62話 敵か味方かを注意深く見極めましょう
丘を下ってたどり着いた集落には、人の気配がまるでなかった。
住居があるので、人が住んでいた形跡はあるが、それもだいぶ前の痕跡のように見えてならなかった。
「で、どこにあんたの兄さんがいるんだ?」
「……分かりません」
「はっ?」
「〈ソープワート〉にいるのは確かですが……手紙には、アジトとしている具体的な場所までは書いてありませんでした」
「……万が一、あんたが逃げだせたとしても、追いかけてこられないようにするためにあえて書かなかったのかもしれないね」
「そうだと思います」
お兄さん。シスコン――違う、妹想いなのはいいが、それだとこちらが困るんですけど。
どうしたものかとみんなで逡巡していると、レックスさんが「待て」と小声で言った。
静まりかえった町中に、なにかが動く音がした。
「囲まれたな」
「へっ」
レックスさんとカイルさんが、武器の剣の柄に手を置いて、リタさんを背中で庇うように立ったそのとき、物陰から人が出てきた。
「武器を置け。さもなくば全員命はないぞ」
槍や剣、斧などのバラバラの装備の人たちが、僕らを丸く囲んだ状態で現れた。中には、古い鍋のようなものを兜代わりにかぶっている人もいる。明らかに、帝国軍の兵士ではない。武装した市民だ。
極力刺激しないようにと、まずはレックスさんが、続けてカイルさんたちも同じように、武器から手を離して、両手を挙げて降参のポーズをした。
僕は、とりあえず置物になりきったつもりで固まった。
「見ない顔だな……どこから来た?」
「エルダーの手下か」
エルダーと、誰かが言った瞬間、さらに緊張が走った。槍持ちの人数人が、その槍の先をさらに近づけてきた。
「ほう……いいのか? 皇帝陛下を呼び捨てにして」
「皇帝陛下だと? やはり手下の者か!」
「お待ちください!」
武装市民がそれぞれの武器を構えなおして、今にも向かってきそうになったとき、僕らの真ん中で隠れていたリタさんが声を上げた。
彼女は、三つ編みにしていた髪を一気にほどいてから、前に出た。
「リタ・エストラゴンです。皆さん、武器を下げてください」
「……っリタ様……!?」
「まさか……っ!」
リタさんの姿を見た武装市民の間に、動揺が走ったのが感じとれた。彼女が一歩、また一歩と前へ出るたびに、市民の方が後ろへ下がっていく。
「この方々は、私を助けてここまで送ってくださった恩人です。どうか、信じてください」
リタさんが、囲んでいる市民を見回した。
武装市民たちは、動揺しつつもどうするべきか決めかねているようで、武器を下ろそうとはしなかった。
「本当に、リタ様なのか……?」
「待て。あれを見ろ。あの首飾りは……」
「そうだ! 王家に伝わる秘宝の一つじゃないか!」
誰かがそう言うと、そろって市民たちが手にしていた武器を落として、その場にひざまずいた。
「リタ様……! お帰りさないませ!」
「皆さん……っ遅くなってしまい申し訳ありません」
「いいえ! ご無事でなによりです……!」
ひざまずいている市民の中には、涙を流す人もいた。
置物のふりをやめつつ、考えた。この人たちにとって、かつての王族の存在は、かすかに残った希望の光のようなものかもしれない。
「やるな、王女様」
「さすがと言うべきだな」
降参のポーズをやめて手を下げ、余裕の表情を浮かべたカイルさんとレックスさんが、リタさんの立派な背中を見ながら言った。
◇◇◇
武装市民の一人に案内され、森の中へ入った。
しばらく歩くと、少し傾斜になっているところに四角い穴があり、鉄かなにかでできた枠で囲われていた。明らかに人工的なものだ。
案内役の人に、「足元にお気をつけください」と注意され、リタさんを先頭に中へと下りていった。
点々と明かりが灯る通路を進んでいくと、扉のないある部屋に行き当たった。そこに、一人の若い男性がいた。
「リタ……!」
「お兄様っ!」
リタさんが、その人に駆け寄り、抱きついた。相手も、飛びこんできたリタさんをしっかりと抱きとめた。
その人は、リタさんと同じ赤みを帯びた色のショートヘアーに、ツギハギだらけのみすぼらしい服を着ていた。
