65話 最難関のダンジョンに挑みましょう
※若干グロ表現あります。ご注意ください。
地下道から出た先は、庭園だった。
月明かりに照らされたそこは、とにかく荒れ放題だった。花は一つもないし、草木の一部は枯れていた。リタさんの妹――ミアさんだったか。宮殿の庭が好きだった彼女がこれを見たら、さぞかし悲しむだろう。
見張りがいないのを確認しながら、極力音を立てないように進んでいった。建物にぶち当たると、先頭のカイルさんがそこの窓を蹴り飛ばし、中への進入経路を確保した。
「音!」
「分かってるってのっ」
ティムさんが、小声で注意する。
否、これでも配慮した方だろう。普段のカイルさんだったら、もっと派手に遠慮なくぶち破っているはずだから。
建物の中を、オリヴィアさんが覗きこんだ。耳をぴくぴくさせて、中の様子をうかがっている。しばらくして、眉間に皺を寄せた顔をこちらに向けてきた。
「妙だ……人の気配が、まるでない」
訝しんだカイルさんとレックスさんも、同じように中をのぞきこんだ。そして、「確かに」と二人が呟いた。
「戦争中だから、出払ってるんじゃないんですか? あと、エルダーはここにはいないのかも」
「だとしてもだ。こんなにひっそりとしていて、見張りが一人もいないのはおかしい」
「……入れって言ってるようなもんだよね。罠だよ、絶対」
全員で顔を見合わせた。
「で、でも、ディーンさんとフォックスさんは、中に潜入して例の増築されたエリアがあるのを突き止めたんじゃなかったんですっけ?」
「その頃は罠がなかったか、あるいは――」
「二人が私たちを罠にかけるつもりで、あえて言わなかったか」
オリヴィアさんの、あってほしくない可能性の話を聞いて、息をのんだ。
あの二人が、実は裏切り者だったなんて、嫌だ。あんな、ラルゴさんとリタさんたちに忠誠を誓ったと、堂々と宣言していた人たちが。
あの二人の、きりっとした顔つきを思い浮かべる。
そうだ。絶対、違う。あの人たちが裏切り者なんて、ありえない。証明してみせる!
考えこむカイルさんたちの目を盗んで、窓によじ登る。そして、思いきって飛び下りた。
……うん? なんとも、ないな。
「大丈夫そうですよー」
「はっ?」
普通に呼びかけると、慌てた様子でカイルさんが窓から中を覗いてきた。彼は唖然として固まり、少ししてから同じように中に飛びこんで僕を捕まえた。
「ばか野郎! なにやってんだっ!」
「罠があるかどうか確かめてみました」
「確かめてみました、じゃねぇ! もしあったらどうすんだ!」
「魔法系だったら、すぐに解除できますし。そうじゃない……普通の罠? だったとしても、どうにでもなるかなって」
「あのな――」
「二人とも、声を落とせ」
僕とカイルさんの言い合いに注意をしてきたのは、レックスさんだった。彼も、ちゃっかり中に入ってきた。
「……お前は、どうする?」
「知らないからね、もう」
まだ外にいたオリヴィアさんが、侵入するのを渋っているティムさんに対し、「入らないなんて選択肢は与えない」とばかりに、小首を傾げて聞いていた。故意だな。
こうして、全員なんとか宮殿の建物内への侵入に成功した。ティムさんからは、「お前あとでめいっぱい働いてもらうからね」と、懲役数十年の判決のような言葉をもらったが。
いいですよ。どうせそのつもりですしっ。
内部は、相変わらず人の気配がしなかった。疑問を感じつつも、今度は地図を持ったレックスさんの先導で、例の怪しい謎の増築エリアへと進んでいった。
明かりが一つもなく、足元がおぼつかない状態だ。たいまつを使ったり、ティムさんの光魔法を使ったりするわけにはいかないので、手探りで、とにかく慎重に一歩ずつ進んだ。
否、僕はカイルさんの肩に乗った状態なので、楽なもんですけど。ティムさんの言うとおり、この後めいっぱい働くつもりだから勘弁してほしい。
それよりも問題は、道中一人も見張りらしき兵士とかちあわなかった件だ。あちこち曲がったり上ったり、確かに複雑な構造ではあったけれど、懸念していた罠らしきものがまったくと言っていいほどなかった。
「なんだよ、つまんねぇな」
「油断」
「分かってるって。けどよぉ……」
張り合いがないとばかりに、カイルさんが不満をもらす。
まさしく、もぬけの殻。これは、エルダーが不在の可能性が濃厚になってきたのではないか?
