57話 毒草の知識をしっかり身につけておきましょう
死を覚悟する、なんて、日常生活を送っていればそうそうない。だが、この世界では別だった。
「あれほど言われてたのに……信じられない。ばかすぎる」
「だから悪かったって言ってるだろ! そんな心配だったらお前が手綱握ってりゃよかったじゃねーか!」
「交代する余裕なんてなかっただろ、ばか」
「余裕どうこう以前に、そんな気これっぽっちもなかっただろうが! 人のせいにばっかすんじゃねぇよ!」
カイルさんとティムさんは、宙ぶらりんの状態にも関わらず口ゲンカをやめる気はないようだった。
とりあえず、状況を説明しよう。
勢いよく森の中を馬で駆けていたカイルさん、その後ろに乗るティムさん、カイルさんの肩にのる僕。突然目の前に谷が迫ってきて、慌てて手綱を引いたカイルさんだったが、残念無念。馬が前足を踏み外し、みんな仲良く落ちたのだった。
僕が素早く触手を伸ばして、カイルさんとティムさん、そして馬もまとめて捕まえられた。そろって谷底に落ちてジ・エンド、なんて最悪の事態は回避。そんなところである。
「カイルー! ティム! マリネ! 無事か!? 返事をしてくれ!」
「はーい! 大丈夫でーす! ちょっと待っててくださーい!」
真上から聞こえたオリヴィアさんの呼びかけに返事をし、足で小さな蹴りあいなんて不毛な争いを始めた二人は無視して、まずは今にも暴れだして落ちそうな馬を持ちあげた。次にティムさん、カイルさんの順で上げて、最後に僕自身が上がった。
「さすがだな、マリネ。有言実行だったな」
「本当にこうなるとは思いませんでした……」
「はは。お疲れさん」
レックスさんに持ち上げられて労いの言葉をかけられ、ため息をついた。
そばでは、オリヴィアさんが馬をなでて落ち着かせながら、地面に座りこんだカイルさんとティムさんを叱っていた。
「ケンカするほど仲がいいなどとよく言うが、お前たちの場合は目に余る!」
「だから……悪かったって言ってんだろ」
「ちゃんと反省しろ! いい大人がみっともない!」
「反省してるってば」
威勢のよかったカイルさんも、あの口ゲンカ選手権優勝候補のティムさんも、二人そろって罰が悪そうに目をそらしていた。その声にも、いつもの調子のよさはなかった。
「それにしても、すごいですね。この谷。結構落ちたのに、全然底が見えませんでした」
「俺もこんなに近づいたのは初めてだ。未開の地だったから、いつかは探検してみたいとは思ってたんだがな」
レックスさんと一緒に、谷を覗きこんだ。高所恐怖症ではないので、問題ない。
これが、〈ヒールオールの谷〉。巨大な溝のようである。向こう側までは、目をこらさないと見えないほどの距離があった。
底から、冷たい風が吹きつけてくる。下へ行けば行くほど暗くなっていて、先がどうなっているのか分からない。なにか得体のしれない凶暴な魔物がいたとしても、おかしくはないだろう。
厳密には、帝国とこちらの国境が接しているのは、〈ハーツイーズ〉だけではなくここもそうだ。だが、どう頑張っても人が通れる場所ではないため、カウントされていないらしい。
「さて……お前たち、そろそろいいか?」
「……仕方ない。いいか、二人とも。次また同じような醜態を晒したら、私の矢の的にされると思え」
「いや、殺す気か――分かった分かった! 悪かったって!」
ため息をつきながら立ち上がったカイルさんは、たちまちオリヴィアさんに矢を向けられていた。毛が逆立ち、目は獲物を見つけた肉食動物そのもので、獣人の「獣」の部分が強く出たところを垣間見た。冗談抜きでもらすかと思った。
気を取り直して、オリヴィアさんがここまで頑張ってくれた馬二匹を労いつつ、元の場所に帰るように促した。ここから先は、徒歩になる。
レックスさんの手からカイルさんの方へ移動して、改めて谷底を覗きこんだ。
「じゃあ、頼むぞマリネ。『巨大化』、いけるか?」
「はい。やってみますね!」
カイルさんの手の上で、深呼吸を一回。そして、
「っ!?」
谷へと飛び下りた。
スカイダイビングのような気持ちで急降下しながら、目を閉じて集中する。
できる。今の僕なら、絶対にできる。お願いします。どうか、皆さんを助けられる力を!