彼が、リタさんのお兄さんであり、エストラゴン家の王子であるラルゴさんのようだ。ただ、顔を知らないこちらとしては、言われなければ分からなかっただろう。
「助けにいけず、すまなかった。父様と母様、それからミゲルのことも……っ」
「いいえ……! お兄様だけでも生きていてくださって、本当によかったです……!」
二人は、一度離れて互いの顔を見つめ、再び抱きしめあった。
「……なに泣いてんだ?」
「だっでぇ……っ」
二人を見て感動してしくしく泣いていると、カイルさんに半ば呆れた様子で聞かれた。
こんな感動シーンが繰り広げられているのに、なんとも思わないのか。おかしいぞ。
ややあって落ち着いた二人のうち、お兄さん――ラルゴさんが真剣な表情を浮かべて、こちらを見た。
「貴方方が、妹を助けてくださったのですね。感謝いたします」
ラルゴさんは、お礼を述べた後に深々と頭を下げた。それを見て、ティムさんだけが「なんでそんな簡単に頭下げるかな……!」と、狼狽えていた。
そういえば、つい忘れそうになるけれど、リタさんもラルゴさんも隣国とはいえ王族なんだよな。こんな状況でなければ、僕らは話すどころか一目会うなんてありえなかっただろう。
「頭を上げてくれ、ラルゴ王子。俺たちがリタ王女に会えたのは、たまたまだ」
「それでも、恩人には変わりません。本当に……二度と会えないものだと思っておりました」
「二度と会えない? どういう意味だよ」
ラルゴさんの言葉に、カイルさんが敏感に反応し、一歩前に出た。
「あんた、まさか本気で死ぬつもりだったんじゃねぇだろうな?」
「…………」
カイルさんの問いに、ラルゴさんは答えなかった。その様子を見て、リタさんは悲痛な表情でラルゴさんを見た。
「お兄様……?」
「……ひとまず、おかけください」
不安そうに見つめるリタさんに向けて頷いたラルゴさんは、次に僕らを見て椅子を勧めてきた。
一番奥の突き当たりの席――いわゆるお誕生日席にラルゴさんが座り、そのサイドにいくつか並んでいる椅子に僕らが座った。ラルゴさんの右手側にリタさん、左手側にカイルさん、その隣にティムさん。リタさんの向かい側にレックスさん、その隣にオリヴィアさんが座った。
カイルさんが僕を肩から下ろして、古びた机に置くと、ラルゴさんが不思議そうに見つめてきた。
「動物? いや、魔物……? 見たことがない種だ……」
「初めまして。僕はタコのマリネです。タコとは、海の生き物です」
「な……っまさか! 人の言葉を喋るのですか!?」
自己紹介をすると、ラルゴさんが仰け反って驚いていた。
このやりとり、何回やったかな? いや、まぁ、しょうがないけれど。
「お兄様。マリネ様は優れた魔物なのです。この首飾りを元どおりにしてくださったのも、〈デイルの川〉を無事に渡れたのも、マリネ様のおかげです」
「本当か?」
尋ねられたリタさんが誇らしげに頷くと、ラルゴさんは穏やかな笑みを浮かべた。
「私はよく、父に連れられて森や山、川など様々な場所に赴いては、そこに生息する動物や魔物を観察しました。安全な位置から遠目で見ているだけでしたが……そばに寄って触れ合う機会があったら、と夢に思っていた時期もありました」
ラルゴさんが、僕に向かって少し身を乗り出してきた。
「是非、私と友になっていただけませんか」
「へっえ、あ、あの……」
友って。いいのか? 王族だぞ? いくら非常事態とはいえ。
振り返ってカイルさんを見ると、なにをビビッてるのか、とでも言いたげに呆れた目を向けられた。ラルゴさんの方に向きなおって、差し出された手に触手を伸ばして、ちょんと触れた。
「恐れ多いですが、その、よろしくお願いします」
「……!」
ラルゴさんは、破顔一笑したのち、僕の触手を握り返した。
まぁ、あれだ。宮殿を逃れてから今まで、不安な日々をすごしてきただろうから。僕との触れ合いが、少しでも癒しになれば幸いである。
「聞かせてもらってもいいか? あんたは、どうやってここまで逃げのびたんだ?」
レックスさんが尋ねると、ラルゴさんは背筋を伸ばし、表情を引き締めた。
