60話 高額報酬の依頼はリスクと報酬内容が釣り合っているか考えてから受けましょう
傲慢な魔導士フールズは、カイルさんによりロープでぐるぐる巻きにされて拘束された。万が一逃げだせても、装備品の本はオリヴィアさんが撃ち抜いた上に、ティムさんが炎魔法で燃やしたので、反撃される心配はない。
そして僕たちは、リタさん曰く「黒魔導研究所」へと足を踏み入れた。
リタさんから、「お願いしたいことがあります」と言われたのだ。まずは、取り戻したいものがあるそうなので、彼女を筆頭に、カイルさん、ティムさん、そして僕が施設の中へと入ったのだ。オリヴィアさんとレックスさんは、見張り役として外で待機している。
「うぶっ!……っクモの巣だらけじゃねぇか! 掃除くらいしろよ!」
「すみません。コンフリー様に禁じられていたので」
「なんでだよ、意味分かんねぇ……っよ!」
クモの巣に顔面ダイブしてしまったカイルさんは、絡みついた糸と必死に格闘している。
「こういう環境の方が、黒魔術の研究には適してるんだよ。にしても、ずいぶん徹底してるね。さすがの俺でも、ここはちょっと長居したくないな」
「いえ、ちょっとどころか早く出たいんですけど……」
長居したくない、と言いつつも余裕そうなティムさんを、げんなりしながら見た。やはり大物か。
施設内は、とにかくひどいありさまだった。そこら中にクモの巣が張ってあり、埃も積もり放題だった。廃墟だと言われても、一切疑わないだろう。
「んで? 取り戻したいものってなんだよ?」
「母の形見です。〈フォルスコリ〉の塔から連れ出されたときに奪われてしまったのです。もう……跡形もないかもしれませんが」
「……ほーん」
慣れたもので、構わずずんずん進んでいったリタさんは、ある部屋の前で止まった。
「この先が、コンフリー様がよく使っている部屋です」
そう説明した後、リタさんが扉を開けた。
中は、なんの明かりか分からないが、黄緑色の光で照らされている。実に怪しい。ホルマリン漬けのはく製かなにかがありそうな雰囲気だ。否、それだと魔導研究所ではなく、化学研究所になってしまう。
「なんの明かりでしょうか?」
「『クエルネス』の瓶詰めです。害はありません」
「クエルネス?」
どこかで聞いた名前だ。なんだっけ?
そう考えながら、ふと横を向いた瞬間……
「っぎゃー!?」
口を開いたウツボと目が合い、悲鳴を上げてカイルさんの服の中に潜りこんだ。
「おいっ!? ば、やめろ!」
「怖いい」
「怖いじゃねーよ! 貼りつくな、気色悪い!」
首筋のあたりに潜りこんだ僕の吸盤の感触が嫌らしく、カイルさんは引きはがそうとして僕の頭をつかんで引っ張っている。
いや、無理! こればっかりは、本当に!
「クエルネスの瓶詰めごときでなに騒いでんの?」
「僕たちタコの天敵のウツボにそっくりなんです!」
「へーそう」
声質で分かる。ティムさん、本気でどうでもいいとか思ってますね!? ひどい!
まもなく引きはがされてしまった僕は、肩に乗って服にしがみつきつつ顔を伏せるしかなくなった。
そうだ。思い出したぞ。前にトリスタンさんが言っていたではないか。海の生き物の話をしたときに、ウツボの話の中で「クエルネスに似ているね」と。あああ。もっと早く思い出したかった!