そう願った瞬間、白い煙がボン、と立ち込めて、視界がどんどん高くなった。触手をのばし、こちら側とあちら側の岩肌に貼りついた。
改めて、感じる。『巨大化』を完璧に習得できたようだ。つまり、僕は晴れて念願だったクラーケンへと進化したのだ!
リオネサーラ様のおかげなので、威張れはしない。それでも、やはり嬉しい。だって夢が叶ったのだから。
一人で喜びに浸りながら、カイルさんたちがいる方へ目を向けると、カイルさんがなにやら騒いでいた。しかし、小さくて高い声でキーキー言っているようにしか聞こえなかった。
触手を彼に近づけて、そこに乗るように促す。すぐに飛び乗ってきたカイルさんを、自分の顔近くまで移動させた。
「なんですか?」
「なんですかじゃねぇ! 急に飛び下りるとか、なに考えてんだよ!? 死ぬ気か!?」
「へっ? だって、あのまま『巨大化』したらカイルさんたちの足場が崩れるかと思って」
「なら先に言え!? 心臓に悪いわ!」
「ごめんなさい!」
確かに。言葉が足りなかったですね、すみません。
心の中で猛省しつつ、他の三人も乗せて、万が一にも誤って落とさないようにと慎重に移動した。
最初に、名乗りを挙げたレックスさん。向こう側の安全を確認してもらい、合図をもらってからオリヴィアさん、ティムさん、カイルさんの順に運んだ。
最後のカイルさんが向こう側に着地したのを確認してから、腹に力をこめた。途端に再び白い煙が出現して、僕の体が元のサイズに戻った。
「大丈夫か?」
「はい。なんともありません」
すぐに差し出してきたカイルさんの手に乗り、肩に移動。
以前は、『巨大化』が解けるとすぐに力尽きて意識を失っていたけれど、今はなんともない。リオネサーラ様が授けてくれた力は、それほど膨大だったのか。
「その魔力、少し俺にくれないかな」
「いいですよ。できるんですかね、魔力の譲渡って」
「……いや、冗談だし。できるわけないだろ。他人の魔力は毒なんだから」
なに言ってんの、といわんばかりに呆れた表情でティムさんに言われた。なぜ僕が頭がおかしいとでもいうような空気になっているのだろう。言いだしっぺはあっちなのに。
「ここが北の領地――〈ラバンサラ〉か」
「ああ。ひとまず……〈マジョラムの森〉だったか。ここを通り抜けるしかない。どこがどうなってるかは俺も知らんからな。気を引き締めろよ」
森の先を見つめ、各々が息をのむ。
みんなで顔を見合わせて頷きあい、カイルさんを先頭に〈マジョラムの森〉へと足を踏み入れた。
入ってすぐは、薄暗くて足元がよく見えないほどだったが、次第にぼんやりとした光があちこちに見えてきた。
「あれは……なんですか?」
「ドランベナだ。すごい……こんなにたくさん自生しているなんて」
オリヴィアさんが、発光しているその木の実たちを見て、いたく感動していた。
それは、ホオズキに似た形をしていて、ぼんやりとした薄いオレンジ色の光を放っている。まるで間接照明のようだった。火の玉ではなくてよかった。
あれを一つとって持っていれば、ライト代わりに使えそうだ。
「触るな。火傷するぞ」
「ひっ」
触手をのばして、あと少しで触れそうなところでオリヴィアさんの注意がとんできて、慌てて触手をひっこめた。危ない危ない。
「毒草ばっかりみたいだね。ほら、あそこにも」
ティムさんが、カイルさんの進行方向の地面から生えている、一際大きな葉を顎で指した。
「あの葉っぱは……マンドラゴラか?」
「たぶんね。カイル、ちょっと試しに引き抜いてみてよ」
「さすがに俺でもそれはやったらだめだって知ってるからな!?」
その名前を聞いて、カイルさんはティムさんに抗議しつつ素早く離れた。
マンドラゴラなら、僕も知っている。根が人型のようになっていて、引き抜けば悲鳴を上げる。それを聞いた者は、気絶するか最悪の場合は死に至る、と言われている超有名な毒草だ。魔物と化した植物、といってもいいかもしれない。
言わずと知れた毒草、マンドラゴラ。自生しているんだな、と感心していたら、オリヴィアさんが「信じられない……」と、目を見開いていた。やはり、めったにないようだ。
「今日はとてつもなく運がいいのかもな……カイルが一緒なのに」
「『俺が一緒なのに』は余計じゃねぇかな、オリヴィアさんよ?」
「逆だろ。運が悪いから、谷に落ちるし毒草まみれの危険な森に入るはめになるんだよ」
「ティムお前……いい度胸してんな、コラ」
「で、でも! なんか本当に毒のあるものばっかりですね?」
カイルさんが額に青筋を浮かべて口元を引きつらせたのを見て、気を逸らすべく慌てて割り込んだ。
「そうだな。本来、毒草が自生する原因はほとんどが土壌のせいだが……」
「黒魔術の影響を受けているのも否定できないんじゃない? 近くに研究施設があるんなら、ありえると思うけど」
「確かに」
ええと。ティムさんもオリヴィアさんも、平気な顔で言っているけれど、とんでもない話ではありませんかね?
