66話 心してラスボスに挑みましょう①
部屋に一歩入った途端に動けなくなった僕のそばに、カイルさんたちが駆け寄ってきた。
「誰だ!」
カイルさんが、すぐに僕を拾って定位置の肩の上に置きながら、声がした部屋の奥に向かって問いかけた。
その部屋は、あらゆる面で予想に反していた。
どの窓にもカーテンがかかってないため、真っ暗ではなく、月の光のおかげで薄暗い程度だった。さらに特筆すべきは、他の六つの部屋とは違い、死体の山がない点だ。天井、壁材、床のカーペットすべてが赤を基調としているが、返り血が飛び散ったせいではない。
カイルさんが問いかけた部屋の奥には、二つの人影が、椅子かなにかに座っているのが見えた。手前にいる一人は、剣のような長いものを持っている。剣先の方を床に突き立て、柄の先に手を重ねて杖のようにしている。
その人が、前に体重を傾けつつ、ゆらりと立ち上がった。
次の瞬間、背後で大きな音がした。
全員が肩を跳ね上げて震わせ、振り返る。なにかと思えば、開いていたはずの両開きの扉が、ひとりでに閉まった音だった。
え、待って? なにこのホラー展開。
「差し出せ」
「……なんだと?」
「貴様らの血を……差し出せぇ!!」
その人は、身につけたマントのようなものを広げて、剣を抜いて飛びかかってきた。
すかさず剣を抜いたカイルさんが、相手の振り下ろしてきた両刃の剣を受け止める。瞬間、衝撃波のような風圧を感じた。
「マリネ……っ! 下がって、ろ!」
「は、はいっ」
言われたとおり、カイルさんの肩から飛び下りて、差し出してくれたオリヴィアさんの手に一旦乗って、床に下りた。
あのカイルさんが、力負けしそうになっている。
相手は、赤く怪しく光る目をしていて、口元からは動物の牙のように伸びた犬歯が覗いている。身に着けているのは、黒い軍服。鎖骨の辺りには、三つの勲章らしきものが下がっている。触れるだけでも危険のように感じるのは、彼の体から放たれる禍々しい気配のせいか。
なんだろう。あれは、人のようでいて、人ではない。人の皮をかぶった、まさしく魔物だ。
押されていたカイルさんを援護するため、レックスさんが横から斬りかかった。しかし、相手は素早い身のこなしで後方に飛びのいた。
「〈光よ、照らせ〉!」
ティムさんが、『ダイヤモンドの杖』を掲げて光魔法を放つ。
辺りが光に包まれる――のも束の間、怪しく笑った黒い軍服の魔物が手をかざすと、そこから闇があふれ出し、まるで飲みこんでいくかのように光を打ち消してしまった。
「は……!?」
光を完全に飲みこんだ闇は、さらに勢いを増してこちらに襲いかかってきた。
すかさず僕が最前列に飛び出て、伸ばした触手を一振り。闇魔法を打ち消した。
「ほう……」
軍服の魔物は、むしろ喜んでいるかのような声をもらした。
再び斬りかかってきたときのためにか、それぞれの剣を構えたカイルさんとレックスさんが前衛に出た。
呪文を唱えずに闇魔法を使えるなんて。どうなってるんだ? それだけ魔力が馬鹿高いのか?
「誰なんだよ、てめぇは!」
「いきなり斬りかかってくるとは、行儀が悪いな。せめて名乗ったらどうだ」
カイルさんとレックスさんが、警戒しながら問う。
それを聞いた魔物の口が、三日月のように吊り上がった。
「我が名はドレイク。絶望の名を冠する者」
ドレイクと名乗った魔物は、右手を挙げて指を弾いて鳴らした。途端に、壁につけられた燭台に青い炎がついて、部屋中が照らされる。
いや、中二病かよ。
っていうか、ドレイク、だって? あれが、ディーンさんとフォックスさんが言っていた、「ドレイク中将」なのか?
