58話 現地の人を味方につけましょう
オリヴィアさん特製のボルノイ鍋に舌鼓を打って温まった後は、これからの行動計画について話し合った。
寒いので、僕はタコつぼからちょこっと顔だけ出している状態だ。
「一番はエルダーの居場所を突き止めなきゃいけねぇんだろ?」
「ああ。奴の行動傾向を知れたらいいと思うんだが……」
「そう簡単にはいかないよね。部下でさえも、よっぽど近しい奴しか知らないっぽいし」
「でも、それだと逆に守ってもらえなくないですか? なにかあったとき、どうするんでしょうか?」
「自分の身は自分で守れると豪語するタイプなのか……もしくは、実際それが可能なのかもしれないな」
ううむ、厳しい。
帝国の領地にはあっさり侵入できたけれど、問題はこの先だ。目立つ行動はできないので、手当たり次第に聞きこみをするなんていうわけにはいかない。宮殿に忍びこんで探し回る、なんてもってのほかである。
「そもそも、〈ソープワート〉が今どんな状況かも分からないんじゃないか?」
「ああ。まずはそこから調べる必要がある」
「で、問題なさそうだったら宮殿に忍びこむと」
「忍びこんでどうするの。捕まりにいこうって?」
「そもそも、エルダーが宮殿にいるかどうかも分からんぞ」
「……まぁ、それもそうだな」
ティムさんに睨まれ、レックスさんに指摘されたカイルさんは、口を尖らせてそっぽを向いた。
「そういえば、エルダーについて一つ気になってるんだよね。二年前くらいから、公的な場に姿を見せてないって話なんだけど」
「そうなのか?」
ティムさんが頷いて、続けた。
「セントジョーンズワートは、一か月に一度、皇帝が国民に向けてスピーチをするんだ。愛国心の向上っていう目的でね。だけど、ここ最近は事前に作った文言を側近が発表するっていう感じになってたらしいよ」
「それは確かか?」
「帝国新聞にそう書いてあった。絶対に正しいとは言い切れないかもしれないけど」
「そんな新聞があるんですね……ティムさん、どこで手に入れてたんですか?」
「図書館に決まってるだろ」
そうでした。ティムさんは図書館でも働いていたんだった。他国で発行されている新聞まで取り寄せているとは、さすが王立図書館。
この世界では、情報を仕入れるには新聞が貴重な媒体だ。仮に嘘が書かれていたとしても、それを証明するのは難しいだろうけれど。
「確かに、ブルーノも言っていたな。指示を出すのも、側近にさせてろくに顔を出さないと」
「つまり、どういうことだよ?」
「エルダーは、病かなにかが原因で人前に姿を見せられない状態……なのか?」
「そんな……病気を押してまで他国に戦争仕掛けるなんて……します?」
「暴君なら、やりかねないよ」
「……本気でイカれてんな」
カイルさんが、顔をしかめて空を見上げた。
「だが、仮にそうだとしたら、エルダーは宮殿にいる可能性が高いな」
「その分、宮殿の警備がえげつないだろうね。ネズミ一匹、侵入するのも難しいかも」
ティムさんがそう言うと、重苦しい空気が立ち込めて、全員沈黙した。改めて、これからやろうとしていることはどれだけ難易度が高いのか、と認識しただけだった。
敵地だからこそ、慎重に慎重を重ねないといけない。この戦争が、早期に終結できるかどうか――国の行く末が、僕らの手にかかっているのだ。
「ひゃっ!?」
目を閉じて腕組みをしてうなると、ちょうど僕の真後ろの茂みが、がさっと音を立てて揺れた。
他の四人が、自身の武器に手をかける。
僕も、素早くタコつぼから出てその場で身構えた。
「誰だ」
レックスさんが、低い声で問いかけた。
すると、茂みから人影が飛びだしてきた。
「お、お帰りなさいませ! 支度は整っております!」
高らかに叫んだその人は、九十度近くまで腰を曲げて最敬礼した。
なにがなんだか分からない僕ら。沈黙が流れた。
しばらくして、その人がゆっくりと頭を上げてこちらを見て、目を見開いた。
