肩に飛び乗り、さらに高くジャンプ。目の前に迫る、牙をむいた怪物――大ゾンビ犬の顔に向けて、絞り出せるだけの墨を噴射した。
「がああっ!!」
大ゾンビ犬は、顔にかかったそれを落とそうと顔を激しく振るが、そう簡単にはとれない。やがて大ゾンビ犬は、しきりに地面や建物の残骸に体を打ちつけて暴れはじめた。
「なにがどうなってんだ……?」
カイルさんが、呆気にとられて呟いた。
あんなのに立ち向かっていけるとは、正直僕自身にとっても意外だった。人間だったら、恐れおののいてなにもできずに食い殺されていたかもしれない。魔物もとい動物として本能的に備わっている危機回避能力が、うまく作用したようだ。伊達にこの体で長年生きていませんよ。
「おいマリネ、お前なにした? あの黒いのはなんだ?」
「あれはタコ墨です」
「たこすみ?」
「はい。視覚と嗅覚を狂わせる効果があるので、混乱してるのかと」
「混乱状態の付与……? なにそれ、黒魔術じゃん」
「えっ」
ティムさんにより、タコ墨は黒魔術の一種だったと判明。そんな馬鹿な。確かに黒いけれど。
その後、混乱状態の大ゾンビ犬は、カイルさんの一太刀を浴びて消滅した。奴が暴れ回ったおかげで建物の残骸が粉々になった部分もあるのだが、大丈夫だろうか。これで、もしもペナルティを科せられたら申し訳ない。
「カイル。そいつのスキルの確認、どうせしてないんだろ。今のうちにしときなよ」
「どうせってなんだよ。確かにそうだけどよ……スキルの確認って?」
「ミランダから説明されてないの? 契約したときになにか渡されただろ」
「あーっと……そういや、なんかあったな……これか?」
カイルさんは、尻ポケットからくしゃくしゃに丸まった紙を引っ張り出した。仮にも契約書をそんなふうに扱うなんて、杜撰にも程がある。
「えーっと? 『ブラックアウト』に『カモフラージュ』、それから『オープンザドア』と『自己再生』」
「『自己再生』? 自分で回復できるのか。すごいじゃないか」
「『ブラックアウト』がさっきのだね」
「んじゃ、『オープンザドア』が鍵開けか! やっぱ持ってたんだな……!」
カイルさんに続き、ティムさんとオリヴィアさんも身を乗り出し、くしゃくしゃな契約書を見ている。
「『カモフラージュ』とはなんだ?」
オリヴィアさんが聞くと、カイルさんもティムさんも首を傾げた。そして、三人の視線が僕に一斉に向いた。つまり、解説しろと。
「そうですね……たぶん、これのことかと」
そう言いながら、周囲を見回す。普通にここでいいか。地面にぴったり、足ならぬ触手をつけてじっとする。
「っ!? 色が変わった……」
オリヴィアさんがいち早く反応し、歓喜の声を上げた。
『カモフラージュ』とは、いわば擬態だ。敵に見つからないように身を隠すためだけのものではなく、獲物を狩るときにも使う。タコは泳ぎが苦手なので、待ち伏せ方式を採用しているからだ。すなわち、攻守双方で活躍するスキルといえる。
「こんな感じです」
「そのまんまだね。隠れきれてないし」
ティムさんのストレートな感想に、ショックを受ける。確かに、「そこにいる」と知っている状態では効果は薄いかもしれないけれど。
「お前……っお前、すげぇな!」
「えっはい、あの、すみません?」
「なんで謝るんだよ!」
カイルさんが急に興奮して、僕を両手で持ち上げてその場でくるくる回った。
わけが分からないけれど、満面の笑みを浮かべている様子からはとても喜んでいる様子で、怒っているようには見えない。
「にしても、鍵開けに擬態って。ほぼ盗賊のスキルじゃん。加えて黒魔術……」
タコは盗賊だったらしい。感心しているのか呆れているのか、微妙な表情のティムさんを見て納得した。
「お役に立てればいいんですが」
「立つに決まってんだろ! 特に鍵開け! 見つけた宝箱持って帰る手間もなくなるし、わざわざ開けてもらうために金払う必要もなくなるんだからよ!」
「そうなんですか?」
「そうだよ!」
力強く肯定するカイルさんの言葉を聞いて、納得した。
鍵もなく開け方が分からない宝箱は、専門業者に依頼して開けてもらうしかない。となると、当然有料になる。その手間と費用がかからなくなるのだ。
そう考えれば、確かに有用性があるかもしれない。お役に立てそうなスキルを持ててよかった。これではっきりしたな。タコは不遇な転生先では決してない、クラーケンになったとしても、人を襲うだけが能ではないのだと!
「……だから、見つけられたらの話だけどね」
「それを言うんじゃねぇよ!」
ティムさん、雰囲気ぶち壊しです。
◇◇◇
その後、僕らは何事もなく帰還した。
後日、カイルさんたちの報告に基づき、改めて〈アルカネット遺跡〉にて本格的な調査が行われたらしい。結果、洞窟内で見つかったのは、やはり墓地だったと判明した。その昔、山の中腹にあった場所に造られていたため、山肌が崩れて埋まってしまったらしい。ほとんどティムさんの見解どおりだったのだ。
その事実により、規模的な部分はまだ不明な点が多いが、少なくとも集落があった可能性が高い、と王立考古学研究所なるところが正式に発表し、ここ数日はかなりの話題となった。当然、その発見の第一人者であるカイルさんたちの名が取りざたされている――はずだった。
「…………」
「……ごめんなさい」
「お前のせいじゃねぇって! 今回はまぁ、アレだ! 初めてだったわけだしよ、そんなうまくいきっこねぇって!」
諸々の手続きを終えてやっと落ち着き、いつもの〈カモミール亭〉で食事をしていたのだが、僕は激しく落ちこんでいた。カイルさんは、落ちこんだり僕を明るく励ましたりと、情緒不安定ともいえる状態になっていた。
それもそのはず。
結局、最後に出てきたあの大ゾンビ犬を暴れさせて、遺跡の一部を壊してしまった件を咎められ、報酬はほぼプラマイゼロになってしまったのだ。
スキルとは、TPOが大事。その効果と、敵の特性を見定めて、臨機応変に使うのが大事なのだと身に染みて理解した。
「マリネ、大丈夫だ。私も冒険者になりたての頃は失敗ばかりだったからな」
「オリヴィアさんも?」
「ああ。カイルとティムにずいぶん助けられた。いや、今もそうだが」
オリヴィアさんは、優しく微笑みながら僕の頭をなでてくれた。ついでに、「ちょっと癖になりそうだ……」などと言って、若干変態臭さをにおわせながら触手の吸盤にも触れてきた。気に入ってもらえて嬉しいです。
「まぁ、ペナルティが報酬で相殺されたわけだから、不幸中の幸いだったって思うしかないんじゃない」
「えっあ……はい」
ティムさんはこちらを特に責めはせず、すました顔でティーカップを傾けていた。ボロクソに責められるのではないかと戦々恐々としていたので、安堵するのを通り越して拍子抜けした。
そうして、やけくそでパンを口に詰めこんで喉につまらせたカイルさんに、水を差し出して対応。今度こそはしっかり役に立てるよう決意をした僕なのであった。
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