「いいけど、なんでこんな大量にあんだよ。これも研究の一環か?」
「まぁ、そうとも言えるね。クエルネスは魔力回復薬のいい材料なんだよ。クリンカの実を使うよりは手間がかからない上に、質のいいやつができるから」
「ふーん」
「ティムさん、飲んだことあるんですか?」
「あるわけないだろ。クエルネスは、キャラウェイでは保護対象に指定されてるんだから」
「保護対象? 魔物がか?」
「魔力回復薬の材料になるって分かった後で乱獲されて、野生で生息するやつはほとんど確認されなくなったっていう話だからね。たぶんこいつらはさっきの……〈マジョラムの森〉にいたやつじゃない?」
コンコン、となにか固いものを叩くような音がした。目を伏せているので分からないが、おそらくティムさんがクエルネスの入った瓶がなにかを軽く叩いたのだろう。
「そこまで分かるのかよ」
「分かるよ。言っただろ? あの森が毒草だらけなのは、黒魔術の影響かもしれないって。クエルネスは、ドランベナを主食としてるんだ。あれがあんなに自生してた理由は、つまりそういうことなんだよ」
ようするに、〈マジョラムの森〉は生態系が破壊された成れの果てか。ここにいるクエルネスたちは、間違いなく被害者……でもすみません、やっぱり怖いです。
「ありました!」
僕が一人でクエルネスの恐怖と必死に戦っている最中、奥の方でリタさんが歓喜の声を上げた。
駆け寄ってきた彼女を、クエルネスが視界に入らないギリギリの範囲で目を向けると、彼女は道端に落ちている小石のようなものがはまった首飾りを手にしていた。
「……それが、母親の形見?」
「そうです。原型をとどめているだけ奇跡です。ああ、よかった……っ」
リタさんは、大事そうにそれを胸に抱き、笑顔を浮かべつつほろりと涙を流した。
早くここから出たい。でも、リタさんが喜んでいる。葛藤しつつ、覚悟を決めて顔を上げた。クエルネス? 知りません。僕には見えません。
「リタさん。ちょっと触らせてもらってもいいですか?」
「はい。どうぞ」
不思議な顔をしたリタさんが差し出した首飾りの、ひときわ大きな小石部分に触手を伸ばして触れる。
やはり、そうか。ほんのりと魔力の残滓を感じる。
これは、小石などではない。れっきとした宝石だ。コンフリーの手で、魔法研究の材料として、魔力を吸い取られてしまったのだろう。
ぎゅっと顔を引き締める。魔力の譲渡はできないと、ティムさんは言っていたけれど。なんとかなれ、なんとかなれ。なんとか……なれっ!
「そいやっ」
「なにやってん……だ……?」
腹に力を入れて、小石のような宝石を拭うように触手を動かした。
すると、それは一瞬にして深い青の光輝く宝石へと姿を変えた。他三人が唖然として見つめている。
きれいな色だ。これは、サファイアか?
「な……え? なん、で……?」
「おい、王女様。落ち着け。ちゃんと息しろ?」
混乱したリタさんに、慌ててカイルさんがその背中に手を添えてさすった。
「嘘だろ。こんなことまでできるの?」
「たまたまです。でも、やっぱりできるんじゃないですか? 魔力の譲渡。試してみますか、ティムさん」
「だから無理だって言ってるだろ。っていうか、そうじゃなくてもやだよ」
「やだ!?」
触手を伸ばしてティムさんに近づけると、途端に振り払われた。
そうじゃなくても、ってどういう意味ですか。ひどい!
なんてプンスカ怒っていると、復活した様子のリタさんが、「マリネ様」と呼んだ。
「ありがとうございます。まさか、元どおりになるなんて夢にも思いませんでした」
膜が張った状態のうるうるとした目で僕を見て、言った。照れくさいな。
「どういたしまして。ところで、それはサファイアですか?」
「いえ。ラピスラズリです」
リタさんが答えると、ぎょっと目を見開いたティムさんが、リタさんの手の中にある首飾りをまじまじと見た。
「なんだ、ティム。欲しくなったのか?」
「初めて見たからびっくりしてるだけだよ。ラピスラズリは、ダイヤモンドと同等かそれ以上に蓄積されてる魔力量が多くて、希少なんだから」
「ああ。だから、僕の力で復活させられたんですかね? かすかに魔力が残ってたとか」
「……そうかもね」
聞きおぼえがあるようなないような名前だ。だが、ダイヤモンドと同等の力と価値があるとは、確かに驚きだ。
「おかげで、母から初めてこれをつけてもらったときのことを思い出しました。本当にありがとうございます」
「いえいえ、そんな。喜んでもらえたなら僕も嬉しいです」
触手を少し挙げて、否定するジェスチャーのように振ると、リタさんが口元に手を当てて、くすりと笑った。
