61話 目的地まで臆せず進みましょう
「〈ソープワート〉までは、平坦な道が続いています。ここの……〈ラバンサラ〉との間にある橋が落ちていなければ、スムーズに中心地まで行けるはずです」
「…………」
研究施設を出た僕らは、待機組のオリヴィアさんとレックスさんと合流して、事の次第を説明。二人の承諾も得られたところで、リタさんが枝で地面に地図を描きながら説明してくれた。
しかし、僕たちは黙りこんでいた。なぜなら、その……なんと言うべき、か。
「お前……絵、ヘタクソだな」
「え……」
「カイルさん! もうちょっとオブラートに包んだ言い方してくださいってば!」
「オブラート?」
「もうちょっと優しい言い方してあげてくださいっていう意味です!」
「んなこと言ったって、事実だろうがよ」
「いや、まぁ……うん。大丈夫だ、分かるから」
「レックスさんも! あんまりフォローになってませんから!」
これだから、このガサツ二人組は!
僕が一人であたふたしていると――ティムさんとオリヴィアさんはなにも言わずに呆れかえっていた――リタさんが、真っ赤な顔のまま首を勢いよく横に振った。
「も、申し訳ありません……私、どうにも昔から絵心がないようでして。よくからかわれていたのです。特に……妹たちから」
リタさんは下を向き、落ちこんでしまった。色々思い出してしまったのだろう。
ずっと黙っていたティムさんが、「お前のせいで……」と、カイルさんを肘で小突いていた。カイルさんは、「なんでだよ」と言いながらも、どうしたらいいのか分からない様子で目を泳がせていた。
別に、そんな気にする必要はないと思うけれど。
「じゃあ、一番絵が上手だったのは誰だったんですか?」
「え……? そう、ですね……」
リタさんは、少し顔を上げて考えこんだ後、ふっと懐かしそうに笑みを浮かべた。
「姉のソフィアですね。病弱で体を動かすのは苦手でしたが、その分絵の才能は素晴らしくて。芸術家の先生が舌を巻くほどだったのですよ」
「へー! それはすごいですね。僕も見たかったなぁ。他のご兄妹は?」
「ええと……兄のラルゴは、剣の腕に優れておりました。逆に、勉学は苦手で。長い間じっとしていられない性質で、よく父と一緒に町へ出かけておりました。上の妹のクララは、物語を作ることが好きでした。自作の物語を私たちの前で話してくれて……奇想天外なお話ばかりでしたが、私はいつも楽しみにしておりました。下の妹のミアは、花が好きでした。王宮の庭を、『秘密の花園』と言って、よく駆け回っておりました。弟のミゲルは、まだ幼く歩くのもおぼつかなかったのですが……本を読むのが好きだったようです。特に動物の図鑑などを好んでおりました」
リタさんは、目線は下を向いているけれど、とても穏やかな表情を浮かべていた。昔の、幸せだった頃の光景を思い出しているのだろう。
「じゃあ、リタさんは?」
「え? 私、ですか?」
「はい。リタさんは、なにが得意なんですか?」
「……私は、その……決して自慢できるほどではないのですが、ピアノを少々」
「いいですね。じゃあ、今度弾いてくれませんか? リタさんの好きな曲」
僕がそう言った瞬間、リタさんは目を見開いて、息をのんだ。
いつになるかは分からない。だが、必ずそんな日がやってくると、信じている。
そう意味を込めて、じっとリタさんの目を見つめた。
「私……人前だと、緊張して失敗してしまうかもしれません。それでも、よろしいですか?」
「大丈夫です。楽しみにしてますね」
「……っはい」
