54話 ピンチのときには出し惜しみはしないように心がけましょう
轟音が響いている。
頭を抱えてうずくまっていた僕は、音がやんですぐに目を開けて周囲の様子を確認した。轟音の正体は、周辺の木々が倒れた音だった。丸々と太っていたはずのそれらは、不自然に枯れて痩せている。
黒い波――闇魔法にあてられたせいなのか?
「敵襲か!?」
「っ、来るな!!」
轟音に気づいて駆けつけてきた騎士に、ティムさんが伏せたまま叫ぶ。
しかし、遅かった。
「っ!!」
第二波が、襲ってきた。
駆けつけた騎士が飲みこまれる。その人は、立ったまま背中を反らして上を向くような体勢になり、悲鳴を上げた。
そして、倒れた瞬間体が崩れて黒い砂のようになり、霧散した。あとに残ったのは、彼が着ていた軍衣だけだった。
人が――人の命が、一瞬で消滅した。
なんで……? 一体、なにが起こってるんだよ!?
「マリネ、カイルたちに知らせて。近づくなって」
「そ、それより逃げないと」
「無理だよ」
あっさり否定したティムさんを不審に思い、うつ伏せに倒れたままの彼を観察し、理解した。倒れた木に下半身が挟まれている。
大変だ。すぐにどけないと。
「俺はいいから、早く! また犠牲者が出るだろ!?」
「でもティムさんが――」
「いいっつってんだろ、このポンコツ!! 優先順位も考えられないのかお前は!!」
珍しく声を荒らげたティムさんの言葉を聞いた瞬間、頭に血が上るような感覚をおぼえた。
「誰が……誰がポンコツですか、誰が! ここで仲間を見捨てる方がポンコツじゃないですか! 僕はそんなんじゃありませんからっ!」
啖呵を切って、飛び上がって倒れた木の上に立った。見晴らしがとてもいい。
「なにする気だよ……! やめろ!」
ティムさんの制止の声をガン無視して、遠くを見つめた。
また闇魔法を食らえば、『巨大化』ができるかもしれない。うまくいかないかも、今度は死ぬかも、なんて尻込みしているときではない。だって、みんなが命を懸けているんだから!
さあ、来るなら来い!
「ぎゃっ!?」
どんと構えた直後、黒い波が前方から押し寄せてくるのが見えた。
大丈夫。できる。絶対に、できる! 僕がやるんだ。僕が……守ってみせる!!
腹に力を入れて、それを一気に放出するようなイメージで二本の触手を挙げた。直後、辺りが白い煙で覆われる。
視界が開けると、迫ってきていたはずの黒い波は消滅していると気づいた。そして、視界が高い。高い木々で見えなかった、より遠くの景色までよく見える。あのとき――〈闘技場〉のときと同じだ。
成功したのだ。『巨大化』に!
だが、喜びを噛みしめている時間はない。まずは、身動きがとれないティムさんの救出だ。倒れた木をどかして、そっと触手の先を使って――でかくなったらたちまち細かい作業が難しくなった――ティムさんの体を持ち上げ、僕の後ろの離れた位置まで移動させた。
直後に黒い波が襲ってきたので、触手を振ってそれを払いのけた。爪で引っかかれたような鋭い痛みを一瞬感じたけれど、それだけで他に異常はない。立て続けに襲ってくるそれを、同じように振り払っていく。
まもなく、体が重だるい感覚がしてきた。どうやら限界が近いようだ。
ここで『巨大化』が解けてしまえば、また被害が出てしまう。せめて、敵がどこから攻撃してきているのかをつきとめたい。
黒い波を振り払いながら、その元を目で辿る。すると、森をぬけたところにある開けた場所に、バリケードのようなものがあり、その上にずらりと砲台が並んでいるのが見えた。周辺を、大勢の人がばたばたと動き回っている。
位置や方向から考えて、あそこが発生源で間違いない。原理は不明だが、大砲の弾のように闇魔法を撃ちこんできているのだろう。一方的に、かつ安全に攻撃するために。
そんなの反則――否、戦争に反則もなにもあったものではないだろうけど! 許さないぞ、絶対に。あそこに行って大暴れして、しっちゃかめっちゃかにしてやろうか!?
