ある勇者になった男とその従魔の話
念願の「勇者」の肩書きを手に入れた途端、身の回りが一変した。
それまでまったく相手にしなかったどころか、邪見にすらしていた連中が、手の平を返すようにすり寄ってくるようになったのだ。
それは、まだいい。否、よくないけれど。
なにが嫌なのか。それは、王族や貴族、地位の高い連中までもが声をかけてくるようになったところだ。
「あのレックス氏に勝ったと聞いたが、本当かね?」
「信じられないが、目撃者も多いと聞く。本当のところ、どうなのかね?」
知るか。なんでてめーらみたいな奴らに、いちいち説明しなきゃいけねぇんだよ。
毎日のようにかけられる言葉に、いい加減辟易していた。
前に一度会った、なんとか辺境伯様にも再び呼ばれて会ったのだが、あの人はまだいい方だった。
「まさか、レックスを越える者がこんなに早く出てくるとはな……いや、まさかなんて失礼に値するな。とにかく、おめでとう」
そんな言葉をもらっただけだったので、安堵した。
ひょっとして、と考える。
レックスも、勇者になりたての頃はこんな感じだったのだろうか。
冒険者を引退すると打ち明けたときの、あいつのさっぱりとした笑顔を思い出す。重い荷をやっと下ろせた、とほっとしていたとも考えられる。
レックスとは、ときどきトリスタンの喫茶店にやってくるので、タイミングが合えば会って話をする。遺骨の収集については、長年埋もれたままになっていたせいか風化が激しい部分もあり、とても難航しているらしい。
「まぁ、予想はしていたよ。そう簡単にはいかんさ」
そう言いながら、奴は微笑んでいた。
目の前にそびえたつでかい壁。さてどう乗り越えるか、と考えているのが見てとれた。
一方で、俺たちはほとんどなにも変わっていなかった。ギルドから要請を受けてクエストに出かける場合も増えはしたが、それ以外で変化はほぼない。ティムは図書館、オリヴィアは喫茶店で相変わらず働いているし、俺も同様だった。
ようは、俺たちはこの今までの生活が、なんだかんだ好きなのだ。それは、この先金銭的に余裕が生まれたとしても変わらない――否、変えられないのだと思う。
貧乏性? ほっとけ。
その日も、ふと思い立って喫茶店に寄ったが、レックスはいなかった。少し茶を飲んで帰ろうとしたところで、トリスタンに声をかけられた。
「ミランダが、空いている時間に研究所に来てほしいと言っていたよ」
「ミランダが? 何の用だよ?」
「さぁ。なにか見てほしいものがあるとか言ってたけれど。ああ、マリネも一緒に連れてきてほしいとも言っていたな」
わけが分からず、俺はただ首を傾げた。
嫌な予感がしないわけでもない。しかし、ミランダに呼ばれておいてすっぽかしたら、あとでひどい目に遭うのは目に見えていた。
さっさと用事を済ませようと思い、〈薬のミョンミョン〉で健気に働いていた相棒のマリネを引き連れ、〈リンジー魔物研究所〉へと向かった。
「見てほしいものって、なんでしょうね?」
「さぁなー。新種の魔物とかじゃねぇか?」
「ホントですか!? だったら嬉しいです!」
「……嬉しいのかよ?」
「当たり前じゃないですか! だって、友達になれるかもしれないし!」
俺の肩の上で喜びながら小躍りするマリネの気持ちは、俺にはさっぱり分からなかった。
だが、まぁしかし、そこは魔物だ。町にいれば、魔物と会う機会はそうそうない。そんな貴重な機会に触れたら、それは確かに嬉しいのだろう。
ぼんやりとそんなふうに考えながら歩いていると、ミランダの研究所についた。
「邪魔するぜー」
「あら、二人ともいらっしゃい。よく来てくれたわね」
ミランダは、俺たちの顔を見るなり、奥の部屋に一旦引っ込んで、そしてなにかを持って戻ってきた。
それは、奇妙なものだった。
「……なんだよ、それ」
「魔物みたいなんだけど。どう? 見たことないでしょ?」
あるわけがねぇ。
それは、白っぽい体から足が何本も――数えたら、マリネより多い十本だった――出ている生き物だった。最初は作り物かなにかかと思ったが、足をうねうねと動かしているので、紛れもなく生きているのだと分かった。
そいつの生気のない目で見つめられながら、顔を近づけて、まじまじと観察する。
その足には、マリネと同じような突起物――吸盤とかいうらしいものがついていた。もしや、マリネと同族か?
「カイルさん、離れてくださいっ」
「あ? っ!?」
マリネに言われて身を引いた直後、その白い魔物が黒いものを噴射した。反応が少しでも遅かったら、もろにかぶっていたところだった。
「あ……っぶねぇな! なにしやがんだっ!」
「イカ墨ですね」
「いかすみ!?」
「はい。この人は『イカ』です。僕らタコと同じ海の生き物で……それが魔物化したお方ではないかと」
「やっぱりそっかー。よかった、マリネに見てもらって」
なにやら真面目な顔をしながら説明するマリネに、嬉しそうに頷くミランダ。
ふてぶてしい顔つきで見つめてくるその「イカ」とかいう奴に腹が立って、刺身にでもしてやろうかと剣に手をかける。しかし、ミランダがさっさと水槽にそいつを入れてしまったので、叶わなかった。
「どこで見つけたんですか?」
「この前、うちの子を散歩させてるときにね。港の近くを通ったら、吸盤が貼りついて動けなくなってたのを見つけたのよ。それで、助けてあげたの」
研究所の魔物として引きこむのが「助けてあげた」と言えるのかは、甚だ疑問ではあるが。
マリネは、俺の肩から下りて、その白い魔物がいる水槽に近づいた。
「こんにちは。陸上デビューおめでとうございます……え? いえいえ、そんなことないですよ。ここは安全なところですよ……嘘じゃないです! 本当です」
マリネとイカが楽しそうに(?)魔物同士で会話をしているのを傍観しながら、ミランダが入れてくれた茶を飲んだ。今日はちゃんと、俺の嫌いなモニマニ茶――もといネトルではなく、ガラナの方だった。
「あれ、どうすんだ?」
「しばらくここに置いてじっくり研究するわ。新種の魔物……はぁ、これから楽しみね」
ミランダが笑みを浮かべた――目が笑っていない――のを見て、背筋にぞくっと寒気が走った。
おい。逃げた方がいいぞ。イカとかいうお前。
心の中ではそう思ったが、口には出さなかった。
「だから違いますってば! ボールの中に押しこまれて、君に決めた! とか言われて戦わされるアレとは違いますって! っていうか、なんでそんなこと知ってるんですか!? あなたもしかして……!」
なにはともあれ、マリネが楽しそうなのでよかったと思う。
理由は分からないが、その妙に焦った様子の後ろ姿がおかしくて、ずっと心の中にあったもやもやした気分が、一気に晴れたような気がした。
「ところで、カイルくん。呼びつけておいてアレだけど、時間は大丈夫? 勇者になってから忙しくなったんじゃない?」
「まぁな」
ミランダに言われ、そういえばなるべく早く調査してほしいと頼まれていた案件があったな、と思い出す。
よし、と気合いを入れて、立ち上がった。
「行くぞ、マリネ」
「え!? もう行くんですか!? 待ってください!」
「待たねぇよ。お前が追いつけ」
「ひどいっ!」
プリプリ怒りながら追いついてきたマリネを、いつものように肩に乗せて。
俺は、決して立ち止まらない。この先も、ただひたすら突き進むだけだ。
ここでひとまず完結とさせていただきます。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。