リタさんは、目にうっすらと涙を浮かべながらも、満面の笑みを浮かべて頷いてくれた。
思い出は、その人を強くする。二度とそれを味わえないと思い知ってつらくなったとしても、必ず糧になるはずだから。
リタさんは、「ちょっとすみません」と言って、僕たちに背を向けた。こらえきれなかった涙を拭っているようだ。
「お前、すげーな」
「なにがです?」
「……いや。んなの当たり前か」
カイルさんに頭を小突かれつつ、意味が分からないふりをしておいた。
◇◇◇
かくして、僕たち『レジェンズ』は、リタさん同行のもと敵国セントジョーンズワート帝国の首都である〈ソープワート〉へ向かった。
の、だが。
「なにしてんだ、おめーはっ!」
「もも、申し訳ありません!」
さっそく飛び出してきた熊に似た魔物・ポラートに、あろうことか近づいていって話しかけたリタさんが襲われかけて、大騒ぎとなっているところだ。
鋭い爪を振りかざしてきたのを、カイルさんがなんとか剣で受け止めて庇って事なきを得たけれど。
「とりあえず、気を逸らすか。オリヴィア、手を貸してくれ」
「分かった」
冷静に対処するレックスさんとオリヴィアさんに任せ、残った僕らは一旦茂みに隠れた。
「自分から近づくとか、正気? ポラートがどういう魔物か知らなかったの?」
「申し訳ありません。てっきり、マリネ様のようなお方かと」
「マリネのようなって……まさか、お話しができる奴とでも思ったのか?」
「はい」
「アホか! 人語を喋る魔物なんていねぇっつうの! こいつが特殊なだけなんだよ!」
「そ、そうだったのですね!? と、いうことは……マリネ様はとんでもない珍獣なのですか!?」
「珍獣じゃないです、タコです」
珍獣って。その言い方はなんか嫌だ。ティムさん、そんな汚いものを見るみたいな目を向けないでください。
リタさんは、案外天然なところがあるようだ。なにをするか分からないから、注意しておかないといけないかもしれないな。
そんなこんなで、なんとかポラートを対処して先へと進んだが、一難去ってまた一難。ものすごい頻度で魔物と遭遇したために、いちいち対処していく必要があった。
特に、人と遭遇したらむしろ逃げるはずの、鹿に似た魔物のテオラが、なぜか興奮した様子で角を振り上げて襲ってきたときは、大変だった。先程のポラートのように気を逸らすのは難しく、倒すしかなかった。
「なんでどいつもこいつも攻撃的なんだよ、ここらへんの魔物は!」
「確かにおかしいですよね」
討伐したテオラは、なぜか真っ赤な目をしていた。〈シルフィウム鉱山〉で見かけたテオラは、こんな色の目ではなかったはずだ。某有名アニメ映画に出てくるアレのように、怒りで我を忘れてしまったのだろうか。
「環境が影響しているのかもしれんな。主に獲物が少ないせいだろう」
「そうだな。この辺りは、栄養のありそうな草木がろくに育ってないからな。元々こんな場所だったのか?」
オリヴィアさんが、リタさんに聞いた。
「いいえ。確かに、不毛な土地だと呼ばれていた時期もありました。ですが、父が開拓事業を推し進めて、植物が元気に育つほどには改善したはずです」
「それが止められて、好き放題やった結果がこれってわけだね」
「そうです……エルダーは、自身の利益だけしか興味がないのです。民が飢えようと、土地が荒れようと、関係ないのです。このままでは、この国は滅んでしまいます」
リタさんが、俯いて下唇を噛んだ。
エルダーがどんな奴かは分かってきたけれど、どうにも納得がいかない。仮にも一国の主になった者が、その自国に対して無関心すぎやしないか?