「ひとまず、このエリアを探るぞ。内部がどうなっているか調べれば、なにか分かるかもしれん」
レックスさんが広げた地図の増築エリアを指しながら言って、僕らが頷いた。
先程ティムさんが言っていた、「入れって言ってるようなもん」――すなわち、おびき寄せるための罠ではないと祈ろう。
怪しい雰囲気に気圧されながらも、なんとかして目的地に到着した。
そこは、地図で見る以上に狭い通路がまっすぐ先まで続いていた。暗いので、どこまで続いているのかは分からない。
ここもやはり、人の気配はなく、ひっそりとしていた。だが、心なしか空気が重い気がする。こもった湿気が肌にまとわりつくような。ここだけ梅雨の時期だった説浮上か?……はい。そうですね。ふざけている場合ではありませんよね。
「じゃ、行ってみます」
「…………」
声をかけたが、カイルさんは怪訝そうな顔で僕を両手でつかんだまま、離そうとしない。
「カイルさん?」
「……危なそうだったら、すぐ引き返してこいよ」
「大丈夫ですよ。『自己再生』もありますし」
「それ使うことになる前にだよっ」
「ひゃい」
カイルさんに、手の平で顔を左右から挟まれ、押しつぶされた。
床に下ろされ、双子軍人のマネをして敬礼。踵を返し、禁断の増築エリアへと一歩足を踏み入れた。
直後、
「じゅわっ?」
「どうした!?」
「……いえ。なんか今、天ぷらを揚げるみたいな音が……」
「てんぷら?」
そう、一歩足を踏み入れた瞬間、熱々の油鍋に衣をつけた食材を入れたときのような音がしたのだ。一体なんだったのだろう。
カイルさんが困惑しているのは、天ぷら――揚げ物がなんなのか分からないからだろう。この世界――否、この時代には、まだ存在していないのかもれない。食事処の〈カモミール亭〉でも、揚げ物系のメニューは一つもなかった。
ああ……懐かしや、〈カモミール亭〉。「ワナワナ貝のスープ(具だくさん)」、美味しかったなぁ……って、ばか。そんなの考えている場合か!
「なんなの本当に……」
「あん?」
「やっぱり黒魔術だよ。毒状態を付与するタイプの」
「毒だと? おいマリネ、平気なのか!?」
「へっ? はい、全然平気ですけど」
「なんで?」
「なんでと言われましても」
ティムさんが、怪訝そうな顔でこちらを見ている。
毒状態付与の黒魔術か。それでは、迂闊に入れないな。ディーンさんとフォックスさん、引き返して大正解です。
とりあえず、その黒魔術を解除すべく、バタバタと触手を動かした。そのたびにジュワジュワと聞こえる音は、魔法が解除された証……で、いいのか?
「ティムさん、どうですか?」
「まだまだだよ。そのまま続けて」
「イエッサー」
よし。頑張るぞ。
再度、触手を動かしながら少しずつ前へ進んでいく。いいえ、僕は電動モップではありません。
「真面目にやっているのは分かるんだがな……」
「ああ。なんていうか、こう……」
「シュールっていうか、マヌケだよね」
「お前ら、失礼だぞ。マリネが俺らのために必死こいてやってくれてんのに」
「お前だって半笑いじゃん」
……後ろの失礼な人たちは、無視だ無視。とにかく、無視ならぬ無心で魔法解除の作業を進めた。
そうやって、少しずつ前へ前へと進んでいると、左側にある部屋に辿りついた。ドアノブにちょん、と一瞬触れて、なにも起こらないのを確認してから握ってみると、やはり鍵がかかっているようで開かなかった。
よし。ここで出番だ。スキル『オープンザドア』!
瞬間、ドアノブが回った。油をさしていないようで、ぎぎぎ、と鈍い音を立ててドアが開いた。
中は、予想通り真っ暗だった。向かい側の窓はカーテンがかかっているが、わずかに空いた隙間からもれた月明かりのおかげで、少しだけ見えた。
「……!!」
見たらいけない。
頭の中で、危険信号が点滅。けたたましいサイレンが鳴っているようにも感じる。
しかし、動けない。
「どうした? 誰か……なんかあるか?」
カイルさんの呼びかけに、目を見開いたまま、ゆっくりと首をそちらに向ける。
だめだ。もう無理!