「え……っどちらさまですか!?」
「こっちが聞いてんだよ!」
カイルさんがツッコミを入れると、その人――ツギハギだらけの粗末なメイド服を着た女性は、狼狽えて後退りをした。
赤みがつよい髪を三つ編みにしていて、顔にはそばかすがあった。某有名児童文学の主人公を彷彿とさせる容姿だった。
ティムさんとオリヴィアさんは、未だに警戒したままだが、レックスさんは涼しい顔で、剣の柄にかけていた手を下ろした。害はないと判断したのか。
「わ、わ、私は……リタ、と申します。コンフリー様専属の召使いです」
「コンフリーって、誰だよ」
「……え? コンフリー様をご存じないのですか?」
「俺たちは、つい今しがたキャラウェイ王国からこっちに来た者だ」
レックスさんがさらっと明かしてしまい、ティムさんが「ちょっと……!」と小さな声で抗議していた。
リタと名乗ったメイドの女性は、目を丸くし、口を半開きにして唖然としていた。
「キャラウェイ王国……? なにをおっしゃっているんです? キャラウェイからここに来るには、あの難攻不落の〈サイプルス〉の砦を通ってこなければならないのですよ? まさか、〈ヒールオールの谷〉を越えてきたなんて――」
「そのまさかだよ。悪いか」
カイルさんが腰に手を当てて、なぜか自慢げに言った。
まぁ、そうですよね。自分の従魔がそれをやってのけたんですもんね。自慢したい気持ちは分かるけれど、リタさんがめっちゃ困惑してるから、ちょっとは自重してほしい。
「私は……っ確かに世間知らずです。しかし、それが不可能かどうかくらいは分かります!」
リタさんは一度顔を俯かせてから、勢いよく上げて、僕らをキッと睨みつけた。そして、短い柄のホウキを両手で持った。
「怪しい方々を見過ごすわけにはいきません。ここは、コンフリー様の領地ですよ。無関係な方々は出ていってください!」
リタさんは、ホウキを剣のように構えて威嚇した。しかし、その手は震えている。
どうしたものか、と四人が顔を見合わせている中、僕はリタさんの首に首輪がつけられているのに気づいた。
そんなばかな。人に首輪をつけるなんて、この人の主人のコンフリー様とやらは、そういう趣味をもった変態なのだろうか? それとも、首輪に見えるけれど実はそういう形の首飾りとか? いや、ないか。
「あの、その首についてるのはなんですか?」
「……え!? ま、まま、魔物!?」
僕を見た瞬間、リタさんの表情が驚愕と恐怖にそまった。
僕の存在に気づいていなかったのか? 一番近くにいたのに。灯台下暗しか。
「きゃああああ!! 近づかないでくださいっ!!」
「わ、わ、ちょ、落ち着いて!」
「嫌です! 来ないで!」
リタさんは、たちまちパニック状態になってホウキをめちゃくちゃに振り回した。
カイルさんたちは、それを「あーあ……」といわんばかりに、呆れた表情で彼女を見ているだけだった。
いや、なんで? 止めてくださいよ!
「あっ!」
どうやって落ち着かせようか考えあぐねていると、そのうちにリタさんが背後にあるなにかにぶつかった。
「いけない……! ごめんなさい!」
途端に、リタさんはホウキを手から落として、その場に座りこんだ。そのなにかが無事か、しきりに確認している。
「おいおい……どうした? 大丈夫かよ?」
「だ、大丈夫です。すみません」
「それはなんですか?」
「……っお墓、です。研究施設で亡くなった方々の」
「えっ」
リタさんの背後から、彼女を刺激しないため視界に入らないように近づいて見てみると、確かにそれはお墓のようだった。
楕円形の石が立っていて、その足元には花が供えられている。石にはなにも書かれていないが、「花が供えられている」だけで、それがなにかはすぐに分かる。よく見ると、同じような形をした石が、ずらりと無数に並んでいた。その異様な光景に、背筋が凍った。
いや、待って。僕たち、墓地のそばでキャンプしてたのか!? なんて夏向きな。季節外れ甚だしいぞ!