植物たちに影響を及ぼす魔術とは、どれほどのものなのか。今の僕でも、ちゃんと防御できるだろうか。ちょっと不安になってきた。
方角を確かめながら歩き続けて、なんとかして森を抜けた。その先は、木々や植物らしいものが生えていない、やせこけた土地が広がっていた。
「そういえば、魔物……出てこなかったですね」
「あちこちに毒草が生えているからな。魔物にとっても危険なんだろう」
オリヴィアさんの答えに、戦慄する。魔物にとっても棲家にできない場所って。どんだけだよ。無事に抜けられてよかった。
と、思いきや、突然森とは逆方向からなにかが突進してきた。こちらが狼狽えているうちに、カイルさんが眉一つ動かさず瞬殺した。
「なんだこいつ」
「ボルノイだな……オリヴィアの言うとおりかもしれん。カイルの不運スキルが息をしていないようだ」
「お前まで言うか!」
そんなこんなで特別な食料も手に入り、日も暮れてきたので、今夜はここで野宿すると決めた。
近くに川が流れている場所を陣取ると、なんだか以前の〈シルフィウム鉱山〉での冒険を思い出した。
「さて……どう料理してやろうか」
「美味しいんですか? ボルノイって」
「〈シルフィウム鉱山〉で食べただろう、ジャンビン鳥。あれに匹敵するといっても過言ではないぞ」
「本当か!?」
レックスさんにまでいじられてしょげていたカイルさんは、「ジャンビン鳥に匹敵する」と聞いて、すぐに復活していた。涎を拭いてください。
結局、このとてつもない寒さをしのぐため、仕留めたボルノイ――白い毛皮に覆われた、丸々と太った体型のイノシシに似た魔物は、鍋の材料にすると決定。
「なにか僕にできることはありますか?」
「解体に少し時間がかかるから、お前はたき火にあたっていればいい。寒いんだろう?」
「はい、死ぬほど」
吹きさらしの場所のせいで、先程から冷たい風にさらされている。我慢できなくて、苦笑するオリヴィアさんにお任せして、カイルさんのもとに駆け寄った。
「壺、ください」
「はいはい」
カイルさんが、荷物の中から小さな壺を出した。茶色くて縦長の、以前スティーヴさんの武器屋のクジで当てたものだ。
中にするりと入ると、空気が一変した。中は暗くて狭く、寒い風も吹いてこない。最高だ。
これは、まさしくタコつぼである。武器ではない。スティーヴさんがなぜこれをクジの景品にしていたのか、意味不明だ。結果オーライだけど。
「そいつはなんだ?」
「前にスティーヴんとこのクジで当てたんだよ。ガラクタだと思ってたけど、マリネが気に入ってな」
「クジか。懐かしいな。俺も昔はよくやったぞ。当たったのは斧とか杖とか、俺には使えない物ばかりだったけどな」
「武器しか当たらないはずのスティーヴの店のクジで壺を当てるなんて、さすがだよね」
「確かに。逆に運がいいんじゃないか?」
「お前ら何回俺の不運をいじれば気が済むんだよ! 今日特にひでーぞ!」
カイルさんが涙目で吠えた。
ここが敵地だと忘れてしまいそうなくらい、和やかムードに包まれて夜が更けていった。
ちなみに、オリヴィアさんが作ってくれたボルノイ鍋は、言わずともがな最高でした。