扉を勢いよく閉めて、走ってカイルさんの元に走って飛びついた。
「おいっ? どうしたんだよ?」
「し……ししししし」
体の震えが止まらず、し、としか言えなかった。カイルさんの服にしがみついて顔を押しつけても、だめだった。
「し?」
「それ以上言わなくていい」
状況を察したのか、オリヴィアさんが制止する声が聞こえた。
「ここからでも……かすかに分かった」
「なにがだよ?」
「……血の臭いだ」
オリヴィアさんがそう言った瞬間、空気がピリッと張りつめるような、緊張が走ったような感覚がした。
オリヴィアさんの言うとおりだ。部屋の中は、死体の山だった。床も壁も血みどろで、つい先程大量殺戮が起こったとしか考えられなかった。
「どういうこと……? 他にはなにもなかったの?」
ティムさんに頭を軽く突っつかれたので、カイルさんに顔を押しつけたまま二度頷いた。
「死んでたのは、どんな奴らだった?」
「ど、どんな……? ぐ、ぐちゃぐちゃだったので分かりません……あ、でも……ディーンさんとフォックスさんが着てた軍服と似たような格好の人も、いたかもです」
「ってことは、軍人か?」
「なぜ軍人の遺体がこんなところに?」
「へ、部屋中血まみれだったので、あそこでなにかが起こったのかもしれません」
少し気持ちが落ち着いてきたので、顔を上げてカイルさんたちを見ながら説明した。
思い出すのは、つらい。でも、実際見たのは僕だけだから、しっかり話さないと。
「なにかが起こったって……なにが?」
「う……わ、分かり、ません」
「ちょっと部屋の中入って――」
「無理です!」
鬼のような指示を出そうとしたティムさんの言葉を、カイルさんにしがみついて遮った。それだけは、本当に無理です。いや、マジで。
カイルさんが、「どうするか」と言いたげに他の三人に目配せをする。
「手がかりを探すんなら、他の部屋も確かめてみないとなんとも言えんな」
「……マリネ、どうだ? 行けそうか?」
「ご命令とあらば」
泣きそうになりつつも、再び敬礼して床に下り、最初の部屋のすぐ先にある部屋へと向かった。
結果をお伝えしよう。全部で七つある部屋のうち、突き当たりの部屋を除いたすべての部屋が、同じようなありさまだった。
「…………」
「大丈夫かよ」
燃え尽きたぜ、灰みたいにな……冗談ではない。
三つ目に開けた部屋は、かろうじて入ってすぐのところが無事だったので、レックスさんが中に入って様子を探ってくれた。しかし、特に変わったところはなかったらしい。
「手がかりなしだな」
「本当にただの死体置き場なのかよ?」
「あるいは、拷問部屋か……エルダーに異を唱えた者専用の部屋なのか」
「わざわざ宮殿内にそんなの作る? 普通、離れか地下に作るんじゃない?」
「拷問部屋とするならば、見せしめの意味もあったのかもしれないな。今まで話で聞いてきたエルダーの性格的に考えたら」
ぞぞぞ、と背筋に寒気が走った。
すべて憶測だけれども、もしオリヴィアさんの言う通りならば、趣味が悪いなんてものではない。
「あとは、あの部屋か」
カイルさんが、親指を立てて突き当たりの部屋をさした。
他の部屋とは少し離れていて、そこだけ両開きの扉がついている。特別感がないわけでもないが、漂ってくる異様な雰囲気はあまり変わらない。
ううう。どうせあの部屋も同じですってば。
「最後だ。頑張れマリネ」
「はぁい」
もはや、やけくそだ。
部屋の前に移動し、鍵がかかった扉を――あれ?
「鍵、かかってません」
「本当か?」
四人が注目している前で、両開きの扉のドアノブを回してみせた。そして、開いた。
途端に、部屋の中から強い風が吹きつけてきた。一気に鳥肌が立つような感覚。
「よくぞ来たな」
ノイズまじりのようなしわがれた声が、響き渡った。