とはいえ、すでに触手を挙げるのでさえつらいほど、だるさが増していた。さらに、魔法攻撃が触れた触手の箇所が腫れてきた。これも、限界が近い証拠か。
だめだ。まだ解けるな。相手が攻撃を諦めるまでは、元に戻るわけにはいかないんだ!
力を込めようと、一度下ろした触手に目を落としたとき、そばに人がいるのに気づいた。その人は、必死にこちらを見上げてなにか話しかけてきている。
カイルさんだ。
それに気づいた瞬間、力が抜けた。だめだ、と思ったがどうにもならず、空が遠くなっていく。膨れた風船の空気が抜けるかのように、僕の体は急激に小さくなって、地面にぐったりと横たわった。
目が回る。どこがどこだか、なにがなんだか分からない。
「マリネ。よくやった」
ぼやける視界の中、カイルさんの優しい笑顔が見えた。
「頼む」
「承知――第一部隊、構えっ!」
カイルさんの声に続けて聞こえたのは、エリオットさんの鋭い命令口調だった。続けて、「放て!」と、声がしたと思ったら、辺りが眩しい光に包まれる。
なんだこれ。眩しいなぁ。
なにが起こっているのかわけも分からず、確認できないまま、僕の意識は白い光の中へと沈んでいった。
◇◇◇
気がつくと、深い霧の中にいた。
目の前には、白い草のようなものが風に揺れている。なんだかとても心地がいい。
「さっさと起きろ、へちゃむくれ」
「ぎゃっ!?」
不意に、頭のてっぺんに鋭い痛みが走る。
振り返ると、大きな赤い爪がついた巨大な手が見えた。白くて柔らかそうな毛に覆われた、獣の手だった。あの爪で突かれたようだ。
痛みのおかげで、視界がはっきりしてきた。巨大な手を辿って顔のある位置を確認する。
白いひげが、触角のようにのびている。目は赤く、白い体毛のせいか際立って見える。頭には、木の枝のようにのびた長い角が二本あった。
「ど……どちらさま、ですか?」
神々しい見た目に呆然としつつ、なんとか言葉をひねりだした。すると、その白い獣は、寝そべっている体勢から四つ足で立ち上がった。
「はぁ。やっと気がついたか、へちゃむくれ」
「へちゃむくれではないです、マリネです」
「名前なんか知るか。俺がずっと呼びかけてたってのに、いつになっても気づきやしねぇ」
その人は、鼻から息を大きく吐いて嘆いている様子で上を向いた。
ずいぶん乱暴な口調だな。一人称なんて、「俺」だし。
「けどまぁ、一応褒めてやるよ。ここまで到達できたのは、あの女の後だとお前が初めてだ」
「あの女……?」
「つーわけで、へちゃむくれ。お前の願いを言え」
「……はい?」
何一つ分からない。
ここはどこ? この人は誰?「願いを言え」って、急になに!?
「ちっ……これだから心得がない奴は。落ち着け、へちゃむくれ」
「マリネですってば……どういうことですか? あなたは僕の願い事を叶えてくれるんですか?」
「だから、そう言ってる」
「どうしてまた?」
「……最初から説明しなきゃいけねぇのかよ、めんどくせぇな」
「すみません」
なんで僕が謝ってるんだろう。
「お前はここに来た。それは、お前の『守りたい』っていう強い想いがあったからだ」
「え……? でも、それは他の人だって思ってるはずですが?」
「思ったからって、誰でも俺の声が聞けるわけじゃねぇ。そんなことも分かんねぇのか」
「分かりません、すみません」
「はぁ……」
ため息をつく、謎の白い獣の人。
だから、なんで僕が謝らなきゃいけないんだ。
「俺はリオネサーラ。お前が生まれると決まるよりずっと前から、アストラ様の命でこの地を見守ってきた」
「アストラ様の命……で!?」
「そうだよ」
「……アストラ様って、本当にいらっしゃるんですね」
「塵にされてぇのか」
「ごめんなさいすみません撤回しますから」
ちらりと口の中の牙を見せつけられ、即座に土下座する。
こういう横暴なタイプの人は、さらっと有言実行するだろう。恐怖でしかない。
とはいえ、意外すぎるお方の名前が出てきたので、疑問に思うのは仕方ないと思う。「アストラ様の命」とは、すなわちこのお方は神の使い――眷属なのか?