「処刑が決定した前夜、執事のアッシュが私たちを逃がそうと牢屋に忍びこんできたのです。おかげで、私と弟のミゲルは脱出できました」
「王と王妃は?」
「……自分が逃亡すれば、国中に追手がかかり国民に危害が及ぶと言って、絶対に残ると譲りませんでした。母もそれに賛同して……」
「……っ」
リタさんが、泣きそうに顔を歪ませて両手で口を覆った。
「ミゲルは……逃げる道中で、仕掛けられた罠にかかり……命を落としました。なぜこの手で守ってやれなかったのかと、今でも……悔いております」
ラルゴさんは、目を閉じて肩を震わせた。こちらからは見えないが、おそらく拳を固く握ってあふれんばかりの感情を必死に抑えているのだろう。
一方のリタさんは、こらえきれなかったのか涙をあふれさせている。
「その後は、アッシュと共にこの森に逃げ、隠れ潜んでいた市民の方々の助けもあり、なんとかこの地下道に逃げこむことができました。それ以降は、彼らの協力を得ながらひそかに外の情報を集めていたのです」
「暴動を起こすつもりだそうじゃねぇか。本気か?」
「……隣国のキャラウェイ王国に気を取られている今が、絶好の機会ととらえております。すでに……いつでも出立できるようにと準備は整えております」
「おやめください! 国のためとはいえ、お父様やお母様が悲しまれます!」
「分かっている。だが、今しかないのだ」
「他に方法があるはずです! どうかお考えなおしください!」
「…………」
ラルゴさんは、悲痛な面持ちで叫ぶリタさんから目をそらし、口をつぐんだ。
なるほど。確かに頑固者だ。
「あのさ。そっちの兵――っていうか、武装した市民。戦闘慣れしてるとは思えないんだけど? 勝算は?」
ティムさんが、いつもとは違って若干遠慮がちに――しかし敬語ではない――尋ねた。
「あります。軍部に所属していた者の三分の一ほどが、こちら側についておりますので」
「軍部……クーデターを起こした側じゃないのか?」
「クーデターは、軍部の強硬派が起こしたものです。エルダーが皇帝となった後、施政に対して不満を抱く者は少なくないと知りました。そういった者たちを、我々の側に寝返るようにと裏で手を回していったのです」
「寝返ったふりをしてる奴も、中にはいるんじゃねぇのか?」
「もしそうなら、私はとうの昔に捕らえられ、命を落としているでしょう」
「……まぁ、それもそうか」
絶対の自信がある様子のラルゴさんに対し、さすがのカイルさんも押され気味だった。
覚悟を決めた人は、とにかく頑固だ。元々根がそうなら、なおさらだ。さて、いい説得方法はないものか。
なにか別の話をして気を逸らすか? 例えば、魔物の話とか。きっと興味をもってくれるはず。なんとかずるずる話を引き延ばして……いや、だめだ。わずかな時間稼ぎにしかならないな。
「で、どうするつもりだ?」
「……? どうする、とは?」
「仮にエルダーの首をとれたとする。その後はどうすんだ?」
僕が一人でうだうだ考えていると、カイルさんが頭の後ろに手を回して、胸を張るような格好で尋ねた。
ちょ、カイルさん。一国の王子様の前だぞ。もうちょっとお行儀よくした方が……!
「もちろん、国を立て直します。私が……生き延びられたらの話ですが」
「どうやって? この荒れ放題の国を、あんた一人でどうするってんだ?」
鼻で笑って言い放つカイルさんを、ラルゴさんは困惑して見つめた。そして、目を閉じて沈黙した後、きりっと吊り上げた目を向けてきた。
「国は、王一人で成り立っているものではありません。なぜなら、一人でできることはごく限られているからです。生き残った人々と共に……かつての豊かな国を取り戻してみせます。誰もが笑顔で暮らせる国を、必ず」
この場にいた誰もが、その言葉に魅了されていたように思う。ラルゴさんの目には、命を懸けてでも成し遂げるとでもいうべき、強い決意が込められていた。
誰もが息をのんで沈黙していた中、それを破ったのは、カイルさんがほくそ笑んだときの、息の音だった。
「じゃあ、もう決まってんじゃねぇか」
立ち上がったカイルさんが、ラルゴさんに握手を求めるように手を差し出した。
「なぁ王子様。俺らと手を組まねぇか?」




