59話 敵国の情勢を把握しましょう
涙がおさまったリタさんに、オリヴィアさんが白湯の入ったカップを差し出した。
「ありがとうございます……重ね重ね申し訳ありません」
「いや、こちらこそすまなかった。うちのティムが無遠慮にずけずけと」
「悪かったね」
ティムさんが、ため息をつきながらそっぽを向いた。
しかしまぁ、よく気づいたと思う。名前を知っていたとしても、まさか召使いが実は王女様だなんて、普通だったら思い至るわけがない。
「で、なんで王女様が……コン……なんだっけ」
「コンフリー」
「それだ。コンフリーとかいう奴の召使いなんかやってんだ?」
今度はカイルさんが、リタさんに無遠慮に尋ねた。
どうでもいい、興味がないものとか人の名前を覚えるのはとことん苦手なんだなぁ。
白湯の入ったカップを両手で添えるようにして持っているリタさんは、目線を下に向け、まもなく話しはじめた。
「エルダーが、軍部を率いてクーデターを起こしたのです。私と姉、それから妹二人は捕らえられて、〈フォルスコリ〉にある高い塔の牢に幽閉されていました」
「……クーデターが起こった原因は? 単にエルダーを皇帝に押し上げようっていう気運が高まったんだとしても、その根本になにか原因があったんじゃないか?」
「そのとおりです。父が……国民が納めた税を、ひそかに私的に流用していると噂が広まったのが始まりです」
「本当か?」
「濡れ衣です! 父は、決してそんなことをなさるお方ではありません! 父は……っ常日頃から、国民を気にかけておりました。たびたびお忍びで出かけては、国民にまじって遊んだり、無礼講だと言って食事をするようなお方でした! 他にも、病気の方を見舞ったり、職を失った人を支援したり……! 国民を第一に考えておりました!」
「なのに、なんで?」
「……っ実際、父が不正をする瞬間を見たと証言する者が、次々に現れたのです。当然、父は否定しましたが……っ」
「収拾がつかなくなって、結果クーデターが起こったのか」
リタさんは、口元を震わせて俯き、レックスさんの言葉に頷いた。
「意味分かんねぇよ。あんたの親父が無実なら、目撃者なんているわけねぇだろ?」
「だから、はめられたんだよ。エルダーが金の力を使って、嘘の証言をさせたんだ」
「はぁっ?」
カイルさんがリタさんを見ると、彼女は首を横に振った。
「残念ながら、証拠はなにもありません。ですが、私はそうに違いないと思っています」
「国民の人たちは? 皆さん、その嘘を信じてしまったんですか?」
「いいえ。声を上げてくださる方々がたくさんいらっしゃいました。王はそんなことをする人ではない、なにかの間違いだ、と……ですが……そのせいで、捕らえられて罰を受けた方がいたと聞きました。反逆者を庇う者として」
「ふざけんなよ。反逆者はエルダーの方だろうがよ!」
リタさんが、立ち上がって拳を強く握りながら言ったカイルさんを見て、目を細めて泣きそうになったのを堪えていた。
「ありがとうございます。そう言っていただけるだけでも、心が救われます」
「……それで、あんたがコンフリーの召使いになったのは?」
「幽閉されてからしばらくして、あの方が面会に来られたのです。そこで、どういうわけか私を気に入り、連れだしたのです」
「じゃあ、今でもあんたの姉さんと妹は、牢に入ったままなのかよ?」
「いいえ。牢を出たのは私が最後でした」
「……あん?」
カイルさん同様、僕も首を傾げた。
コンフリーが連れ出したのは、リタさん一人だけ。だがしかし、他の彼女の姉妹はすでに牢を出ている? なぜだ?