考えながら目を部屋の奥へと動かした瞬間、見えたものに驚いて言葉を失った。
ドレイクの背後、もう一つの人影。それは、高い背もたれがついた豪奢な飾りがついた椅子に座った――ミイラだった。
眼球があった位置にある黒い穴。ひじ掛けに置かれ、袖からのぞく手は、骨と皮だけだった。身に着けている、金の装飾であしらわれた衣装が、なんだかひどく歪に感じた。
「もう少し……! エルダー様が永遠の命を得るまで、あと少しだ!」
「エルダー、だと!?」
ドレイクが剣を横に振り、部屋中に響くような大声を上げた。
まさか、あのミイラはエルダー? 仮にそうだとすれば、皇帝はずっと前に死んでいたとでも言うのか!?
「さぁ……貴様らの血を、エルダー様に差し出せぇ!!」
ドレイクが、腰に下げていた二本目の剣を抜いて、再び飛びかかってきた。
今度はそれを、カイルさんとレックスさんが同時に剣で受け、押し返そうとする。しかし、ドレイクが逆に振り払った。
「あわわわわ」
相手が剣士では、僕では分が悪い。一番の強みである『巨大化』なんてしようものなら、カイルさんたち味方ごとこの宮殿が崩れ落ちてしまう。そして、「ちぎっては投げちぎっては投げ戦法」が通用するとも思えない。『ブラックアウト』をうまく当てられたら、いけるかもしれないけれど。それも、前提として通用するとした場合の話。
「ティム、私たちも援護するぞ!」
「ダメだ、オリヴィア! むやみに攻撃するな!」
弓に矢を番えたオリヴィアさんを、ティムさんが止めた。
「なぜだ!」
「あいつが闇魔法を撃ってきたら、近くにいるカイルとレックスが危ないだろ!」
「……っじゃあ、どうする!?」
「まだ確証はないけど……確かめてみようか?」
困惑する僕とオリヴィアさんを尻目に、ティムさんは杖をかざしつつ「矢、貸して」と言った。
そして、オリヴィアさんが差し出した矢の先端に向けて、小声で炎魔法の呪文を唱えた。途端にそこに火がつき、あっという間に火矢ができあがった。
「狙いは、エルダーでよろしく」
「……分かった!」
ティムさんの言葉――「確かめてみようか」の真意は分からないままだが、オリヴィアさんは火矢を受け取り、素早く弓に番え、放った。
火矢は、玉座とおぼしき椅子に座らされたエルダーに向けて、まっすぐに飛んでいく。あと少しで到達するところで、すかさず間に飛びこんできたドレイクによって、叩き落とされてしまった。
「貴様ぁ! 許さん……許さんぞぉぉ! 羽虫風情が、偉大なるエルダー様の御身を狙うとは片腹痛いわ!!」
「狙うもなにも、もう死んでんだろうが!」
「死、だと?……ふ、ははは! 愚か者が! 我らは不死身になるのだ! そして、まもなくすべてが手に入る!」
「なにわけ分かんねぇことを……!」
本当に、わけが分からない。支離滅裂だ。
よく観察すれば、確かに力は強いけれど、攻撃するときに無駄な動きが多いように見える。また、ときどき足元がふらつくときがある。
まさかとは思うが、ドレイクは酔っ払った勢いで絡んできている、なんてオチではないだろうな? いやいや、そんな冗談では済まされないぞ!