両手を合わせて組み、ひざまずいた格好をしているリタさんの横に移動して、僕も合掌して謝罪する。
騒がしくしちゃってごめんなさい。僕らは明日にはいなくなるので、どうか今夜一晩だけでもここにいさせてください。
心の中でそう祈って、閉じていた目を開けると、横にいるリタさんが、不思議なものでも見るかのように、目を丸くして僕を見ていた。
「あなたは……一体、なに?」
「僕はタコのマリネです」
「タコ……の、マリネ……? 美味しそうな名前、ですね?」
「褒めていただきありがとうございます。さっきは驚かせてしまってすみませんでした」
「いえ……その、私の方こそ」
リタさんは、唾を飲みこんだ後、指先で僕に触れてきた。最初はおっかなびっくり、一瞬だけ。問題ないと判断したのか、続けてつつくように触れてきた。その顔には、ほのかに笑顔も見える。僕の肌の弾力にはまったようだ。なにより。
完全に落ち着きを取り戻した様子だったので、改めてたき火のそばへと誘った。
オリヴィアさんが立ち上がり、リタさんをそこに座らせると、わずかに残っていたボルノイ鍋を空いている椀に盛って、ふるまった。
「美味しい……!」
おそるおそる口をつけたリタさんは、たちまち目を見開いて感嘆の声をもらした。
「こんな温かいもの、久しぶりにいただきました……! 体中にしみわたるようです。それに、このお肉……歯ごたえがあって、噛めば噛むほど味がしみだしてきます」
下手なリポーター顔負けの立派な食レポをしながら、あっという間に完食した。本当に感動しているのがよく分かった。
「久しぶりって……今までどんな飯食ってきたんだよ?」
「まさか、きちんとした食事は与えられてこなかったのか?」
「……与えられるものはなにもありませんでした。捨てられる残飯から、食べられそうなものを確保していたのです」
顔を俯けて言ったリタさんのその言葉を聞き、カイルさんが眉間に皺を寄せる。
「ひでーご主人様だな。好き勝手こき使っといて、ろくに面倒見ねぇのかよ」
「致し方ありません。コンフリー様は、この国の黒魔導士たちのトップに君臨するお方で……っ皇帝の、お気に入りですから。絶大な力を持っているので、誰も逆らえないのです」
「黒魔導士部隊のトップ・コンフリーか……」
レックスさんが、なにか考え事をしているようなぼんやりとした様子で呟いた。
皇帝のお気に入りともなれば、普段からその強権を使って横暴に振る舞っていたに違いない。恐怖と暴力で虐げて支配して、その先になにがあるのか。
「ねぇ。あんた、リタって言ったよな」
「はい」
「まさかと思うけど、リタ・エストラゴンじゃないよね?」
ティムさんが尋ねると、リタさんは目を大きく見開いて固まった。
僕とカイルさんとオリヴィアさんの三人は、首を傾げるしかなかったが、レックスさんははっとなにかに気づいたような顔をしていた。
「なんの話だよ?」
「エストラゴン家は、エルダーが皇帝に即位する前の王の一族だよ」
「は!?」
「ええ!?」
「なんだって?」
カイルさんとオリヴィアさんと僕の声がかぶった。二人は立ち上がり、驚いている。
前王の一族……って、まさかリタさんは、王女様!?
「違います」
静かに呟いたリタさんに、他全員の視線が集まる。
リタさんは、背筋をピンと伸ばして座ったまま、前を向いて涙を流していた。
「『前の王』などではありません。父は……っ今でも、王です」
声を震わせながら言ったリタさんは、目を閉じて少し顔を俯け、歯を食いしばって必死に嗚咽をこらえていた。
どうしていいか分からなくなった僕たちは、一度顔を見合わせ、静かに泣くリタさんを呆然と見つめた。