そこまで考えて、恐ろしい仮説を思い浮かべてしまい、背筋が寒くなった。
「最初は、姉でした。元々病気がちで……隙間風がある牢の中での生活には、とても耐えられるような体ではなかったのです」
「……おい、それって……」
カイルさんも察したのか、それだけ言ってあとは口をつぐんだ。
「あの朝は、はっきり覚えております。横になったまま、ピクリとも動かない姉に触れた瞬間の……あの冷たさは、まるで……っ」
堪えきれずに顔を伏せて嗚咽をもらしたリタさんを、オリヴィアさんがすぐに近寄って、背中をさすって介抱した。
そのときのリタさんの絶望と悲しみは、想像を絶するほどのものだったに違いない。考えるだけでも、胸が締めつけられるようだった。
「……っ妹二人も、同じように病で亡くなりました。先に一番下の妹が、風邪をこじらせて亡くなり……上の妹は、父と母、それに兄と弟が処刑されたと、知らせを聞いて……っショックで、なにも喉を、通らなく、なって……っ」
「もういい。なにも言うな」
過呼吸のような状態になっていたリタさんを、オリヴィアさんが抱きしめて落ち着かせようとした。
リタさんは、嗚咽をもらしながら苦しそうに息をしていた。しかし、オリヴィアさんが背中をゆっくりさすっていると、次第に落ち着いてきた。
きっと、必要以上に自分を責めていたのだろう。姉と妹たちを失い、自分だけ生き残ってしまった、と。
断言する。リタさんのせいでは、決してない。
「コンフリー様の召使いになった後は……なにも感じませんでした。生きる気力を失い、私も早く死ぬべきだと思っておりました。ですが……研究施設に収容された方々に励まされて、もう少し生きてみようと考えられるようになったのです」
「収容されたって、実験体として?」
「そうです。あのお墓はすべて、その末に命を落とした方々のものです」
リタさんは、墓がある方を向いて、悲痛な表情でそれらを見つめた。
しばらくそうしていたリタさんは、改めてこちらに向きなおって、僕らをじっと見つめた。
「皆さんがとてもお優しい方々だとは、よく分かりました。どうかお帰りください。間違っても、〈ソープワート〉に行こうなどとはお考えにならないでください」
「なんでだよ?」
「近いうちに、暴動が起こるからです」
「暴動?」
リタさんの口から出た思わぬ言葉を聞いて、僕らは全員訝しげに目を細めた。
「ずっと地下に潜っていた反抗勢力が、戦争の混乱に乗じてエルダーの首をとろうと動き出すつもりなのです」
「ちょっと待って。あんたはずっと研究施設にいたんだろ? そんな情報、どうやって手に入れたのさ?」
「アッシュ――母の執事として嫁ぐ前からそばにいた者が、施設に収容されたときに聞きました」
「信憑性あるの?」
「……私も、正直最初は疑っておりました。アッシュが私を励ますために、少しでも希望をもたせるために嘘をついているのだと。ですが……ある方からの手紙を受け取って、確信に変わったのです」
「その人とは?」
「反抗勢力のリーダーを務めている方からです。内容には、限られた者しか知り得ないはずの王宮内部の様子まで、細かく書かれていて……驚きました」
僕たちは、真剣な表情でじっと見つめてくる彼女を見て押し黙り、顔を見合わせた。
果たして、その手紙の主とは誰なのか。「限られた者しか知り得ないはずの王宮内部の様子」を、どうやって知ったのか。疑問だらけだ。
「手紙には、エルダーが近々キャラウェイ王国との戦争に踏み切るつもりだとも書かれていました。その混乱に乗じて、自分たちは反旗を翻すつもりなのだとも」
リタさんの手が、小刻みに震えていた。
「たくさんの方の血が流れるでしょう。なのに、私は……っ私には、なにもできません。ここから出ることさえも。だから、どうか皆さんだけは――」
「ここから出られねぇって、なんでだよ。まさか、コンベリーに逆らえねぇから、とか言わねぇだろうな?」
「コンフリーですよ、カイルさん」
「どっちだっていいだろ!」
間違いを指摘すると、怒られた。うん、確かにどっちでもよかったかも。
一方、リタさんは目を丸くして驚いていたが、またすぐに顔を俯けた。
「そういうわけでは……いえ、実質そうかもしれません」