「思ったとおりだ……」
ティムさんが呟いた。その額から、一筋の汗が流れ落ちる。
「なにか分かったんですか?」
「禁術だよ。あいつがやろうとしてるのは……死者を蘇らせる蘇生術。加えて、不老不死のオプションまでついてる」
オプションって。そんな、健康診断みたいな言い方しなくても。
「禁術のなにがまずいんだ?」
「死者蘇生の方法は、ずっと昔から秘密裏に研究されてきたんだよ。けど、固く禁じられてきた……なにしろ、対価が大勢の人間の命だから」
「大勢の人間の命、って……!」
「そう。あの部屋の遺体は……その材料として使われた、成れの果てだ」
脳裏に血みどろになった部屋の惨状がよぎり、強烈な寒気が走った。
「そうか……宮殿内の警備が疎かだったのは……!」
「そういう奴らまで、餌食にされてたから……それ以外に考えられない」
僕とオリヴィアさんが絶句する中、ティムさんは冷や汗をかきつつ、目を細めてドレイクを見た。
「あの手の禁術は、時間の経過とともに術者の精神まで蝕んでいくんだよ。今のあいつは、発動させた黒魔術を成功させるのだけが目的の、魔物だよ。早くどうにかしないと……俺たちまで餌食にされる」
「どういうことだ?」
「魔術をかける対象物を見せるのも、術を成立させるのに必要な過程なんだよ。ここから生きて出るには、あれを解除するしかない」
ティムさんが奥歯を噛みしめ、舌打ちをした。
念のため、扉が開かないか試してみた。しかし、いくら押しても引いてもびくともしなかった。やはり、と言うべきか。
「じゃあ、解除する方法は?」
「……禁術とはいえ、黒魔術には違いないから、光魔法が有効のはずだよ。けど……」
「さっきティムさんのやつ、弾かれてましたよね? 魔力差のせいですか?」
「…………」
「ひっ! ごめんなさい!」
ティムさんが、黒いオーラを発しながら睨んできた。即座に謝ると、舌打ちをしつつ前に向きなおった。
「認めたくないけど、そのとおりだよ。あっちは、時間をかけて魔力を蓄積させてきたみたいだからね。へたに攻撃したら、さっきみたく返り討ちにされる。だからむしろ、エルダーの方をどうにかするべきだ」
「あの遺体を損壊させればいいのか?」
「そう。対象物がなくなれば、当然だけど術は成立しなくなるから」
「で、でも……」
三人ほぼ同時に、玉座に座るエルダーのミイラを見た。
オリヴィアさんが火矢を放ったときの、激昂していたドレイクの様子から察するに、ティムさんの仮定はほぼ間違いなく正しいだろう。
しかし、それを行うのは至難の業だ。ドレイクに気づかれれば、ただ阻止されるだけでは済まない。
「っく……!」
「レックス!」
レックスさんが体勢を崩され、追い打ちをかけられる。ぎりぎりのところでかわすも、かわしきれなかったようで、頬から血が流れた。
ヤバいヤバいヤバい! レックスさんもカイルさんも、動きが鈍くなってきている。だいぶ消耗しているようだ。早く手を打たないと!
「……オリヴィア」
「ああ」
ティムさんとオリヴィアさんが顔を見合わせ、覚悟を決めたかのように前を睨みつけ、しゃがんだ体勢から立ち上がった。
「マリネ。頼んだよ」
「へっ?」
「私たち四人で、ドレイクを引きつける。お前には絶対に近づかせない」
ティムさんが杖を、オリヴィアさんが弓と矢を持って構え、ドレイクに向かっていこうとしたのを、触手を伸ばして腕をつかんで阻止した。
「待ってください! 皆さんが囮になるなんて――」
「囮ではない。ドレイクは私たちで倒す。エルダーはお前に任せる。そういうことだ」
「今のお前なら、触れるだけで解除できるかもしれない。一番可能性が高い方法を試すのは、基本中の基本だろ」
「でも! 僕が皆さんのそばを離れたときに、ドレイクが闇魔法撃ってきたらどうするんですか!?」
ティムさんが、ため息をつきながら僕の触手をはたき落とした。オリヴィアさんは、はたき落としたりはせずに、触手をつまんで外した。
「なめないでくれる?」
「私たちは、腐ってもAランクの冒険者だぞ。困難ならいくらでも乗り越えてきた。お前も見てきただろう?」
「だったら僕も一緒に――」
「お前は俺たちの希望なんだよ!!」
反論しようとした僕を、ティムさんが今までにないくらいの大声で遮った。
希望? 僕、が?
あっけにとられていると、オリヴィアさんが僕の頭にポンと手を置いた。少し遅れて、ティムさんも同じように。
「大丈夫だ。私たちなら」
「失敗したら承知しないよ。あとでこの杖でぶん殴ってやるから」
二人は、僕に背を向けた。
あとで、とティムさんは言った。必ず全員、無事で帰る。そんな強い意志が垣間見えた。
そこで、はっと気づく。なにを今さら、尻ごみしているのか。最初から覚悟を決めていたのではなかったのか。この戦争を終わらせる。そのために、ここまで来たのではないのか。
「……っ分かり、ました!」
ここで、全てを終わらせる。
決意を込めて、大きく息を吐き出すように返事をした。