「あなたのような魔物は、本当に初めてです。私は、魔物といえば恐ろしいものという印象だったので」
「そうなんですか?」
リタさんも、か。〈ロディオラ〉で会ったロンも言っていたけれど、「魔」がつく自体がそういう印象を受けてしまうのではないか? 今更変えようがないかもしれないけれど。
「そもそも、生きた魔物を見たことがありませんでした。王宮には、贈り物としていただいた魔物のはく製はいくつか飾ってありましたけれど」
「はぁ。さすが王族だな。どんなやつがあったんだ? ポラートとかか?」
「はい。あとは、テオラにダンデレウス……それから、ジャンビン鳥――」
「ジャンビン鳥のはく製だと!?」
指を折りながら答えたリタさんの言葉に、突然カイルさんが大声を上げて聞き返した。リタさんは、驚いて肩を震わせていた。
「なんでそんな貴重なやつをはく製なんかにすんだよ! 食えよ!」
「え……? 貴重、なのですか? 私共の食卓にはよく出ましたが」
「……っ!」
リタさんが、困惑しながら首を傾げたのを見て、カイルさんは雷に打たれたかのように目を見開いて口を開けた後、肩を落として項垂れた。
「しょうがないだろ。『王族』なんだから」
ティムさんが、ため息をつきつつ吐き捨てた。
運よく〈シルフィウム鉱山〉で食べられた、天にも昇りそうなほど美味しかったジャンビン鳥。捕獲が激烈に難しく、庶民はほぼほぼお目にかかれないあれを、よく食べていたなんて。身分って残酷ですね。
しばらくして、復活したカイルさんが顔を上げ、リタさんに半ば睨みつけるような鋭い視線を向けた。
「で? それを取り戻したはいいけど、この後はどうするつもりだ?」
「はい。外でお待ちのお二人にも改めてお伝えしますが、先にこの場を借りてお願いいたします」
リタさんは、首飾りを一旦スカートの右側にあるポケットにしまってから、体の前に両手手を置いて、姿勢を正した。
「どうか私を、〈ソープワート〉まで送り届けてください」
「〈ソープワート〉へ?」
「はい。道中は、色々と危険が待ち構えているかと思われます。敵兵や魔物がどこに潜んでいるか分かりません。ここを逃げだせたとしても、私一人ではとても無理なのです」
リタさんはそう言って、首飾りを再度取り出して差し出してきた。
「報酬は、こちらでいかがでしょうか」
「……いや、なに言ってんだよ。そいつは母親の形見なんだろ?」
「そうです。今私が差し上げられるもので一番高価なのは、これなのです。どうか受け取ってください」
リタさんはさらに首飾りを突き出して、頭を下げた。こちら側の誰かが受け取らない限り、ずっとそうしているつもりかもしれない。
「ど、どうします?」
「…………」
「どうするったって……」
こっそり二人に声をかけたが、カイルさんは無言、ティムさんは返答に窮している。
すると、カイルさんが無造作にそれを片手で受け取った。
「……! ありがとうご――」
依頼を受けてくれたと思ったリタさんが顔を上げた直後、カイルさんがその首飾りをリタさんの首につけた。
「なんだ。やっぱ似合うじゃねぇか」
「え……あの……?」
戸惑うリタさんの首につけられた首飾りは、いっそう光輝いて美しく見えた。首飾りだけではなく、リタさん自身も。
「そいつは、あんたが持ってるべき物だ。他の誰にもやるんじゃねぇよ」
「し……しかし! 先程も申しましたが、私にはこれしか――」
「あんたの依頼は受けられねぇ」
カイルさんにばっさり切り捨てられて、リタさんは泣きそうな顔をした。
「俺らは元々、〈ソープワート〉に行くつもりだったんだよ。だから……行きたいなら勝手についてくりゃいい」
「え……?」
笑みを浮かべるカイルさんを、リタさんは困惑して見つめた。
ははん。そうか。
どうやらティムさんも納得したのか、肩をすくめていた。
「むしろ、地理に詳しい奴がついてってくれるんなら、こっちが助かる。だろ?」
「まぁ、確かにね」
「一緒に行きましょう、リタさん」
笑顔を向けて誘うと、リタさんはまた顔を歪めて泣きそうになっていた。
「皆さん……っ本当に、よろしいのですか……? 私のような非力な者が一緒でも?」
「非力なんかじゃねぇだろ」
カイルさんが、リタさんの目からこぼれた涙を指ですくった。
「一人で一生懸命、戦ってきただろうが。あんたは間違いなく、強い人間だ。もっと胸張れ。自信もてよ、王女様」
「……っはい」
リタさんは、我慢できなかったのか、大粒の涙をぼろぼろと流した。
それを見たカイルさんが、おろおろしていたのが少し面白かった。
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