「分かるだろうが、俺は人前に易々と姿を現せねぇ。だから、必要なんだよ」
「なにがです?」
「俺の力を現世に繋ぐ存在が」
「……え? まさか……それが僕だと?」
「やっと分かったか、へちゃむくれ」
リオネサーラ様は、呆れたように片目を閉じて鼻で笑った。
そんな、神の使いみたいな役目を、僕が負う? 馬鹿な。荷が重いどころの話ではない!
「俺の声を聞き届けられたっつーことは、すなわち素質がある証拠だ。実際お前は、力を示しただろうが」
「力を示した……?」
「お前らが言う『巨大化』っていう力は、アストラ様が現世の生き物に与えた力の一つだ。獣なら誰でも持ってる。その上で、実際にできる奴を炙りだしてんだよ」
「誰でも持ってるのにできるわけじゃない……って、どういうことですか?」
「どうもこうもねぇ。人が使う『魔法』だってそうだろうが」
「あ……」
そうか。やっと分かったぞ。
魔法は、魔力が高いからといって誰でも使えるわけではない。『巨大化』もそれと同じ――否、もっと希少な力なのか。
まさかあれが、神様とコンタクトをとるために必要な力だったとは。そして、それを自分ができてしまうとは。未だに信じられない。本当に僕でよかったのだろうか?
「説明は以上だ。さっさとお前の願いを言え」
「いや、待ってください。僕は魔物ですよ? 神様とはほとんど真逆に近い存在です。素質があるからって、そんな大事なものに選んでもいいんですか?」
聞いた直後、リオネサーラ様は腕を持ち上げて、爪の先を僕の頭に食い込ませた。
「ぎゃっ!?」
痛いかどうかって? 痛いよ、普通に!
「お前の言う『魔物』ってのは、なんだ」
「へっ? なにって……?」
「それを邪悪と決めたのは、誰かと聞いてんだ」
「……それは……」
「人だろうが。つまり、その価値観は人の中だけで通用するもんだ。俺たちには関係ねぇ」
リオネサーラ様が、こちらにずいっと顔を近づけてきた。
「お前は力をものにした。そんで、それを自分のためじゃなく、他のために使いたいと願った。アストラ様が愛する、この地の生き物たちを守るために。それ以上の理由が必要か?」
赤く輝く目に見つめられると、驚きにあふれていた心が落ち着いてきた。まるで、大時化だった海が、あっという間に凪いでいくかのように。
「……僕は……見てのとおり、こんなにちっぽけで脆い存在です。どんなに想っても、できないことが多いんです。なのに……大切な仲間とか、よくしてくれる人たちとか……守りたいものも、多いんです」
俯けていた顔を勢いよく上げて、まっすぐリオネサーラ様を見つめた。
「リオネサーラ様。僕に、力をください。いつでもみんなを守れるくらいの力を。お願いします!」
目を閉じ、土下座のようにして手を前に出して頭を下げた。
そのまましばらく、リオネサーラ様からの返事はなく沈黙が続いたが、そのままの体勢でいつづけた。
「……ふん。つまらねぇ。あの女と同じか」
「へ……?」
だるそうに悪態をつく声が聞こえて、そっと目を開けながら顔を上げてみた。
「くれてやるよ。あとはてめぇでなんとかしろ」
リオネサーラ様が、背中にあった翼を大きく広げた。直後、辺りがまばゆい光に包まれる。
「紫の若造にも言っとけ。一々聞くな、てめぇのことはてめぇで考えろってな」
「む……っ? え、ちょ、待っ……!?」
その言葉を最後に視界が光で遮られ、なにも分からなくなった。