「まどろっこしい言い方すんなよ。どういう意味だ?」
カイルさんが苛立たしげに聞き返すと、リタさんは自分の首に手を触れた。具体的には、その首輪に。
「これは、コンフリー様が作った魔道具です。〈ラバンサラ〉の外に出ると、きつく締まる仕組みになっているのです。実演済みなので、間違いありません」
「んだと……」
カイルさんは、眉をひそめて目を細め、いよいよもって怒りの表情を浮かべた。
やはり、首輪だったようだ。しかも、拷問器具といってもいい物だ。あるいは、囚人監視用の拘束具か。
近づいて、ぐるりと回ってその首輪を観察した。すると、リタさんの背中側の位置に、小さな穴のようなものがあるのに気づいた。
鍵穴だったらいいのに、と思って触手を伸ばして触れた瞬間、
「っ!?」
その首輪が、ぽろりと取れた。
え?……マジか。
「……で? 他に逃げられねぇ理由は?」
呆れた様子のカイルさんに問われても、リタさんは地面に落ちた首輪、カイルさん、僕へと忙しく視線を彷徨わせて、口をパクパクさせていた。
「そ、そそ、そんな……嘘でしょう? コンフリー様の声で解除の呪文を唱えないと外れないはず……! 一体なにをなさったのですか!?」
「ちょっと触っただけです」
「嘘です! そんなわけがありません!」
いえ、本当なんですけど。
狼狽えながら嘘だと連呼するリタさんに、どうしたら納得してもらえるだろうかと考え、頭をかいた。
まさか、「僕は聖獣なので」なんて言ったところで、信じてもらえるはずもないし。
「確かに、魔力の痕跡があるね。だいぶ薄まってるけど」
ティムさんが、落ちた首輪を拾いあげて、しげしげと眺めた。
鍵開けスキルの『オープンザドア』を使うまでもなかったのだが、本当に魔道具だったのだろうか。否、魔道具だったからこそ、僕が触れただけで解除できたのか?
リタさんは、未だに戸惑いを隠せない様子で、解放された首に触れていた。久しぶりに外れたのなら、さぞかし気が楽になっただろう。
「裏切り者め……」
そんなとき、墓場の奥から地を這うような低音の声が聞こえてきた。
そちらを向くと、黒い影のようなものが、ゆらゆら揺れながら近づいてきている。否、それは、黒いローブを着た人だった。
「フールズ……!? なぜここに!?」
「フールズ様と呼べ、と……何度言ったら分かるのだ! 穢れた王の血族が!!」
フールズ、とリタさんが呼んだ魔導士らしき人物のローブが、風にあおられたかのようにぶわっと広がった。
全員が、武器を構えてリタさんを守るように前に出た直後、
「〈暗黒よ、討ち滅ぼせ〉!!」
フールズは懐から本のようなものを取り出し、呪文を叫んだ。瞬間、黒い大波――津波のような巨大な波が出現し、襲いかかってきた。
以前見た闇魔法とは違う。これは、いわずもがなヤバい!
僕は、素早く最前列に飛び出て、触手を二本伸ばしてその大波をせき止めた。
「ん……っどっこい、しょお!」
力を込めて、押し返す。すると、波はたちまち跡形もなく消滅した。
「な……!? ばかな!? 我々の最高傑作を――」
「なにが最高傑作ですか」
ふう、と息を吐いてから、指でさすかのように触手を挙げた。
急に現れて、失礼な発言ばかりのこの人に、一言言ってやらないと気が済まない。
「訂正してください。リタさんは、無実の罪で投獄されて、家族を失ってもなお懸命に生きる芯の強い女性です! 穢れた血族なんかでは、決してありませんから!!」
「……っ黙れ!!」
フールズが再び本を掲げてなにかしようとしたとき、その本が弾かれた。オリヴィアさんが放った矢が当たったようだ。
直後、カイルさんとレックスさんが瞬時に間合いを詰めて、剣を振るった。
「が……っ!! ゆ、ゆるさ、な……っ」
声にならない声を発した後、フールズは目を白黒させて倒れた。
出血していなかったので、どうやら二人して刃の部分は使わなかったようだ。
「お前、なぜ斬らなかった?」
「当たり前だろ。こんなきたねぇ奴の血で、俺の剣を汚したくねぇ」
「奇遇だな。俺もそう思った」
カイルさんとレックスさんは、互いに顔を見合わせて苦笑していた。
うん。本当にいいコンビだなぁ。