「儲けるのが大事なら、自分の……その、手に入れた国を守らなきゃ、利益を失うとは考えないんでしょうか?」
「滅んだら新しい土地に鞍替えすればいいだけ、とか思ってるんじゃない? たぶん、そのために領土を広げてきたんだよ」
「……許せません。国の土地は、王のものではありません。民のものです」
リタさんが顔を上げ、目を吊り上げて前方を向いた。珍しく怒っている様子だ。
「先を急ぎましょう! 一刻も早く〈ソープワート〉に行かなければ!」
「そうだな。元気出たみたいでなによりだ」
嬉しそうに笑ったカイルさんが、ずんずん先へと進んでいくリタさんのあとに続いた。
そのリタさんが、イノシシに似た魔物ボルノイと鉢合わせてまたひと騒動起こった件は、割愛しておこう。
「ところで、リタ王女。ずっと気になってたんだが」
「なんでしょうか?」
「手紙の主についてだ。反抗勢力のリーダーと言っていたが、それは誰だ?」
レックスさんが問うと、リタさんがピタリと足を止めた。どこか体をこわばらせているようにも見える。
「俺も気になってたんだよね。宮殿内部がどうなってるか知ってるってことは、あんたに近しい人だろ? それって、側近か――家族の誰かくらいなんじゃない?」
ティムさんが、「家族の誰か」の部分を強調して言った。
だが、リタさんの家族は全員亡くなったのではなかったか? 姉妹は病気で、王様と王妃様、それにお兄さんと弟さんは処刑されたと言っていたはず。
「お察しのとおりです。反抗勢力のリーダーとは……兄です」
こちらを振り返ったリタさんが、どこか決意を込めたような強い眼差しを向けてきた。
「兄って……処刑されたんじゃなかったのかよ?」
「直前に、刑吏の方やアッシュが命がけで逃がしてくれたと、手紙にはありました。そして、逃げる途中で市民の方々に助けられて、今に至ると」
リタさんは、そこで切って一度目を閉じ、再びこちらを見た。
「申し訳ありません。もっと早くお伝えするべきでした」
「いや、構わんよ。まだそこまで打ち明けない方がいいと考えた結果だろう?」
「私たちのことを、本気で信じていいのか分からなかっただろうしな」
「そんな……っいえ……申し訳ありません」
「謝ってばっかだな、あんた」
レックスさんとオリヴィアさんがフォローし、カイルさんがなんでもないとばかりにケラケラと笑って言うと、リタさんは少し驚いたような顔をした後で、微笑んだ。
「じゃあ、〈ソープワート〉に行きたいっていうのは、兄さんに会いにいくため?」
「そうです。国を取り戻すよりも、たくさんの血が流れないようにする方が大事だと、伝えるためです」
「言って聞くような奴なのか? あんたの兄さんは」
「頑固な方ですが……大丈夫です。なんとしてでも説得します」
リタさんは、胸の前に手を置いて、拳を握った。
こうと決めたら譲らないような人だったら、確かに難しいだろう。状況が状況だから、今がチャンスと思ったら行動に移したくなるのは仕方ないかもしれない。そういう気持ちは分かるが、たくさんの人の命がかかっているのだぞ。
「あれが橋か?」
再び歩きだして、坂を上りきったところでオリヴィアさんが前方を指さした。
そこには、数十メートル近くありそうな幅の川があった。その流れも、泳いで渡るには厳しいほどの急流だ。かかっている木製の橋は、一人ずつ渡るのがやっとなほど狭い幅だった。
「あれです! あれを渡れば、もう〈ソープワート〉領内です」
そう言って、駆けだしていこうとしたリタさんを、レックスさんが腕を引いて止めた。
「そう急くな。罠が仕掛けてあるかもしれんだろう」
「えっ? 罠?」
「だな。おし、マリネ。出番だ」
「了解です!」
カイルさんが僕を、肩から地面に下ろした。少し橋に近づいてから、腹に力を入れて……『巨大化』!
うん、いい景色。あ、町が見える。あれが〈ソープワート〉だな。
景色を見渡した後で下に目を向けると、軽くパニックを起こして狼狽えている様子のリタさんがいた。説明せずいきなり『巨大化』はまずかっただろうか。
彼女を落ち着かせる役はオリヴィアさん他に任せつつ、一人ずつ慎重に向こう岸まで渡した。
「ふいー」
「ご苦労さん」
元の姿に戻ると、すぐにカイルさんが持ち上げて、特等席の肩に乗せてくれた。
リタさんが、丸くした目でこちらを凝視している。
「すみません。驚かせてしまって」
「いいえ……本当、だったのですね……! 〈ヒールオールの谷〉を越えてきたとおっしゃっていたのは」
「だから、言ったろ?」
自慢げにウインク付きで言ったカイルさんに、すかさずティムさんが、「ドラゴンの首でもとってきたみたいに偉そうに……」と言っていた。
「見えてきたな。あれか?」
「……はい。セントジョーンズワート王国の首都、〈ソープワート〉です」
丘の下に広がる集落。曇り気味の天気のせいだろうか、なんだか澱んだ空気に満たされているようにも見えた。
首都〈ソープワート〉。いよいよ僕らは、敵国の本拠地に足を踏み入れた。




